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メンバー情報

ID336
名前よし
コメント五十代半ばの一人旅好きサラリーマンです。それぞれの年代で旅のテーマが変わってきました。登城メモは自身の旅日記代わりですので、いささか長文です。よろしくお願いします。
★2008年12月23日に100城登城を達成しました。予定期間の半分の1年間でしたが、本当にこのサイトのおかげです。多くの貴重な情報と声にない励まし(ウォッチ)があったからで、サイトの管理者と同好会に皆さんに感謝します。各地でお世話になった方も大勢いらっしゃいました。ありがとうございました。
お金はそれなりにかかりますが楽しかったです。お城や町、人物、そして歴史や文化を見る目も随分変わったと思います。頂上に立てなかった山城もあります。再訪を誓ったお城もあります。別の百名城の書籍もあります。どこかのお城でお会いしましょう。
来年はお城巡りに加えて、「神仏霊場巡拝の道」(近畿150社寺)、「全国一ノ宮巡拝」(106社)、「坂東三十三所観音霊場」(関東33寺+お礼長野2寺)の朱印を頂くのもいいなと思っています。(というより年末からスタートしました)
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
松本城
2007年12月2日
自身のラリー第1号。35年ぶりの松本城。さすが国宝、風格があります。2008年の年賀状に写真を載せました。初めてのスタンプだったので、きれいに写せませんでしたが、これも記念です。

【2009.01.17再訪】JR東日本の「大人の休日倶楽部会員謝恩ワンデーパス」(新幹線等乗り放題:1万円)で、早朝長野経由で松本へ。敷地は往時よりもかなり狭くなっていますが、100名城を見てきた今、国宝・現存天守閣は見事の一言です。雪の松本城を期待していましたが、4日前に積もったきりとのことで、敷地の一部に残っているだけでした。しかし内堀は薄氷が張っていました。現在石垣の修復中で赤い橋は通行禁止になっていました。北側の松本神社にも行きました。この後、下諏訪・茅野・山梨市に移動し、信濃一ノ宮の諏訪大社(下社秋宮、春宮、上社本宮)、甲斐一ノ宮の浅間神社に参拝しました。
水戸城
2008年3月30日
2城目。弘道館の梅も最後の時季でした。お城を思い浮かばせるものは城址の碑や解説の立て札以外にほとんどありませんが、水戸一高(薬医門)に行く際に渡る橋の下の鉄道は水戸城の掘割跡でしょうか?アクアワールド茨城県大洗水族館訪問の帰りに立ち寄りました。
岩国城
2008年4月12日
ラリー3城目。桜祭りの最中。満開でした。錦帯橋から見るお城は小さいですが素敵でした。外国人も多く来ていました。岩国駅のバス乗り場で、バス、錦帯橋(有料!)、ロープウェイ、岩国城のセット乗車・入場券がお得です。山口県ですが、広島からの方が交通は便利です。衆議院山口2区補選の直前で錦帯橋には民主党の管直人氏が来ていました。
広島城
2008年4月12日
ラリー4城目。十数年ぶり3回目だと記憶していますが、天守閣には初めて登りました。外観復元50周年で「広島城の50年」という企画展を6月15日までやっています。天守閣は原爆で破壊されたのですが、再建までの道のり、その後の広島の発展を見て、16世紀に築城されたという歴史とは別の近代史に感動しました。散り始めの桜もお城にマッチしていました。翌日は久しぶりに宮島に渡り、宮島水族館を初めて訪問しました。宮島のアナゴ重は絶品でした。
高遠城
2008年4月20日
ラリー5城目。お城めぐりをしていると会社の同僚に話をしていたら、「高遠の桜」の話題が出ました。私は知りませんでしたが有名とのこと、私の趣味とも合致し、珍しく3名で訪問しました。桜の季節だけかもしれませんが、東京から「はとバス」のツアーがあり、非常に安く訪問できました。タカトオコヒガンザクラはまさに満開、すばらしかった。それ以上に人の多さに唖然としました。雑誌で調べたら全国の桜の名所のアンケートで2位でした。1位はGW前半に再訪問を予定している弘前城(私の1位も弘前城です)です。お城めぐりファンの私としては、人の少ない季節にゆっくりと再訪したいと考えています。
久保田城
2008年4月26日
ラリー6城目。早朝、空路秋田に入り初登城です。半年前の男鹿半島訪問時に久保田城の前のホテルに泊まっていたのですがお堀しか見ていませんでした。この日は弘前城も回る予定で秋田滞在は1.5時間くらいしかありません。無料ボランティアの方に1時間限定でお願いしたら、効率よくかつ丁寧な説明付きで回っていただきました。ありがとうございました。桜は完全に葉桜でしたが、5〜6月のツツジがすばらしいとのこと。今年は別のお城や水族館を回っているので無理ですが、来年の楽しみとしましょう。
弘前城
2008年4月26日
ラリー7城目。初めての訪問は学生時代ですから35年ほど前。30年ほど前の桜の季節に訪問した時は、まさに息を呑む美しさで、それは今年も同じでした。(桜は成長しているのですが最初の印象のほうがよかったです)3月中旬に予定を決める時、GW前半にするか後半にするか迷いましたが、前半訪問が当たりでした。やや散り始めの桜はお堀の水に花びらを浮かべてすばらしかったです。お城の中は完全に花見客に占領されていましたが、先週の高遠城より城域が広いので、あまり苦にはなりません。岩木山が見えていたので、夕方まで粘り、夕日に浮かぶ岩木山をバッチリ見ることができました。ホテル料金が普段よりずいぶん高いのが残念でした。

【2009.02.07再訪】雪の弘前城は初めてで、お堀も凍りついていました。この時季、天守閣には登れませんが、雪燈籠まつりが開かれていました。
松前城
2008年4月27日
ラリー8城目。30年ほど前に松前を訪問した時はまだ鉄道があったはず。津軽海峡線から木古内でバスに乗り換え。風の町松前の名に恥じない強風と強いにわか雨の中の訪問でした。気温は7度程度でした。お城(さくら)祭りは29日からでしたが、暖かい日が続いていたようでこの日はまさに満開でした。小ぶりな天守(復興)に桜がよく似合っていました。泊まりは温泉ではなかったけれど、海の幸と自作の松前漬けを堪能できました。
五稜郭
2008年4月28日
ラリー9城目。スタンプラリーを始める直前の2007年11月の札幌出張時に函館に寄り道をして五稜郭を訪れたばかりでした。この時は五稜郭タワーにも上がりましたが、今回は桜が満開で、ゆっくりとお城の中を散策しました。工事中で、ぐるりと回ることがかなわずもう少し工事の仕方を考えてほしいものです。市立函館博物館五稜郭分館は閉鎖されていて、スタンプは管理事務所においてあります。事務所には誰もいらっしゃらず、少しさびしく感じました。
大分府内城
2008年5月3日
ラリー10城目。前日午後半休を取って空路大分へ。別府温泉に泊まって、大分マリーンパレス水族館(うみたまご)訪問後、大分駅前へ。徒歩10分強。外からは櫓やお堀があって美しいですが、中は文化会館しかありません。櫓に登ることもなく、展示なども特になかったと思います。でも警備員の方が親切で、リュックを担いでの旅姿に、尋ねもしない内から、百名城スタンプなら事務所にあるよと教えていただき、さらに、府内城の資料もいただきました。お昼過ぎでしたが、本日4人目の訪問とのことでした。
岡城
2008年5月3日
ラリー11城目。岡城阯への交通が怪しかった(Internet上のいくつかの情報が異なっていた)ので、事前に観光案内所に電話で確認しておきました。豊後竹田駅からはTaxi以外の交通機関はありません。時間の関係もあり、観覧料徴収所までTaxi(700円くらい)で行き、本丸までゆっくり歩いて往復1時間。断崖絶壁によくもこれだけの美しい石垣を築いたものだと思いました。荒城という感じではなかったが、過去の栄華を感じさせる風格がありました。帰りは豊後竹田駅まで歩きました。観覧料徴収所からでも40分程度だったでしょうか。山中のこじんまりした城下町の雰囲気がとてもよかったです。前日に大分の情報誌に載っていた駅近くの丸福食堂で大分名物のとり天定食をいただきました。(ごく普通の町の食堂ですが、おいしかったです)
熊本城
2008年5月4日
ラリー12城目。最も好きなお城のひとつで5、6回目の訪問です。初めての訪問は高校の修学旅行で40年も前です。以来、旅行や出張時にも時間があれば立ち寄っています。GW中で、復元された本丸御殿が4月20日に公開され、すごい人出でした。本丸御殿は1時間待ち、天守閣は30分待ちということで、宇土櫓に登りました。この櫓だけでも見る価値十分です。一番上の階段はすれ違いができないので、交通整理をしていました。櫓からの天守も美しかったです。もっと空いている時季、時間帯を選んで再訪します。スケールの大きさは見事です。再建天守はともかく、現存櫓などは国宝級の価値ありと思います。市電からのお城の眺めもよいものです。

【2008.11.02再訪】11/2夜〜11/4の唐津くんち訪問前に熊本に立ち寄りました。今回は前回逃した本丸御殿と天守閣(博物館)を回りました。本丸御殿は展示説明も良かったです。復元のビデオも必見です。この後、福岡経由で唐津入り。宵ヤマは情緒もあってとても良かったです。

【2009.05.03再訪】念願の市役所14階の展望室からのお城を楽しみました。ここからの熊本城、お薦めです。
人吉城
2008年5月4日
ラリー13城目。肥薩線は約30年ぶり、国鉄の「チャレンジ20,000km」で全線踏破を目指していた頃以来です。しかし人吉は初めて足をつける町です。高校生など地元の方が、「こんにちは」と気軽に声をかけてくれる素敵な町です。川と櫓などがとてもマッチしていて、また城址を大事にしていこうという気概を感じました。人吉お城まつりの開催中で百名城指定も盛んにアピールしていました。スタンプの置いてある人吉城歴史館の方もとても親切でした。スタンプラリー訪問者用の芳名帳は初めてです。(ちなみに私は202番目)歴史館自体は規模は小さいけれど、見やすくまとまっていました。日本の二大剣豪(丸目蔵人佐と宮本武蔵)の特別展もありました。地下遺構の上に歴史館を作ったということでした。二の丸址などお城の上からの球磨川や人吉の町、連なる山なみも美しかったです。泊まりはもちろん人吉温泉です。
島原城
2008年5月5日
ラリー14城目。早朝人吉から熊本に戻り、熊本港から有明海を超高速(?)フェリーで島原に渡りました。島原外港から島原鉄道の接続が悪かったですが、案内所でバスの存在を教わりました。島原駅のひとつ手前の「大手」(と思う)で降りるとお城に近いです。海側からの登場口はなく、山側から入ります。天守はいかにも最近の作り物という感じでしたが、1階のキリシタン関係の展示は見ごたえ十分でした。敷地内にある北村西望記念館(長崎の平和祈念像の製作者)もよかったです。駅前にはほとんど食事をするところがありませんので、お城の近くで食べるほうがよいでしょう。(こちらも少ないが・・)島原外港へは今度は島原鉄道を利用しました。外港より先はついこの間廃線になったようです。島原に着いたとたんにデジカメの電池が切れました。島原城はフェリー上から米粒くらいに写ったものしかありません。よって年内には再訪しなければなりません。(再訪理由ができました)

【2009.05.02再訪】1年ぶりに、長崎から熊本への旅の途中に立ち寄りました。これで全てのお城の写真が揃いました。お城から徒歩15分の銀座食堂の具雑煮、お薦めです。
津山城
2008年5月10日
ラリー15城目。空路岡山へ。10日は強い雨。10日に備中松山城、鬼ノ城、11日に津山城、岡山城を訪問する予定でしたが、雨の山歩きはつらそうなので日を入れ替えました。鶴山公園内では、備中櫓の受付の女性以外誰にも会いません。午前中は50人ほどの団体客があったそうですが・・。おかげでこの登城メモでも話題になっているCGを独り占めでじっくり見れました。すべて畳敷きの櫓は珍しいですが、あまりにも新しく違和感を感じました。櫓というより御殿でしょうか。津山には大阪勤務時代に仕事や湯原温泉&ゴルフツアーで何度も訪問、通過していましたが、鶴山公園に入るのは初めてです。天守跡などから眺める雨に煙る津山の町も一興です。つつじが五分咲き程度でした。小動物園には苦笑しました。スタンプはじっくり押したつもりですが、かすれが多く、肝心の津山城の文字が写っていません。注意しましょう。
岡山城
2008年5月10日
ラリー16城目。強い雨。仕事の関係で2年間ほど大阪−香川県高松を月に数回往復していたので、岡山自体はよく知っています。岡山城は4度目くらいの訪問です。いつもは後楽園とセットですが、この日は岡山城だけ。後楽園との連絡の橋から入りましたし、天守閣から後楽園も見えます。雨のせいか人は少なかったです。復元天守閣はもちろん、櫓や門など美しいお城です。天守閣では夕方ということもあり、ほとんど見学者はいませんでした。5月18日まで特別展(山陽道諸藩の幕末・維新」というのをやっていて、800円も取られました。いつもはもっと安いのでは。西川緑道のホテルまで雨の中歩きました。
