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メンバー情報

ID282
名前オシロダイスキ
コメント 2008-3-11からチャレンジした百名城めぐりも2009-1-28首里城登城をもって完了しました。最初の頃はスタンプ帳があることさえ知らずに周ってしまい、後から再度スタンプを押しに行ったこともありました。

登城開始 2008-3-11
登城完了 2009-1-28
登城数  百名城+番外城=142城
旅行日  50日
宿泊日  25日
移動距離 3万km
費用概算 60万円

 このサイトのお陰で見聞を広めることが出来ました。管理人のkumさんと、情報提供していただいた皆様に御礼申し上げます。また番外城でも良いお城が多く、百名城の入れ替え戦があっても良いのではないかと思いました。

以上
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
掛川城
2008年3月11日
 天気が良く天守からの眺めは良かったです。9時前に着いたので下の発券所は閉まっていました。直接上に行って5分前に入れてくれました。

 木造の天守は小さいですが趣があります。その後に掛川城御殿を見学しました。スタンプはその御殿にあります。落ち着いたよく整備されている御殿です。

 駐車場は屋根にPと大きく表示がしてある大手門駐車場があります。50mも歩けばお城です。料金は200円で充分です。美術館も併設してありますがそこへは行きませんでした。お城・御殿セットで300円、美術館セットで500円だと思いました。
岡崎城
2008年3月11日
 国道1号線から普通車専用の駐車場に入ります。少し先に大型車の駐車場があります。広い駐車場です。あいにく岡崎城は天守の工事中で中には入れません。

 お城の入り口には大きな亀の上に石碑が建っています。石碑には徳川家康の有名な<人の一生は・・・>の文句があります。お城の横には神社があります。桜がほころんでいました。

 坂を少し下がった家康館に行きました。JAFで入館料が若干割引です。公園の時計は時間になると家康の能を踊る人形が鳩時計のように出てきます。その日は掛川城から浜松城を経て岡崎城に行きました。浜松城も石垣が野面積みでボランティアの説明があり結構良かったです。
水戸城
2008年3月21日
 国道6号線を県道50号に乗り換えてしばらく進むと水戸光圀像の標識がある。水戸に着たら先ずはご挨拶だ。
そのまま県道を進み水戸駅北口方面左側に行く。またしばらく進み分岐して弘道館の標識の方に進む。突き当りを右折して少し行くと駐車場があります。

弘道館の入館は16:15迄で時間切れ、庭だけ入らせてもらい記念撮影。水戸城は弘道館の先との表示があり従って進むと大日本史編纂の地の標識を過ぎて進むがお城らしいものが無い。
少し先に行くと水戸第一高校へ入る橋があり薬医門の表示が見えた。橋の下は昔の掘割と思われ深さ20mくらいの切通しになっていておそらく水郡線と思われる鉄路が走っている。

高校の入り口が薬医門である。そこに着くまで数人に道を尋ねたが4人目でやっと分かりました。スタンプがどこにあるのか分からないままお城の跡を後にしました。後日再登城して弘道館にてスタンプ押印しました。
金山城
2008年3月24日
 当日は朝から雨模様。逡巡していたが夕方から晴れるとのこと。国道17号新大宮バイパスを国道407号に降りて大田方面に進む。県道2号線を左折して100m先に金山城址の表示あり。右折して山を登る。登りきったところを左折してしばらく道なりに行くと西城の駐車場がある。左折の標識はうっかりすると見逃すので注意されたい。

 西城の駐車場から徒歩で本城を目指す。途中馬場曲輪、見晴台のアップダウンを経て月の池、日の池、本城、新田神社が最終点だ。眼下に伊勢崎、大田を臨み夕焼けが美しい。桜もちらほら咲いている。

