江戸城 2012年3月20日 | 1城目。 2月11日の建国記念日に妻と2人で皇居東御苑を見学しました。運良く宮内庁のボランティアガイドさんのガイドの時間に遭遇し、説明を聞きながら回ることが出来ました。 東御苑は2人とも2回目でしたがスタンプ帳を入手していなかったので、3月20日の春分の日に、両親のお墓参りの帰り、スタンプ帳を持ってもう1度皇居前を訪れ、楠公休憩所でスタンプを押し、記念すべき第1城目をスタートしました。スタンプのインクは充分でした。 100名城登城の先は遠いですが、夫婦2人で楽しみながらゴールを目指して行きます。 |
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佐倉城 2012年4月8日 | 2城目。義父の3回忌に行く途中に立ち寄り登城。国立歴史民俗博物館は2回来ているが、隣りの佐倉城址公園は初めてです。丁度、本丸跡で桜祭りが開催されていて大勢の人が来ていました。 スタンプが置いてあるプレハブの管理事務所は自由広場(無料駐車場・埃っぽい)の片隅にありました。歴博の駐車場(舗装・無料)の方へ車を止めたので、階段を下って姥が池の脇に出て、また階段を上って自由広場側に出ましたが、5分ほどの、のどかな気持ちの良いコースでした。 スタンプを押してから、空堀や土塁・天守跡・堀田正睦とハリスの銅像を見て回りましたが、桜がほぼ満開で楽しめました。 |
水戸城 2012年4月29日 | 3城目。連休で家に帰って来た娘と家内を連れて登城。 三の丸の弘道館の無料駐車場に車を止め、本丸橋(下は道路・空堀跡)を渡り二の丸を通って、さらに本城橋(下はJR水郡線・空堀跡)を渡って水戸一高敷地(本丸跡)内の薬医門を見学。水戸一高をはじめ、この短い距離にいくつもある学校の生徒は歴史あるなんとすばらしい環境で学んでいることか。 弘道館に戻って敷地内を見学。先の大震災で弘道館もかなりの被害に遭い、まだ修復されていないので、建物内部には入れず、周りを一周して質実剛健な水戸藩士を育んだ往時の弘道館に思いをはせた。 その後、三の丸の旧県庁脇の空堀を見て、何度も来ている偕楽園には寄らずに笠間の陶炎祭に向かった。 |
鉢形城 2012年5月17日 | 4城目。3の曲輪の前の無料駐車場に車を止め、ずっと下に下って深沢川を渡り、外曲輪の所にある鉢形城歴史館にてスタンプをゲット。 蛇行する荒川に断崖で接し、深沢川の渓谷に挟まれた天然の要害であることが良く分かりました。かなり広大な城域で、歴史館の方の話では、発掘できたのはまだ一部で、発掘事業はまだまだ長くかかるそうです。大変ですが、全容が判明するのが楽しみです。 帰りに、荒川対岸の河原(玉淀)に車で降りたら、5月13日(日)に開催した「北条祭り」に使用した模擬の大砲等が残っていました。 |
川越城 2012年5月17日 | 5城目。川越城本丸御殿にてスタンプ押捺。本丸御殿や喜多院等は前に見学済みのため御殿内部の見学はせず。中の門の堀跡を見て、有名な「時の鐘」の方へ向かった。 |
箕輪城 2012年7月15日 | 6城目。高崎市役所箕郷支所の(日曜日のためか)隣りの箕郷公民館でスタンプを取得。搦手口(搦手口の登り口にも無料駐車場あり)から車で登り、二の丸駐車場(無料)に駐車。ボランティアの方が100名城のスタンプを押したパンフレットを配っていました。元高校の先生(理系)とのこと。 遺構としては一部発掘された低い石垣・長野氏最後の城主長野業盛が落城時に、敵に汚されてなるものかと代々の墓石を投げ込ませた井戸・最大の特徴である大規模な堀など。 入り組んだ深い堀で防御した本丸・二の丸・三の丸・各曲輪等の縄張りを見て、長野業政が武田信玄の数度の攻撃を退けたことに思いを馳せました。 |
金山城 2012年7月15日 | 7城目。家内と二人で登城。20年ほど前に小学生の次男と二人で、龍ケ崎の金龍寺に新田氏及び横瀬氏・由良氏の慰霊碑・墓がある由来を調べるために来たことがあります。そのころと比べると、見違えるほど整備されていることに驚きました。 いろいろ工夫されていて攻めにくい山城であることは以前もわかりましたが、なお一層、難攻不落の城の縄張りの様子が良く判りました。 |
足利氏館 2012年7月15日 | 8城目。 車で箕輪城・金山城を巡ってから登城。山城の後の市街地のお寺(鑁阿寺)なのでまるで違った感覚。鑁阿寺(足利氏館)でスタンプを取得してから日本最古の学校である足利学校を見学しました。 足利では、藤の花の時期等の足利フラワーパークや栗田美術館なども見所ですが、前にも来たことがあり時間も遅くなったので今回は省略しました。 |