備中松山城
2008年5月11日
ラリー17城目。鬼ノ城と併せて前日に訪問の予定でしたが、大雨だったので、乗り合いタクシーの予約をしていた備中高梁駅の観光案内所に雨の状態を確認し、この日に変更しました。11日は雲の合間から晴れ間も覗き、変更して正解でした。ふいご峠までの乗り合いタクシーは片道420円(通常は1,500円程度とのこと)で済みました。往復とも一人だけで、申し訳ない気持ちでした。観光案内所のおばさんも、タクシーの運転手さんたちもすごく親切でした。ふいご峠から行きは山道、帰りは舗装道路(途中まで)も正解だったと思います。前の方が書いている城主からのメッセージにも励まされ、息を弾ませながら天守閣までたどり着きましたが、よくぞこんな山の上に天守閣や櫓、石垣を作ったものだと感動を覚えました。天守閣の手前の休憩所のVTRもよかったです。帰りの舗装道路は峠まであっという間でした。ラリーとは関係なしに一度は訪問したかった備中松山城はお気に入りの上位に入りました。(高梁市自体は過去に訪問しています)料金所のおじさんに聞いたのですが、前日の大雨の中でも訪問者は50名もいたそうです。<長文失礼>
鬼ノ城
2008年5月11日
ラリー18城目。事前に鬼ノ城VCに確認して、さて、どういう交通手段で行くか悩みました。結局総社駅前の観光案内所で相談して、JR西日本の「駅から観タクン」の総社駅出発プラン(吉備路歴史探訪コース:2時間1台4,900円)にしました。(一人では料金は高いですが結果的には良かった)このサイトの情報が大いに役立ちました。このコースは4箇所の史跡をまわることになっていますが、運転手さんにお願いして鬼ノ城でゆっくりすることにしました。それでも滞在時間1時間強です。すべては見れないので、ビジターセンターのガイドさんにお願いしました。鬼ノ城に思い入れをすごく持たれている方で、一所懸命説明していただけました。確かに古代の山城はただ単に見て歩くだけではさっぱり分からないでしょう。思ったより多くの人が来ていても、説明を受けようという人はほとんどいません。地元ではデートコースなのかもしれませんね。角楼や西門中心でしたが、城址からの総社平野(?)や瀬戸内の眺めが最高でした。タクシーの運転手さんもすごく親切で勉強家でした。結局備中国分寺も少しだけ立ち寄れました。
鹿児島城
2008年5月24日
ラリー19城目。空路始発便で鹿児島入り。雨の中、市電に乗って鶴丸城址へ。お城巡りをしていると路面電車に乗る機会が多いですね。鹿児島城址という文字は見つからず、地元ではもっぱら鶴丸城のようです。石垣やお堀が城址であることを窺えるだけ。お堀の外周は工事中でした。城内の鹿児島県歴史資料センター黎明館は見ごたえあり、3時間ほどゆっくり拝見しました。受付の女性は皆さんやさしく美人、薩摩おごじょというのでしょうね。薩摩弁がとても愛らしかったです。鶴丸城の内容はほとんどなく、鹿児島の歴史や偉人、文化、風俗など色とりどりです。館内にいる間は土砂降りの雨でした。外へ出るとほとんど雨は上がっていましたが、背後の城山はあきらめ、期間限定の篤姫館へ。30分の番組宣伝展と思ったほうがよいです。かごしま水族館・いおワールドは1年半前に訪問していますがこちらにすべきでした。時間が中途半端なので、タクシーで鹿児島中央駅へ急ぎ、予定より2時間早い電車で宮崎へ。(今、NHKの篤姫の番組が始まりました。欠かさず見ています)
飫肥城
2008年5月25日
ラリー20城目。前日と変わり晴れて暑い日でした。飫肥は鉄道で通過したことはありますが、降り立ったのは初めてです。小さいけれどとても素敵な城下町です。九州の小京都と呼ばれるようですが、良い意味で裏切られました。石垣や空堀の城址をはじめ、豫章館、松尾の丸、歴史資料館(小規模だけど飫肥の歴史がよく分かります)、武家屋敷通り、酒谷川沿いの道などをゆっくり回りました。昼食は話題の熱々の飫肥てん(定食)です。大手門や松尾の丸(大奥)は復元ですが、30年も経つので城址に溶け込んでいるようです。各施設の受付の方はとても親切でした。本丸御殿も復元計画があったが、本丸跡に建つ飫肥小学校が明治以来の歴史のある学校(校舎は新しい)でPTAが移転に反対したそうです。宮崎市から往路は鉄道、復路はバスとしました。宮崎行きのバスは飫肥駅にはほとんど行きません。酒谷川に囲まれた城下内に停留所があります。商家資料館の前のバスセンターが始発です。料金は高いですが、日南海岸沿いに宮崎空港も経由しますのでお薦めです。待合室で二人の女性(それぞれ一人旅)と少しお話しました。皆、飫肥の町をとても気に入っていました。
大野城
2008年6月7日
21城目。しんどかった割には登城した気分になりませんなあ。広大な四王寺山域全体が城址であり、徒歩ではこれぞ大野城址というものに行き着きません。
資料が充実していそうな太宰府展示館(西鉄都府楼前駅から徒歩15分)に開館(9時)直後に入りましたが、大宰府政庁跡の展示が中心。ボランティアの説明員の方の到着を待って、大野城の地政学的説明などを約1時間お聞きしました。
ここから四王寺山登山(!)。九州自然歩道と合流するということで、楽な気分で登り始めましたが、結構きつかったです。高橋招運の墓、岩屋城址(蜂に注意)に寄りながら早足、一度数分の休みだけで、一番南端の駐車場まで1時間かかりました。途中に増長天礎石群を見たのでこれで登城としましょう。ここは車で登り1日かけて回るのがよいのでは。帰りは太宰府天満宮まで林道を早足で下り約45分、4度目の参拝を済ませました。
100名城ガイドブックには太宰府駅から(の登り)徒歩40分とありますが無理でしょうね。山道もあるようですがどこまでのことでしょう。汗びっしょりになりましたが、天気がよかったのが唯一の救い。雨の山道は危険です。
福岡城
2008年6月7日
22城目。大野城址から再度福岡市内へ。福岡には10回以上は来ていますが、福岡城址は初めて。こんな大きな城だったのですね。城内の門の跡や櫓などは説明がありますが、福岡城そのものの資料館がないので、消化不良。スタンプのある鴻臚館跡資料館はいわゆる迎賓館の資料館。スペース的には難しいでしょうが、福岡城の歴史資料などもあるとよいと感じました。大野城址で歩き疲れていたけど、鴻臚館跡も併せて約1時間半散策しました。石垣が数多くありました。江戸時代に再建されたという多門櫓は生垣が邪魔をしていてよく見えません。犬を連れたおじいさんに聞きましたが、逆側からも見えないとか。もったいないですね。
余談ですが、この後、関門海峡を渡り下関でふく料理を堪能し、翌日は下関市立しものせき水族館・海響館へ。下関の水族館は30年前以来ですが、リニューアルされていて昔の姿が思い起こせません。山口宇部空港から帰京しました。
今帰仁城
2008年6月14日
23城目。前日までの雨予想が外れ、晴れ時々曇り。早朝那覇BTから高速バス(乗客は私一人だけ)・路線バスを乗り継いで3時間で今帰仁城址入口に到着。丁度1年前に美ら海水族館に遊んだ時、このバス停を通過しましたが、100名城の存在は知りませんでした。
徒歩で15分登り、息が切れそうになる頃に今帰仁村グスク交流センターなどがあります。交流センターでボランティアガイドの方に1時間弱でお願いしました。最初は一人でしたが、だんだんと説明を聞く人が増えてきて、結局1時間半ほどご案内いただきました。城の造りや歴史、沖縄の自然・風俗など盛り沢山で、ユーモアも交えた案内でとても楽しかったです。(北海道出身の方でした)ここはただ見ているだけでは良さが1/10も分からないと思います。これから訪問される方は是非ガイドをお願いしてはいかがでしょう。もちろん無料です。
世界文化遺産のひとつでもあり、お昼前には観光バスも来ていて結構な賑わいです。朝早くの訪問がお薦めです。
独特の石垣や縄張り、東シナ海も一望です。歴史文化センターの方はごく軽く見るだけに止め、それでも予定を1時間半オーバーして那覇に戻りました。
首里城
2008年6月14日
24城目。那覇は5回目ですが初めての訪問です。ゆいレール首里駅から結構歩きます。完全な観光地ですね。建物はたくさんありますが、すべて最近復元されたものばかり。世界文化遺産「琉球王国のグスク関連遺産群」9箇所の内、「首里城跡」はともかく、近くにある「園比屋武御嶽石門」はほとんどの人が気がついていないようです。「玉陵」も訪問者は少ししかいませんでした。
2時間ほど滞在しましたが、夕刻だったため、正殿には入りませんでした。まだ住居関連の復元もあるようで、それを含めてまたの機会にゆっくり回りたいと思います。
首里駅まで100円のバスを利用しましたが、ゆいレールでひとつ手前の儀保駅へ歩くほうが近いようです。

【2008.10.18】再訪した中城城で首里城との関係も色々とお聞きして、こちらも再訪することにしました。前回パスした正殿などの有料区域に入りました。観光地には違いありませんが、建物の復元などの沖縄の方の思いも知り、ややマイナスイメージで記載したことを撤回します。日が暮れてからの那覇の街やライトアップされたお城も素敵でした。次の日は平和祈念公園を訪問し、平和をお祈りしました。
中城城
2008年6月15日
25城目。この日も雨は避けてくれました。国際通りのバス停から、1時間バスに揺られ(670円)中城小学校前で降ります。結構流しのタクシーが走っています。タクシーで丘を5分ほど登ります。(560円)
プレハブ作りの管理事務所ですが、愛想の良いお兄さんやお姉さんがいます。ボランティアガイドさんは不定期とのことで、残念ながらこの時は不在。リュックを事務所に預かってもらって、1時間半ほどゆっくり散策しました。沖縄の3城の中では最も原型が残っているとのことですが、案内や資料館がないことから、よく理解はできませんでした。出会った訪問客は10名くらいでしょうか。
沖縄独特の石垣が面白く、郭からは太平洋はもちろん、逆側の東シナ海も望めます。

【2008.10.18】那覇空港から、ボランティアガイドさんがいらっしゃるということを電話で確認すると、待っていてくださるとか。簡単に昼食を済ませて、モノレール、バス、タクシーを乗り継いで訪問。おばさんガイドさんはとても物知りで、お城のこと以外にも沖縄の歴史や文化なども教えていただきました。まさに一期一会の楽しい出会い、再訪して本当に良かったです。
大阪城
2008年6月20日
26城目。休暇を取っての大阪での所用が予定より早く終わり、予定外の大坂城を訪問しました。京都出身で大阪にも都合3回延べ13年余り勤務していましたので、大阪城公園には数え切れないくらい来ていますが、天守閣入場はたぶん2回目です。
JR大阪城公園駅から入り青屋門で無料ボランティアガイドさんの案内看板を見つけました。早速電話でお願いし、極楽橋から天守閣まで、石垣の刻印などの説明をいただきながら1時間ほどゆっくりご案内いただきました。
他の方の登城メモにもあるように天守閣の受付やEVガールは中国の方ばかり、観光客も中国人(台湾も?)ばかりでした。特に団体さんが大きな声でしゃべるので目立ちますね。100名城スタンプは、2階のスタンプ置き場から1階のインフォメーションに移っています。
私の感じる大坂城の特徴は、石垣の石が大きなことと、上空間近から天守を眺めれること。飛行機はいつも富士山側の窓側の席を取るのですが、伊丹行きだけは大坂城を上空から見るために左側を取ります。
和歌山城
2008年6月21日
27城目。和歌山大学訪問で和歌山城を見て以来38年ぶりですが登城は初めてです。(大学は移転したようです)
大阪から南海電車で和歌山市駅へ、時間がないのでTaxiで大手門まで。小雨の中、天守まで登りました。天守はいくつかの櫓と一周繋がっていました。手紙などの展示物が多いですが説明が単発でシステム的でありません。
天守からは紀伊水道が見えます。城内では本丸まで上がらないと天守が見えず、近すぎて天守の全体が撮れません。帰路大手門からお堀の外周を西ノ丸広場へ歩いていると御橋廊下と天守をうまく写真に収めることができました。
滞在時間わずか1時間余りで、徳島行きの関西フェリーに乗るため、和歌山港までTaxiで急ぎました。
徳島城
2008年6月21日
28城目。和歌山からフェリー(2時間)で徳島港へ。徳島駅のひとつ手前のバス停徳島公園鷲の門前が便利。徳島には7回目くらいの訪問ですが徳島城跡は初めて。大雨の予想が曇り時々晴れ。
数日前に徳島城博物館のHPをチェックしていたら何とこの土日を含め4日間の臨時休館。駄目もとで電話したら、表御殿庭園のチケット売り場にスタンプを置いてくれるとのこと。(今回だけかどうかは不明)実際に訪問したら、何のことはない、博物館と庭園のチケット売り場は同じでした。
庭園は広くてよかったが、うっそうとした城山の方から獣と鳥の格闘らしい声が長い時間続いていて、少し怖かったです。