 本城から少し下がったところに休憩所、トイレがあり、広場には大田ロータリークラブからの日本百名城の石碑が建っている。スタンプは休憩所に置いてあり、良く整備されていて、昨年12月に行ったイタリアのポンペイの遺跡を思い出した。一見の価値あり。
山中城
2008年4月5日
 国道1号線を三島へ下る途中に山中城址の駐車場が左右にあります。下り方向から国道を挟んで左側に出城があります。ちょっと見ではすぐ終りに見えますが、その奥に続いています。うっかりすると見逃します。

本命は右側にあります。二の丸、三の丸、西の丸、をそれを守る砦があります。周りは独特の掘割で守られています。飲料用の池も二つあります。それらのほとんどが土塁で構築されていて、石垣は一切使ってありません。ここも埼玉の金山城址と同様、お城は復元されていません。

でも綺麗に整備されていて、昔の城の余韻があるいいものです。自分は今まで城が復元されているところだけ見てきましたが、前回の金山城址といい、この山中城址といいお城が復元されていなくても充分お城が目に浮かぶことが分かりました。

 お蕎麦屋さんに聞いたらパンフレットはリニューアル中ということでありませんでした。おそばを食べました。美味しいです。富士山がとっても綺麗でした。
駿府城
2008年4月5日
 国道1号を下って静岡駅前で県庁方面の標識をみて右折する。100mほど行くと堀が見えてきます。車だったらぐるっと石垣にそって一周してみると良いと思います。

 ちょうどお花見なので公園の中に幕を張っています。スタンプは櫓の発券所にあります。山中城址の自然系を歩いてきたのでお花見のごたごたした感じが何か気分的に乗らなかったようで、早々に引き上げました。
小田原城
2008年4月5日
 山中城址から駿府城址をまわり最後に小田原城に来ました。以前にも何回か来ています。今回百名城探訪にあたってはすべてデジカメで記録しているので再訪しました。

 折からのお花見で駐車場にも入れず、仕方が無いので覚悟の路駐で中に入りました。ここは小学校の修学旅行で来たところです。その頃も象がいました。もう50年も経つのでその象とは違うと思いますがどうなんでしょう。

 物凄い人出で路駐も気になるし記念写真を撮って引き上げました。桜は散り始めています。やはりいいお城だと思います。結局スタンプは後日再登城して押印しました。
佐倉城
2008年4月10日
 前日の大風で桜は散ってしまいました。当日も朝から雨模様です。成田空港への迎を利用して佐倉城址に行ってきました。東京方面から湾岸道路(国357)から県道8号、国296号線を経て佐倉城址公園自由広場駐車場に行きます。

 駐車場は歴史博物館の裏側にあり、管理センターはその自由広場の入口にあります。そこでスタンプ押印してから奥の佐倉城址入口の方に車を移動して駐車します。雨が残っていて水溜りが所々にあります。三の門、二の門、子規の句碑、一の門、本丸、夫婦モッコクの木、天守を回って城址礎石、姥が池を経て元に戻りました。明治初期の実在した時の写真が添付されています。

 国道296号に出る時に武家屋敷もありましたが寄れませんでした。陸軍に接収されてほとんどが取り壊されてしまいましたが残念ですね。
春日山城
2008年4月15日
 国道17号を高崎から18号に乗換えて日本海に突き当たって8号線を左折して少し行くと県道63号に入る。すぐに春日山城址の表示板あり右折して道なりに進むと謙信公湧水がある。地元の人がお水を汲んでいます。その先が春日山城址駐車場です。

 早いのでその上の茶店まで車で登ります。謙信公の像が迎えてくれます。春日山神社を見てそこから登りです。前日の雨で足元が悪いです。木の階段が続きます。縦堀、二の丸、三の丸、天守、本丸が一番高いところです。直江津港や市街、高田公園まで一望の下です。天気が良くとても良い景色です。本丸は153mです。往時は凄く大きな城だったと想像出来ます。