掛川城 2012年7月28日 | 9城目。家内、娘とともに登城。 復元とはいえ、立派な天守閣で上からの眺めは良い。また、今に残る二の丸御殿は良く保存されていて、川越城の本丸御殿を思い出しました。 それにしてもすごく暑くて、帰りにお城の近くの茶店で食べたカキ氷(宇治金時)がうまかった。 |
駿府城 2012年7月28日 | 10城目。家内と娘とともに登城。 スタンプがある場所がわからず、暑い最中、広い駿府城公園内を一周して東御門の券売所にようやくの思いでたどり着きスタンプをゲット。さすが大御所家康公の隠居所で、広かった。 |
小田原城 2012年7月31日 | 11城目。小田原城は学生時代を含めて3回目の訪問でしたが、今回は妻・娘と一緒の登城。 小田原城は武田信玄や上杉謙信も落せなかった難攻不落の城であり、天守閣から相模湾を望みながら、後北条氏が関東各地に勢力を伸ばした戦国の世に思いを馳せました。 |
八王子城 2012年9月22日 | 12城目。妻・娘と3人で登城。 JR中央線高尾駅からバスに乗り、「霊園前」で降り、約20分ほど歩いて八王子城跡の管理棟に着きました。 八王子城は典型的な山城で、天然の地形を生かした広大な城でした。幸い、管理棟のボランティアの方が案内してくれましたので山の中を効率的に回ることが出来ました。 帰りはJR中央線で東京駅に出て、東京駅丸の内駅舎保存・復元工事の完成記念イベントのトウキョウステーションビジョンを見て帰りました。 |
伊賀上野城 2012年10月6日 | 13城目。伊勢志摩観光を兼ねて家内と二人で登城。 藤堂高虎の縄張りによる30mの高石垣が見事で、石垣の端に立つと柵がないので怖いぐらいでした。また、昭和になって復興した天守閣ですが、天守閣復興を祝う各天井の大色紙(1m角)を送った各界著名人のそうそうたる顔ぶれに驚きました。 帰りは、同じ上野公園内にある俳聖松尾芭蕉を顕彰した俳聖殿と街中にある松尾芭蕉の生家を見て回りました。 |
松阪城 2012年10月6日 | 14城目。伊勢志摩観光を兼ねて家内と二人で登城。 幾重にも築かれた石垣が見事で、さすが蒲生氏郷の城。移築された本居宣長の旧宅も一緒に見学。また、歴史民族資料館も見学しました。 |
名古屋城 2012年10月9日 | 15城目。 伊賀上野城・松阪城の登城と伊勢・志摩観光の帰りに妻と一緒に登城。 再建とはいえ、徳川家康が豊臣方への備えとした城だけあって巨大な天守閣でした。各隅櫓等を巡ってから本丸御殿の復元工事現場を見学して名古屋駅に戻り、駅ビル内で味噌カツ定食を賞味して帰京の途につきました。 |
山中城 2012年12月31日 | 16城目。 旧東海道さらに現代の国道1号を取り込んだ縄張りは、まさに北条氏の箱根の守りとしての城であったことが理解できます。また、障子堀・畝堀は良く整備されていて土塁・空堀による北条氏の築城の仕方が良く判ります。 無料駐車場が山中城跡を分断している国道1号の両脇にあり、スタンプは旧東海道がある側の駐車場の売店(年末のため売店は閉鎖)の外に下げてありました。 |
松代城 2014年5月24日 | 17城目。所用で長野市へ行く機会に車で信州の4城に登城することにしました。 車を松代城跡隣りの池田満寿夫美術館駐車場(無料)に止めて、まずは松代城管理棟にてスタンプをゲット。太鼓門から入り、本丸戌亥隅櫓台や長大な土塁などを見て回り平城であることを実感しました。本丸戌亥隅櫓台からは遥か彼方に北アルプスの峰々(鹿島槍ヶ岳方面か)が眺められました。 城跡から歩いて真田邸(史跡松代城跡附新御殿跡)に行き見学した後、松代城跡を離れてJR長野駅へ向かいました。 |
松本城 2014年5月25日 | 18城目。 松本城は3度目ですが、現存天守閣があり国宝の城、やはり美しい城です。 昔に比べると外国人がすごく多くなったようです。現在、石垣の改修工事中でやや残念でしたが、平成27年3月までの予定だそうです。 |
上田城 2014年5月25日 | 19城目。松本城に続いて車で登城。 櫓チケット売り場でスタンプをゲット。真田丸の大河ドラマ決定で盛り上げのパフォーマンスをやっていました。櫓門石垣の真田石をなど確認して真田神社にお参りしました。 それにしても、当時とは淵や堀など様相がまるで違うにしてもこんな小さな城で2度にわたって徳川の大軍を退けることができたのか、真田武士の知恵と強さに驚きました。 |