城山は結構高く、階段を数えたら525段もありました。(確認のため下りも概算で数えたら百段以上少なかったので怪しいです)汗びっしょりになりましたが、頂上(本丸跡)は広いだけで何もなく、また桜の木などが多く、景色もほとんど見えません。ところどころ石垣などがありますが、よく分かりません。
博物館再訪を誓って、列車で高松へ向かいました。
高松城
2008年6月21日
29城目。22日早朝の訪問予定でしたが、大雨予想がずれているので前日の夕刻に入場しました。
高松にはまだ昭和の頃、1年余り赴任していました(+赴任前の半年間ほぼ毎週出張)。その頃の事業所が玉藻城跡のすぐそばでしたから、毎日のように櫓や石垣を見ていました。(中に入ったのは数回程度と思いますが・・)当時は入園料なんて要らなかったと記憶しています。2年前の高松訪問時もお城の前まで来ていました。
内苑御庭や披雲閣はほとんど記憶にありません。陳列館なども見て、艮櫓から東口を出たとたんに土砂降りの雨がやってきました。瓦町のホテルまで、なつかしの商店街を歩きました。天守が再建されたら必ず訪問します。見所の多さや広さは栗林公園には敵いませんが、城好きにはたまらない玉藻城です。現役の頃の玉藻城は今の9倍だったとか。
丸亀城
2008年6月22日
30城目。丸亀城は2度目の訪問です。(丸亀には高松在住の頃に、丸亀パブリックゴルフコースに何度か来ていました)雨が降ったり止んだり。
大手一の門が公開されているとのことでしたがこの日は雨で締まっていました。たまたま母子連れと一緒になり、門の上の入口の扉を開けていただけることになりました。
現存天守閣への登り口でボランティアガイド勉強中と思われる若い女性がいて、天守=本丸まで案内していただけると言うことで、(相合傘ではなかったけれど)二人きりのデート気分で楽しかったです。雨のお城もよいもんだなんて言っていると、彼女も雨の丸亀城跡が一番好きと言うことでした。彼女の写真と握手をゲットしました。石垣の説明もよかったです。
本丸跡からは瀬戸内海が一望できます。雨に煙る島々も素敵でした。天守閣には二人の方がいて、ここで話題のおじさんはどちらの方かななんて思っていましたが、自分でスタンプを押させてくれました。展示内容は少なかったが、現存天守には心動かされるものがあります。
三の丸を一周しました。石垣に乗った天守の素敵な写真が撮れました。誰も歩いていませんでしたがお薦めです。
白河小峰城
2008年6月28日
31城目。仙台や八戸に9年余り住み、今も年に数回は東北の温泉などに遊びに行きますが、意外なことに、東北の玄関白河は初めての訪問です。梅雨の間の貴重な晴れでした。
三重櫓(天守櫓)は10時開場ですが9時過ぎに着きました。前御門の手前にボランティアガイドの方がいらっしゃり、1時間ほどゆっくりご案内いただきました。(休日だけのようです)歴代藩主や会津若松・二本松などとの関連、特徴のある石垣(丸みのある石の配置、実物は見れないが十字架を彫った石など)の説明は興味深かったです。他の方の登場メモにも書かれている白河駅は、実はお城の前ではなく、東北本線開通時にはお城の中に線路を引き、駅を作ったとのことです。小ぶりな天守に似合わず、広大な城域を持っていたようで、阿武隈川の流れも変えられたそうです。
再建された三重櫓の中はほとんど説明などはありませんが、築城当時の工法をできるだけ忠実に再現したようです。今回は2時間弱しかなかったのですが、町の中もまだまだ見所がありそうで、また訪問しようと思います。
会津若松城
2008年6月28日
32城目。仙台や東京から1泊の社員旅行に丁度よい所にあるため、一人旅以外でも何度か訪問し、今回が5回目くらいでしょうか。18年ぶりの会津若松です。(手前の磐梯高原の温泉には最近年に2回程度は来ています) 滞在時間が2時間しかないので、駅との往復ともTaxi利用。(片道千円強)
鉄筋コンクリート造りではありますが、40年以上も経つためか、威風堂々、美しいお城です。梅雨の時期ではありますが、観光客も多かったです。(この日は晴れ)
登場メモにもある由緒ある茶室とセットの入場券で入りましたが、中のお抹茶は別料金です。美人さんが目の前でお茶をたててくれるわけではなかったです。時間のない中、茶室までは欲張り過ぎました。天守閣の展示は充実していましたが、結構パスしてしまいました。
売店にあるスタンプは別に買い物をしなくても気持ちよく出してくれます。
松代城
2008年6月29日
33城目。強い雨の中、上田からしなの鉄道(旧JR信越本線)、長野電鉄を乗り継いで松代へ。初めて足を踏み入れました。電車から石垣や再建された本丸太鼓門が見えます。
太鼓門で父娘連れにすれ違っただけで誰にも会いません。本丸外も含めゆっくり回っても40分もあれば十分です。往時の松代城(海津城)は大きな堀割などを持ったお城だったようです。
管理事務所の位置は案内図に載っていないので少し探しました。太鼓門に向かって堀の手前を左にいくとあります。スタンプは事務所の玄関の外。事務所の引き戸を開けると玄関先で食事中のおじさんが対応してくれました。簡単な説明と松代城のパンフレットなどを頂きました。資料館などはありません。
近くに真田宝物館や真田邸(H22年まで工事中)、池田満寿夫美術館などがあり、松代は城下町の割にはこちらが観光のメインのようです。松代城跡は桜の季節だけ賑わうようです。観光案内所は松代駅ではなく、真田公園の一角にありました。女性の方が優しく親切(でかつ美人)でした。松代は鉄道でなくバスのほうが便利ということです。バスで長野駅に出て上田駅に戻りました。
上田城
2008年6月29日
34城目。上田城跡は、ここ数年、群馬県の鹿沢温泉への送迎バスのルートでいつも車窓から眺めていましたが、念願の初登城です。長野からの新幹線の車窓(左側)からも櫓が望めます。時間短縮のため往路はTaxi(700円)。雨も小降りになってきました。
上田市立博物館は内容はそれなりに楽しめましたが、規模的には名前負けしているかな?予備のスタンプが届いたばかりとかで、きれいに押せました。
南櫓から櫓内に入れます。東虎口櫓門、北櫓にも繋がっています。神社の横から西櫓にも行けます。本丸堀の周りは(桜?の)木が覆いかぶさり、往時とは少し趣が変わっているのでしょうね。
帰路は徒歩で駅まで10分強。町を歩くといつも撮っている下水用マンホールの蓋は、六文銭と桜でした。
小諸城
2008年6月29日
35城目。2回目だと思っていましたが、初登城かも?懐古園は記憶にあるものと違いました。石垣や空堀など城跡の雰囲気も思ったより残っていました。雨は上がり、観光客も多かったです。
スタンプは徴古館の事務所。試し押しを勧めてもらいバッチリだったのに、自分のスタンプ帳には無残な結果が・・。白紙の用紙を出してくれました。親切だなあ。
島崎藤村、何十年ぶりかに触れました。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」。そうか、小諸にも住んでいたんだ。予定の時間を30分ほど延長し、線路の反対側にある「平成の大修理」を終えたばかりの大手門も拝見しました。千曲川は大雨の影響ですごい水量でした。
30年ぶりの小海線で佐久平に出て帰京。軽井沢はすごい霧で、東京は強い雨になっていました。昨日の日帰り福島、本日の日帰り長野は、JR東日本の大人の休日倶楽部会員パスの期間中で併せてわずか12,000円。信越本線は長野新幹線の影響でズタズタになっちゃいましたね。
根室半島チャシ跡群
2008年7月5日
36城目。5日は根室市歴史と自然の資料館、6日はオンネモトチャシを訪問。初登城。
根室は3回目、約30年ぶりの訪問。サミット警備の影響で根室中標津空港には45分遅れ。根室BTから資料館へのバスは1時間に1本、このままでは閉館時間の16時半になります。Taxi代を渋っていると観光案内所の女性が資料館へ電話をかけてくれ、事情を説明すると17時半まで構わないとのこと。バスに乗って5分もしないうちに猛烈な霧。視界30m。
資料館の職員の方からいろいろと情報をお聞きし、資料室も見せていただきました。
6日もすごい霧、景色は何も見えません。バスで納沙布岬まで行き、オンネモトチャシを徒歩で目指す。前日職員の方からチャシ自体は夏場は行かない方が良い(道なき道)、写真・スタンプの景色は温根元漁港から望めるとの情報。この霧では無理だと思いながらも、漁港に着いたら摩訶不思議、視界が200mくらいに広がってチャシをカメラに収めることができました。再び霧が深くなる中、往復1時間、納沙布岬灯台は今回は諦めました。
名城訪問という気分ではありませんが、多くの根室の方にお世話になり、満足感で一杯です。
明石城
2008年7月11日
37城目。大阪在勤時代に明石には仕事でよく訪問しました。JRで須磨を過ぎるあたりから大好きな海が見え、小旅行気分でした。明石大橋ができてからはいっそう旅情を募ります。明石公園(城跡)内の、ある公共施設もお客さまで、帰路はよく明石城内を歩きました。今回は法事で京都への帰省前に立ち寄りました。
資料館などはなく、サービスセンターの受付嬢(事務もされていて忙しそうでした)も愛想も余りなく、36城目で初めてパンフレットや資料も頂けないままでした。入場券の類もありません。この日は2基の櫓も内部公開されていません。お城めぐりとしては寂しい感があります。
城内には野球場があり、夏の甲子園大会の兵庫県予選が開催されていました。6回から無料になるのを待って入場し、ホームベースの打者、捕手のバックに、櫓が聳えていてなかなか珍しいアングルを写真に収めることができました。六甲アイランド高校の6回表2死2塁からの8連打7得点の逆転劇は見事でした。
平戸城
2008年7月19日
38城目。平戸は初めての訪問、平戸城も初登城です。国鉄時代の平戸口(現・松浦鉄道たびら平戸口駅)には降りたことがありますが、当時はまだ田平町でした。
長崎空港から佐世保経由で特急バス2台を乗り継いで4時間かかりましたが、平戸城の最寄のバス停(平戸市役所前)にも停まり便利です。佐世保からは便数も30分に1本あります。ただ山道ばかりで景色は余り楽しめません。(空港から佐世保までは海を楽しめます)
平戸大橋や平戸城から眺める景色は最高です。懐柔櫓の向こうには赤い平戸大橋も見えます。天守閣の中の展示物や説明も素朴ながらも分かり易かったです。パンツまで汗びっしょりになりましたが、下のレストハウスで食べたパフェはおいしかったです。ここの案内所でTaxiを呼んでもらい、たびら平戸口駅まで1,500円強(平戸大橋の往復200円の通行料込み)です。この後は松浦鉄道とJR筑肥線で唐津へ。朝6時過ぎに自宅を出て訪問したのは1城のみで、交通機関には9時間以上。飛行機、バスの遅れで昼食もバスの中でした。
事前の交通の確認などで平戸市役所の観光商工課の方にはお世話になりました。
名護屋城
2008年7月20日
39城目。初登城。バスで訪問。名護屋城博物館は展示内容が充実しています。音声ガイドも利用。全国の大名の陣屋を作らせるなど、秀吉の威光のすごさを改めて感じました。朝鮮半島との交流史も興味深かったです。本丸跡も広大で、景色も素晴らしかったです。壱岐まで見えました。2時間半の滞在でしたが、また再訪したいです。
唐津は虹ノ松原など3度目です。前夜に松浦大橋から夕日と唐津城を眺めていると、おばさんがそろそろ船からお囃子が聞こえるよと・・。11月の唐津くんちの始まりの「幕洗い行事」の初日でした。これから3ヵ月半もお祭り気分が続くのですね。翌朝、バスに乗る前、1時間ほど唐津城の近くを散策しました。とても見栄えのよいお城です。

【2008.11.3再訪】11/2夜〜11/4の唐津くんちの本番(曳山)にも出掛け、素晴らしいお祭りを堪能しました。3日は波戸岬の夕陽を見るため国民宿舎に泊まり、その途中に名護屋城跡に立ち寄りました。この日はあいにくの曇天、靄もかかっていて、本丸跡からの眺望も波戸岬の夕陽も残念でした。波戸岬にも陣屋跡と思われる石組みが所々にありました。その前に唐津城も再訪しました。
吉野ヶ里
2008年7月20日
40城目。初登城です。この日は入場は無料です。最初に案内のビデオを見るとよく分かります。広いですが、日傘を貸してくれたり、通路にシャワーがあったりと、色々と工夫されています。今年から公開されている北墳丘墓はこの暑さの中、涼めました。
100名城で最初に生まれた吉野ヶ里遺跡、日本のお城のルーツと思えば、それなりに楽しめます。北墳丘墓以外は、遺跡はすべて埋めなおされていてあくまでも再現ですので、他のお城めぐりとは趣が異なり、まあ遊園地的ではあります。北墳丘墓からは無料の電気自動車で東口付近まで戻りました。滞在約2.5時間でもごく一部を回っただけです。
佐賀市内から意外と近いです。
佐賀城
2008年7月21日
41城目。佐賀バスセンターから佐賀城跡行きバスで初登城。佐賀城本丸歴史館の開館は9時半、時間まで歴史館(本丸御殿の一部を再現)の周りや、天守台などを見て回りました。歴史館は一番乗りです。職員の方が大勢いらっしゃってちょっとびっくり。名護屋城も同じでしたが、佐賀県の生涯教育に関する心意気が伝わってきます。訪問者も結構います。
