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メンバー情報

ID2905
名前すだっち
コメント尾張国荒子の隣村出身のすだっちです。
先祖は、犬山城主成瀬家のもとで
典医をしていたそうで、
名城を見るとなにか懐かしさを
感じる今日この頃です(笑)

もしこの世に、我が国の大人物
織田信長公が転生された時に
素早く天下統一できるよう
百名城を物見しております(笑)

物見としては、まだ初心者ですが
よろしくお願いしますm(__)m
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
姫路城
2009年9月17日
<1城目>
はじめて百名城を制覇した城。
さすが世界遺産という事もあり、
見る角度によって天守群が
様々な表情を見せていて
まさしく白鷺そのもの!!
この後から大規模な改装に
入ったとのことですが
改装後が今からすっごく楽しみ♪
大阪城
2010年9月8日
<2城目>
太閤ゆかりの天下の名城に
前回から約一年経過しましたが
ついに制覇っ!!
特に、戦好きの自分としては
天守閣6階にある
《大阪夏の陣図屏風の世界》は
屏風に描かれた人それぞれに
想いをはせることができ
時間を忘れてしまいました(^^)
駿府城
2010年12月15日
<3城目>
徳川家康公の御隠居の居城へ
行ってきました(^^)
二の丸東御門と巽櫓の連なる姿は
美しい反面、中は公園になって
案内も少ない気がしたので
気持ち残念かなと思いました(^^;)
中で家康公の銅像で写真を撮り
その近くみかんの木が植えてあり
紀州と静岡でみかんが盛んなのか
分かるのは良かったですね(^O^)
赤穂城
2010年12月24日
<4城目>
正月番組でおなじみ「忠臣蔵」で
出てくる赤穂浪士の故郷に
行ってきました(^^)
城としては、本丸門の枡形石垣の
狭間が三角と四角の並びが
ファンタジックで面白い程ですが
赤穂浪士ということで
大石神社へお参りしました。
そこで四十七士の名前が入った
手ぬぐいを購入しましたが
よく考えれば、愛知に吉良の故郷
があるので、敵方ですね(笑)
余談ですが、その吉良町も合併で
市町村名として無くなったので
合併も良し悪しですね(苦笑)
明石城
2010年12月24日
<5城目>
赤穂城からの帰りに車窓から
気になっていた明石城へ(^^)
2基の三重櫓は車窓からは
壮観に見えたのだが、
後ろは特に何もなく・・・(^^;)
遠くからの眺めの方がこのお城は
良さが分かりますね。
ところで、三重櫓の一つ、
<ひつじさる櫓>って。方角を
表してるとしても凄い名前だ。
小田原城
2011年1月3日
<6城目>
関東への足がかりとして
秀吉公をならって小田原城へ(^^)
銅門から入っての天守は、これぞ
城って感じでワクワクしますね。
歴史見聞館で北条五代に関する
展示があって北条氏側の歴史が
分かりやすく面白かったです。
一つ気になったのが、他の城には
あまり無いので気づいたのですが
天守近くに猿の檻があること。
これは、猿と呼ばれた秀吉が
大包囲して落城させたのを
逆に皮肉ってるのかな、と(笑)
掛川城
2011年1月3日
<7城目>
小田原城の帰りに寄った掛川城。
着いた頃には、タイムオーバーで
スタンプは押せましたが
じっくり見ること叶わず(>_<)
大河「功名が辻」もレンタルで
借りようとしてもいつも貸出中。
山内一豊と縁遠いですが(苦笑)
掛川は高知城を参考にした天守
のようなので、次回セットで
リベンジしたいと思います(^O^)
二条城
2011年1月9日
<8城目>
徳川家康公が征夷大将軍拝賀の
儀式を行なって
約260年経て大政奉還も行なわれた
江戸幕府の始まりと終わりと
いう時代を作った城。
京都で世界遺産という事もあり
外国人や修学旅行生が多いので
ゆっくり見れないのが厳しいが
狩野派の障壁画の美しさと
独特のうぐいす張りを歩く音には
いつ行っても感動しますね(^O^)
一度でいいから貸切して
ゆっくり見たいですね(笑)
犬山城
2011年2月7日
<9城目>
先祖が犬山城主成瀬家の典医を
つとめていたらしいので
なにか親しみを感じてしまう城。
非常にこじんまりとした城ですが
国宝で最も古い城でもあるので
さすが「白帝城」と言われるだけ
雰囲気がありますね(^^)
天守から見る木曽川の流れは
時間を忘れるぐらい良い眺め(^O^)
岡崎城
2011年2月8日
<10城目>
江戸幕府の聖地である
神君出生の城。
同じ愛知県にありながらはじめて
訪ねた城で、新鮮な気持ちで
「灯台もと暗し」とは正にこの事
戦好きとしては、公園内にある
<三河武士のやかた家康館>の
関ヶ原の展示は面白かった。
その隣にある本多忠勝の銅像は
格好良いので必見(^O^)
名古屋城
2011年2月10日
<11城目>
「尾張名古屋は城でもつ」と
謳われ地元が誇る天下の名城。
今や「名古屋おもてなし武将隊」
などで注目浴びるようになったが
名古屋城博の時もあの「金鯱」が
触れるというのに閉幕一ヶ月前に
なってようやく列ができるように
なったぐらい、地元名古屋人の
尻の重さに辟易します(苦笑)
その重さは、万博や落合監督が
退任決まった後のドラゴンズ等で
実証されてますが(>_<)
おかげで、自分はゆっくり
心置きなく触れました(^^)
コンクリート造で中は残念ですが
外から見る景観はトップクラス。
石垣にある雨樋が隠せればなお
良かったと思います(^O^)

地元民とすれば、名古屋に来たら
「なごやめし」堪能して欲しい。
熱田神宮の蓬莱軒のひつまぶし
矢場町南の矢場とんの味噌カツ、
あとは味噌煮込みや味噌おでん、
天むす、きしめん、あんかけスパ
台湾ラーメンなど豊富なので
こちらの制覇も合わせてどうぞ。
武田氏館
2011年3月2日
<12城目>
勇猛でならした武田軍団の本拠地
別名「躑躅ヶ崎館」。
織田の岐阜や上杉の春日山、
毛利の郡山に朝倉の一乗谷。
通常この時期、山城や平山城など
戦略的に防御しやすい場所に
<自分としては面倒な場所(笑)>
本拠地を構えますが、ここ行くと
ある種の絶対的な自信や図太さを
感じますね(^O^)
いくら緊急時に逃げ込める
要害城があると言っても。
近くに信玄の墓があり、あまりの
質素さにびっくりしますが
これこそが武田たる由縁(^^)
甲府城
2011年3月2日
<13城目>
武田氏館へ行った後、そのまま
武田滅亡後の要となった甲府城へ
曲輪で構成された武田氏館と違い
高石垣が特徴的でこれだけで
時代の移り変わりを感じますね。
この100名城を回る内に自分が
変わったのが、天守の勇壮さも
それで魅力的ですが、
石垣や曲輪からその当時を
想像するのもまた面白いと。
ところで、武田氏館と甲府城の
片方しか行ってない人いるの?
