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メンバー情報

ID3048
名前ナラ
コメント2011年10月8日山形城を皮切りに百名城にチャレンジしています。退職を機にできたストレスのない時間を有効に使い、2012年3月31日現在、41城を巡りました。ちょっとペースが早い気もしますので、これからはもっと城の内外の雰囲気をも味わいながら、じっくり巡ってみようと思っています。これまでの登城計画には、各城の登城者のコメントが大変参考になっています。御礼の意味を含めて、登録することにいたしました。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
山形城
2011年10月8日
100名城巡りスタート。記念すべき1城目は妻と。最上義光記念館入口でボランティアの方から声をかけられ、10分程度の適当な時間の丁寧な説明を受ける。ありがたい。市民の天守再建の意志はあっても図面がなく復元できないのは残念。
新発田城
2011年10月15日
そんなに大きな城ではない。三階櫓を含め、縄張りの相当部分を自衛隊が使用している。帰路の新発田市中で自衛隊車両と遭遇する。時代を超えても、国防の場所となっている。
水戸城
2011年10月17日
ウィークディーに登城。東日本大震災で弘道館は傷み室内には入れなかったが、水戸一高に移築された橋詰門や本丸、二の丸、三の丸を歩き、その大きさを実感した。
多賀城
2011年10月22日
小雨の中の訪問だったが、埋蔵文化財センターでスタンプは押せた。東日本大震災の避難者が先日まで使用していたことから再オープンに向けて準備中のことだった。正殿跡を中心としながら東北全域を治める拠点、城の広大さを感じた。
仙台城
2011年10月22日
ブルーシートに震災の爪痕を感じた。小雨模様で多賀城から4時近くの訪問だったため、駐車もすんなり。天守はないものの、三次元で復元・製作された仙台城のDVDは立体感があり、城が川と崖の自然の要害さを利用して、要塞化している全容がつかめた。
八王子城
2011年10月29日
ボランティアさんの説明がよいとの書き込みを見て期待したが、帰り道の注意だけだった。山城はこれが初めての訪問。汗だくになったが、好天の下、狭い本丸に着いた時の爽快さは格別だった。たった一日で落城とは信じられない。
佐倉城
2011年10月31日
快晴の中、気持ちのよいドライブをして小高い丘陵にある佐倉城へ。道路脇の案内所でスタンプを押す。月曜日で係員もいなかったが他にそれらしい施設がないのでわかる。ノンビリと市民が散歩する中、角馬出、本丸跡、水濠など縄張りの全体像を見てまわった。
高遠城
2011年11月3日
中部6福島2計8城を巡る2泊3日の旅行(マイカー)1城目。まず一番遠い高遠城を訪問。保科氏が会津若松城の城主となる前に高遠城主だったこともあり、関心があった。平山城扱いになっているが、高地にあり、川や崖の自然の要害に加え空濠や土塁を備えた正しく戦国時代の城だ。
松本城
2011年11月3日
夕方、そして霧、靄がかった朝と2回訪問した。五重天守、現存12天守の1つで、どこから見ても絵になる、きれいな城だ。天守は戦に備えて狭間や石落とし等がたくさんあるが、戦に備えたというより相手を気圧し相手の戦意をなくすことを目的に作られたような城だ。
小諸城
2011年11月4日
中部6城の3城目。まずガイドブックに紹介されている三の門、天守台、空濠を見学した。やはり天守台石垣は三重天守があったらさぞや立派なものだっったろうと思わせる、きれいな石垣だった。古城だがよく整備されている。
上田城
2011年11月4日
中部6城の4城目。大坂の陣で最後まで抵抗した真田氏の居城。家康が落とせなかった城と言うことで関心があった。高く急峻
な角度の石垣の上に造られた西櫓、南櫓はやはり攻略の難しさを感じた。
松代城
2011年11月4日
中部6城の5城目。駐車場に車を置き、線路を越えて復元された門へ。みやげ点を含め建造物が少なくのどかさが伝わった。濠はあるものの四方が平地で高遠、小諸、上田と回ってきたので、攻撃に耐えられる城だったのかと不安に感じた。
春日山城
2011年11月5日
大河ドラマがあったので関心のある城だった。想像以上の高い地にある山城であり、車でないと厳しい。どこからでも登れるようであるが、急峻であり、また諸武将の館が随所にあり、天守までに到達するのは大変だ。天守からの眺めは絶景だった。
会津若松城
2011年11月5日
時間がなかったので、スタンプ中心の訪問となった。史実に基づき、朱瓦に葺き替えられ、以前の来訪とは印象、イメージが変わった。天守各階の洗練された展示と戊辰の役の悲劇が合致しなかった。
二本松城