ボランティアガイドの方に45分間でお願いしました。熱心なご説明ありがとうございました。また時間を作って訪問します。今度は2、3時間ゆっくりと見たいと思います。
築城は徳川の世に入ってからなので、戦闘のためというより、為政のため、長崎奉行の支援のためで、石垣なども戦国時代の城とはずいぶん違います。御殿もすごく広くて立派な造りです。今回は時間がなくて、お堀などはバスから少し眺めただけです。町もゆっくり見たいと思いました。
これで、九州・沖縄の16城をすべて踏破しました。
郡山城
2008年7月26日
42城目。初登城。この日は広島県日帰り弾丸ツアー、4:50に自宅を出発して郡山城と福山城を巡り、約16時間後に帰ってきました。広島空港から広島BC経由で再び中国山地の安芸高田市へ。えらい遠回りです。おまけに2本のバスとも遅延して最終的には50分ほど遅れました。空港から3.5時間です。バスはこれだから当てになりません。帰りのバスが遅れると福山での時間が少なくなるので、予定より1本(30分)早いバスにして、可部駅でJRに乗り換えました。
滞在時間が80分も少なくなり、今回は郡山城だけにするかとも思いましたが、暑さもあって、本丸跡に登るのはパスして、涼しい歴史民族資料館だけで登城とします。毛利元就のお墓にも参拝していません。今まで山城も全部登っていた為、後ろ髪を引かれる思いではあります。機会があれば1日かけて再訪と言いたいところですが、公共交通機関利用者としては、ちょっとつらいです。
福山城
2008年7月26日
43城目。福山城は何度も新幹線の停車・通過時に見ていますが、初登城です。郡山城からバスで可部駅でJRに乗り換え、広島から新幹線です。可部線は約30年ぶりの乗車、以前は三段峡まで伸びていました。新幹線の中でやっと遅い昼食:穴子弁当です。
郡山城を簡単に済ませたため、福山城は2時間ほどゆっくり見ることができました。再建であろうと天守閣や櫓、石垣に惹かれてしまいます。現存の櫓、門もあります。西国防御の要の城と言うことで、立派で美しいお城だったのですね。太平洋戦争までは天守閣なども残っていたということで、とても残念です。福山駅の南側は工事中ですが、遺跡発掘調査中のようですね。少し覗いてみたら石垣のようなものがありました。この後どうなるのでしょう。
天守閣(福山城博物館)の受付の男性は愛想がよかったです。交通の便が良いせいか、若い女性の訪問客も多かったです。
山中城
2008年8月2日
44城目。三島には妹夫婦が20年来住んでいるのでよく訪問していますが、山中城跡は初登城です。先日姪と話しをしていたらここには小さな頃遊びに来たとか。なるほど、岱崎出丸の方は一面芝生があって、地元では子連れで遊びに来るスポットのようです。
今回は青春18切符の利用で東京から普通列車を乗り継いで三島へ。義弟に車で案内してもらいました。文字通り山の中ですが、R1沿いにあるので少し立ち寄ったと言う訪問客もちらほらいました。9時過ぎに訪問した際、スタンプのある売店は閉まっていて、玄関先にあるスタンプ押印済みの紙を頂きましたが、岱崎出丸から戻ってくると売店の愛想の良いおばさんが準備をされていて無事スタンプ帳に押印できました。
本丸側も併せてゆっくり一周すると2時間余りかかります。こちらまでは訪問客はいません。城域は思いのほか広く急峻で、他の城では見ない障子堀や畝堀が見事です。感動しました。この季節の常で富士山は見ることができませんでした。
駿府城
2008年8月2日
45城目。意外なことに静岡市にはほとんど降り立つことがなく、初登城です。静岡駅ビルで食べた海鮮丼(店名も品名も失念)はボリューム満点でうまかったです。いつもはこんなに食べれません。
見所は木造で復元された二ノ丸東御門・巽櫓です。展示内容も非常に良く、無料の音声ガイドもお薦めです。たっぶり11テーマ40分で説明してくれます。天守閣の想像模型など以外に、幼少時代から晩年までの家康と静岡・駿府城との関わりの深さを知ることができました。チケット売り場や館内の女性職員の方も気さくでした。お城の団扇はなかったけれど富士山の木版画の団扇を頂きました。昨年の大御所四百年祭開催記念の冊子(家康公の史話など)も無料で頂きました。県警本部ビルの展望室を勧められましたが時間がなくパスしました。
この後、宿泊地の愛知県豊川まで再び普通電車を乗り継いで行きました。この日は青春18切符の利用で、東京からの乗車距離300km余り(5,250円相当)、8本の電車(東京メトロは含まず)でした。
長篠城
2008年8月3日
46城目。初登城。飯田線は30年ぶり位です。野田城、新城(しんしろ)、長篠城とお城の名前が付く駅名があります。この日も青春18切符の利用です。
豊川から8時過ぎには新城市長篠城址史跡保存館に着きました。9時の開館まで本丸跡などをゆっくり回りましたが、それでも時間が余ります。保存館は長篠の戦と鳥居強右衛門の紹介が中心で、少し物足りなさを感じました。20分もあれば十分でしょうか。線路の向こう側も城域ですが、整備されていないので夏場は行かない方が良いとのことでした。
勝手な想像ですが、長篠城は、人が生活する所謂城下町と言うものではなく、戦略上の要害でしょう。歴史を変える有名な古戦場ではあるが、町の歴史の深さと言うものは感じませんでした。
予定の時間を30分早め、普通列車3本を乗り継いで掛川へ向かいました。
掛川城
2008年8月3日
47城目。初登城。掛川の町も初めての訪問です。天竜浜名湖鉄道の前身、旧国鉄二股線への乗換えで駅に降り立ったことはあります。天守閣に登って初めて気がつきましたが、山に囲まれた小さな町です。逆川も風情があります。
復元された木造天守閣はとても素敵で、写真を取り捲りました。二ノ丸御殿は江戸時代後期に建てられた現存御殿です。畳張りと板張りがはっきりと分かれていて興味深かったです。学校や役場に転用されたことがあり、柱の傷はカウンターを取り付けた跡だそうです。縁側などの修復には気を使っているとのことです。暑い日でしたが、開け放たれた御殿の広間や三の間、次の間などは涼しい風が吹き渡っていました。
天守閣や御殿の職員の方、大手門の近くにある観光案内処、手打ちうどんの五代、お茶をご馳走になった城の餅本舗の方々との会話も楽しかったです。高天神城跡や横須賀城跡も含めて、また訪問したいと思います。
青春18切符を持っていましたが、時間短縮のため熱海まで新幹線に乗り、熱海発の普通電車に乗り換えて東京まで戻りました。ボックス席での見知らぬ方との旅の話しなど、新幹線ではなかなか味わえない楽しい帰路でした。
武田氏館
2008年8月14日
48城目。甲府には湯村温泉や石和温泉を含め何度も訪問していますが、初登城です。躑躅ヶ崎館を訪問したい同僚と、武田氏館を訪問したい私の二人は、武田神社に参拝して、目的を達成しました。えーい、ややこしい。私のお城めぐりはいつも単独行動ですが、誰かと一緒に行動するのもよいものです。東京から甲府までの往復は、早朝から普通運賃(私は青春18切符)の電車に付き合ってもらいました。甲府駅から武田氏館へは行きはバス8分、帰りは徒歩25分です。駅から城跡までは、「武田」のオンパレードです。
何故か宝物殿でのスタンプをこの後訪問する甲府城の欄に押印してしまいました。宝物殿では少しはお城めぐり気分も味わえました。奥の堀割は深かったですが、天守台に行けなかったのは残念です。
甲府駅前の「ほうとう」屋では、この暑さですから「おざら」しかなかったですが、おいしかったです。
甲府城
2008年8月14日
49城目。武田氏館に引き続き同僚と二人で訪問。初登城。駅チカです。線路の向こう側には山の手門が見えます。(こちらは訪問していません)
天守閣がないせいなのか、甲斐と言えばやはり武田なのか、私自身も甲府城(舞鶴城)は認識が薄かったのですが、いえいえどうして立派な城跡です。4年前に再建された稲荷櫓の展示内容やビデオもよかったですし、天守台や石垣も立派でした。南側の堀を隔てて見るお城も雰囲気がありました。
甲府は盆地で暑いですが、蒸し暑さは余りなく、時折吹き渡る風は気持ちよかったです。
一旦東京に戻りましたが、今夜はこの後、青春18切符をフル活用で、発売と同時に何とか取れた夜行快速電車の「ながら91号」で名古屋に向かいます。
岩村城
2008年8月15日
50城目。青春18切符定番の「ながら91号」で名古屋下車後、恵那経由で岩村入り。明知鉄道は国鉄時代に明知駅(明智駅)まで乗っていますが、岩村は初めてです。初登城。
岩村町(現恵那市)は今は山間の小さな町ですが、江戸時代にはこの地方の中心都市だったようです。城下町の商家の町並が十分残っていて、駅から藩主邸跡にある岩村歴史資料館までゆっくり歩くと25分はかかりますが、とてもよかったです。家々の軒先には、女性名が書かれた暖簾がかかっています。開店準備をしていたおばあさんにお尋ねすると、二十年ほど前に岩村城創築800年祭が行われ、女城主の城ということでそのお宅の女性の名前を掲げているとのことでした。城下町であることの誇りを持たれていると感じました。
資料館から日本一の高所にある本丸跡へは、杖を突きながら登り25分、下り15分程度。麓から歩いているのは私一人でした。6層の石垣は珍しいですね。
帰りは「女城主」の岩村醸造に立ち寄り、ノンアルコールの甘酒を頂きました。(お酒は弱いので買い物はなし)
岐阜城
2008年8月15日
51城目。岩村城の後、名古屋城に寄ってから岐阜城を訪問する予定でしたが、体調が思わしくなく、直接岐阜城に向かいました。前夜の東京からの「ながら」号の冷房で風邪を引いてしまったようです。岐阜城は下からは何度も見ていますが、初登城です。
ここは完全に観光地です。お盆休み中とはいえ、すごい人出です。天守閣の中に説明されていた再建の理由に観光誘致と明確に書かれていました。再建天守閣は鉄筋コンクリート製ですが、見栄えはよいです。山上から眺める景色もすばらしかったです。でも次はないかな。
早めに名古屋のホテルにチェックインし、一旦寝ることにしました。
名古屋城
2008年8月16日
52城目。この日は三重県の2城を予定していましたが、体調不良(風邪)は直らず、前日パスした名古屋城へ。公私共に名古屋はよく訪問しており、城内にも一度来ていますが、天守閣には入っていませんでした。
城内は広大で、天守閣も再建ですが大きかったです。大坂城に引けをとりません。現存の櫓なども歴史を感じることができました。堀割なども見ごたえがありました。
お盆中ということもあり、家族連れの観光客がすごく多かったですが、大坂城と違うのは日本人が中心だったことでしょう。残念だったのは、イベント開催中で、ビール会社などの出店が景観を邪魔していました。(朝だったので、開店はしていません)
鼻水が止まらず、結局この日は青春18切符を温存し、帰省先の京都まで新幹線で移動しました。夜は大文字の送り火です。これを境に京都は夏が終わります。17日に予定していた篠山城もキャンセルしました。
小田原城
2008年8月23日
53城目。ずいぶん久しぶりで(おそらく)3度目の登城です。当時の記憶は余り残っていません。青春18切符がまだ残っていて、東京から普通電車で往復しました。
外観再建の天守閣は付櫓なども含め重厚で美しいです。10年余り前に復元されたという銅門は初めて拝見しました。天守閣の中や二の丸跡にある歴史見聞館も趣向が凝らされていて、楽しめました。今まで余り興味がなかった後北条氏のことがよく分かり、これから訪問する予定の北関東のお城(川越・鉢形・八王子など)も楽しみです。
正面入口の馬出門は現在復元工事中で閉鎖されています。(2009年3月末まで)
この日は、朝からの雨模様もあって、予定を変更してゆっくりと小田原城訪問だけとしました。昼食(あじの刺身定食)も含め滞在3時間強です。天守閣を出る頃には小雨が降りだし、雨の小田原城も風情がありました。
川越城
2008年8月24日
54城目。小雨の中の初登城。川越は東武東上線で何十回も通過しているけれど、初めて降り立ちました。単なる東京のベッドタウンと思っていましたが、大きな勘違いでした。このスタンプラリーがなければ、いつまでも気がつかなかったでしょう。「小江戸川越」を町中でアピールしていますが、それが嫌味でもなく、城下町の雰囲気が残っている、とても素敵な町でした。朝早くから団体、個人の多くの観光客がいましたが、苦になりません。高知ナンバーの観光バスも本丸御殿に来ていました。
川越城は関東の要の城、今では江戸末期に建てられた現存の本丸御殿(一部)しか上モノは残っておらずお城ファンとしては少し寂しい感じではありますが、二の丸跡に建っている川越市立博物館は楽しめました。
本丸御殿、博物館から歩いて10分で、蔵造りの町並みがあります。4代目の「時の鐘」を聴いた後、すぐ近くのお店で「うなぎ釜飯」を頂きました。川越には多くのうなぎ屋があります。余り脂っこくなく美味でした。
滞在4時間でも足りません。自宅から1時間強ですので、また訪問します。小江戸川越のファンになりました。