 護摩堂から毘沙門堂に下りました。三の丸では土塁の後が見えました。北側の山々は雪をかぶっています。頂上の桜は五分咲きです。帰りは埋蔵文化センター、ものがたり館、林泉寺を見て帰りました。スタンプはものがたり館にあります。帰りに高田城址公園に寄りました。桜が満開で沢山の人が出ていました。こちらも素晴らしいものです。駐車場は川向こうまで行ってバスか徒歩で公園まで戻ります。セットで行くといいですね。
松代城
2008年4月15日
 国道18号線を下り403号線を松代方面に右折します。松代に近づくにつれて道が狭くなりますので注意してください。途中で松代方面右折の標識が見難い所があります。松代城址の案内にしたがって道なりに進むと真田宝物館の駐車場に着きます。

 徒歩で100m歩くとお城です。六文銭の旗が迎えてくれます。城内に入ると桜が満開です。櫓から見下ろす桜も満開です。綺麗に整備されているお城です。広場に海津城の石碑があります。信玄公の時代から徳川まで10代の真田家の歴史です。

 スタンプはお城の外のトイレの横にあります。緑のインクが手に染まりました。ティッシュで拭いてから押印してください。真田宝物館はあいにく休館日でした。真田邸も修復中で庭園のみ無料公開していました。少し先に行くと象山記念館があります。以前行きましたので今回は割愛しましたがここも見所ありです。旧陸軍の地下壕もありますが時間の関係で行けませんでした。
上田城
2008年4月15日
 春日山城、松代城と回り最後になった。国道18号旧道から上田城址の標識に従って行くとすぐにある。お花見で二の丸橋を渡った市民会館の駐車場は満車であったが、なんとかもぐりこめた。

 堀橋を渡るとすぐの石垣に真田石の案内板があります。東虎口から入って南櫓が宝物殿になっています。真田神社、真田井戸、西櫓で行き止まり、本丸に回るとお花見の最中です。ここも満開の桜です。堀に沿って一蹴すると北櫓に出て戻りになります。堀も土塁もしっかりしています。桜に映えて綺麗です。

 二の丸跡を歩いて博物館に出ましたが終了していました。博物館でスタンプ押印しました。入口の桜並木も満開で六文銭が桜の中でたなびいていました。桜の季節以外に来た時と感じが大分変わりました。とっても良かったです。
箕輪城
2008年4月17日
 午後から雨の予報であったが予定通り登城を決行した。案の定国道17号本庄あたりで雨になった。

 高崎過ぎて県道29号から26号を経由して道なりに進むと箕輪城址の標識が出てくる。そこが搦手口の駐車場だ。工事中だったので、二の丸まで車で登った。しんとした中を本丸まで歩く。折からの雨で誰もいない。箕輪城址の石碑が出迎えだ。広場の桜はすっかり散って葉桜だ。

 箕輪城将士の慰霊碑や二次大戦の慰霊碑(砲弾付)をぐるっとまわる。次に反対側の虎韜口の駐車場にまわって三の丸から大堀切を回る。その先が二の丸だ。戻って最後に水手曲輪口に回る。天台宗の法峰寺がある。

 水手曲輪の石碑に『水汲みに行くのが地獄の一の木戸 行くとは見えて帰る人なし』とあった。水手曲輪口からは階段で上まで登れるが雨が強くなってきたのでやめた。その後榛東村営ふれあい館の日帰り温泉に立ち寄った。300円での良いお風呂だった。
川越城
2008年4月19日
 国道254号を川越方面に下り市内を超えてすぐに川越城址の標識が見えます。案内に従って左折してすぐが駐車場です。

 駐車券を城内の受付で押印してもらえば無料です。入館料100円払って入城します。本丸御殿玄関から廊下伝いにそれぞれの詰所を見ながら進みます。最後の家老の詰所では人形が談合しています。

 楓が赤い庭を見て入口に戻ります。目と鼻の先にある三芳野神社は童謡“とうりゃんせ”の碑があります。昔はこの神社は城内にあったとか。だから一般の庶民は“とうりゃんせ”だったのですね。やっと意味が分かりました。100名城のスタンプは入館時に依頼すると出してくれます。
鉢形城
2008年4月19日
 同じ国道254号線沿いという事で川越城址の後に鉢形城址に寄った。254号を寄居近くで県道30号を右折する。いいかげん走ると鉢形城址の標識がある。小さい標識なので一度見落としてしまった。