小諸城 2014年5月25日 | 20城目。車で上田城から移動し登城。小諸城は2回目の訪問。 小諸城は、大井氏の鍋蓋城や乙女城を武田信玄が攻略し拡張・整備した城で、関ヶ原の合戦の際には、中山道経由で関ヶ原へ向かう徳川秀忠の38,000もの軍勢が本陣を置いて真田昌幸・信繁が籠る上田城を攻略しようとしてできず、関ヶ原の合戦にも遅参して父家康が激怒したと云われる因縁の城だそうです。昨日登城した、関ケ原合戦当時徳川方の海津城(松代城)もあわせて、それぞれの城の歴史に思いを馳せました。 三の門と「懐古園」の扁額・野面積石垣の天守台などを見て、水の手展望台から千曲川を眺め、城下町より低い穴城であることを実感しながら線路の反対側の大手門も見学しました。 |
月山富田城 2014年8月3日 | 21城目。 米子空港からリムジンバスで全日空ホテル・全日空ホテルからシャトルバスで足立美術館に行き足立美術館を見学。足立美術館の庭園は必見。 足立美術館の川向うからイエローバスで安来市立歴史資料館へ行きスタンプをゲット。 資料館の職員の方に親切に説明していただき、しかも、あいにくの雨のため荷物を預かっていただき富田城へ登城しました。尼子氏の拠った富田城全体の縄張りを見たかったが、雨で足場が悪いので今回は山中御殿までで引き返す事にしました。 |
松江城 2014年8月4日 | 22城目。 月山富田城からバス・電車を乗り継いて松江城に登城。ボランティアガイドさんが丁寧に案内してくれました。 現存12天守の1つであり、姿が良いだけでなく大井戸・石落等の工夫や優れた縄張など防御性の高い城でした。 今日は松江市内に宿泊して、明日は武家屋敷・小泉八雲の旧居等松江市内を観光してから出雲大社にお参りします。 |
白河小峰城 2014年8月15日 | 23城目。 JR白河駅隣の白川観光物産協会にてスタンプをゲット。綺麗なスタンプで物産協会のお姉さんによると二代目だそうです。パンフレットをいただき、何か懐かしい感じがする白河駅の駅舎を見てから車でお城へ向かいました。 お城の駐車場は無料でした。震災で崩れた石垣の復興工事中で、お城の中には入れませんでしたが、見事な石垣を配した素晴らしいお城であることは良く分かりました。復興後にぜひ再訪したいお城です。 |
二本松城 2014年8月15日 | 24城目。 二本松市歴史資料館にてスタンプ押捺。車で本丸天守台下駐車場まで登り、まずは本丸から登城。天守台からの眺めは最高。 その後、下に降りて箕輪門近くの駐車場に車を止めて、少年隊の像に戊辰戦争の悲劇を思い起こしながら箕輪門から再登城し、見事な石垣を見て回りました。 |
会津若松城 2014年8月15日 | 25城目。車で白川小峰城・二本松城を回って本日3城目。 鶴ヶ城は人生3度目の訪問ですが、夏休み中ということもあって、暑い真夏にも拘らず今までで一番人が多くて落ち着いて見て回ることができなかったが、その縄張りは戊辰戦争にて圧倒的な火力の官軍の攻撃に1か月も耐えた名城であることはわかりました。 |
武田氏館 2014年9月20日 | 26城目。 車で昇仙峡を観光してから武田氏館(武田神社)に登城しました。現在は神社になっていますが、水堀で囲まれた方形館の姿が良く判ります。 信玄公の時代に思いを馳せながら、信玄公御使用井戸・姫の井戸・大手口の土塁などを見て回りました。 |
甲府城 2014年9月20日 | 27城目。 武田氏館に次いで、市役所駐車場に車を止めて登城。石垣が立派でした。 |
五稜郭 2014年11月7日 | 28城目。 北海道ツアーで訪問登城。 まずは五稜郭タワーに登って、五稜郭全体の形を眺めてから五稜郭に登城。稜堡や武者返しの石垣等を確認し、箱舘戦争で使われた大砲2門・五稜郭を設計した武田斐三郎の顕彰碑・復元された箱舘奉行所などを見て回りました。 |
大野城 2015年1月12日 | 29城目。九州8城巡りのスタート。 家族(妻・娘)と共に、福岡空港からレンタカーで登城。上り坂の途中で百間石垣を見つけたので、あいにくの雨だったが車を止めて見学してから四王寺県民の森センター管理事務所へ行き、スタンプを押捺するとともに職員の方に案内図をいただき説明してもらいました。センターの前には、宇美口城門の門礎が置いてありました。更に車で登って、尾花地区の土塁や増長天地区建物群の礎石群を見て回りました。まさに広大な山城で、「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗を喫した大和朝廷の衝撃と緊張感を想いました。 その後、四王寺山(大野城)を降り、受験生等で賑う太宰府天満宮に寄ってから大宰府政庁(都府楼跡)に行きました。 |