近いので、自分としては
ボーナスステージ(笑)
岐阜城
2011年3月10日
<14城目>
天下布武を掲げた織田信長公が
岐山と曲阜を合わせ名づけた岐阜
来てみて分かったんですが
この日はロープウェイが改装
一日前で動いておらず、
革靴で山登りするハメに(>_<)
予定がある為、短期間でと
乗り場の人に聞いて登ったら
急峻過ぎて泣きそうに。
下を見ず一気に駆け上がった所は
秀吉公が物見したルートと近く
昔の人の強靭さに感服m(__)m
帰りに、逆のルートを見つけて
降りたら階段ばかりで楽で
むしろ早く降りれたので
さっきの激しさは何だったんだ?
天守から見る城下の濃尾平野は
絶景なのでオススメ(^^)
岡山城
2011年3月25日
<15城目>
「備前宰相」宇喜多秀家が築いた
漆黒の居城「烏城」岡山城。
久しぶりに路面電車に乗って
五角形の天守にたどり着いた時
色が違うだけで雰囲気が
全く違い感銘を受けました(^^)
日本三名園の一つ「後楽園」から
見る烏城も風景として素晴らしく
完成当時の時代に戻ったようで。
帰りに買った「むらすずめ」も
美味しく大満足でした(^O^)
金沢城
2011年3月28日
<16城目>
隣村の尾張国荒子から大出世した
前田利家の居城−金沢城。
天守は焼失したものの復元された
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は
素晴らしく写真映えすると
カメラ構えたところ、壊れていて
後日に再度訪れるハメに(>_<)
また見るきっかけになったので
運が良いのか悪いのか(笑)
日本三名園の一つ「兼六園」あり
水戸城近くの「偕楽園」行くと
三名園も制覇できますね。
「兼六園」の時雨亭での抹茶は
和を感じ良い味でした(^O^)
高松城
2011年3月30日
<17城目>
ついに本州を出て渡海して四国の
足掛かりとして高松城に入城。
前回、青春18切符で名古屋から
岡山まで行けたので、今回さらに
足延ばして「うどん県」へ(笑)
往復わずか2300円で瀬戸大橋を
渡れるので青春18切符は凄い(^O^)
海城らしく内堀まで海水が
引き込まれていて、鯛が泳いで
いたのはびっくり!!
瀬戸大橋が敵方(天候)に奪われ
本州に帰れないのはまずく(笑)
滞在できる時間が短く、本場の
うどんを存分に堪能できず残念。
和歌山城
2011年4月6日
<18城目>
春まっ盛りに周りが桜で彩られた
紀伊徳川家の巨城−和歌山城。
地元の桜の名所になっている為か
花見の見物客をかき分けて
桜見ながら連立式天守の本丸へ。
天守と櫓に囲まれた天守にも
桜が白壁に映え見事でした(^^)
岡口門越しに見た天守も立派で
今まで訪れた城も桜の季節に
行くとまた違った顔を見せる
のかなと新たな気持ちに。
帰りに寄ったラーメン屋さんで
和歌山ラーメンとともにお寿司を
食べる光景は新鮮でした(^O^)
高取城
2011年6月7日
<19城目>
巽高取 雪かとみれば
雪でござらぬ 土佐の城
日本三大山城の一つ−高取城。
車で途中まで行き、急峻な山道を
1時間歩いて頂上に登って、
こんな寂れた所に城があったの?
と驚き《兵が夢の跡》が相応しい
人の世の移り変わりを実感。
途中までは風もなく蒸し暑いのが
頂上では一転、南方からの
吉野山からの風がすごく心地好く
独特のパワーを感じて
1時間ほど時を忘れました(^^)
雪と例えられた芙蓉城を当時に
戻って見てみたかった。
またパワーを感じるために
行きたいですね(^O^)
千早城
2011年6月8日
<20城目>
楠木正成が幕府の大軍をひきつけ
撃ち破った城−千早城。
前日に続き、山城2連発で訪れ
実戦的な城らしく高取城と比べて
より急峻で、ここで上から
攻められたらひとたまりもないな
と思えるぐらい大変(苦笑)
本丸にある千早神社は、
まるで聖域のように荘厳で。
ただ一つ残念なのは、スタンプの
ある店が感じが良くなく
スタンプの質も悪くて残念。
岩村城
2011年6月29日
<21城目>
敵が奇襲した際、霧が立ち込めて
覆い隠したと云われがある霧ヶ城
日本三大山城の一つ−岩村城。
女城主でも有名な城でもあり、
云われの井戸−霧ヶ井を見た後、
本丸の6段石垣は壮観でした。
百名城の中で一番高い地にある
とはいえ、他の山城に比べて
急峻さはあまり感じなくて
車でも本丸まですぐ近くまで
行けるので、比較的に楽ですね。
地元尾張からも近いのに行った
事なかったので、百名城は
日本の景観を見つめ直すのに
いいきっかけになりますね(^^)
高岡城
2011年8月8日
<22城目>
築城の名手である高山右近が
縄張した「古御城」高岡城。
行った日が月曜で、市立博物館が
閉まっており、スタンプ押せず
シール貼るという痛恨があったが
入口近くの高山右近像と本丸の
前田利長像は勇ましいですね(^^)