鉢形城
2008年8月24日
55城目。初登城。寄居はゴルフなどで4度目の訪問です。手前の小川町や寄居町はゴルフのメッカで、送迎バスがあるので鉄道で行く人も多いです。
雨も強くなり、寄居駅から鉢形城歴史館までタクシー(890円)を使いました。歴史館はモダンで映像も多用しています。鉢形城の歴史だけに絞っていて、それだけに内容は限られていますが、その潔さに好感を持ちました。訪問者は4名でした。
城跡も見ようと受付の女性に相談しましたが、この雨の中、余りお薦めではない様子。それでも色々と説明いただき、お世話になりました。せっかく来たので「山」の中に少しだけ入りました。雨でも大丈夫でした。歴史館から深沢川を渡って、土塁を見て、伝御殿曲輪から荒川を眺めました。全ての曲輪は回っていませんが、天然の要害を利用した堅固そうなお城です。荒川に架かる正喜橋からその様子がよく分かります。寄居駅まで急ぎましたが、ズボンは雨でびっしょり濡れました。
<55と言えば、松井君。恩師長島に並ぶ444号ホームラン、おめでとう!!>
根城
2008年8月29日
56城目。曇り(予報は大雨)。八戸には25年前に1年余り住んでいました。根城と言う地名があったことや、八戸城跡の石碑が町の中心にあることは覚えています。半年前に雪の秋田・乳頭温泉に行った際に八戸に立ち寄りましたが、根城の情報収集だけで終わりました。初登城です。
八戸市博物館は、奇遇にも私が八戸を離れた1983年7月に開館されました。根城の発掘調査もこの年からです。受付で荷物を預かって頂き、博物館と「史跡根城の広場」を回りました。根城跡はボランティアガイドの方にご案内頂きました。本来は1時間かかるところを25分でお願いしました。本丸跡の復元された主殿(坪単価286万円!)は外から見るだけで、内部を見る時間は取れません。空堀は本来は十数メートルの深さだったようです。滞在時間3時間(昼食込み)、また機会を作ってゆっくり回りたいと思います。
今回はJR東日本の期間限定の「大人の休日倶楽部会員パス」利用です。金曜日にも関わらず、はやて1号は中高年(多くがこのパスの利用客と思われる)とビジネス客で超満員(全車指定席なのに立っている人も多かった)でした。
盛岡城
2008年8月29日
57城目。盛岡は交通の要所でもあり、何十回も訪問していますが、恥ずかしながら初登城です。このラリー前までは、上モノがない城跡にはほとんど訪問していないのです。
盛岡駅の観光案内所で盛岡城跡公園ガイドブックや盛岡MAPを入手するとよいでしょう。都心循環バス「でんでんむし(100円)左回り」に乗って盛岡城跡公園で降り、城内を回った後、反対側の「プラザおでって」でスタンプ押印です。先に「プラザおでって」に行くなら、盛岡バスセンターで降りてすぐです。(右回りでも左回りでも同じくらいの時間です)城内は、石垣は立派ですが、櫓などはありません。盛岡城と直接関係のない碑などが色々とあって、お城めぐりの人には少しうざったいかな。
大雨の予報が逆に晴れてきましたが、北上川や中津川は濁流でした。
この日の宿は岩手山の中腹にある休暇村岩手網張温泉(4度目の宿泊)です。バスで途中の小岩井農園に着く頃、どしゃぶりの大雨になりました。この日は結局傘もささず、雨にもぬれずに済みました。
多賀城
2008年8月30日
58城目。初登城(なのかどうかが実はよく分からないんです)。仙台には34年前から8年余り住んでいました。多賀城市や周りの塩釜市、利府町は仕事でよく訪問していました。
他の方の登城メモが大いに参考になりました。埋蔵文化財調査センター訪問は止めにして国府多賀城駅北口の観光案内所でスタンプ押印。おばさんがとても親切でした。その後南口の10年前に開館した東北歴史博物館へ。受付の女性も愛想がよかったです。コインロッカーは無料で、外出も可能です。展示内容や無料音声ガイドもよかったです。看板通り東北全体を見通した歴史博物館で、蝦夷(えみし)と中央との関係などが興味深かったです。
再び観光案内所に戻り、レンタサイクル(1時間100円)で、多賀城碑と多賀城政庁跡を回りました。大雨の予報が晴れ間も出てきて暑かったので、自転車は大助かりです。どちらにもボランティアガイドの方がいて、とても親切な解説をしていただけました。博物館での予習も活きました。
結局、滞在予定2時間を3時間に延長しました。でも1日かけて再訪する予定です。
仙台城
2008年8月30日
59城目。仙台は就職して最初の赴任地で、8年余り住み、その後もたびたび訪問しています。青葉城跡は5回以上は訪問していますが、お城の訪問と言うより公園に出かけている気分でした。久しぶりの訪問ですが、城内は、商魂たくましい護国神社に乗っ取られている感じが強く、あまり良い気分ではなかったです。(神社があれば手を合わせるのですが、ここはどうにも・・)私は入りませんでしたが、入館料が高いと評判の青葉城資料展示館は護国神社の経営だそうです。
仙台に入る頃から雨が強く降り出したこともあり、仙台城見聞館(市営)をゆっくり拝見しました。石垣修復の展示が中心でしたがスペースの割には充実していました。本丸跡の正宗候騎馬像や雨に煙る仙台の町を見た後、予定を早め「るーぷる仙台」(観光ループバス)の最終便で広瀬通りで降り、ホテルに入りました。夜は豪雨になりました。
仙台市博物館や大手門脇櫓(復元)はバスから見ただけだったので、次の機会があればこちらを回り、大規模なお城を実感したいと思います。博物館では、9月12日〜11月3日まで伊達政宗の企画展が行われます。
山形城
2008年8月31日
60城目。初登城。山形市には蔵王スキー場なども含め何度も訪問していますが、花笠まつりに一度参加した以外は、観光で市街地を歩くのは初めてです。激しい雨の仙台から、仙山線で山寺を通過する頃には雨も上がりましたが、山形は再び雨でした。北山形駅から山形駅の手前で山形城跡の東大手門などが見えます。
南門あたりの水をたっぷり湛えた堀は見ごたえがあります。城内の重文・山形市郷土館は9時前でしたがすでに開館していました。医療関係の展示が中心でしたが、模造紙に手作りの山形城主の変遷が丁寧に書かれていたのは好感を持ちました。本丸一文字門石垣の復元工事中ですが、櫓門や御殿は資料が少なく復元は難しそうな感じです。東大手門は木造再建ですが威風堂々としていました。
東大手門を出て、最上義光歴史館に向かうところでものすごい雨となり、わずか数分でズボンはびしょぬれ、歩道まで冠水し始めたため丁度通りかかったTaxiを停めて、山形駅に逃げ帰りました。運転手さんの話では、来年のNHKの大河ドラマの直江兼続の敵役である最上義光が、山形ではヒーローとして期待されているようでした。
二本松城
2008年8月31日
61城目。初登城。在仙時に霞ヶ城公園(二本松城跡)に桜の花見や菊人形展に来ていたかも・・。雨は上がり、時たま晴れ間も窺えます。
二本松駅の観光案内所で色々と教えていただけます。お薦めの蕎麦屋に立ち寄りましたが、駅からは実質5分程度で二本松市歴史資料館に着きます。分かりにくいとのメモがありますが、市立図書館の左隣の建物です。この日はスタンプ押印者が多いとのこと(12時半現在6人目)。戊辰戦争で壮絶な最期を遂げた二本松少年隊の内容が多かったです。「ちょうちんまつり」の山車は迫力があり、祭り好きの血が騒ぎます。ここから丘陵地を越え15分程度で霞ヶ城公園に着きます。結構な坂道です。再建された箕輪門や多門櫓はそれに繋がる石垣も併せて見所ですね。城内はすでに菊人形会場の準備に入っていて雑然としており、3日間6城目で、更には暑さもぶり返してきたので、片道20分かかるという本丸跡はパスして、予定より1時間半早く東京に戻りました。
これで、沖縄・九州に続き、北海道・東北も回り終わりました。
箕輪城
2008年9月5日
62城目。初登城。有給休暇取得。人間ドックを受診後、高崎へ移動。群馬バスで箕郷支所へ。最寄りのバス停は四ツ谷(27分、480円)か箕郷田町です。城跡近くのバス停は、高崎−伊香保間の1日に5便だけ。なお市内循環バスぐるりん(200円)は所要時間50分で1日に4便です。高崎への到着が遅れたため、高崎滞在3時間15分、箕郷滞在は75分しかありません。
平日なので堂々と表玄関から受付へ。市役所にスタンプを押印に入るのもおもしろい。受付の女性や箕輪城まつりの実行委員長という方に、パンフなどを頂き、道順などもご説明頂きました。お祭りは今年は10月26日開催です。
支所から大手虎韜門口まで早足で約15分、少し分かりにくいですが城山を目指しましょう。ここからの山道が一番短く、10分で本丸跡に到着。二ノ丸には駐車場があります。二ノ丸から搦手口(以前の大手口であるという)を経て、最寄りのバス停の城山口まで約15分。小学生がこんにちはと声をかけてくれます。良い所だなあ。
広大な城域の割には移動はコンパクトと感じました。この後新潟市内のホテルへ向かいました。
新発田城
2008年9月6日
63城目。初登城。新発田滞在3時間弱。市街地循環バス左回りの始発便(8:05発)で新発田郵便局前下車、3分で旧二ノ丸隅櫓、本丸表門です。9時開門ですが、8:38頃には入れていただけました。無料ですがいつものように寄付をしました。
係りのおじさんと若いおばさんが私のスタンプ帳を見て、うれしそうに何城目かと話しかけてきました。そこに30歳くらいの人懐っこい人が、それ(スタンプ帳)は何かと尋ねてきて、百名城の説明やあちこちのお城の話で盛り上がりました。話が盛り上がるごとに、おじさんから頂くパンフレットなどが増えていきます。(計6種類Get!)その若い方は百名城のことは知らなかったが、かなりのお城ファンです。そういう方もいるのですね。携帯電話に色々な形のなまこ壁を保存されていました。今頃このサイトのメンバーになられたかも。そうそう、新発田城の宣伝をおじさんにお願いされました。
現存の表門(櫓門)の2階などを係りのおばさんにご案内いただきました。それにしても珍しい三階櫓を再建しても、自衛隊駐屯地内ではもったいない。再訪して町も歩きたいと思います。
春日山城
2008年9月6日
64城目。新潟県は広い!新発田から直江津へは特急2本と新幹線で約3時間(越後湯沢経由)。上越市は何度も来ていますが、初登城。上越市滞在4時間弱。来年の大河ドラマ「天地人」の幟があちこちではためいています。直江津駅の観光案内所のおばさんにはお世話になりました。
直江津駅から頸城自動車(バス)で最近新設された「ものがたり館入口」下車。春日山城跡ものがたり館で時間を気にしながらもビデオを全て拝見した後、山城に挑戦しました。約20分で春日山神社。千貫門、直江屋敷、毘沙門堂などをゆっくり見ながら、約20分で本丸跡、天守台跡へ。頸城平野や日本海の景色がよかったです。雷鳴を遠くに聞きながら、下りは二ノ丸、三の丸などを経て、謙信銅像まで15分。上越市の職員さんらしき方々が「春日山城跡の保存と活用について」のアンケートをとっていました。建物の復元等をしなくても十分だと思います。神社や銅像前は人が多いのに、上の城域内では千貫門でアベック一組と会っただけでした。
さらに20分歩いて「中屋敷」バス停へ。途中の埋蔵文化センターは時間切れで断念。直江津駅で観光案内所のおばさんに登城報告をして、宿泊地・金沢へ。
七尾城
2008年9月7日
65城目。初登城。七尾には能登島(当時は能登島町)や和倉温泉のほか、能登半島への入口で何度か訪問していますが、20年以上も前のことです。
8時過ぎに七尾駅に到着。七尾城史資料館へのバスは始発が9時、七尾での滞在時間は2時間半のため、本丸近くの駐車場までTaxi(2190円)利用。駐車場から歩いて10分もかからない本丸跡からの景色は素晴らしいです。曇っていたので能登島も霞んで見えました。二の丸なども回った後、雨は大丈夫と判断して、山道を下ることにしました。尾根道なので歩きやすいですが、途中の道幅は狭く、水で道が削られている所もあります。下り始めて35分で資料館です。地図などを持たないままで少し不安でしたが迷うことはありません。山中では誰にも会いませんでした。
資料館はごく簡単な展示です。懐古館では愛想の良いおじさんに色々と教わりました。市内循環バスまりん号で七尾駅へ。金沢城にも十分立ち寄れる時間でしたが、早めに東京に戻りました。この3日間もJR東日本の「大人の休日倶楽部会員パス」を利用。北陸(JR西日本)や函館も乗り放題です。七尾駅を出発したとたん強い雨になりました。
津和野城
2008年9月13日
66城目。初登城。津和野には過去に2度訪問していますが30年も前の話。山口宇部空港の最寄駅JR宇部線の無人駅・草江から津和野へ。津和野滞在3時間弱。晴れ時々曇り。
休日には駅前に観光案内のテントがあり、ボランティアの方に色々教えていただけます。駅正面の貸し自転車屋(2時間500円)は荷物を預かってくれます。案内所でも自転車屋でも津和野城址に行くといえばリフトの割引券をくれます。風情のある津和野川を越えた所にある津和野町郷土館内を軽く見た後、馬場先櫓(現存)を経由してリフト乗り場へ。弥栄神社に自転車を止めると馬場先櫓まで遠回りでそこそこ歩くことになります。