福岡城 2015年1月12日 | 30城目。 大野城に続き登城。福岡市美術館の駐車場に車を止めたが、スタンプのある鴻臚館跡展示館の場所が分からず広い福岡城の周囲をほぼ半周回ってしまった。 その石垣群から壮大な城であったことは推定されます。発掘中の鴻臚館跡も今後の調査・整備が楽しみです。 |
吉野ヶ里 2015年1月13日 | 31城目。 レンタカーで登城。駐車場の受付の方に、本日第一号だと云われました。 広く、良く整備されていて、「魏志倭人伝」に記載されている弥生時代の「クニ」の様子が良く判ります。吉野ヶ里の環壕集落を見て、あらためて「城」の目的を思い起こしました。 |
佐賀城 2015年1月13日 | 32城目。 九州8城巡りの4城目、吉野ヶ里に続いて登城。 鯱の門や天守台、復元された本丸御殿(本丸歴史館)を見て回りました。鯱の門には、江藤新平の「佐賀の乱」の際の弾痕が残っていました。 |
名護屋城 2015年1月13日 | 33城目。 レンタカーで登城。九州8城巡りの5城目。名護屋城博物館は工事中でしたが、女性の職員の方が、スタンプ押捺だけでなく館内の見学もさせていただけました。 数か月で築いたとは思えない広大な縄張りの城で、天守台からは呼子大橋・玄界灘が一望でき、まさに「太閤が睨みし・・・」でした。 |
平戸城 2015年1月14日 | 34城目。 レンタカーで登城。九州8城巡りの6城目。夜はライトアップしていて対岸のホテルから幻想的な平戸城天守が眺められました。現存建物の北虎口門・狸櫓等を見て回りましたが、天守は耐震工事中のため入れませんでした。明治天皇の祖母(中山愛子)が平戸・松浦家の出身とのことで、二の丸に石像が建立してありました。 |
島原城 2015年1月15日 | 35城目。 平戸城に続いてレンタカーで登城。九州8城巡りの7城目。 確かに、松倉氏、4万石の大名には分不相応な立派な城で、「島原の乱」の原因にもなった、というのも判る気がします。 |
熊本城 2015年1月15日 | 36城目。 島原城に次いでフェリーで熊本へ。九州8城巡りの最後8城目。さすが築城の名手加藤清正の城、大きく、美しい。特にほぼ現存と云われる清正流の石垣が素晴らしい。 最終日は、水前寺公園にも寄って、熊本空港から羽田へ向かいました。 |
高遠城 2015年4月12日 | 37城目。自宅から車で、途中の山中でニホンカモシカに遭遇して驚いたりしながら約5時間かけて早朝4時に到着。桜が満開の日曜日とあって、6時の開門にも拘らず駐車場は既に行列でしたが、早めに(5時30分ころ)開門してくれて、大手門跡・藩校進徳館を通って、P4駐車場に入れました(700円)。 天下第一と称するだけあって満開のタカトオコヒガンザクラは素晴らしく、特に白兎橋や本丸跡からの、満開の桜の間から見る冠雪した中央アルプスには感動しました。高遠町歴史博物館でスタンプ押捺し、絵島囲み屋敷を見学してから街中でソースかつ丼を賞味して帰途につきました。 |
根城 2015年4月26日 | 38城目。松前城と北東北の4城登城を目指して、上野駅から新幹線で八戸駅到着。八戸駅前東口1番乗り場から田面木経由南部バスで根城(博物館前)下車。 根城は北畠顕家に従い奥州における南朝方の中心的な人物であった南部師行によって築城されたとのことで、中世城郭の様子が良く復元整備されており、丁度、数多くの枝垂れ桜が満開でした。 それにしても、北畠顕家は、奥州のこの地・関東・鎌倉・京・伊勢・大和・泉州と転戦し獅子奮迅の働きをするとともに、後醍醐天皇に激越な諌奏文を上奏しており、根城跡に登城して、あらためてその人物像に思いを馳せました。 |
松前城 2015年4月27日 | 39城目。八戸・根城に続き松前城に登城。八戸駅から青い森鉄道で約1時間半かけて青森駅へ。青森に一泊して、青森駅からJR津軽海峡線特急白鳥にて北海道・木古内へ渡り、木古内駅前から函館バスで約1時間半、松城で下車。 松城バス停は道路下の旧波止場跡を波が洗う海岸脇で、反対側の高台に松前城天守閣が見えました。まさに海への防備に主体をおいた城で、天神坂を登って、天神坂門・搦手二の門を通って満開の桜の中を天守閣等本丸内・後方の寺町・町村記念公園・松前藩屋敷など見て回りましたが、戊辰戦争の際、土方歳三らの少数の旧幕府軍に背後から攻められて落城したのも分かる気がしました。 |