2011年11月5日
若松城に続き、スタンプ中心の訪問となった。箕輪門から天守に行ったが、東日本大震災で石垣崩れの危険があるためか、天守へは登れなかった。ただ、最後の砦となる天守は山のてっぺんにあり四方が石垣に囲まれ守られていたことがわかった。
足利氏館
2011年11月7日
北関東3城を1日で回る1城目。写真で紹介されている角度から舘全体をながめ、太鼓橋を渡り、楼門をくぐる。寺院がメインで屋敷跡の雰囲気が味わえず、残念。月曜で案内もなく、パンフレットももらえず。やはり下調べが必要。
金山城
2011年11月7日
この登城記録を、半年遅れで書いているが、今でも金山山頂にある、円形の日の池や大手虎口から三の丸の石垣が目に浮かぶ。計算し尽くされた縄張りのようすがよくわかる城だ。山頂から南方の眺めは絶景。もう一度訪れたい一城となった。
箕輪城
2011年11月7日
北関東3城を1日で回る3城目。真新しい100名城の旗を何枚か見かけた。土塁が中心。再現された屋敷跡はない。入口付近から見る町並みに、そこが高台にあり、城としての優位性がわかる。
松前城
2011年11月12日
マイカーを青森駅に置き、電車で木古内駅へ。路線バスに1h半揺られ、津軽海峡を挟んで遠く竜飛崎が見える高台に松前城はあった。1850年に造られたこの城は、幕末外国船の来航を監視する国防上、やはり必要な城と感じた。
五稜郭
2011年11月13日
半日タクシーコースに五稜郭があったので利用したが、修道院訪問が長引き、五稜郭はスタンプ中心の訪問となった。歩いて城の大きさや石垣の造作を間近に見ることができず残念。再訪したい。
弘前城
2011年11月13日
マイカーを三の丸駐車場に置いて登城。見事な菊が城内のあちこちに置かれ、春の桜とは違った風情を感じた。現存天守からは、華美な装飾を外した、戦いの最後の砦となる天守の素朴が伝わった。
川越城
2011年11月19日
月曜休城であった10/21の再訪である。公式ガイドブックに従い、本丸御殿、家老詰所、富士見台櫓跡を巡った。富士見台櫓跡に至り、本丸に戻る道は、平城でありながら適度の坂のある土地を城としていることがわかる。
鉢形城
2011年11月19日
荒川から見る断崖絶壁の上にある本曲輪は必見である。自然とどう攻めようかと戦略をめぐらすことになった。いくつもの曲輪が本曲輪を構成し、濠、土塁も併せて城の広さを感じた。
小田原城
2011年11月27日
時間の関係上、スタンプ中心の訪問となった。これまで関東以北を中心に訪問してきたので、小田原城の大きさ、門、櫓、石垣、天守等の一つひとつに立派(質素さを感じない)さを感じた。勢いの差は力の差、戦国大名の優劣を感じた。
白河小峰城
2011年11月28日
きれいな石垣が所々で崩れ落ち、震災のすさまじさが伝わった。門は閉ざされ、修復作業をしていた。本丸の高石垣の被害の状況が見えなかったが、修復には相当の時間と労力がかかるようだ。
久保田城
2011年12月3日
行く途中、みぞれとなったが、マイカーで訪問した。雨が強く二の丸や御隅櫓、土塁、石積など急ぎ見て回ることになった。佐竹史料館が臨時休館のため、後日スタンプ帳を郵送した。訪問前の情報収集の限界と難しさを感じた。
盛岡城
2011年12月3日
訪問が夕方だったので、急ぎ足となった。野面積、打込接などの石垣が美しい。ただ、本丸中央にある、景観の面で、目的もないまま放置されている建造物が気になった。
根城
2011年12月5日
岩手、青森県境辺りから雪となり、ノーマルタイヤでの訪問はヒヤヒヤものだ。何とか八戸に到着。受付の方がスタンプ等、優しく対応してくれた。史料をもとにした、再現された史跡公園であり、曲輪、濠、土塁など全体像を感ずることができた。
一乗谷城
2012年1月19日
大人の休日倶楽部パスを利用した、北陸5城の1城目である。皆さんのアドバイス通り朝倉氏遺跡博物館でレンタル自転車(1,000円、返却時に返金)を借りた。川を挟んでまさしく谷沿いに広がった戦国城下町を連想、垣間見ることができた。
丸岡城
2012年1月20日
北陸5城の2城目。芦原温泉よりバスで丸岡城の予定が案内違いでTAXIで行くことに…。現存12天守の一つ。天守、本丸、石垣しか残っていないが、弘前城にも感じたが、質素でつましく過ごし、領地を守ってきた雰囲気が伝わった。
金沢城
2012年1月20日
北陸5城の3城目。昨日の一乗谷、今日の丸岡、そして金沢と降雪に足止めされることなく、順調に訪問が続いている。駅から10分バスに揺られ城へ。二の丸のスタンプ表示も分かりやすく、印影もよい。新装なった菱櫓、五十間長屋、橋爪門櫓など城のおおよその縄張りを散策した。
七尾城
2012年1月21日