5分間のリフトを降り、出丸跡に寄りながら本丸跡(三十間台など)まで17分ほど。途中でSL山口号の汽笛も聞こえてきました。自転車とリフトのおかげで山城に簡単に登れます。お年寄りや子供連れなど他の山城では会わない人たち20名ぐらいと会いました。出丸や本丸からの津和野の町は美しかったです。蝉の声は少なくなり、バッタやコオロギが目立つようになりました。麓の津和野高校では運動会をやっていました。
萩城
2008年9月13日
67城目。雨の予報でしたが、曇り時々晴れ。2度目の登城。萩は遠いですが5度目の訪問です。15年ぶり位でしょうか。津和野でゆっくりしたため、高速バスには乗れず、JRで2時間半(一部特急)、東萩の二つ先玉江駅下車。徒歩約20分で本丸門のチケット売り場(スタンプ設置)に到着。
このサイトの情報から、詰丸(指月山)には登らず、本丸跡をゆっくり回りました。天主台の石垣は美しく、水を湛えた内堀も良かったです。夏みかんソフトの販売が終わっていたのが残念でした。やはり萩です、大勢の人が訪れていました。
夕刻だったため、萩城跡滞在1時間で、「萩循環まあーるバス」(100円)を2本乗り継ぎ、東萩駅前のビジネスホテル(大浴場・露天風呂付き)へ投宿。
月山富田城
2008年9月14日
68城目。初登城。安来は2度目。東萩から安来まで列車で5時間。美しい海岸線と山陰独特の赤い瓦屋根が旅情を誘います。安来駅の観光案内所でパンフやマップを頂き、乾パンとメロンパンをかじりながら、イエローバスで広瀬町の市立病院バス停へ。飯梨川を渡った所に安来市立歴史資料館があります。
富田城跡への行程などを教わり、リュックも預かっていただきました。お世話になりました。館内を拝見した後、杖を借りて資料館の裏側から登ります。狭い舗装道路を10分弱で大手門跡、さらに山道をゆっくり写真を撮りながら15分程度で本丸跡。二の丸跡・本丸跡からの眺望は良く、中海まで見渡せます。帰りは花の壇・奥書院平などを経て資料館に戻りました。
イエローバスで市立病院から荒島駅へ。資料館と山中御殿ですれ違った女子大生らしき3人娘さんも息を切らして同じバスに。普通の若い娘さんの取る行動ではなく、荒島駅で本丸跡まで登ったの?と声をかけると、一人がお城好きで連れ回されているとのこと。彼女の一番のお気に入りは広島の郡山城(毎年訪問!)。松江駅でお別れする時に、またどこかのお城で会いましょうなんてうれしい言葉をかけてくれました。
松江城
2008年9月15日
69城目。20年ぶり、3度目の登城です。前夜の宿は駅から徒歩20分の松江しんじ湖温泉。宍道湖の夕日が素晴らしいです。松江駅の観光案内所で「松江水燈路」という夜のイベントを教わり、松江城が21時までライトアップ、入場できるということで、2日間連続の登城となりました。水燈路期間中(今年は9/13〜10/19の土・日・祝:9/23を除く)は、松江城の城内や内堀沿いに行灯などで道が照らされます。この時期に行かれる方は是非松江に泊まりましょう。
戦火を免れた現存天守閣は質実剛健で、華美ではない美しさを感じました。ライトアップと雨模様の朝という趣の異なる表情を見れました。二の丸は人がほとんどいませんが、再建された三つの櫓も素朴で良かったです。南櫓には松江城の紹介ビデオがあります。松江郷土館では「松江藩の治世と文化」という特別展の開催中(9/3〜11/30)です。内堀・外堀を船で巡る「堀川めぐり」は少々高い(50分1,200円)ですがお薦めです。水都松江を満喫できました。
2011年度まで松江開府400年祭の開催中で、また訪問したいと思います。甘党の私には和菓子の松江はぴったりです。
今治城
2008年9月20日
70城目。1年10ヶ月ぶり2回目の登城。今治〜大洲の4城を、松山在住の友人に1泊2日で、車で案内、同行してもらいました。
松山から今治まで国道を1時間、素晴らしい快晴の中をドライブしました。朝、羽田を発つ頃は台風13号がかすめた直後で低い雲が垂れ込めていました。こんなに瀬戸の島々が近くに見えるのはめったにないとのこと。今治城の汽水堀ではぼらが飛び跳ねて出迎えてくれました。
天守閣は鉄筋コンクリートでの再建ですが、30年近く経っていて違和感がありません。内部の展示も充実しています。他の櫓は木造での復元とのこと、素晴らしいです。特に1年前に忠実に復元された鉄御門は、石垣や櫓門、多聞櫓などからなり、非常に広く、外からはもちろん、展示物のない内部も必見です。前回訪問時は工事中でしたが、お城の雰囲気がガラッと変わりました。お堀の外周、1周もお薦めです。天守や櫓、堀などのバランスが色々と楽しめます。
ボランティアガイドの方に、鉄御門の外側と、天守閣の中まで約2時間近くもご案内いただきました。Aさん、ありがとうございました。(名刺までいただきました)望楼型と層塔型の天守の違いも教わりました。
湯築城
2008年9月20日
71城目。初登城。案内してくれた松山在住の友人は毎年花見に来ているが、城跡(復元区域や資料館)があることも知らなかったとのこと。現地の方には、湯築城跡というより道後公園なのですね。私に影響されてか「湯築城跡探検シート」にスタンプを集めていました。
丘陵部の頂上に展望台があり、夕日をシルエットに松山城が望めます。歴史的価値はあるのでしょうが、他の四国のお城と比べると個人的には余り感動がありません。復元区域は以前は動物園だったそうです。
この日は友人が手配してくれたすぐ近くの道後温泉に二人で泊まりです。道後温泉は30年ぶりくらいです。深夜、すごい雷と豪雨が長い間続いていました。
松山城
2008年9月21日
72城目。確か3度目の登城ですが、前回は20年以上も前です。この日も松山在住の友人に案内してもらいました。8時半の始発に合わせて道後温泉の宿からロープウェイ乗り場まで。車の中だけ雨でした。友人の勧めで、松山城へは東雲口登山道を徒歩10分。確かにロープウェイに乗るほどではありません。(リフトは雨天時は休止)
高い石垣や現存・再建の門、櫓などが次々と現れます。有料区域は9時少し前に入場。重文・一ノ門(だったと思う)開門は9時。この日は、開門の太鼓と同時に入場者に門を押して開けさせてくれるというので先頭キープ。さすが松山城、数十人が開門待ち。
現存(19世紀再建)と再建の天守・小天守・櫓・門などがうまくマッチしています。見ごたえ十分です。
1時間余りで再び徒歩で下山。この後、大洲城に向けて車に乗るところでやはり雨に。それも高速に乗るまでの約30分、とんでもない豪雨です。今年の天気はかなり変です。
大洲城
2008年9月21日
73城目。初登城。大洲の町も初めてです。松山城から高速利用で1時間強。松山在住の友人に車で案内してもらいました。曇り時々雨。
肱川のほとりに建つ大洲城は犬山城のように絵になります。係りのおじさんに小1時間色々とご説明いただきました。少し強引にお願いしたかも?天守は4年前に木造で復元されましたが、それに連結している高欄櫓、台所櫓は現存です。とてもマッチしています。当時の工法などを使った4層の木造復元天守は建築基準法などの関連でこの大洲城が最後かもしれないとのことです。また町の中に二つの現存櫓があります。当然当時は城内だったわけです。われわれは天守から眺めただけですが・・。大洲市の市章は大洲藩主加藤氏の家紋「蛇の目」(単純な二重円)です。市役所の庁舎に付いていました。
友人の話では、この季節、肱川では「いもたき」で賑わうそうです。昼食はおじさんお薦めの対岸の「たる井」で、この「いもたき」(850円くらい)をいただきました。甘めのお汁でおいしかったです。ここの2階の座敷からは、肱川を隔てて大洲城がよく見えます。伊予大洲駅で友人と別れ、列車で宇和島へ向かいました。
宇和島城
2008年9月21日
74城目。初登城。宇和島は30年ぶり。晴れ間も出てきました。宇和島駅から右斜め前方に宇和島市の観光案内所があり、珍しく若いお兄さんが、当方のニーズに的確な対応・説明をしてくれました。案内所から10分強で桑折氏武家長屋門。城山に登ります。
折角なので山道(石段)の方を選びます。途中の石垣などが見事でお薦めです。10分強で本丸へ。宇和海(宇和島湾)が美しく見えます。三重・小振りの素敵な天守閣が迎えてくれます。天守閣の中は展示物はほとんどなく、全国各地のお城の写真が掲示されています。(現存天守ではよくある光景です)3階からは宇和島の町や湾が見えます。
天守閣の周りも一周しましょう。城山郷土館(山里倉庫・移築)に寄るとおじいさんに親切な道案内をして頂けました。伊達博物館へはもう一つの城山登山口である「上り立ち門」を出ます。博物館への途中に宿毛行きバス停(宇和島東高前)を見つけました。博物館では藩主の奥方の輿入れ道具などが展示されていて、見事でした。(秋田佐竹藩の財政が傾いたとか)
この日はバスで2時間、宿毛まで足を伸ばしました。ホテルでの夕食は海の幸を堪能できました。
高知城
2008年9月23日
75城目。5、6回目の登城。私の最もお気に入りのお城の一つです。この百名城スタンプラリーで城郭全体や地政学、歴史、城主、文化などにも興味を持って見るようになって、改めて新鮮な気持ちで高知城の素晴らしさを味わうことができました。
高知駅近くのホテルから徒歩で15分程度(駅からだと20分程度)で追手門、9時開場に合わせて訪問しました。三の丸石垣の解体工事中で沢山の説明パネルがあり興味深かったです。本丸正殿と天守閣が繋がっているのは高知城以外では見たことがありません。とにかく見所が多い高知城です。
帰路、高知市大川筋武家屋敷資料館に立ち寄り、高知龍馬空港から帰京しました。市内には多くの資料館や記念館などがあり、改めてじっくり訪れたいですね。
前日の22日は3泊4日の城巡りの休息日とし、宿毛から高知県立足摺海洋館(国内水族館25館目/67)や足摺海底館、竜串海岸、そして断崖絶壁の足摺岬(灯台訪問も趣味です)などを巡りました。快晴で海と空の青が素晴らしかったです。
鳥取城
2008年10月4日
76城目。初登城。鳥取は5年ぶり。鳥取空港8時着予定が15分遅れ。鳥取駅からの乗継予定のバスに乗り遅れるところ、空港からのバスは市街地のバス停にも停まると知り、赤信号停車中に運転手さんに聞き、県庁の一つ手前の西町下車。スタンプのある重文・仁風閣に結局20分早く到着。
仁風閣は11月まで外観工事中。9時開館予定が、8:50には開いていました。庭や内装も含めとても素敵な洋風建築で、明治40年に鳥取藩主の子孫が建てました。40分も見学してしまいました。
山上ノ丸(山頂)まで登り30分。帰りのバスまで50分しかないが挑戦。二ノ丸、三の丸など山麓も櫓跡や石垣など結構見所があり、ここでも時間を使ってしまい、五合目あたりですでに25分経過、残念ながらここでリタイヤ。山道は狭く、歩きにくい所もあり、足元はしっかりした靴が必要です(私は山歩き用)。下山中の10分で市内の方らしい登山者に10人くらいに会いました。麓から登る今までの山城で最も多いでしょうか。
100円循環バス「くる梨」青コースで鳥取駅南口へ。これで、中国・四国も踏破です。仁風閣の近くの県立博物館にも百名城スタンプがあるようです。
竹田城
2008年10月4日
77城目。初登城。和田山(現朝来市)、播但線は28年ぶり。鳥取(城)から普通列車4本を乗り継いで3時間20分、竹田駅へ。
駅にある「わだやま観光案内所」(月木、休み)のおじさんはとても親切でした。リュックを預かって頂き、教わった駅裏登山道から登りました。狭くて少し分かりにくいところもありますが、登山口で会ったおばあさんが言っていた「右へ、右へ」の意味が分かりました。25分はかかりますが登りやすいです。登山中は一人と出会っただけですが、城跡には100名くらいの人がいました。皆さん車で上がるようです。たっぷり1時間、山城にしては広大な縄張りを一通り回りました。縄張りや石垣など素晴らしかったです。天守台や本丸跡からは各縄張りがよく分かります。天気もよく景色も抜群です。天気が良い日はお弁当持参も良いですね。下山に20分、16時半頃のせいか山道では誰にも会いません。
案内所のおじさんの往復2時間コースのアドバイスは適切でした。晴れた日の早朝の雲海目指して再訪したいと思います。再び列車を3本乗り継ぎ赤穂のホテルへ。
赤穂城
2008年10月5日
78城目。初登城。赤穂の町も初めての訪問だと思います。前夜お城のすぐそばのホテルに泊まりました。午後から雨の予報が早朝から降り始め、出かける頃にはしっかりと降っていました。でも雨のお城もしっとりとしていて好きです。
ホテルの目の前は外堀(加里屋川)が広がります。当時は海岸線(船着場)だったという南側の水手門から入りました。二ノ丸庭園方面から本丸に入ろうとしますが、工事中だからか入れず逆側に回るなど随分歩きました。この季節なのにものすごい数の蝶が乱舞しています。開門時間の9時過ぎに厩口門から入り本丸櫓門へ行きましたがどなたもいません。スタンプだけがありました。(24時間開いているのかも?)