弘前城 2015年4月28日 | 40城目。青森駅からJR奥羽本線で約45分、弘前駅へ。弘前駅前のバスターミナルから市内循環100円バス(土手町循環バス)で約15分市役所前下車し、追手門から登城。残念ながら今年の桜の開花は早く、枝垂れ桜以外は散ってしまっており花筏状態でしたが、本丸からは冠雪した岩木山が見えて感動しました。 その天守は簡素で小規模ながら現存12天守の一つとして貴重なものであり、追手門などの門や未申櫓等の櫓なども良く残っていました。然しながら、今年から天守を移動させて大規模な修復工事に入るとのことですが、まさに石垣は痛々しいほどに膨らんできていました。 |
久保田城 2015年4月28日 | 41城目。弘前城に続いて登城。弘前駅からJR奥羽本線で約3時間かけて、午後3時40分頃秋田駅に到着。スタンプが置いてある佐竹資料館・久保田城御隅櫓とも閉館時間が4時30分のため、取り敢えずホテルに荷物を預けて、急いで徒歩にて登城。先ずはスタンプを佐竹資料館でゲットし、唯一藩政時代から残っている御物頭御番所・表門を通って城内奥にある御隅櫓に何とか登ることができました。御隅櫓を出てからは、あらためてゆっくりと佐竹義堯公の銅像や八幡秋田神社などを見て回りました。 久保田城は石垣はほとんどない土塁による城ですが、各曲輪や櫓台の土塁が良く残っていました。また、関ヶ原の合戦以来の経緯から徳川幕府に配慮したためか、名門の戦国大名の城にしては質素に感じられました。 久保田城を下城した後、市内を散策しお多福できりたんぽ鍋を賞味してホテルへ戻りました。 |
盛岡城 2015年4月29日 | 42城目。秋田・久保田城に続き登城。秋田駅から秋田新幹線こまちにて盛岡駅へ。盛岡駅から盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りで約10分、「ななっく・盛岡バスセンター前」で下車し「プラザおでって」の2F「観光文化情報プラザ」でスタンプを押し、盛岡城跡公園ガイドマップや街なかグルメマップをいただき街中等の説明を受けました。時間があるので、先ずは街中を散策し「肉の米内」で盛岡冷麺を賞味してから登城。 盛岡地裁(南部藩家老北家の屋敷跡)の庭にある石割桜(国指定天然記念物)を見てから中央通りを反対側に渡って岩手公園(盛岡城跡公園)に入り、時鐘・櫻山神社・烏帽子岩を見て回り登城しました。石垣を殆ど使わず土塁による築城が多い関東・東北の城の中で、盛岡城は北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に築かれた見事な石垣の城でした。石垣に刻まれた石垣普請奉行銘を探すのも面白かった。 |
岐阜城 2015年6月21日 | 43城目。東海5城攻略の旅。茨城県から車で、途中休憩を入れて8時間以上かけて岐阜公園大宮町駐車場(普通車も数台可、普通車満車の場合は岐阜公園堤外第1駐車場)に到着したが、あいにくの猛烈な雷雨。ロープウェイは運行停止で頂上施設のスタッフも足止め状態で、スタンプゲットもできず絶望的な気分。暫く待ったが雷雨はおさまらないので犬山城へ転進。犬山城を下城した頃天候が急回復したので、再度岐阜城攻略に向かい登城。 岐阜城は最上階からは天下を見晴らすような眺めで、まさに織田信長の天下統一の第一歩に相応しい城でした。降りの途中には、信長時代の石垣や井戸の跡などがありました。 |
犬山城 2015年6月21日 | 44城目。車で登城。木曽川沿いの丘陵上に築かれた正に「後堅固の城」でした。あいにくの雨のため天守4階の廻縁に出ることはできなかったが、古い様式の姿の良い天守でした。 |
岩村城 2015年6月22日 | 45城目。近世城郭における三大山城の一つ。スタンプ設置場所の岩村歴史資料館が休館(月曜日)のため、少し手前にある恵那市役所岩村振興事務所に寄ってスタンプをゲットしてから岩村歴史資料館駐車場に車を止めて登城。岩村城登城口の標識岩の脇には「本丸まで8百米」の杭。以後、100メートル毎に標識杭があるので登り坂もあまり苦にならず、帰りの降りのほうが歩きにくくてきつかった。800メートル登る途中にはそこかしこに石垣があり、最後に6段壁に到達して感動。 この山城を攻略するには攻撃方の犠牲も多くなるので、武田方が攻めた時も織田方が攻めた時も、最後は条件付き降伏要求(落城後、双方ともに降伏条件を破ったようだが)になったことが分かる気がしました。 下城した後、岩村城下町の松浦軒本店でカステーラを買い、鳥兵で昼食をとることにしました。 |