北陸5城の4城目。七尾市役所守衛室でスタンプ押印し、地図を頂く、若干の説明がほしかった。駅前から麓までバス(マリン号)で移動。山頂往復はTAXI利用。急峻な山頂によくぞ築城したと感嘆した。本丸からの七尾湾の眺めは素晴らしかった。
高岡城
2012年1月21日
北陸5城の5城目。2泊3日の最後の城である。最後にきてあいにく雨模様となったが、高岡駅から歩いて15分ほどで城到着。山城と、人力で濠をつくり、土塁、石垣で防御する平城との比較が自然にできた。
大分府内城
2012年3月26日
2泊3日で北九州8城1城目。佐賀空港からバスで大分市へ。レンタカーを借りて府内城へ、月でも文化会館の北側2Fにスタンプあり。城が現代の街並みの中に入り込んでいる。外回りを一周して大凡の外観を確認。平城故の保存の難しさを感じた。
岡城
2012年3月26日
北九州8城の2城目。大分市内からレンタカーで岡城へ。道路状況も良く快適なドライブで入口付近の駐車場に着く。天守等の建物は一切無いが、急峻な崖を利用し、また高い石垣がいくつもある広大な城塞の様子がよくわかった。35城目の訪問だが、これまでで一番大きい城である。
福岡城
2012年3月27日
北九州8城の3城目。前日のうちに佐賀から高速バスで博多へ。城の駐車場がわかりずらかった。本丸の天守台から二の丸を散策し、スタンプ場所の鴻臚館展示館へ。古代の鴻臚館跡の復元も計画され、併せて100名城に選ばれた感がした。
大野城
2012年3月27日
北九州8城の4城目。政庁跡でスタンプを押し、しばし飛鳥、奈良の時代を感じ佇んだ。太宰府天満宮でお守りを買い、県民の森で地図を頂き、いざ大野城へ。百間石垣、土塁は分かったが、地図上のPが使用できなかったりで全容把握を断念。
吉野ヶ里
2012年3月27日
北九州8城の5城目。大野城から50分(車)で吉野ヶ里に着く。入園後、センター内でDVDをじっくり見て園内へ入る。広大な領地に城柵を巡らし、物見櫓で見張り神に仕えながら生活をしている様子が復元されていた。
佐賀城
2012年3月27日
北九州8城の6城目。吉野ヶ里から35分(車)で着く。Pにすんなり入れたのでじっくり参観することができた。きれいに復元された本丸御殿や、鯱の門、天守台、石垣等に加え、係員の丁寧な対応からも大切に保存しようとする気持ちが伝わった。
名護屋城
2012年3月28日
北九州8城の7城目。朝一番に唐津城を訪問後、9時前に名護屋城に着く。破壊された石垣、修理されずにいる石垣から武者の声が聞こえるようだった。天守跡から臨む海岸線を日本の名だたる武将たちが国防の一線に立った姿が浮かんだ。
平戸城
2012年3月28日
北九州8城の8城目。名護屋城から九州最北端の地を2時間ドライブして着く。海に面した小高い崖の上に築城した、小じんまりしているが四方を見渡せる、また海からもよく見える城だ。
最後に大村城をまわって帰路に着いた。
彦根城
2012年4月9日
中部バスツァー5城の1城目。濠、石垣、門が現代の風景の中にとけ込んでいる。天守は白と黒の彩りよく、黒の線がやや太いので重厚感を増している。大きくはないがまとまっている城だ。桜が満開、彦にゃんが人気だった。
犬山城
2012年4月9日
中部バスツァー5城の2城目。楽しみにしていた城だが、曇天から天守登城の正にその時雨が降り始め、望楼に着いた時は本降り。望楼の低い欄干と外向きに斜め下に傾斜が付いている回廊は、途中ですれ違い戻ってくるので恐怖だ。
名古屋城
2012年4月9日
中部バスツァー5城の3城目。入口から門までの距離がかなりあり、また石垣と遠くに見える天守から全体の縄張りの壮大さが垣間見えた。為政者が入るに相応しい城という感じだ。H30御殿復元完成時に再訪したい。
岡崎城
2012年4月10日
中部バスツァー5城の4城目。時間が限られたツァー故、家康館は十分に見れなかった。城の中のビデオやジオラマなどを見たり、桜と石垣を確認して、家康生誕の地の雰囲気は少し味わえた。
駿府城
2012年4月10日
中部バスツァー5城の5城目。城の回りを一周してPに入ったので外観が分かった。復元は東門とそれに続く櫓のみ。本丸は表示がはっきりせずわかりずらい。家康が岡崎で誕生し、駿府城でなくなっている故の100名城か。明治政府が目立たなくしてしまった感が否めない。
明石城
2012年5月24日
東中国10城の1城目。坤櫓、巽櫓がメインであるが、石垣も思っていた以上に立派で規模があった。宮本武蔵が関わった庭園、2つの櫓が見える二の丸は市民の憩いの場となっている。
その後2年ぶりの登城。今回は大手門反対側の県営駐車場を使用。前前とは違う守る側の縄張りを感じた。
姫路城
2012年5月24日
東中国10城の2城目。大手門に続く濠と石垣は新緑のきれいさもあるが世界遺産に相応しい美しさだ。職員が数多く配置され、スムーズに見学できた。H26目標に天守は工事中であるが、今しか見れない景観だ。天守の高さからの眺望は四方共にすばらしい。ウィークディーでスムーズにエレベータに乗れた。