水濠公園ということもあって
縄張を囲う水濠が良いですね。
近くの高岡大仏の中に入って
地獄絵図は不気味でした(^^;)
津山城
2011年8月12日
<23城目>
雛壇の如く「一二三段」で築かれ
美作一国を治める津山城。
入口にある森忠政像はなんか
ボテッとした印象ですが
高石垣の上に立つ備中櫓は壮観で
櫓からは、津山市街を見下ろせ
鶴山に縄張した事に納得(^^)
名古屋から青春18切符で来て
滞在時間がなかったので
ホルモンうどんは敢え無く断念。
水戸城
2011年8月26日
<24城目>
今年1月の小田原城に続いて
本格的に関東制覇のために
徳川御三家の水戸城へ(^^)
8月になっても弘道館が入れず
改めて大震災の被害を実感して
高校内の薬医門を見学。
この水戸もそうですが関東は
一部を除いて土塁が多いので
石が少ない地域性を感じますね。
三名園の一つ偕楽園も訪ね
ついに三名園を制覇(^O^)
ただ、梅の時期から外れた来訪
なので、改めて弘道館と同様
行く必要がありますね。
佐倉城
2011年8月26日
<25城目>
同日朝の水戸に続いて
一気果敢に佐倉城へ。
ここも土塁が多く、空堀が
綺麗に芝が刈られていて美しく
写真に没頭していると途中から
雨が猛烈に降り雷も(>_<)
城跡に時間がかかった為に
城跡内の国立歴史民俗博物館も
30分で閉園で出るハメに(>_<)
修学旅行でもゆっくり
できなかったので、今度は
時間に余裕を持とうと痛感。
金山城
2011年8月27日
<26城目>
幾多の戦乱をくぐり抜け
外的攻撃では落城しなかった
難攻不落の金山城。
関東では珍しく石垣が多く
大手虎口を中心に見所満載で、
特に、山頂近くの日ノ池と
月ノ池は祭祀的役割もあった為か
独特のパワーを感じました(^^)
行く途中に山頂への道を教えて
頂いたガイダンス施設の方に
帰りにご好意で「金山竹炭」を
頂きました。
前泊した太田市街のホテルが
風俗街で気持ち悪さと低劣さを
感じていたので、是非とも
一掃して全国に金山城下として
売り出して欲しいですね(^^)
足利氏館
2011年8月27日
<27城目>
朝に金山城制覇した流れで
足利幕府開いた足利氏の故郷へ。
城というよりは中世武士の館で
今はお寺なので趣は違いますが
中世の流れを感じ面白いですね。
近くに日本最古の学校−足利学校
もあり、孔子廟を参って
勉学の大切さを再認識。
竹田城
2011年8月29日
<28城目>
「虎臥城」と呼ばれた天空の城。
日本のマチュピチュ−竹田城。
18切符で竹田駅へ来たところ
現地のガイドさんのご好意で、
山頂まで車を乗せて頂きました。
北は因幡の鳥取、南は播磨の姫路
東は丹波の福知山と要衝の地の
山頂にある事が上から望め
本丸から北千畳と南千畳の景色は
まさに「虎が臥す」という
例えも実感できるぐらい壮観。
この山頂に石を運んで野面積みを
した穴太衆の凄まじさも感じ
悠久の時の流れを感じながら
本丸で1時間程佇んでました。
いつかは、立雲峡から
雲海の上の幻想的な竹田城を
見てみたいですね(^O^)
鬼ノ城
2011年9月27日
<29城目>
吉備の要衝にある大規模な
古代山城−鬼ノ城。
車で総社ICから降りて
鬼ノ城に向かいましたが、途中
すれ違えないぐらい狭い山道で
本当にこの道でいいのか疑って
行った先にまさかの
ビジターセンターがありました!
復元された西門が今までの
近世・近代の城と違うと思わせ、
城壁があったとされる所を
一周すると、この鬼城山が
すり鉢状でこの場所に構えたか
よく分かりますね(^^)
こういった時代の違う城も
移り変わりがみえていいですね。
萩城
2011年9月28日
<30城目>
明治維新を成し遂げた元勲達が
多く生まれた長州藩の本拠地で、
毛利氏の堅城−萩城。
関ヶ原の戦いで破れた西軍の
総大将の毛利氏が防長二国に
閉じ込められ、本州の端の
山陰側に本拠を強いられた為か
尾張からすごく遠くて
うらぶれた感じがしますが、
逆にそれが、吉田松陰をはじめ
桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文
など人材を輩出したのは
この萩の凄みですね(^O^)
もともと自分が幕末好きな為か
日本海と指月山を背後に構えた
萩城から始まり、萩史料館→
旧厚狭毛利家長屋→鍵曲→
久坂元瑞誕生地→萩博物館→
菊屋家住宅→高杉晋作誕生地→
円政寺→木戸孝允旧宅→
松陰神社(松下村塾)→
伊藤博文旧宅・別邸まで来て
タイムオーバー(>_<)
東光寺をはじめ時間の関係で
半分も回れず歯痒い思いを
したので、次回に持ち越し(^^)
ところで、円政寺の和尚さんが
話して下さったのですが、
木戸孝允と高杉晋作など元勲が
ご近所さんなので、
「今で言えば町内会レベルで
日本を変えた」って凄い言葉だ!