岡崎城 2015年6月22日 | 46城目。馬籠宿近くの宿泊ホテルを車で出発し、馬籠宿を散策してから三大山城の岩村城を攻略した後、岡崎城を目指した。岩村城攻略に時間をかけすぎたので、岡崎城到着が天守閣入館受付の4時30分を過ぎてしまい、駐車場から本丸へ駆け上って何とか5時の閉館前に天守閣受付へたどり着き、閉館準備に入っていた職員の方にスタンプを出してもらいました。時間外で天守閣や家康館には入れなかったが、東照公産湯の井戸・東照公えな塚・家康公銅像・本田平八郎銅像等を見て回りました。 |
長篠城 2015年6月23日 | 47城目。宿泊の岡崎のホテルから車で登城。スタンプ設置場所の長篠城址史跡保存館が火曜日休館のため、長篠城址へ右折する直前の国道151号沿いにあるスーパー「ふぁすと長篠」でスタンプをゲットしてからの登城。 長篠城は一部の土塁と堀ぐらいしか残っておらず、しかも跡地内をJR飯田線が通っていましたが、良く見て回ると寒狭川(現在は豊川)と大野川(現在は宇連川)が合流する場所に突き出た断崖絶壁に守られた天然の要塞で攻めやすい平坦な北側を土塁や堀で防備した城だと判りました。帰りに川の反対側に回って(新東名高速の延長工事中)、鳥居強右衛門の磔の場所や二つの川の合流点の牛渕橋に行ってみました。 |
備中松山城 2015年7月26日 | 48城目。最も高いところに天守が現存する山城(標高430m〜松本城は標高590mの地に築かれているが平城)。 城見橋公園駐車場からシャトルバスで鞴峠(ふいご峠)へ行き、そこから天守まで700m徒歩20分。途中、中太鼓丸櫓跡で休憩しながら登ったが暑くてきつい。それでも大手門跡が見えてきた時は感動。天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀を建てた様は素晴らしい。一部現存の土塀を通り、同じく天然の岩盤上に建てられている二重櫓を見てから天守に登りました。二層二階の天守内には、珍しい囲炉裏や装束の間がありました。 備中松山城は、鎌倉幕府の地頭・秋葉三郎重信が延応2年(1240年)に(臥牛山の4つの峰の1つ)大松山に最初の砦を築いたのに始まり次第に縄張りは変化し、三村元親が大幅に手を加えて小松山(同じ臥牛山の峰)を中心とし臥牛山全体を要塞化した。 |
岡山城 2015年7月26日 | 49城目。日本三大名園の「後楽園」とセットで登城。復元天守ですが、後楽園の庭から望む岡山城や後楽園側から旭川越しに眺める岡山城も素晴らしい。 岡山城は宇喜多秀家が旭川河口部のデルタ地帯中央に本丸を建て、デルタ内西隣の石山城を取り込んで築城したとのこと。城内には宇喜多秀家の頃の石垣の一部が保存してありました。 姫路城と共に山陽道の押さえの重要な城で、関ケ原後は幕末まで、織田・豊臣・徳川の三代に亘って重用された池田氏の居城だった。 |
竹田城 2015年7月27日 | 50城目。100名城巡りの折り返し点が天空の城「竹田城」。マイクロバスで天空バス・チャーターバス専用駐車場へ。専用駐車場からは徒歩20分の登り坂で大手門入口(料金所〜スタンプあり)。暑かったが舗装された道なので歩きやすく、同じ20分でも備中松山城ほどきつくはなかった。竹田城は、標高353.7mの天守台をほぼ中心におく石垣城郭で、雲海の時期ではなかったが「天空の城」の名に相応しい眺めでした。 竹田城は、但馬守護の山名持豊(後の山名宗全)が緊張関係にあった播磨守護の赤松氏に対する最前線として室町時代中期の1400年代の中頃に築城し、太田垣氏を城主としたとのことです。 |
姫路城 2015年7月27日 | 51城目。平成の大修理の完成を待ってようやく登城。その圧倒的な規模の連立式天守に感動。惜しむらくはどんよりした空。天守内も渋滞し蒸し風呂状態。後日、空いた頃、季節の良い青空の時に再登城したい。 姫路城は、赤松貞範(後に美作守護)による貞和2年(1346年)の築城(砦?)に始まり、小寺氏(黒田氏)・羽柴氏を経て、関ヶ原の合戦後に池田輝政によって今日の大規模な城郭に拡張された。 |
多賀城 2015年9月1日 | 52城目。常陸国から車で、3月にようやく再開通した常磐道を通って登城。先ずは、国府多賀城駅2F改札口前でスタンプをゲットし、1Fの観光案内所のポストから(案内所はお休みだった)パンフレットを頂きました。多賀城跡管理事務所駐車場に車を止めて正殿跡・政庁に続く階段・「つぼのいしぶみ」道標・多賀城碑(壺碑)などを見て回りました。その後、車で、「末の松山」や「沖の石(沖の井)」など歌枕で有名な場所に寄りました。 多賀城は、陸奥国府と鎮守府を兼ねた城柵として神亀元年(724)に按察使大野東人が築城したとされ、平城京を中心として南の大宰府に比する大和朝廷の北の拠点であり、坂上田村麻呂・源頼朝・北畠顕家・大伴家持などが来ており、さらには松尾芭蕉と曽良も荒廃したこの地を訪れており歴史のロマンにあふれた場所でした。 また、1000年に一度の大津波であったという貞観大津波(貞観11年・869年)でも波が越えなかったと云われる「末の松山」を訪れて、2011年3月11日の東日本大震災の際にテレビで繰り返し放送された凄まじい津波の状況を思い出しました。 |