水手門から約50分、赤穂市立歴史博物館の手前(清水門)で城内で初めて人と会いました。9時半開館と同時に歴史博物館へ。館内は赤穂の塩や赤穂義士などの展示が中心で、お城関係は少しだけでした。
荷物を預けていたホテルに一旦戻り、再びお城の外周を大手門、大手隅櫓に寄り、ここから早足約12分で播州赤穂駅に戻りました。
姫路城
2008年10月5日
79城目。まだ3回目です。しかも二十数年ぶりです。お昼前に姫路駅に着き、案内所で情報入手。雨が降っているので駅前の通りではなく、1本右のアーケード街を歩けばよいと教えていただきました。徒歩10分余り、はやる心を抑えられず、早めに正面の通りに出るともう姫路城の雰囲気が伝わってきます。
さすが姫路城、国宝や重要文化財が多数あって見所満載です。
さすが姫路城、どこから見ても絵になります。
さすが姫路城、欧米系の人も多く多国籍度が違います。
管理事務所の方は親切で、お話好きでした。一部外観工事中の西ノ丸渡櫓・化粧櫓の内部を見た後、大天守へ。入城後すでに1時間20分を経過し、残り30分もありません。天守は大きくて、低層階には展示物も多くありましたが、これらはパスして、最上階からの景色を堪能しました。
帰りの伊丹からの飛行機は変更できないチケットなので、お城から姫路駅へタクシーを飛ばし、何とか予定の電車に間に合いました。お昼抜き、滞在都合2時間半でしたが、外からの眺めなども含めまだまだ見残していますので、近いうちに一度といわず再訪します。さすが、世界遺産・国宝姫路城でした。
松阪城
2008年10月11日
80城目。初登城。快速ムーンライトながら号にて早朝名古屋着。雨粒が大きかったので、小谷城、彦根城の予定を三重の2城に変更。松阪に着く頃には曇り空。「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」利用です。(快速みえ号は伊勢鉄道490円分別料金)
駅前の観光案内所でMap等を頂き、徒歩20分で松阪市立歴史民族資料館到着。資料館では松阪の産業や文化などが中心です。一時期松阪に住んでいた梶井基次郎の「城のある町にて」は松阪城跡のことで、これが掲載された角川文庫を購入しました。資料館のおばさんにはリュックを預かっていただくなどお世話になりました。
天守台などを見て、御成番屋敷へ。土蔵が展示室になっていて、子孫の方が説明してくれました。実際の展示屋敷の方は現在修理中で見ることはできません(完成はH22年)。お城の外側の石垣の高さは見事でした。
昼食はやはり松阪牛です。市役所裏の「牛銀本店」は予約なしでは(というより値段が高くて)入れませんが、その横の「洋食屋牛銀」は私でも手の届くメニューもあり、松阪牛の上牛丼(1,300円)を頂きました。今、松阪銘菓「老伴」を食べながらこの登城メモを書いています。
伊賀上野城
2008年10月11日
81城目。2度目の登城のはずですが初回はいつだったか。当初予定を変更したため、松阪から上野市(伊賀上野)までの行程を携帯サイトで調べますが、JR線(鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ利用)が出てきません。この日の日中は関西本線は保線工事(毎月第2土曜日)のため運休と知り、便利のよい近鉄経由としました。お昼過ぎに伊賀鉄道・上野市駅到着。
観光案内所でMap等を入手し、ホテルに荷物を預けて、伊賀上野城へ。木造模擬天守ですが73年前建築ということで風格さえ漂います。城内を散策し、天守に登りました。西側に出て城外のお堀越しに見る高石垣は見事です。天守が高石垣上に見える所もあり。藩校の旧崇廣堂にも立ち寄り、さらにだんじり会館へ。上野天神まつりは毎年10月25日、鬼行列は珍しい。大型スクリーンでビデオが見れますが、本物も見てみたいものです。4時間ゆっくりと回りましたが、まだ時間があるので伊賀流忍者博物館へ、結構まともでした。
夕食はホテルの日本料理店で伊賀牛のすき焼き御膳(コース料理2,980円)、昼食の松阪牛よりリーズナブルでおいしかったです。翌朝、伊賀上野への列車からお城を望めました。
彦根城
2008年10月12日
82城目。3度目ですが、40年以上のはるか昔で初登城と同じ。この日は午後小谷城に回る予定でしたが、終日(7時間半)彦根滞在としました。それほど色々と見所がありました。(小谷城を回るより歩き疲れたかも)入口付近のアンケートでひこにゃんの携帯トラップをゲット。
重文・馬屋、重文・佐和口多門櫓(10月から初公開、2年間限定)は内部公開中。彦根城博物館は井伊直弼関連の展示を中心に表御殿も一部復元され、能舞台まであります。天秤櫓内部のひこにゃんや鉄道模型などは少し首を傾げます。
いよいよ国宝・天守閣(現存)。どの角度からも外観が美しいです。天守閣内部は40分待ちの掲示でしたが、10分強で入閣。3階からは琵琶湖も眺めれます。重文の太鼓櫓、西ノ丸三重櫓も内部を拝見。名勝・玄宮園からも池越しの天守閣が望めます。
すでに14時、遅い昼食のため、内堀沿いを夢京橋キャッスルロードへ。伽羅で近江牛のたたき丼ご膳(1,800円)。少し変わっていておいしかったです。お城に戻って、開国記念館(無料)へ。ここは展示が充実していてお薦めです。最後の締めは井伊直弼が若い頃住んでいた埋木舎にも入館。お疲れさま。
八王子城
2008年10月13日
83城目。初登城。前日夕刻彦根から名古屋に戻り、名古屋コーチンを食べて、再び夜行のムーンライトながら号で早朝帰京。「鉄道の日・JR全線乗り放題きっぷ」で金山城、足利氏館を訪問予定でしたが、若い頃のようにはいかず、自宅でシャワーを浴び、一寝入りしてから、昼頃、このきっぷで八王子城を訪問することにしました。
高尾駅から霊園前まで多摩バスで5分程度。便数も多いようです。霊園前から城跡管理棟まで城跡の説明看板などをゆっくり見ながら徒歩20分。管理棟は閉まっていますが、スタンプ、パンフレットが備えられています。城跡の説明の案内板なども多数あります。
3日間の旅の疲れもまだ残っているので、今回は本丸(山頂)はパスして、御主殿方面を散策しました。挽橋を渡ると石垣や石段があります。石段は全面石で覆われている珍しい造りです。御主殿跡は広かったです。
ハイカー以外にも家族連れやお年寄りなど意外に多くの人が城跡に来ていました。帰りは早足で10分程度でバス停へ。往復とも待ち時間なしでバスに乗れました。
高岡城
2008年10月25日
84城目。5年ぶりの訪問です。35年ほど前の学生時代は隣の小杉町(現・射水市)に住んでいて、高岡にはアルバイトや散策やらでしょっちゅう来ていました。富山より、高岡の方が好きで私のプレイスポットでした。高岡古城公園内にある市民会館でのアルバイト(コンサートの警備)や、球場(現在の本丸跡)で高校野球の観戦をしていたことなども思い出します。
今回の富山訪問は学生時代の仲間との同窓会(下宿仲間+友人)で、10年前から毎年集まり、今年は男性5名、女性8名でした。世界遺産の五箇山に遊びました。昨年は犬山城などに遊び、私の百名城訪問のきっかけになりました。(ラリー上は未訪問ですが・・)
お昼の集合時間前を利用して、羽田からの始発便で富山空港から直接高岡に入り、博物館や動物園も含めて2時間半ほど散策しました。高岡市立博物館の受付の女性とは話が弾みました。学生時代には博物館ではなく、美術館だったようです。
お城めぐりとしての高岡城跡の印象は、水濠が立派なところです。城跡自体は以前よりも整備され、水濠もきれいになってきたような気がします。
犬山城
2008年11月9日
85城目。2度目。初登城は昨年10月の学生時代の仲間との年1回の旅行でした。犬山城のすぐ近くの犬山温泉に泊まり、国宝天守閣登城だけではなく、日本ライン下りの船や早朝散歩で木曽川の対岸から見て、すごく感動しました。丁度秋の犬山お城祭りでした。その後Internetで調べているうちにこの百名城スタンプラリーを知りました。私をラリーに導いてくれたお城です。
犬山城の入場料や食事の割引などがある、秋の犬山キャンペーン(2008/12/7まで)のウォーキングマップは名鉄犬山駅の観光案内所で入手しましょう。
本丸門の上の櫓?が管理事務所になっていて、二人の人懐っこいおばさんから「国宝4城への旅」の立派なパンレットを頂きました。国宝4城のスタンプラリーを薦められ、他の3城も勿論登城済みですが再訪したいお城ばかりなので、チャレンジしてみますか。今回は2009/2/28まで。
小ぶりですが、犬山城天守閣の素晴らしさは言うまでもありません。曇天でしたが木曽川越しの岐阜城も僅かに望めました。付櫓の下には冬に咲く四季桜が咲いていました。
犬山市文化史料館も良かったです。春の犬山祭も是非訪問したいです。
岡崎城
2008年11月9日
86城目。初登城。この日は午前中の犬山城と併せ、愛知県日帰り2城の旅です。
名鉄東岡崎駅の案内所でMap、パンフなどを入手。駅から15分もかかりません。途中の乙川から天守閣が望めます。再建天守閣は、このサイトでは余り評判がよろしくないが、展示物も色々と工夫されていて、私はゆっくりと1時間弱楽しめました。外観は龍城神社が間近にありビュースポットが限られていて残念ですが、七五三のほほえましい姿があちこちで見られました。家康館も面白かったが、肝心の常設展示は時間が足らずざっと見るだけで終わりました。こちらも1時間近くは欲しいところです。ついでの機会があれば再訪しましょう。
篠山城
2008年11月22日
87城目。初登城。福知山線篠山口駅でマップ、パンフ、バス時刻表などを頂き、バスで25分の二階町下車。2、3分で篠山城跡へ。思っていたより大きな堀や立派な石垣が残っています。実際には建てられなかった天守台からの篠山の町並や夕陽に浮かぶ山々も素敵でした。復元された大書院は外観が立派です。内部の展示も多くはないけれど工夫がされています。大書院だけではなく、城跡全体にも多くの人が来ていました。
農業まつりをやっていて生きた篠山肉牛もいました。あの牛たちはあの後どうなったのか気になります。この後、黒豆の煮物や黒豆パンや黒豆どら焼きなどをお土産に、京都の実家に帰省しました。おいしかったです。
千早城
2008年11月23日
88城目。初登城。大阪には10年以上住んでいましたが、こちらへの訪問は初めてです。河内長野からの南海バスは中高年の登山客で満員です。紅葉も盛りでした。
9時過ぎにまつまさでスタンプをお願いしたら人懐っこいおばさんが話しかけてきました。千早城跡への登山道も教えて頂きました。まつまさの少し先からも金剛山への登山道があり、途中で千早城跡へ分岐する裏参道があります。千早神社への参拝後、今度はバス停側の表参道を降ります。金剛山への登山道でもあり、すれ違う方との挨拶も清清しいです。こちらは石段ばかりで裏参道の方が歩きやすかったです。四の丸?の売店にも百名城スタンプがあります。1時間とのことでしたが35分でバス停へ。
まつまさに戻るとおばさんから千早赤阪村の松本村長を紹介されました。目的の一つだった豆腐料理を頂きながらしばしお話をしましたが、「大阪のおっさん」という感じで緊張もしなかったです。名刺もいただきました。市町村合併や後期高齢者医療制度の話などが出て、黒字とはいえ財政事情は大変なようです。国はもっと地方を助けるべきでしょう。
帰りは金剛バスで富田林へ。
高取城
2008年11月23日
89城目。初登城。この日は「たかとり城まつり」でした。城巡りとしてはお祭りに日程を合わせるか微妙でしたが、お祭り好きでもあり結局この日の訪問としました。大勢の人が来ていて夢創館も大繁盛でした。忙しい中でしたがお世話になりました。裏庭では「日本100名城パネル展」をやっていて、この1年でこれらのお城の多くを巡ってきたのだなあと改めて想いました。見ている方にもそれぞれの想い出のお城があるようです。土佐街道では時代行列をやっていました。
時間の都合で、壺阪山駅まで戻りTaxiで城跡近くまで行きました(2千円強)。多くの車が路上駐車していました。車道から少々歩きますが、城跡は想像以上に広く、石垣も立派でした。紅葉も盛りで、お祭りのイベントとして城攻めウォークラリーも開催していて多くのハイカーが来ていました。