 その後2年後の登城。天守を覆うカーテンがなくなり真っ白な漆喰の天守を仰ぎ見ることが出来たが、天守の中や天守の周囲の櫓等に入れず西丸中心の見学を余儀なくされている。本格完成の来年3月まで待ったほうがよいと思う。
赤穂城
2012年5月24日
東中国10城の3城目。姫路城の豪華さと好対照だ。決して大きくない城が事実の厳しさを浮き立たせている。高層の建物がなく、赤穂市全体で城を守っている感じを受けた。市博物館(スタンプ)に4:25に入り落ち着いて見学できた。城めぐりはウィークディーそして午後3時30分以降が落ち着ける。
 その後2年後の登城。5時には歴史博物館も終了、櫓においてあるスタンプも鍵がかかってしまい使用できないので注意。
備中松山城
2012年5月25日
東中国10城の5城目。ふいご峠のPに着くまでは道路が狭く対向車がこないかと心配した。昭和の改築時には2万の小中生が瓦を持ち上げたとのこと。ハードもソフトも郷土の宝となる。急峻な地に木材、石を人力で運んでの築城、気が遠くなる。
 その後2年後の登城。土日はふいご峠までマイカー規制となった。外見の入母屋破風、千鳥破風、向唐破風、白漆喰の壁等の美しさと内部のむき出しの柱と板張りのコントラストが城の実用性を感ずる。市民総がかりでよくぞ修復してくれたと感謝したい。
鬼ノ城
2012年5月25日
 東中国10城の6城目。ナビで鬼ノ城を探してもヒットせず。道路脇の表示を頼りに何とかビジターセンターへ。70分かけて全長2.8?の城壁を外周し、その広大さと大小様々な石を持ち上げて造る山城の大変さを改めて知った。センター職員が丁寧に発掘前後や現在の管理のようすを教えてくれた。
 その後2年後の登城。前回も感じたが、奈良時代前の時期に、これだけのものを造るのにどれだけの人の力があったのだろうかと問わずにはいられない。白村江の戦い後、朝鮮からの侵略に備えての防御地と考えられるが九州に加えてなぜここなのか。興味が尽きない城だ。
津山城
2012年5月25日
東中国10城の4城目。小雨模様、8:40、冠木門入口から一番乗りで登城。6500石城主の城とは思えない縄張りの大きさだ。DVD「よみがえる津山城」(40分)を見て、その壮大さを再確認した。
 その後2年後の登城。早朝の散歩の時間を使ってじっくり縄張りを見たかったが8時40開門のこと。津山のホテルを使用したメリットをうまく使えなかった。武家屋敷に行く途中、火野正平さんのこころ旅のシーンにあった南東にある橋から城郭を仰ぎ見た場所がわかり、写真を撮った。
岡山城
2012年5月25日
東中国10城の7城目。鬼ノ城から岡山城へ行く途中、秀吉の水攻めの備中高松城址に寄ったが、周囲は水田が広がり想像しにくかった。黒色の烏城のイメージより宇喜田秀家と小早川秀秋の歴史事実を強く思い浮かべた。モルタル造りと各階のコーディネートは会津若松城と同じだ。
竹田城
2012年5月26日
 東中国10城の8城目。7:45竹田駅でスタンプを押すもナビはヒットせず。駅員から土日の一方通行も聞き、事なきを得る。Pまでは備中松山城へ行く道よりも危険だ。今日は周囲の山々は霞むが竹田城自体はよく見えた。やはり山のてっぺんの石垣はマチュピチュに似ている。
 2年ぶりの登城。山城の郷からワンメーターの言葉に乗せられ、第2駐車場までタクシーで行く。そこから大手門までは山城ならではのきつい勾配の20分。安全面から順路が定められており、2年前より散策の自由度が狭まってしまい、身を置いて考えることができなかった。残念。立雲峡から竹田城をぜひ眺めることをお勧めしたい。駐車場から5分の第3展望台でもよいがそこから20分の第2展望台からの眺めもいいものでした。
篠山城
2012年5月26日
 東中国10城の9城目。大書院中心の城かと思ったが、内濠、外濠、城を囲む城下町の風情等全体的によかった。藤堂竹虎が鉄砲を戦法の柱に据えた、石垣と挟間をたくさん持つ長屋等(DVD)の全容がわかった。天守を造らず実践に備えた合理的な城だ。
 2年ぶりの登城。市営駐車場を利用したが、1時間以内だったせいか無料だった。竹田城と同様、篠山城も2年前は南側から下に降り、外堀へ行ったり城壁伝いに歩いたりできたが閉ざされていた。歩いて縄張りのよさを感ずることができなくなってしまい残念だ。
二条城
2012年5月26日
東中国10城の10城目。高校の修学旅行以来の訪問。二の丸中心の記憶しかなかったが、改めて大政奉還が行われた部屋や立派な石垣が巡らされた本丸御殿や天守跡、濠等を見て、立派な平城だったことがわかった。二の丸の屋根は素晴らしい。
江戸城
2012年6月16日