 標識を左折ししばらく行くとまた標識があり右折するとすぐに鉢形城歴史館の看板が見える。駐車場(無料)にとめて鉢形城歴史館に入る。入館料は200円だ。バーチャルの鉢形城を見てから実際に歩く。外曲輪から土塁を見ながら深沢川に沿って行く。深沢川の流れは豊富だ。

 伝御殿曲輪から本曲輪、田山花袋の碑、二の曲輪、三の曲輪、馬出しから虎口まで良く整備されている。深沢川のところは森が深いのでもう虫が出ている。本曲輪の外は荒川だ。川二本に囲まれたお城だ。100名城スタンプは入館受付で出してくれた。
小諸城
2008年4月21日
 国道18号線から141号線に乗換えてしばらく行くと懐古園の表示があります。駐車場は桜祭りで一杯です。しばらく待って入りました。料金は500円です。三の門の前が券売所です。散策券は300円で他との共通券は500円です。管理事務所が横にあって100名城のスタンプを押します。

 先週行った上田城の桜は散り始めていたので南にある小諸は葉桜だと思っていましたが標高が高い関係なのか満開です。二の丸、北の丸、本丸、鏡石、懐古神社、馬場の桜は物凄く咲いています。桜並木を通って藤村の詩碑(小諸なる・・)に回り元の三の門へ、線路をくぐり三の丸、大手門をみて帰ることにした。

 動物園も散策券で見れるが割愛、隣の寅さん記念館を見たかったが時間の関係で省略した。機会があれば次回に・・ とにかく人が多かったです。
松本城
2008年4月22日
 小諸から松本へ国道254号線経由で到着したが、松本城は閉館していた。市内のホテルに泊まり朝から松本城に行く。一番近い開智駐車場に車を入れる。8:30開門なのでしばらく外を散歩した。

 太鼓門や二の丸跡を先に見学する。お堀の白鳥と鯉が戯れているのを眺めているうちに開門だ。松本城は以前にも来ているがやっぱり素晴らしいお城だ。野面積みの石垣を見ながら大手口から入館する。乾小天守から六層の天守へゆっくり見学する。

 手斧で削った柱が見事だ。足が故障していたのであの角度のある階段はきつかった。辰巳附櫓、月見櫓から外に出た。中国人の団体ツアーの皆さんの中国語で城内は賑やかでした。駐車料金300円、入館料600円でした。天気が良く天守から見た常念岳は綺麗でした。
高遠城
2008年4月22日
 松本から国道143号から19号を経由して塩尻から国道153号で辰野方面に向う。しばらく走ると国道361号を高遠に左折する。

 桜祭りで上の駐車場は満車につき係員の指示で三峰川沿いの無料駐車場に停める。そこから弁財天橋、高砂橋を渡り、高遠城址公園まで徒歩で登る。約20分くらいで入口に着く。入園券500円、券売所の隣に100名城のスタンプが置いてあります。満開の時期は少し過ぎて風に桜吹雪が舞っています。

 天下第一の桜碑から二の丸、桜雲橋、本丸、太鼓櫓、南曲輪、河東碧悟桐歌碑、すべて桜吹雪の中である。ゲートの外に歴史博物館、絵島囲み屋敷があるが今回は割愛した。さすが天下第一の桜だと思った。南アルプスの山々もとても綺麗でした。
甲府城
2008年4月22日
 桜吹雪の高遠から国道152号を茅野まで行き国道20号から国道52号を道なりに行き県道31号の右手に甲府城(舞鶴城)に着きます。お城には駐車場がありますが鎖で封鎖されていますので県庁の駐車場に停めようとしたら断られました。それで付近の有料駐車場を捜してなんとか稲荷曲輪のそばの百貨店の駐車場に入れました。