広島城
2011年9月29日
<31城目>
太田川河口の三角洲に、
毛利輝元が「島普請」で築いた
「鯉城」−広島城。
平櫓・多聞櫓・太鼓櫓と連なる
表御門が気持ちを盛り上げ
五層の天守がそびえる威容は
広島の中心を体現してますね。
広島カープが城から由来してる
のも文化の中心だからですよね。
ただ中心なだけに、近くに地下
駐車場しか無く、高いのが難点。
岩国城
2011年9月29日
<32城目>
周防なる いわくに山を
こえむ日は たむけよくせよ
あらきその道−岩国城。
日本三名橋の一つ−錦帯橋を
渡ってロープウェイ登って
三矢の訓で有名な一家−吉川家が
開いた岩国城へ(^O^)
南蛮造で築かれた城は他と違い
独特ですが、ライト邪魔ですね。
帰りには、始めて知りましたが
天然記念物でご利益ありそうな
白蛇を見て、錦帯橋の対岸の
「平清」さんで飾り寿司の
岩国寿司が美味しかったですね。
郡山城
2011年9月29日
<33城目>
中国地方一帯を治めた西国の雄
毛利家の本拠地−郡山城。
さすが中国地方一帯まで勢力を
拡大させたこともあり
山全体を要塞化しており
この山城は大規模ですね。
毛利元就墓所は荘厳な雰囲気を
醸し出し、そこから山頂に行き
同じ道から帰ろうとしたら
迷ってしまい反対側に出て
改めて規模の大きさを痛感(^^;)
三矢の訓跡碑があるためか
近くにサンフレッチェの練習場
があり、カープの由来となった
広島城同様、両城がスポーツに
由縁があり、面白いですね。
山中城
2011年10月26日
<34城目>
小田原防備の為に箱根山の西側
斜面に築いた要−山中城。
前回は、毛利氏由縁の城を
回ったので、今回は本格的に
北条氏由縁の城を制覇。
まず手始めに、沼津で港近くしか
腐りやすいので食べられない
生桜海老を堪能して、箱根旧街道
を伝って山中城へ(^^)
ここはやっぱり代名詞でもある
障子堀が緑に映えて綺麗ですね。
ただ、スタンプはお店の外にある
為か、薄すぎるのが難点。
八王子城
2011年10月27日
<35城目>
小田原防備の為に築かれた
最大の支城−八王子城。
ここへ来て始めて、華厳菩薩妙行
が修業中に出会った牛頭大王と
八人の王子から取って「八王子」
となったと知りました(^O^)
御主殿の滝近くの曳橋を見た後、
本格的に本丸を目指したのですが
途中で迷って地蔵だらけの場所に
行ったり、さすが修業の場所でも
あるぐらい大変だと思いながら
登りきった先に、関東一円の
景色を一望でき、爽快でした。
川越城
2011年10月27日
<36城目>
江戸の「搦手」を担う幕府重鎮が
城主を勤める川越城。
東日本唯一の本丸御殿は、幕府の
主要なポストの人が入る為か、
戦場での攻防の城というより
政治の場としての役所という
感じが色濃く出てますね。
八王子から鉢形へ行く途中で
時間が限られたため、
小江戸と呼ばれた川越市街を
散策できなかったのは残念(>_<)
鉢形城
2011年10月27日
<37城目>
豊臣秀吉の大軍と一ヶ月攻防を
繰り広げた北武蔵における
北条氏の拠点−鉢形城。
歴史館で予習した後、城跡を
廻りましたが、深沢川と荒川に
挟まれ本当に断崖絶壁の上にあり
この地が天然の要害で築いた
理由がよく分かりますね(^^)
復元は四脚門ぐらいですが
逆に想像をかき立てられて
それはそれで良いですね。
箕輪城
2011年10月28日
<38城目>
甲斐の武田氏、相模の北条氏、
越後の上杉氏の三つ巴の
戦いの舞台−箕輪城。
一見するとただの小高い丘に
見えますが、中に入ると曲輪が
多数、大規模に配置されていて
土塁や空堀、大堀切から戦略的に
構築された城だと分かりますね。
約400年ぶりに発掘されて
調査が終わったのではないので
今後どうなるかに期待ですね。
ただ、その不完全さが想像を
よりかきたてられるので
このままでも面白いですが(^^)
小諸城
2011年10月28日
<39城目>
武田信玄が佐久統治の為に
山本勘助と馬場信房に命じて
縄張させた「酔月城」−小諸城。
徳川家達の筆で「懐古園」と
書かれて有名な三の門をくぐり
城跡を進むと、戦略的に
断崖絶壁に縄張されているので
谷にある木々が紅葉に染まると
情緒がありますね(^O^)
さすが島崎藤村ら文化人に
インスピレーションを与える
ぐらいの事はありますね。
山本勘助が愛用したと云われる
鏡石も何かパワーを感じる
ものがありました。
上田城
2011年10月28日
<40城目>
関ヶ原の戦に間に合わないように
徳川秀忠軍を足止めしたりして
徳川軍を二度にわたり打ち破った
真田武士の気概を示した上田城。
「日の本一の兵」と恐れられた
真田幸村の人気もあり、是非とも
行きたい城の一つで、実際見たら
地理的にも平城ですし、城壁も
もの凄く高い訳でもない。
よくこの城で徳川の大軍と渡り
合えたな、と率直に思いました。
それが逆に、真田武士の戦略的な
凄みに繋がるかも知れませんが。
市立博物館にある、頭が六文銭で
形作られた青い甲冑は、凄く
格好良いので必見ですね(^O^)
松代城
2011年10月28日
<41城目>
川中島の戦いの武田方の前線基地
として縄張された「海津城」から
引き継いだ真田氏の居城−松代城
今日朝の箕輪城から上信越道を
伝って小諸城、上田城を廻り
4城目ですので、ほぼ時間がなく
真田宝物館と城跡しか廻れず。
ただ、宝物館は真田家の武具など
展示されていてなかなか面白い。
城跡は太鼓門と石垣の感じから
して、守る城というよりも
相手へ攻め込む為の基地という
印象が大きかったですね。
真田邸と文武学校は廻れなかった
ので、次回に持ち越しですね(^^)
春日山城
2011年12月7日
<42城目>
北を守護する毘沙門天を掲げた
名将−上杉謙信が居城としていた
巨大山城−春日山城。
本丸の東側の春日山神社から登り
直江兼続の直江屋敷跡へ行き
毘沙門堂を廻りましたが
大河ドラマ「天地人」だと
洞窟でしたが、お堂になってた
のでイメージって怖いですね。
さらに山頂の本丸へ上がり
反対の西側の景勝屋敷跡へ下り
本丸に戻って南側の景虎屋敷跡を
帰りに廻ってきました。
大河でも謙信の後継者を巡って
御館の乱にて景勝と景虎が先に
本丸を奪うかで争って、景勝が
取りましたが、屋敷が景勝の方が
近いので、景虎は可哀相な気が。
二の丸にあった一本の大きい
銀杏の木が真っ黄色に染まって
いて、大河の演出でよく落葉の
シーンがありましたが、あまり
間違いではないと感じました。
林泉寺の山門に揮毫したとされる
「第一義」は義を重んじた謙信を
よく表していますね。
高遠城
2011年12月7日
<43城目>
武田信玄の築城術による高遠城。
現在は桜の名所になっていて
曲輪から当時を想像するしかなく
遺構が少なく残念な気が。
時期外れだから余計にそう思う
のかも知れませんが。
近くの歴史博物館に絵島囲み屋敷
が併設していて、大奥で有名な
絵島生島事件の絵島の配流先が
高遠だと始めて知りました。
車で帰ったのですが、伊那市は
台地で道がくねっていて
かなりICまで迷いました(>_<)
丸岡城
2011年12月13日
<44城目>
国内に現存する12の天守閣のうち
最古の建築様式を有する丸岡城。
建てられたのが古い為か
姫路城などの複雑に入り組んだ
層塔式天守閣と違って
上層に望楼があるだけの単純な
望楼式天守閣で、木材の古さも
相まって趣がありますね。
時期的に、狭間から見える紅葉が
一つの絵のようでした。
戦焼や火災などで天守閣がない
城が多い中、こういった城は
感動しますね。ただ、駅から
1時間歩くので大変ですが。
一乗谷城
2011年12月13日
<45城目>
一時期は征夷大将軍の足利義昭を
庇護する程、権勢を誇った
朝倉氏の本拠地・一乗谷城。
遺跡資料館にて自転車を借りて
下城戸から順に廻りましたが、
城下町が計画的に整備されている
ことが伺え、その一部だけ町並が
復元されていて、それが全体に
広がってたかと思うと、かなり
壮大な町並だったと衝撃的で。
義景館跡に残る唐門は、年月の
移り変わりを感じました。
日が沈みかけてたので、本城の
一乗山城に行けなかったので、
今度の機会に。
それにしても、白い犬のお父さん
と一乗谷は関係あるの?