甲府城から江戸城へ。和田倉休憩所でスタンプを押した頃から雨が降り出した。大手門から入場<入場(無料)>し、大手休憩所(売店)でガイドマップ(皇居東御苑)を頂き、39の順路にしたがってスタートするものの、丁度半分の天守台(20番)で城内放送が入りタイムアップ。無線と自転車を利用した職員に、5時迄にスムーズに城外に出されてしまった。江戸城は見所が深い。再訪したい。
武田氏館
2012年6月16日
大人の休日倶楽部切符で行く日帰り3城の1城目。甲府駅から上り坂の一本道をバスで8分、武田氏館に着く。100名城ガイドブックにある、西曲輪の枡形虎口、大手虎口前の復元土塁、水堀等を水堀を1周しながら概観した。空堀の内側にある、最も中心部の天守台や館跡が神社の私有地なのか見学できない。武田神社宝物殿で「昆」と「風林火山」の旗を見て溜飲を下げようとした。
甲府城
2012年6月16日
武田氏館からバスで甲府駅北口にある稲荷櫓へ。受付の方の丁寧な説明から、甲府城が中央本線、身延線によって分断されたのは残念だが、鉄門をH25までに復元するなど、積極的に整備を進める甲府市民の心意気が伝わった。見事な石垣だけにこれからの復元を期待したい。武田氏館との違いを感じた。
萩城
2012年8月3日
家族旅行を兼ねて西中国5城訪問3泊4日の旅の1城目。羽田から石見・萩空港、レンタカーで1時間15分で萩到着。松下村塾や伊藤博文旧邸の見学を経て、いざ萩城へ。駐車場は下城後立ち寄ることにして入口の土産物店へ。天守台跡に上り周囲を見渡すと小さいながら縄張りの一端が垣間見える。毛利家の栄枯盛衰と明治維新の立役者を排出した城下町を感じた。
津和野城
2012年8月4日
萩から9時のリフト開始時間に合わせて移動。リフトの改札口のおじさんがにこやかに対応。天気も良く気持ちよく登城。本丸から眺める、周りの山々、前方の川、川に沿って広がる城下町などは武田城を想起させる。山城の石塁はその建設困難さからより美しさを感ずる。森林太郎(鴎外)の愛する町だった。
松江城
2012年8月5日
8時前に県庁隣の武道場駐車場(無料)に車を置き、本丸開門時間の9時前に千鳥橋から登城。南口門から南櫓、中櫓、太鼓櫓、三ノ門跡、脇虎口門跡、北の門跡を回り、現存12天守の松江城に入場。5重6階の内側の展示は必要最小限で歴史を際だたせていた。望楼は安全に留意し四方が開放され、気持ちよい風が吹き抜け、しばし殿様の気分を味わった。
月山富田城
2012年8月5日
戦国の世の盛衰を感ずる尼子氏の居城であった月山富田城へ。安芸歴史資料館の職員から山中御殿下の民家が観光客のために進行右に無料駐車場を造営したこと、本丸跡から月山富田城跡が地図上にあるが道らしい道はないこと、縄張りは周囲の山々まで及んでいることを聞き登城した。本丸跡から周囲の山々を見渡し、しばしその壮大さを連想した。
鳥取城
2012年8月6日
月曜だったので、市役所本庁舎1階総合案内所でスタンプを押しパンフレットを頂く。県立博物館の無料駐車場を紹介されるなど気持ちよい対応に感謝。昼過ぎに、北御門から、二ノ丸、三ノ丸、天球丸を経て汗を吹き出しながら山上ノ丸へ。西北に日本海も見える周囲を見渡せる山城であるが故に、秀吉の陣や動きが見えて、物心両面の「渇え殺し」の様子が伝わった。
安土城
2012年9月7日
大阪城から電車で近江八幡駅へ、レンタカー20分程で安土城到着。ウィークディーで人も少ない。天主に向かい、天下を取った信長や秀吉、家康が歩いた、道幅広く、また各段の幅が広く上りづらい大手道を石垣と名だたる武将の屋敷を確認しながら登った。礎石しか残らない天主台は空想をかき立てる。ただ、信長廟前にある無人のスタンプ台は天下統一の武将にそぐわない。
大阪城
2012年9月7日
近畿西部5城(1泊2日)の1城目。今回は、天守中心ではなく、平城にあって二重の巨大な堀や連続する高石垣、現存する千貫櫓など、広大な縄張りを体感した。また、スタンプのため登城した天守閣5Fの大坂夏の陣屏風から、当時の生々しい落城の様子が伝わってきた。
観音寺城
2012年9月7日
安土城からレンタカーで4時15分に観音正寺へ通じる有料道路ゲート到着。係のおばさんから4時30分までに戻れないのでだめと言われたが4時45分までに戻ると約束して大急ぎで正寺へ通じる駐車場へ。時間を気にしての厳しい登りでへばってしまい、観音正寺境内の誰もいない休憩所でスタンプ(印影ok)を押してUターンした。
岐阜城
2012年9月8日
近畿西部5城の2日目、4城目。夏季期間でないためか15分でなく30分毎のロープウェーで雨模様の岐阜市内を下に見ながら昇る。天守隣の資料館でスタンプ(無料)を押す。スカイツリーの初日と同様?生憎の天候で下界が見づらく天守には登らず。ロープウェーからの眺めで道三、信長の思いを考えてみた。
小谷城