 入場料は無料で、稲荷曲輪から稲荷櫓、天守台、甲府水害の際の明治天皇の寄進に感謝の謝恩塔、二の丸、鉄門、恩賜林記念館で100名城のスタンプを押して鍛冶曲輪から県庁方面に出ました。

 城内は綺麗で良く整備されています。明治天皇の謝恩塔や石を割るための矢穴の跡などについてボランティアの方に懇切な説明を受けました。スタンプの押印も恩賜林記念館まで連れて行ってくださいました。時間が押してきましたので次の武田神社に向いました。
武田氏館
2008年4月22日
 甲府城の前の県道31号の坂を登ってしばらくいくと突き当りが武田氏館(武田神社:躑躅ケ崎館)です。着いたのが16:00です。突き当たり左に有料駐車場、右手に参詣者用の駐車場があります。お堀には2羽の白鳥と鯉が餌を探して賑やかです。

 境内に入って右手に宝物殿があり、発券が16:30なのであわてて宝物殿に入ってまずは100名城のスタンプを押印しました。係りの女性は巫女さんの服装です。宝物殿は規模は小さいが武田家の具足、太刀、軍扇、武田二十四将図、信玄公画像、木像、山本勘助ゆかりの品物が陳列してありました。
 
 「人は石垣、人は城・・」と言う風に石垣や櫓などは見られません。神社の左手に回ると武田水琴窟があって竹に耳を当てると水琴窟の音が聞こえてきます。見終わって出てくると表の写真屋さんが片付けているところです。県道6号から国道411号経由国道20号で帰路につきました。宝物殿拝観券は300円です。
足利氏館
2008年4月24日
 朝から雨模様。案の定出かけてしばらくしたら落ちてきた。国道17号から熊谷手前を国道407号、50号、293号と乗り継いで行くと足利学校の右手に駐車場がある。その駐車場からでも行けるが、直接足利氏館(鑁阿寺=ばんなじ)北門の駐車場に入れた。

足利学校の裏手が足利氏館(鑁阿寺=ばんなじ)になる。全体がお寺でお城というより館といった感じだ。せいぜいお堀が方形の敷地を取り巻いているくらいだ。

太鼓橋から山門を通って中に入る。正面に本堂、左手に多宝塔がありそれぞれ金剛界、胎蔵界を表している。この真言宗のお寺は元は国宝であった時期もあったが現在は重文だ。多宝塔の横には大銀杏があり見事に葉を茂らせている。足利学校には以前来ていたが隣にこのような歴史のあるお寺があることを知らなかった。
二本松城
2008年4月26日
 国道4号線をJR二本松方面に左折する。突き当りを右折し駅の先を少し行き、二本松御苑を左折すると右手に歴史資料館がある。ちょっと分かりにくいので注意したい。入館しスタンプを押印、祭囃子を聞きながら館内を見学する。

 そのまま道なりに坂を上って右手に小学校を見ながら行くとお城の駐車場があります。小学校は運動会でした。そのまま道なりに行くと本丸下まで車で行かれます。脚力に自信がない方はお勧めです。

 正面に二本松少年隊の像が迎えてくれます。箕輪門から入ります。桜はすっかり散っています。滝や日影の井戸(日本の三大井戸)等を見ながら本丸を目指します。結構きつくて汗が出てきます。本丸には新旧の石垣が見れるようになっています。天守台、東櫓、北櫓、自刃の碑を見て戻りました。
会津若松城
2008年4月26日
 二本松から会津若松に周る。国道4号から国道49号、118号を経由し標示に従って会津若松城(鶴ケ城)公園の駐車場に入れる。

 徒歩で赤く塗られた廊下橋から入城する。ここもすっかり桜は散ってしまっている。それでも天気がいいので葉桜の下で何組か花見をしていた。鶴ケ城に入城して隊士の遺影をみる。みんな16,7歳の若者だ。