丸亀城
2011年12月15日
<46城目>
三段に積み重ねられた高石垣から
「扇の勾配」と呼ばれ、現存する
木造天守12城の一つ−丸亀城。
高松城と同様に、18切符で
瀬戸大橋を渡って行きましたが、
亀山を高石垣で形成した城には
圧倒されました。特に、本丸から
すぐ下の二の丸北側から下へ
見下ろすと、卒倒するぐらい
高いですね。
南側も「石の城」と形容される
ぐらい様々な石垣の幾何学的な
美しさに感動しますね。
篠山城
2011年12月20日
<47城目>
徳川家康が豊臣家の居城である
大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの
西日本の諸大名を分断する為に
山陽・山陰の要に築いた篠山城。
今は、復元された大書院と
築城の名手である藤堂高虎が
得意とする高石垣が特徴的で。
大書院は、写真と違って木材が
年月で煤けていて、イメージが
違ってましたが、院内は障壁画で
華やかな感じがしました。
高石垣を見て、青山歴史村や
安間家史料館、歴史美術館を廻り
篠山城下を堪能しました。
伊賀上野城
2011年12月28日
<48城目>
「忍者の里」と呼ばれた伊賀に
築城の名手である藤堂高虎が
高石垣で築いた伊賀上野城。
忍者博物館でどんでん返しや
刀隠しなどの屋敷を見学した後、
高石垣の上に立ちましたが
卒倒するぐらい高いですね。
高虎が大改修した後で藤堂家が
領国経営しましたが、高石垣が
あるとはいえ、忍者に近い人達が
暮らす地域で長年気が
抜けなかったでしょうね(笑)
前回は、忍者博物館で手裏剣を
上手く投げれなかったので、
今回こそはと思いましたが、
やってなかったので残念(>_<)
松阪城
2011年12月28日
<49城目>
蒲生氏郷が城下を楽市楽座で
商人の町として発展させた
伊勢統治の拠点−松阪城。
今も名残を残す御城番屋敷を廻り
『古事記伝』にて古事記を広めた
本居宣長の記念館で造詣を深め
城下だけで城としてはあまり見る
ものがないかなと思いましたが、
希代丸跡の石垣が綺麗でした。
こういった良い意味での裏切りは
100名城の面白さですね。
帰りに駅で『元祖特撰牛肉弁当』
食べたが、相変わらず美味しい。
松本城
2012年1月6日
<50城目>
折り返し記念として、国宝4城の
一つで景観が見事な松本城へ。
姫路城以外は現存していない
五重天守は、西の内堀前からと
東の本丸御殿跡からで全く違った
表情を見せるので感動しますね。
私はどちらかと言うと、内堀の
水に鏡のように写った松本城が
一番美しいと感じました(^^)
再建された太鼓門枡形も格好良く
天守の中の構造も良かった。
帰りに、旧開智学校も廻り
松本城下を満喫しました。

残り半分のほとんどは、尾張から
遠い北海道や東北、四国、九州等
の城ばかりですが、時間が
かかっても頑張って廻ろうと
決意を新たにしました。
今帰仁城
2012年2月21日
<51城目>
今帰仁の城 しもなりの九年母
志慶真乙樽が ぬぎやいはきやい
北山王の居城−今帰仁城。
ANAフリープランで空越えて
約20年ぶりに沖縄上陸。
レンタカーで本部そば街道の
きしもと食堂で沖縄そばを食し
世界遺産の今帰仁城へ。
平郎門から入り、大隅の石垣など
内地にはない、グスク独特の
カーブを描いた石垣を見て
改めて文化の違いを確認。
途上で見かけた亀甲墓や
御内原にある御嶽なども
琉球特有の文化を表してました。
帰りは、美ら海水族館で巨大な
ジンベエとマンタに感動(^O^)
中城城
2012年2月22日
<52城目>
ペリー提督も賞賛したといわれ
グスクとして最も遺構が残る
南海の古城−中城城。
日本最古のアーチ門が素晴らしい
座喜味城や、世界遺産の中で
最古のグスクである勝連城を経て
芸術的に琉球石灰岩で積まれ
美しいカーブを描いた中城城へ。
特に、新城(ミーグスク)である
三の郭は曲線美が素晴らしく
圧倒されました。
北の郭にある大井戸(ウフガー)
は水を湛えていて、グスクは
攻防の場としての城よりも聖域に
近い印象が大きかった。
その後には、琉球王府最高の
聖地である、斎場御嶽(セーファ
ウタキ)の三庫理(サングーイ)
の大きさと神秘的なパワーに
心が癒されました(^^)
首里城
2012年2月23日
<53城目>
中国や日本の文化が混在する
琉球王国の栄華の証−首里城。
朝早く、赤瓦の守礼門をくぐり
国王が外出する時に安全祈願した
園比屋武(ソノヒャン)御嶽石門
<世界遺産>を見て、
歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門
と幾重にも連なる門を抜け
奉神門に8時半に着きました。
そこで、当時の役人の衣装の方が
銅鑼を鳴らし開門をするという
「御開門(ウケージョー)」に
参列できました。
朝一番で誰も写り込まない正殿を
写真に収め、中を見学しましたが
正殿2階「大庫理(ウフグイ)」
の柱や高欄の華やかな彫刻と色彩
には、圧倒されました。
ちなみに、この豪華な正殿は
世界遺産でなく、その地下の
石積みだけがとは衝撃でした。
その後、琉球の王墓である
「玉陵(タマウドゥン)」や
金城町石畳道を通って
琉和中折衷の王家の別邸である
識名園を探索しました。