2012年9月8日
近畿西部5城の5城目。みなさんの記録で、時間(11:00〜12:45)はかかるが小谷城バス(500円は安い)でボランティアの説明を聞いての登城のよさを知り、二条城の計画を後日にした。アドバイス通り、天候にも恵まれ、目の前の虎御前山に信長が大軍を陣を張った状況が伝わり気持ちがタイムスリップした。
松阪城
2012年11月2日
近畿北・東・南部5城(1泊2日)に1城目。伊丹空港からレンタカーを使い2時間弱で隣接の市営病院の無料駐車場に到着。小山に石垣を巡らせて造った防御の城。天守跡に立ち、蒲生氏郷がこの地から会津若松へ赴く距離と時間の長さ、蒲生家のその後の短い栄枯盛衰が気になった。
伊賀上野城
2012年11月2日
松阪城から高速道と変わらない国道25号を使い1時間弱で伊賀上野城へ。ウィークディーだったので忍者のパフォーマンスはなかった。私人が建てた模擬天守故か、駐車場(300円)天守入館料(500円)。歩いて隣接の上野高校西側から濠を隔てた高石垣とその上に立つ天守等、藤堂高虎の造った城郭の一部を感じ取った。
高取城
2012年11月2日
2日の16:50に「夢創館」でスタンプを押す。遅れる連絡はしたが、終了時間を超えての対応と丁寧な説明にただただ頭が下がった。3日朝6:50橿原発、車で30分ほどで天守に一番近い駐車場(車は3〜4台駐車可)に着く。途中、10/31もとよしくんさんのアドバイス通り、一カ所分かりづらい二股道路(左の細い道が正解)があった。山城の概念を超える高石垣と縄張りの大きさだった。
千早城
2012年11月3日
高取城から1時間(9時半過ぎ)ほどで「まつまさ」に着く。色とりどりの服装のハイカーたちの多さにびっくり、何とか駐車することができた。城が神社に改変されており時間も押していたので登城しなかった。「まつまさ」の名物おばさんからパンフレットを頂き、スタンプを押した。
和歌山城
2012年11月3日
千代田駅(南海高野線)から電車を利用し1時間半で和歌山駅へ。駅からはバス(片道220円)を利用、歩いては遠い。天守群は復元されたものだが、御三家の居城らしく縄張りが大きく、庭園や大奥を持つ。きれいに保存されており、観光客ばかりでなく、市民もたくさん訪れているようだ。
山中城
2013年1月25日
大人の休日切符で小田原駅下車。レンタカーで東海6城(苗木城は雪で断念)を巡る。スタートは山中城。売店前にあるスタンプ台で押印。パンフレットを頂きに店内に入るといつものシャチハタスタンプが置いてあった、残念。冬の山中城は写真の緑ではなく薄茶色の景色だが土塁、空堀のようすがよくわかった。攻められにくいといっても7万の秀吉勢には多勢に無勢でひとたまりもなかっただろう。3名の職員が障子堀の樹木をきれいに整えていた。
掛川城
2013年1月25日
大手門Pから城までは距離があり、車よりJRが便利。スタンプは城入口でなく御殿入口にあった。2度目の来訪なので、天守閣からの眺望と二の丸御殿をじっくり見学した。幕末に再建され現存する二の丸御殿は、城主が厳しく言い渡す場面や隣接する控えの間でくつろぎ、また奥方と語らったり、賄方がそろばんを弾くようすなどが想起される風情のある御殿だった。
長篠城
2013年1月25日
100 名城に入っていないが、徳川家康が17年間居城した浜松城(工事中、天守には入れた)を散策後、長篠城へ。長篠城址史跡保存感でスタンプ押印後、曲輪のようすを見学。本丸の仲をJR飯田線が走っており、また切り立った断崖のようすは本丸からは見えにくかった。土塁や堀を含めじっくり歩いて確かめる必要があり、今回は時間的に断念した。車で2時間かけて恵那まで雪道(一般道)を山越えした。
岩村城
2013年1月26日
6〜7年ぶりの大雪だそうで苗木城行きは断念した。恵那のホテル7:15発、7:45岩村歴史資料館P着。足跡のない雪道を滑りながら25分登る。本丸6段石垣が雪景色の中から現れた。本丸から縄張りを概観する。3大山城を巡ってきたが、防御のためとはいえ高く険しい地形の場所に、よくぞ石を運び上げて造ったものと感心する。資料館には開館30分前の9時に入館し暖をとらせて頂いた。職員の方の計らいに心より感謝した。
高松城
2013年3月25日
3泊4日で四国9城+土佐中村城を巡る1城目。高松駅に近く、ビルと城とのマッチングがいい。天守の地下一階部分の土台から三重四階地下一階の天守の姿を周りの月見櫓や艮櫓から想像した。是非再建してほしい。海城故か、石垣がより頑丈に造られているように感じた。
徳島城
2013年3月25日
四国9城を巡る2城目。月曜のため博物館はお休み。駐車場受付でスタンプを押す。天守跡は東二ノ丸にあり、山頂に広いスペースを持つ本丸はどのように利用されていたのか気になった。眉山山頂から城を見てみたかったが時間の関係で断念した。