帰りは壺阪寺までハイキング道を歩きました。本丸跡から早足で約45分掛かります。五百羅漢の手前で道が分岐していますが左側は急な山道になりますのでご注意を。後で分かりましたが距離は車道の方が大分短いです。
壺阪山駅から近鉄で京都駅に出て東京に戻りました。
佐倉城
2008年11月24日
90城目。初登城。お昼過ぎに佐倉に着くと小雨が降りだしました。JR佐倉駅の観光案内所でマップを頂き、道順も教わりました。武家屋敷前を通り、大手門跡(佐倉中学校の前)を経て、徒歩30分弱で佐倉城址公園センターです。分かりにくいとの登城メモが多いですが、JR側から行くと立て看板もあり、迷いようがありません。無人でしたが、簡単な説明パネルや佐倉城の模型も置いてあります。
城跡は思いのほか広く、土塁や深い空堀もよく残っているようです。本丸跡などをゆっくり30分ほど巡り国立歴史民俗博物館(歴博)へ。
歴博はすごいです。2時間なので先に染色品の企画展を拝見後、常設展示室へ。無料音声ガイドを聞きながら第1室途中で後30分で閉館のアナウンス。残り第5室まではほとんど素通り。後日リベンジすべく予習のためのガイドブックを購入しました。今度は丸1日掛けて訪問します。地名が付いていない理由は歴史・考古・民俗関連の唯一の国立博物館で、第一人者の自負でしょうか。佐倉城関連は展示なしです。
雨も強まり、すっかり暗くなった中を10分強で京成佐倉駅へ。佐倉は静かで落ち着いた街でした。
観音寺城
2008年11月29日
91城目。初登城。早朝東京を発ち、9時過ぎに安土駅へ。駅前の安土町観光案内所でマップを頂き、おじさんに色々と教えて頂きました。もうすぐ満願(100城達成)になるので山城でも手抜きなしに登城しようと、安土城も併せて全行程歩くことを決意し、リュックを背負ってスタート。今回は順路とデジカメ時刻で報告します。
案内所9:22→相撲櫓9:25→安土城城郭資料館9:27/10:03→桑實寺入口10:25→桑實寺本堂10:43/10:53→伝・観音寺城跡本丸11:13/11:25→観音正寺11:30/11:59→有料林道入口12:27→瓢箪山古墳12:38→文芸の里レストラン12:48。
桑實寺入口からは長い石段が続きます。錦成す紅葉で石段も彩られていました。休憩がてら重文・桑實寺本堂の中も拝見。肝心の城跡では城跡を示す案内板が1枚だけで、よく分かりません。石垣が残っています。観音正寺まで桑實寺本堂以外では誰にも会いませんでした。
観音正寺ではご朱印(+スタンプ)の係の方に、安土城へは桑實寺経由が早いと教えて頂きましたが、異なる景色を楽しむため有料林道経由。歩きは無料です。
安土城
2008年11月29日
92城目。東海道本線で安土を通る時いつも気になっていた安土城跡に念願の初登城です。午前中の観音寺城跡に続き徒歩で登城しました。午後も順路とデジカメ時刻で報告します。
文芸の里レストラン13:11→安土城天主信長の館13:12/14:00→滋賀県立安土城考古博物館14:06/14:34→安土城跡大手道受付14:48→天主台跡15:13→重文・二王門15:33→(再)伝・羽柴秀吉邸跡15:41→(再)受付15:45→安土駅16:15。
レストランでは近江牛の信長ハンバーグ。信長の館や午前中の城跡資料館で安土城天主の模型で勉強しました。博物館は時間がなくざっと見ただけ、再訪する価値ありです。安土城跡は遺構が立派で予想以上に整備されています。時雨れていたので受付でリュックを預かって頂き身軽になってゆっくり散策しました。大手道は石段が高く膝の故障持ちの身には辛かったです。天主台跡や三重塔付近からは西の湖や安土、近江八幡が望めます。
この日は朝から28千歩も歩きました。隣の近江八幡駅から琵琶湖畔「休暇村近江八幡」でゆっくり骨休め、夕食や温泉は大満足でした。
小谷城
2008年11月30日
93城目。初登城。河毛駅CHでマップを頂き、小谷城戦国歴史資料館へ歩きはじめたところ、駅前で丁度「デマンド」便(CHで予約をすれば運行、200円)があることを教わり、資料館まで送ってもらいました。運転手さんからも色々情報を頂きました。駅前にはお店は何もありませんが、小谷城跡の登り口にラーメン屋とコンビニがあります。
資料館のおばさんとも色々話をしました。資料館はこじんまりしていますが城跡に向かう人には大いに参考になります。リュックも預かって頂きました。時雨模様でしたが、昼食後、本丸までは行こうと林道を登りますが、本格的な雨に。傘は預けたリュックの中、コートのフードをかぶりながら約30分で上の駐車場へ。これ以上の歩きは無理と判断し、資料館に電話してタクシー会社を教えて頂く。携帯電話の圏内で助かりました。
資料館のおばさんから玄関で荷物を受け取り、河毛駅まで1700円余り。小谷城の紅葉は色が鮮やかでした。運転手さんも滋賀県ではここの紅葉が一番だとか。色々な方にお世話になった1日でした。特におばさん、ありがとうございました!湖北時雨、弁当忘れても傘忘れるなです。リベンジします。
金沢城
2008年12月6日
94城目。金沢大学があった頃に何度か訪問していますが、菱櫓などの復元やお城としての整備がされてからは初めてです。雰囲気が随分変わったと思います。早朝越後湯沢経由で金沢入り。JR東日本の大人の休日倶楽部会員パス利用です。
金沢駅からは往路は周遊バス(200円)、復路は兼六園シャトル(土日祝運行、100円)ですが、超満員でした。
河北門は復元工事中の様子をヘルメットをかぶって見れます。二ノ丸案内所の係りのおばさんとは話が弾みました。ボランティアガイドの方も多数います。45億円かけて復元された菱櫓・五十軒櫓・橋爪門続櫓は適切に解説もあって良かったです。三十軒長屋は現存ですが初めて見たと思います。
お城全体を盛り上げていこうという雰囲気がありました。兼六園とセットでしょうが観光客が増えると思います。兼六園に負けるな!(私も今まで兼六園には10回くらい来ていますが、金沢城単独訪問は今回が初めてでした)
みぞれが霰となり雪となって、白い世界が広がります。とても幻想的です。今年初めての積雪のようですが、11月に初雪が降ったそうです。
丸岡城
2008年12月6日
95城目。初登城。金沢から福井の1時間足らずの中でみぞれ、雨、曇り、晴れ、雪とめまぐるしく天候が変わりました。福井駅前は3cmくらいの積雪ですが、丸岡は雪がなかったです。
本丸岡行きのバスで本丸岡の次の丸岡城で降ります(640円)。行き先はすでに福井駅に変わっています。同じ本丸岡行きでもバスによってルートが変わるようです。
丸岡城は城郭、現存天守閣ともこじんまりしたお城ですが、雰囲気があります。歴史民族資料館もこじんまりしていますが、受付のおばさんは親しみやすかったです。
みぞれも降り出し暗闇が押し寄せる中、なかなか来ないバスを待っていると、朝のバス時刻を調べに来た近所の老婦人が傘を持っていけとおっしゃる。丁重にお断りをしたら、バスが来るまで使って、バス停に置いていけと。使わせていただきました。ありがとうございました。
福井駅の観光案内所でも係りのおばさんに色々お世話になりました。何故か大人の休日倶楽部パス利用と見破られ(笑い)ました。
一乗谷城
2008年12月7日
96城目。初登城。前日の雪も止み、この日は冬の北陸には珍しい快晴。初氷の福井市内から朝8時の京福バスで一乗谷へ、途中の山の麓は朝霧がかかりとても素敵な光景でした。一乗谷は積雪約15cmでした。
武家屋敷前に8:30に着き、復元町並の南側入口(9時開場)で雪かきをしていた美人のお姉さんに声をかけると入場OK。無料案内ガイドさんは12月は出てこないようです。GPSの無料観光ガイド端末を借りましたが、復元町並の中でも案内が出ず、美人のお姉さんの笑顔を見たいため交換に戻りました。新雪の上をあちこち歩きまくりました。復元町並で雪かきをしていたおばさん、おじさんもやさしかったです。北側出入口には遺跡のビデオがあります。朝倉館(跡)の唐門や一乗谷川の雪景色も良かったです。山城はリベンジです。
再び南側入口でGPS端末を返却し、雪道の中を3km離れた福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館へ。復元町並、端末、資料館のスタンプ3つで絵葉書セットをゲット。帰路は12時過ぎの電車、越美北線は30年ぶり。これで北陸東海地区も制覇し、年間全都道府県訪問も実現。北ノ庄城址もリベンジします。
金山城
2008年12月20日
97城目。初登城。出張先の富山から高崎経由で太田へ。スーツ、革靴姿での初めての城巡りで、しかも山城ですが、年内100城達成のために少々無理をしました。登りはタクシーで西城の駐車場の手前まで楽をしました。ここからは整備された城域を歩きます。クルマでのアクセスが良いためか、ハイカー以外にも多くの人が来ていました。東急太田駅の観光案内所でパンフレットや地図を頂いてから城域を歩かれることをお薦めします。
どこまでが復元されたものか分かりませんが、石垣や石敷き通路が立派です。二つの池も石作りです。この日は太陽がまぶしい冬の快晴でしたが、穏やかだったせいか、「関東富士見百景」の南曲輪からは富士山や筑波山は見つけられませんでした。それでも関東平野を一望できるスケールの大きなすばらしい景色を堪能しました。城内各所には案内板があります。スタンプは試し押しをしましょう。上下逆にセットされていたので、直しておきました。
帰りはハイキングコースを大光院まで降り、駅まで約1時間歩きました。山道は革靴では無謀でした。そんなに汗はかいていなかったのですが、スーツは汗を吸い込んでいました。
足利氏館
2008年12月20日
98城目。初登城、否、初参拝。東急足利市駅の観光案内所のおばさんは親切でした。お薦めに従い、渡良瀬川を越えて、まちなか遊学館、足利学校(入口のみ)を経て鑁阿寺(足利氏館・足利氏宅阯)へ。
足利義兼・義氏が館の中に建てたという鑁阿寺ですが、現在の敷地はお寺だけでしょうか? 足利氏館全体のイメージや広さが浮かびません。館自体の遺構も分かりませんでした。以上、勝手な想像ですが、お城巡りの気分にはなりませんでした。同じような武田氏館は館の跡に神社になったせいか、館の遺構はありました。
再び東急足利市駅へ。まだ15時台なのに山の上に夕陽が沈もうとしていました。5本の電車を乗り継いで、自宅に戻りました。
江戸城
2008年12月21日
99城目。40年以上前の中学校の修学旅行以来何度か訪問していますが、内堀内は初登城だと思います。と言うより、東京には都合10年住んでいますが、内堀内のこれだけのエリアが公開されていることを百名城スタンプラリーまで知りませんでした。
自宅から大手門まで30分もかかりません。一応下調べをしたつもりでしたが、スタンプ設置の休憩所が分からず、警ら中の皇宮警察官に聞くと丁寧に教えてくれました。内堀内の休憩所にはスタンプは設置されていません。
大手門から入り、北詰門までゆっくりと一回りしました。石垣は大きく、天守台も見事です。富士見櫓が遠くからしか見れないのは残念です。三の丸尚蔵館は展示替えで休館でした。北詰門を出て、北の丸公園内の休憩所でやっとスタンプを。日本武道館は韓流スターのコンサートで最寄りの九段下駅までほとんどが女性ばかりでした。
二条城
2008年12月23日
100城目。最後は実家(帰省先)の近くの二条城へ。南側の二つの櫓や外堀は何百回と見ていますが、中に入ったのは40年ぶりかもしれません。この年末年始も帰省予定ですが、休城期間になるため、一足早く日帰りで登城しました。100名城巡りでANAのマイレージが一杯貯まっているので、伊丹まで少し遠回りで時間がかかりますが特典航空券を利用しました。
国宝の二の丸御殿はまさに歴史を見てきた建物ですね。そっくり残っていて、まさに世界遺産です。二の丸庭園や東大手門・唐門・本丸櫓門なども良かったです。戦争の被害がなかっただけに天守閣が残っていたらすばらしかったのにね。昭和に造営された清流園も一部ですが美しいです。
外国人も多く訪れていましたが、京都だからか、団体客が少なかったせいか、大坂城のような喧騒もなく、静かで落ち着いた中で登城できました。
スタンプは事務所の廊下にあるため人は不在です。100城達成の報告を誰にもすることなく、静かに終わりました。