首里城は、開門1時間もすると
修学旅行生でごった返すので
朝一番に行くのがいいですね。
福山城
2012年3月8日
<54城目>
徳川幕府が西国監視の為に、母方
縁者の水野勝成を置いた福山城。
福山駅すぐ前にあり、アクセス
しやすく、鉄筋コンクリート造の
為か、威容を誇っていますが
中は残念な感じが否めません。
当時から現存するのは、伏見城
から移築された伏見櫓だけですが
これだけでも見る価値あり。
隣の県立歴史博物館で初めて
草戸千軒という中世の町並が
あったことを知りました。
時間がなかった為、坂本龍馬の
いろは丸事件で有名な鞆の浦には
行けず。またの機会には。
備中松山城
2012年3月19日
<55城目>
臥牛山頂に築かれた現存天守で
日本三大山城の一つ−備中松山城
現存天守12城の中で1番小規模
ながらも1番高所にあり、
どの角度から見ても美しく
風格が感じられますね。
途中の大手門付近の石垣は、
人工の石垣と天然の岩盤を上手く
組み合わせていて素晴らしい。
時間の関係で備中高梁駅からの
タクシーでふいご峠からの登城で
私らしくなく怠慢でしたが、
それでもしんどかった(苦笑)
小谷城
2012年3月26日
<56城目>
北近江を統治した浅井三代が誇る
戦国有数の巨大山城−小谷城。
清水谷にある戦国歴史資料館から
追手道で金吾丸、番所、桜馬場、
本丸と登りましたが、今でも
雪が残り、革靴ではかなり厳しく
誤った選択で痛恨のミスでした。
特に、長政が自害した赤尾屋敷跡
への道はかなり狭く、雪で滑落の
危険性があった為、断念。
本丸へ登るのでギリギリなので、
その先の京極丸や大嶽城跡は
雪がない季節にリベンジします。
「長浜戦国大河ふるさと博」が
開催されていたので、戦国バスを
使って、浅井歴史民俗資料館や
長浜城を廻りました。
賤ヶ岳や竹生島も開催されてる
ようなので、これも次回に。
会津若松城
2012年7月18日
<57城目>
戊辰戦争を耐え抜いた
奥州屈指の堅城−会津若松城。
幕末当時の姿に近付ける為、
平成23年に葺き替えられた
赤瓦は白壁とのコントラストで
非常に映えて優美で。
来年の大河『八重の桜』もあり
観光客も多かったですね。
城近くで会津名物の
ソースカツ丼を食した後、
周遊バス「ハイカラさん」で
松平氏の庭園−御薬園へ行き、
墓所をお参りして、最後に
白虎隊の悲劇の地−飯盛山から
眺める鶴ヶ城も、何とも言えぬ
格別の想いがしますね。
ところで、飯盛山にある
さざえ堂は、中が螺旋状で
一方通行で上下して出るという
作りにびっくりしました。
新発田城
2012年7月19日
<58城目>
周りを湿地で囲まれ、菖蒲が
多く咲いてた菖蒲城−新発田城
城作りの際、一匹の狐が現れ
尾を引いて縄張りを教えたと
いう伝説から「狐尾曳ノ城」
とも呼ばれていて、
三匹の鯱を戴く三階櫓が
特徴的ですが、陸上自衛隊の
敷地内にあり、近くで見れない
のが残念ですね。
近くにある、藩主溝口氏の庭園
「清水園」は、程良い広さで
綺麗に整備されていて
非常に落ち着く良い心地で。
そこでの「麩饅頭」も
非常に美味しかったですね。
観音寺城
2012年8月1日
<59城目>
佐々木六角氏が築いた、戦国
最大級の巨大山城−観音寺城。
安土駅から歩いて、天智天皇の
勅願寺院である桑實寺から
山道を登って、城跡まで行き
ましたが、猛暑日で尚且つ
風があまり通らない道で、
汗が滝の如く流れ大変でした。
平井丸虎口の石垣は、長大な
規模を誇り、圧倒されました。
そのまま観音正寺へ抜ける
山道を探し回りましたが、
途中で獣道になる道ばかりで
危険を感じ、あえなく断念。
安土城
2012年8月1日
<60城目>
近世城郭の先駆として初めて
威圧する為に天主(天守閣)を
作り、信長の天下統一への拠点
である幻の城−安土城。
観音寺城を制覇した流れで
考古博物館で予習し、隣の
「信長の館」で再現された
絢爛豪華な天主を、しかと頭に
焼き付け、城跡を登りましたが
礎石が残る天主跡に、黄金と
障壁画に彩られた天主が
確かにあったと想像する
だけで感慨深いですね。
外国人が「黄金の国」と
考えても可笑しくないですね。
守るので無く、圧倒する為に
真っ直ぐ広くある大手道も
他の城と比べて独特で。
その両隣に、前田利家邸と
羽柴秀吉邸が控え、直ぐ上に
徳川家康邸があったのも
信長の思いを表している様で
非常に興味深いですね。
帰りに「万吾楼」さんの
『まけずの鍔』は上品で
甘さが程よく美味でした。
江戸城
2012年8月3日
<61城目>
徳川将軍15代の根拠に
して日本最大の城郭。
東京駅から行幸通りを抜け
桔梗門から坂下門を見て
皇居といえばで欠かせぬ
伏見櫓をバックに架かる
石橋正門をカメラに収め
今に勇壮に動き出しそうな
楠正成像に感動しました。
幕末の始まりを示す事件の
場所である桜田門から
警視庁、国会議事堂を通り
半蔵門へ廻って、乾門から
日本武道館近くの田安門と
清水門、そして平川門、
大手門と一周しました。
首都東京の真ん中にある為
官公庁や重要施設が
集まっていて、まさに
日本の中心だと再認識。
惜しむらくは、金曜で
東御苑が閉まっていて
天守閣跡に行けなかった
のは痛恨でした。
長篠城
2012年8月6日
<62城目>
武田軍の猛攻を耐え抜き