仙台城 2015年9月1日 | 53城目。多賀城に登城後、塩釜港のお寿司屋さんで昼食を済ませてから仙台城に登城。仙台城は2度目ですが、前回は「伊達政宗騎馬像」しか見ていないので大手門跡の大手門脇櫓(復元)や本丸北面石垣などを見てから伊達政宗公の騎馬像に拝謁し仙台城見聞館でスタンプをゲット。 ところで、仙台藩と小生在住の常陸国龍ヶ崎には伊達政宗以来の繋がりがありました。慶長11年(1606年)徳川家康が伊達政宗に常陸国河内郡龍ヶ崎村を含めた26ヶ村・1万石を飛地として与えたので、仙台藩は龍ヶ崎城跡近くに陣屋を置き、幕末までその地の支配の中心としました。仙台藩二代目藩主・伊達忠宗は龍ヶ崎の村長・山戸土佐の娘・たけを側室に迎え、たけとの間に生まれた忠宗の八男・宗房の子・村房(たけの孫)が後に、伊達吉村を襲封し、仙台藩五代目藩主になり、仙台藩の財政を立て直す中興の名君となったとのことです。 |
山形城 2015年9月2日 | 54城目。前日、仙台・秋保温泉に宿泊して車で山形に向かい、最上義光歴史館でスタンプをゲットし資料を頂き、霞城公園管理事務所の駐車場(無料)に車を止めて登城。かなり広い縄張りで先ずは躍動感あふれた最上義光(もがみよしあき)騎馬像を見てから二の丸東大手門(前を山形新幹線が通っている)・本丸一文字門・山形市郷土館(旧済生会本館)・首洗い石鉢・山形城墟碑・一般公開中の二の丸東大手門櫓等を見て回りました。 |
小谷城 2016年4月26日 | 55城目。常陸国から車で近江の4城を攻略して上洛、二条城に登城を目指しました。あいにく火曜日の午前6時半ころ現地に到着したので、スタンプ設置場所の「小谷城戦国歴史資料館」は休館日で、代替設置場所のうち「戦国ガイドステーション」は午前9時からの開館のため、もう一つの代替設置場所で、午前6時から開いている「JR河毛駅コミュニティハウス」に寄って、スタンプと資料をいただきました。小谷城の番所跡手前の城跡案内看板まで車で登り、車はそこで行き止まりなので、番所跡からは徒歩になりました。 小谷城は、近江の守護・佐々木氏である江南の佐々木六角氏と江北の佐々木京極氏が覇を競う近江において、京極氏のもとで急速に戦国大名として台頭し、上洛を目指す織田信長が妹・お市の方を嫁がせるまでして同盟関係を結んだ浅井氏の居城であり、北陸路と中仙道の要所をおさえびわ湖にも近い重要な地にある壮大な山城でした。小谷城跡には所々に石垣や建物の礎石と思われる石が散在し、城跡からはびわ湖の竹生島や織田信長が小谷城攻めの際に布陣した虎御前山などを眺めることができました。 |
彦根城 2016年4月26日 | 56城目、現存12天守の1つで国宝天守の城。小谷城から秀吉の長浜城を経て彦根城登城。彦根城は、徳川四天王の一人、井伊直政が関ヶ原の戦いの後、石田三成の居城であった佐和山城に入城したが、琵琶湖の湖岸に近い磯山に居城を移すことを計画していたことに始まり、その子直継の時に金亀山(彦根山)に徳川家康の支援を受けて尾張藩や越前藩など多くの大名が手伝いを命じられた天下普請で築城され、その後彦根藩のみの手による工事・3代直孝まで含めて約20年の歳月をかけて完成したとのこと。彦根城の天守は大津城から移築されたとされ、ほかにも佐和山城・小谷城・観音寺城などからも移築された建物があると伝わっている。 彦根城は、古来からの戦略上の拠点に位置する戦いのための城ではあるが、その天守は小ぶりながら千鳥破風・切妻破風・唐破風・入母屋破風など変化に富んでいて美しかった。明治政府の廃城令のもとで良く破却されなかったものです。 |
観音寺城 2016年4月26日 | 57城目。彦根城から楽市発祥の地と云われる石寺地区(天文16年・1549年に六角定頼が観音寺城の城下町石寺に楽市令を布いたのが初めと云われる)の石寺楽市会館に車で行き、終了間際の3時にスタンプをゲット(石寺楽市会館は午後5時までと記載されているものが多いが、午後3時で終了)。観音寺城はここに車を止めて(有料)歩いて登る(かなりきつそう)か、有料林道を車で観音正寺の駐車場まで登り、そこから観音寺城へ歩くか、などあるそうだが、今回は時間も遅くなったので石寺楽市会館から少し登った所にある佐々木六角氏の御屋形跡までに留めることにした。御屋形跡は天満宮の標識の先の大石段や石垣など観音寺城当時の遺構とされ、安土城や大阪城などの近世城郭に先行して築かれた石垣づくりの観音寺城の一部を見ることができました。 |