高知城
2013年3月26日
四国9城を巡る3城目。朝の入城は静かで落ち着き、古きよき時代の余韻が味わえる。8時前に追手門から入城する。現存天守をはじめ本丸御殿や多くの門、櫓などが残っているため、当時の状況が身近に感じた。写真撮影数も多くなり再訪したい城となった。桂浜公園で坂本竜馬に会い土佐中村城へ行く。途中、思い出の須崎市で一休み。沈下橋を見ながら車で四万十川沿いの狭い道を宇和島まで走る。
宇和島城
2013年3月27日
四国9城を巡る4城目。あいにくの雨模様で天守からの眺望は限られたが、だれもいない早い時間に登城するのはやはり落ち着き、当時の状況に身を置きやすくなる。本丸の桜と雨と現存天守のコントラストが残像として残った。五角形平面の縄張りを歩いて、総郭の半分が海に面する海城だったことを確かめることは次の機会に委ねた。
大洲城
2013年3月27日
四国9城を巡る5城目。今回の城めぐりで気持ちよく落ち着いて登城できた城である。造られた感はあるが、天守から縄張りの全容を見ると城郭の大きさがわかる。また、肱川を挟んで対岸から眺めると守りに配慮した城であることがわかった。町の雰囲気は時間が止まったような何ともいえない穏やかさがあった。
松山城
2013年3月27日
四国9城を巡る6城目。ロープウェーが前日リニューアルし、眺望よし。山頂駅から天守群にたどり着くまで隠門や戸無門をはじめたくさんの櫓や門、石垣があり、守りの厳重さを感じながらの登城だった。国指定史跡とされ、重要文化財21棟を持つ存在感は十分に感ずることができた。蒲生氏が一時城主だったことも身近に感じた。
湯築城
2013年3月27日
四国9城を巡る7城目。資料館職員の丁寧な説明に秀吉時代以降埋もれてしまった歴史を再興しようとする思いが伝わった。公園となっているが、堀や土塁はきれいに残っており、復元された土塀・土塁・排水溝と共に当時を偲ぶことはできた。
今治城
2013年3月28日
四国9城を巡る8城目。松山を7時少し前に出発、8時に到着。▼海水故か職員の方が海草を取り除いていた。堀の端に海水の取水口があり海城であることがわかる。天守閣にはVTR視聴後、9時入城のところ15分前に入れて頂いた。天守から見るときれいな縄張りであったことがわかる。広い二ノ丸に馬に跨った見事な藤堂高虎像が立っていた。
丸亀城
2013年3月28日
四国9城を巡る9城目。重要文化財の大手一の門、二の門を過ぎると階段ならぬ急な平面な道を下を向きながら登り、顔を上げると見事な石垣が目の前に。とにかく石垣の高さ、長さ、多さは小さな天守と好対照を示している。天守は有事の際にしか使われなかっと思わせるほど小ぶりだった。雨が上がり、本丸の桜と天守、天守からの絶景が印象に残った。
福山城
2013年5月25日
広島3城と岩国城を1泊2日で巡る旅。広島空港からレンタカーで隣接の県立歴史博物館に駐車(1h 300円)。歩いてすぐに重要文化財の伏見櫓、筋鉄門、鐘櫓(市重要文化財)がある。さすがに筋鉄は錆びつき柱自体も古さを感ずるが、敵を寄せ付けないとの筋鉄の強さが伝わってきた。復元天守閣(スタンプ入口、福山城博物館)の陳列資料は城に関わるもの、城以外の資料は県立歴史博物館とした方がわかりやすい。
郡山城
2013年5月25日
福山城からの移動。安芸高田市歴史民俗博物館正面の「選出日本百名城郡山城」の旗が目に入る。受付でスタンプを押し、案内図を頂く。毛利氏関連資料がわかりやすくまとめて展示してある。古文書を読み解く映像資料などもあり、入館料300円は安い。市民の大切にしたい思いを感じた。毛利元就墓所は枕木を縦にしたようなごついバリケードに守られ、大切に保存する責務が伝わった。本丸から見渡せる二ノ丸、四段に分かれる三ノ丸が破却され崩れ落ちた石垣の残骸と共に、当時の勢いの一片が偲ばれる。清神社で三本の矢を購入し、岩国に移動。
岩国城
2013年5月26日
ホテルを早めに出発。7:20ロープウェーPにレンタカーを駐車。9時のロープウェー始発前に、ひと気のない錦帯橋(24h通行可)や、吉香公園、吉川氏ゆかりの施設を散策し、今に息づく歴史を感ずることができた。ロープウェー頂上駅から右の山道を通って5分で天守閣へ。左は広い道で歩きやすいが、山道の方が途中本丸南側にある石垣が出現し、天守を仰ぎ見えるのでお勧めしたい。復元城より石垣だけが残っている天守跡が当時を想起させた。
広島城
2013年5月26日
隣接の市中央駐車場(地下)にレンタカー(料金:天守2F売店で30分の割引券を頂いて2h,360円)を置き、裏御門跡、小天守跡、天守閣、二ノ丸、復元なった表御門、太鼓櫓、平櫓を巡る。天守閣から眺めると、平城所以の広い本丸と内濠、今は埋められた中堀、外堀を含めた1キロ四方といわれる城全体の曲輪の広大さが感じられた。