織田・徳川軍の大勝利に
つながった堅城−長篠城。
宇連川と寒狭川の合流点で
断崖絶壁に囲まれ、少数で
守りやすい要害と分かり、
なおかつそれだけで耐えれ
ないのを、鳥居強右衛門の
決死の働きで持ちこたえ、
設楽原の決戦で大勝利に
つながるのは、天の時、
地の利、人の和の全て
合わさった結果だと実感。
保存館の血染めの陣太鼓や
設楽原の馬防柵の再現も
非常に感銘を受けました。
宇和島城
2012年11月27日
<63城目>
築城の名手・藤堂高虎が
リアス式海岸の最深部に
山と海を巧みに取り入れた
名城−宇和島城。
小規模ながらも格式の高さ
を感じられる現存天守で
「鶴島城」と例えられる
のも分かりますね。
城郭の西南の「天赦園」も
さすが伊達家の庭園らしく
家紋にちなんだ竹と先祖に
ちなんだ藤が綺麗でした。
宇和島は郷土料理が充実
してて、「かどや」さんで
鯛めしやふくめん、さつま
じゃこ天と美味しかった。
大洲城
2012年11月27日
<64城目>
肱川を臨む丘に複合的に
連結した櫓を組み合わせた
堅城−大洲城。
古写真や木組模型がしかと
残っていた為か、木造再建
された城はコンクリートと
違い、新しながらも趣きが
感じられ、肱川越しで特に
見ると写真映えしますね。
同じ肱川沿いにある景勝地
「臥龍山荘」は、崖沿いを
巧みに使い絶景でした。
湯築城
2012年11月28日
<65城目>
家臣団屋敷を城内に取り
込み、二重の堀で囲う
戦国期の代表的な
拠点城郭−湯築城。
日本最古の名湯である
道後温泉の重要文化財−
本館の霊の湯に朝一番に
坊っちゃん気分でつかり
城郭北隣の子規記念館に
行った後、湯築城へ。
長らく竹薮として放置
されていた為か、縄張が
しっかりと残っており
土塁断面を観察できる
展示もあり、なかなか
勉強になりました。
松山城
2012年11月28日
<66城目>
勝山山頂に天守を置き、
麓に二の丸と三の丸を
配置し守りに徹した
難攻不落の城−松山城。
城下にある大街道から
坂の上の雲ミュージアムや
萬翠荘、秋山兄弟生誕地を
巡って、東雲口から登城。
一度は本丸に背を向ける
戸無門を通り、隠門から
側面奇襲される筒井門、
少しずつ狭まる中庭を抜け
大天守への道は一つで、
囲まれた天守と櫓の狭間
から立体銃撃を受ける
守りに徹した作りに脱帽。
天守から見える城下と
遠くの瀬戸内の海の景色
にも感銘を受けました。
今治城
2012年11月29日
<67城目>
築城の名人・藤堂高虎が
瀬戸内の要衝−来島海峡を
抑える為に縄張をした
海城−今治城。
村上水軍の城−能島城跡を
見る為、大島に渡り
村上水軍博物館に行った後
瀬戸内海の海水が流入する
内堀を持った今治城へ。
再現された層塔型の五重
天守や真四角に近い曲輪は
シンプルながらも壮観。
B級グルメの宝庫である
今治で、特徴的な今治焼鳥
や「白楽天」の焼豚玉子飯
はなかなか美味しかった。
鳥取城
2012年12月14日
<68城目>
久松山の山頂と麓に築かれ、
様々な遺構が残る事から
「城郭の博物館」と称され、
「天から釣りたる」とも
言われた山陰の名城−鳥取城。
高石垣が残り、堅固さを感じ
なぜ秀吉が正攻法ではなく、
「渇え殺し」を選んだのか
解りますね。特に、時期だけに
山頂まで至る道は、雪がしかと
残ってて、下山する時は滑って
大変でした。帰りには、
東郷平八郎が命名した仁風閣へ
寄り、映画「るろうに剣心」の
舞台になるほどに、見事な洋風
建築は写真に映えて良かった。
高知城
2013年1月8日
<69城目>
関ヶ原の戦いの後、土佐一国を
与えられた山内一豊が築いた
南海の名城−高知城。
夜行バスで高知に到着して
坂本龍馬誕生地へおり立ち、
「龍馬の生まれたまち記念館」
を見学し、「さいたに屋」で
モーニングして落ち着いた後、
山内神社で宝物資料館へ寄り、
いざ高知城へ。掛川城再建で
参考にしたという事もあり、
外観がそっくりで、廊下詰門に
本丸御殿が繋がった天守閣は、
当時を思い忍ばれた。城内の
山内一豊像や板垣退助像は
動きが感じられるポーズで
写真映えが良かった。登城の後
桂浜で大平洋の大きさを感じ、
坂本竜馬のように、幕末時と
同じく、外国の圧力に晒された
我が日本について思い巡らす
良いきっかけとなった。
徳島城
2013年1月9日
<70城目>
秀吉より阿波国を与えられた
蜂須賀家が築いた徳島城。
前日夜に土佐国から入り、
徳島ラーメンを堪能した後、
朝に復元された鷲の門をくぐり
博物館にある徳島藩御召鯨船
千山丸を見て、築山泉水と
枯山水の庭がある表御門庭園を
廻り、いざ城郭部の城山へ。
「阿波の青石」と呼ばれる
緑色片岩で築かれた石垣は
独特で、非常に印象的でした。
七尾城
2013年1月22日
<71城目>
松・梅・竹・菊・亀・虎・龍
七つの尾根から成り、上杉謙信
から「北陸第一の名勝」と称賛
された巨大山城−七尾城。
真冬真っ只中で時期が時期だけ
に、城史資料館も閉鎖しており
雨が降りしきる中、雪の山道を
歩くという厳しい状態なので、
七曲がりの登山道を避け、車道
から歩いて2時間かけて登城。
雪の中にも階段状の石垣は、
それはそれで趣深いですね。
ただ、霧も凄く城から七尾湾は
とても望めませんでした。
下った後は、市街にある