安土城 2016年4月27日 | 58城目。車を入山者専用駐車場(無料)に止め登城。スタンプは受付にあり、帰りに押してくださいとのこと。すぐに大手道の石段で、両脇には伝羽柴秀吉邸跡・伝前田利家邸跡が有り、総見寺仮本堂が移設されているところは伝徳川家康邸跡とのことで、石段と石垣による山城でした。石段をジグザグに登って行った天守台からは琵琶湖や比叡山方面が一望できました。ここに織田信長が築き宣教師フロイスなどによってヨーロッパにまで伝えられた絢爛豪華な天守があったと思うと感動しました。安土城跡を出てから「信長の館」へ行き、スペイン・セビリア万国博覧会(平成4年)に出展された安土城天守の最上部5・6階部分の復元を解体移築し、庇屋根・金箔10万枚貼りの外壁・5階部分の天井・最上部大屋根を増設した絢爛豪華な復元模型を見学しました。 |
二条城 2016年4月27日 | 59城目。近江4城を攻略して上洛、二条城に登城。 二条城は徳川家康が関ヶ原の戦いの後宿所として天下普請で築いた城で、二条城では家康の征夷大将軍就任の祝賀の儀・家康と豊臣秀頼との会見・大坂冬の陣での大御所家康の本営・徳川秀忠の娘和子が二条城から行列を従えて後水尾天皇へ入内・後水尾天皇の二条城への行幸などが行われたが、徳川家光が30万7千人の兵を連れて上洛し入城して以来、将軍を迎えることなく幕末まで歴史の表舞台から姿を消しました。幕末には、15代将軍徳川慶喜が上洛中の40藩の重臣を二条城に集めて大政奉還を諮問したのは良く知られています。 二条城は3度目の登城になり、東大手門や番所が修理中でしたが、二の丸御殿の狩野派による障壁画などやはり素晴らしかった。 |
徳島城 2016年7月10日 | 60城目。 |
高知城 2016年7月11日 | 61城目。 |
宇和島城 2016年7月12日 | 62城目。 |
大洲城 2016年7月12日 | 63城目。 |
湯築城 2016年7月12日 | 64城目。 |
松山城 2016年7月13日 | 65城目。 |
今治城 2016年7月13日 | 66城目。 |
丸亀城 2016年7月14日 | 67城目。 |
高松城 2016年9月14日 | 68城目。 |
大分府内城 2016年10月10日 | 69城目。 |
岡城 2016年10月10日 | 70城目。 |
飫肥城 2016年10月11日 | 71城目。 |
人吉城 2016年10月12日 | 72城目。 |
鹿児島城 2016年10月12日 | 73城目。 |
篠山城 2017年4月23日 | 74城目。 |
明石城 2017年4月23日 | 75城目。 |
津山城 2017年4月24日 | 76城目。 |
福山城 2017年4月24日 | 77城目。 |
鬼ノ城 2017年4月25日 | 78城目。 |
赤穂城 2017年4月25日 | 79城目。 |
新発田城 2017年5月2日 | 80城目。 |
春日山城 2017年5月2日 | 81城目。 |
一乗谷城 2017年7月11日 | 82城目。 |
丸岡城 2017年7月11日 | 83城目。 |
金沢城 2017年7月12日 | 84城目。 |
七尾城 2017年7月12日 | 85城目。 |
高岡城 2017年7月13日 | 86城目。 |
高取城 2017年10月4日 | 89城目。 |
和歌山城 2017年10月4日 | 87城目。 |
千早城 2017年10月4日 | 88城目。 |
大阪城 2017年10月6日 | 90城目。 |
岩国城 2017年11月7日 | 91城目。 |
広島城 2017年11月8日 | 92城目。 |
郡山城 2017年11月8日 | 93城目。 |
津和野城 2017年11月8日 | 94城目。 |
萩城 2017年11月9日 | 95城目。 |
首里城 2018年4月30日 | 96城目。 |
中城城 2018年5月1日 | 97城目。 |
勝連城 2018年5月1日 | 続100名城の1城目。中城城に登城後、中城湾の対面に見える勝連城に登城。 |
座喜味城 2018年5月1日 | 続100名城の2城目。 |
今帰仁城 2018年5月2日 | 98城目。 |
鳥取城 2018年7月8日 | 99城目。 |
笠間城 2018年9月16日 | 102城目。 |