根室半島チャシ跡群
2013年10月19日
10/19 12:20釧路空港着、レンタカーで釧路湿原を展望台から一望し、農村道路を通り、16:15根室歴史と自然の資料館に着く。展示物は整理中で見られなかったが、地図で説明を受け、スタンプを押して車で1分の根室車石へ行く。飲み込まれそうな広大な海原と人間が作った小さい花咲漁港のコントラストが印象に残った。20日5:35 納沙布岬から日の出と歯舞群島の水晶島と貝殻島を間近に見て、その足で誰もいないオンネモトシャシとノツカマフ1,2を歩く。写真のイメージより小さい砦だった。地形からも人口は昔も今も変わらず少ないように感じた。少ない人数でロシア人や和人の侵入を阻んだアイヌの人々の生死をかけた戦い、緊張感が伝わった。その後、旅館主人に勧められた春国岱原生公園と野付半島を巡り、釧路空港(2時間遅れのハプニング)から岐路に着く。
首里城
2014年4月24日
2泊3日の予定で沖縄3城+8グスクを巡るお城ツァーを敢行。津波がきたら海抜高度が低い沖縄は一たまりも無いとの食堂のおじさんの話から城の防御に興味を感じ、まず首里城へ。守礼門、正殿等建築は中国の影響が色濃い。石垣は来る人に圧迫を感じさせないようカーブさせている。その優しさが薩摩の島津氏に滅ぼされた所以か。市街地にあり山城の感じがあまり伝わってこなかったが、できるだけアップダウンの場所に、そして石垣はできるだけ高く周囲を巡る形とする防御の考えは良く分かった。
その後、座喜味城(おススメ)、名護城を回った。
今帰仁城
2014年4月25日
早目にホテルを出て今帰仁城に一番乗り。入場券に資料館も含まれ楽しめた。整えられた入口よりも閉ざされた旧道(立入禁止)を通ってみたかった。海に面し、三方は石垣を高く造り防御を固めている。首里城、座喜味城と同様、城壁は中国の万里の長城のような丸みを帯びた曲線だ。敵の顔が見え陣容がわかる高さだ。戦を近く感じた。
中城城
2014年4月25日
海に面し高く険しい地形を巧みに利用した縄張は美しさを感じた。特に、曲線の城壁は沖縄ならではのものがあり、野面積でありながら異国の趣があった。首里、今帰仁よりも城の位置が高く感じた。石垣を巡らした縄張りは、当時の決して多くなかったであろう人口から城造りの大変さも伝わってきた。
 これで残すのは、中・南九州5城となった。
飫肥城
2014年8月2日
 中・南九州5城登城の旅(3泊4日)。台風12号の影響でフライトが懸念されたが、酷暑の羽田を出発、雨の宮崎へ無事到着、レンタカーで飫肥城へ。大手門と虎口、松尾丸の苔むした石垣、小学校校庭となっている本丸等を歴史資料館(スタンプ)の歴史地図を頼りにタイムスリップしてみた。雨模様になったので武家屋敷は車で回ったが、城下町はじっくり見て回りたいところである。
鹿児島城
2014年8月2日
 飫肥城から1時間50分かけて断続的に雨模様の鹿児島城へ。武将達が毎日のように仰ぎ見ていた桜島がよく見えなかったのは残念。本丸(駐車代無料)にある歴史資料センター黎明館でスタンプを押し、豊富な資料から近世を中心に史料を見る。隣接の御楼門跡、石垣、水草で覆われる堀等からしばし幕末に思いをはせた。西郷隆盛終焉の地、城山の大きさを感じながら宿泊場所の人吉へ移動。
人吉城
2014年8月3日
 早朝の城散歩はどしゃぶりのため残念。8時過ぎ(駐車代無料)から1時間程度の予定で登城を開始したが、再建された角櫓、長塀、多門櫓以上に、草で覆われた石垣や草だらけの登り道や空間のみの三の丸、二の丸、本丸などが当時をそのまま遺している感じがして気持ちを委ねることができた。時間に追われて資料館入口でスタンプのみ。2時間以上じっくり見てまわりたい城と悔やんだ。
熊本城
2014年8月3日
 99城目の城となった。熊本城は宇土櫓はじめ12の櫓が現存、大天守、小天守の他6つの櫓や門が復元、さらには本丸御殿が大広間の復元と共に完成しており、より当時の状況がわかることが素晴らしい。特に西南戦争でも越えられなかった高い石垣、3つの大きな城があると見まがうような宇土櫓、大天守、小天守の大きさは日本一ではないか。本丸で時間を忘れて佇んだ。本丸御殿の大広間も必見である。
島原城
2014年8月4日
記念すべき百城目は親しい友が住む島原の城となった。朝、熊本からフェリーで島原外港、レンタカーで原城へ。2万を超えるキリシタンが惨殺され、天草四郎が捕らえられた本丸から幕府軍の陣地を見、有馬キリシタン遺産記念館で詳しい説明を受けた。島原市へ戻り、島原城登城。堀と総石垣、天守と櫓49棟を建て並べた威容は、やはり知行4万石の城郭ではないように感じた。城下の民から不満が起ったのは理解できる。天守の前で忍者姿のスタッフの発案で家族と共に「百名城達成エイエイオー」で記念写真を撮り締めくくった。