小丸山城址も合わせて見学。
大野城
2013年2月19日
<72城目>
太宰府防衛の為に四王寺山に
築かれた古代山城−大野城。
朝一番の「のぞみ」で博多より
九州初上陸し、レンタカー借り
まずは、古代律令国家の外交と
軍事の最前線で、九州全体を
統括した太宰府政庁<都府楼>
跡に行き、そこの展示館にて
スタンプ押印。その後、
天智天皇が創建した観世音寺、
道真公を祀った太宰府天満宮へ
祈願。それから山へ入って
中腹にある、高橋紹運が五万の
島津軍に対し玉砕した岩屋城へ
行き、都府楼と水城を見下ろし
ついに大野城へ。山の殆どが
城域なので、とても廻りきれず
主要な建物礎石群と百間石垣
だけを見学。特に、百間石垣は
険しい所に長い距離を積み上げ
られていて、近づくのも厳しい
所が多く、古代の人の凄まじさ
を痛感しました。
福岡城
2013年2月19日
<73城目>
関ヶ原の戦いで戦功があった
黒田長政が筑前一国を与えられ
築城家として名高い父の如水が
縄張をして築いた福岡城。
大野城から直ぐに来て、南の丸
の多聞櫓から見て、規模から
察すると大きい天守台から城下
を見渡し、古代の外交施設で
あった鴻臚館跡へ。忘れられて
いたかも知れないとはいえ、
鴻臚館という史跡にその昔、
西鉄ライオンズの本拠地で
あった平和台球場が作られた
のにはビックリ!歴史好きで
野球ファンとしてはどちらも
残せなかったのか、と考えたが
物理的に無理ですね(笑)天神
にて屋台で食べた豚骨拉麺と
焼き拉麺は凄く美味しかった。
名護屋城
2013年2月20日
<74城目>
太閤秀吉が大陸への夢を馳せた
巨大な陣城−名護屋城。
虹の松原を通って唐津城へ
行った後、秀吉が中国大陸へ
進出する拠点で、地元の地名と
近いというので選んだ地という
事で、名古屋出身の自分として
是非行ってみたい所でした。
閉館された博物館でスタンプ
押して、城域を探索しましたが
一国一城令があり、一揆や立て
篭もりを防ぐ為に所々が破壊さ
れても、広大で強固であった
事は想像できますね。また、
天守台から望む小高い丘一つ
一つ全て大名の陣跡という事で
すので当時の威容を考えると、
まさしく「京をしのぐ賑わい」
で、如何に秀吉が物量で戦う
戦略眼の持ち主か分かりますし
これを長期に維持できる兵站を
可能にさせた石田三成らの
有能さも同時に感じました。
平戸城
2013年2月20日
<75城目>
松浦氏が山鹿流築城術に基づき
平戸瀬戸を望む地に築いた城。
名護屋城からレンタカーで
九州西端を平戸大橋で渡って
沖縄除いた最西端の名城へ。
天守閣から望む懐柔櫓と見奏櫓
そして平戸瀬戸の眺めは、大変
素晴らしく、ついにここまで
来たかと感慨深いものでした。
その後、寺院と教会が見える
風景の場所を通って、平戸
ザビエル記念教会を見学し、
松浦史料博物館に行きましたが
そこに在った江戸までの道程を
描いた長い絵巻物を見ましたが
約40日はかかるというあまりの
遠さに、当時の参勤交代の
大変さを思い知らされました。
佐賀城
2013年2月21日
<76城目>
低湿地帯を生かした広大な堀を
持った鍋島氏の城−佐賀城。
重要文化財の鯱の門をくぐり、
再建された本丸御殿へ。入場料
がなく、満足度による寄付のみ
という独特なシステムで運営
されていて、それはそれで常識
ある人にはいいかも知れません
が、最近の我が国の民度の低下
(老若関わらずというか、最近
老いた方の低下が一層著しい)
を見ていると、平気で払わない
(文化財維持に貢献しない)人
が多い気がしてならないです。
それが目につきました。展示は
維新期が中心になっていて、
八賢人は勉強になりました。
吉野ヶ里
2013年2月21日
<77城目>
日本の城の起源ともされる最大
規模の環濠集落−吉野ヶ里。
JR吉野ヶ里公園駅で下りて、
レンタサイクルを借り、15分程
佐賀の風を浴びながら心地好く
走って歴史公園へ。中へ入ると
弥生時代の風景が想像でき、
歴史の教科書で出てきた竪穴
住居や高床住居を見て、南内郭
や北内郭で城の起源を知り、
北噴丘墓で古墳時代への流れを
掴みました。やはり歴史の造詣
を深めるには、「百聞は一見に
如かず」で、現地が一番です。
改めて思うに、百名城を廻ると
地理と歴史の知識が深まり、
ますます日本の素晴らしさを
再認識するので良いですね。
白河小峰城
2013年3月4日
<78城目>
奥州への押さえという重要な地
白河に築かれた白河小峰城。
名古屋から18切符だけ使い
鈍行で約10時間かけて来て、
震災の影響で中に入れず、
石垣の崩れもひどく、外から
三階櫓を眺めるだけでしたが、
復元とはいえ名城としての
佇まいに威厳がありました。
お堀には、越冬する為に白鳥が
数十羽見えて、故郷では見ない
のでテンション上がりました。
二本松城
2013年3月5日
<79城目>
蒲生・加藤氏が築いた総石垣の
山城−二本松城。
戊辰戦争で散った二本松少年隊
の銅像を見て、堅固な石垣に
囲まれた復元の箕輪門をくぐり
新旧入り混じった石垣を見て
山城を登り山頂まで。ちょうど
訪れた時期は、山頂の本丸石垣
が震災からの復旧が終わり、
無事に見る事ができ、山頂から
原発があるであろう方向を眺め
人の小ささと自然の不変さを
感じ、妙な感慨に浸りました。