 土曜なので結構な人手です。ぐるりと回って下に降りると売店があります。何も買わないのにスタンプ出してくださいと言うのは小心者の自分には辛いですね。本丸跡、稲荷神社、武者走り、鐘撞堂から戻りました。良い天気で若松城が青空に映えていました。荒城の月の碑は見逃してしまいました。
白河小峰城
2008年4月26日
 国道4号白河あたりから白河小峰城の天守が見えます。標識に従って進むと小峰城址の駐車場に着きます。

 三重櫓は土日は17時で閉門ですが平日は15時で閉門です。16時に着いたので何とか入館出来ました。平日は早いので要注意です。早速三重櫓に登ります。一度に5名しか登れません。急な階段ですので年配者にはきついです。三重櫓の再建時に使用した杉の老木から製材した材料に当時の弾痕が残っていて、それが床板に使われています。

 お土産やさんに行ったら17時で閉めてしまいました。スタンプは三重櫓の受付で出してもらいました。三重櫓は思ったよりずっと綺麗でした。二本松、若松、白河の三城を廻りました。
江戸城
2008年5月6日
 天気が良いので自転車で江戸城に向う。国道15号線をまっすぐに2時間黙々とペダルを漕いだ。休日の15号線はスポーツタイプの自転車が多い。

 皇居は今までにも何回か来ている。一般ルートとは別に宮内庁に直接申し込むルートもあり一回行って見られることをお勧めします。宮内庁のHPから申請できます。

 スタンプは和田倉門の噴水レストランとトイレの間の休憩所にポンと置いてあったのを利用しました。分からなかったので警備員に聞いてしまいました。その後桔梗門から二重橋に廻って帰りました。片道2時間はやはり少しきつくて今日は中には入りませんでした。連休も最終日の午後なので人出も大分少なくなったようでした。
八王子城
2008年5月15日
 七日ぶりの快晴、登りがきついと資料に書かれている八王子城にチャレンジしました。国道20号を下り、多摩御陵を過ぎて県道46号を右折しばらく行くと県道61号に左枝分かれすぐに八王子城祉の標識があるのでそのまま左折します。800mほど走ると右に駐車場があります。

 駐車場から歩いて50mで管理棟がありスタンプは前に出ています。まず曳橋から御主殿跡へ行きます。徒歩で片道10分弱で着きます。曳橋はまだ新しい様子です。

 管理棟に戻って今度は本丸に登ります。八王子神社の鳥居をくぐって20m進むと旧道と新道に分かれます。新道はやや遠回りですが道がしっかりしています。八王子神社、曲輪、頂上が本丸跡です。本丸跡は神社の後ろの階段から道が上に続いています。標識がないので分かりづらく要注意です。

 本丸跡は小さい広場で石碑が建っています。神社に着く直前に開けた所があり冬場だと東京まで見えるそうです。当日は見えませんでした。頂上までは結構きつい登り坂が続きます。健脚向きでしょう。下る時に小学生の団体が登ってきました。「こんにちわ」の挨拶が疲れた身体に快かった。
高岡城
2008年5月17日
 関東地区の城を見終わったので北陸に出かけた。国道17、18、8号を乗り継いで県道24、44号で高岡城の市民体育館駐車場に車を入れた。

 動物園を見ながら市立博物館へ向う。スタンプは博物館で押印した。博物館を見学してから射水神社を左に曲がり本丸広場へ移動する。途中の橋の下に降りてお城の石垣が見えます。本丸広場で前田利長公の銅像を見て三の丸へ、民部の井戸の横が体育館です。

 城祉公園のいたるところに銅の像が置いてあって銅の街高岡を高揚しています。そういえば博物館にもふいごの模型がありました。
七尾城
2008年5月17日
 高岡城から七尾城へ回る。国道8号から160号の能登の海沿いの道を走る。天気が良いので最高のドライブです。七尾市に入って国道159号に乗換えて少し行くと七尾城の標識に従って左折する。道なりに行くと七尾城資料館の標識を右折してすぐそこの左側です。ちょっと見難いので気をつけてください。

 資料館に着いたのが五時を少し周ってしまったので受付は終了です。時間があるので車で本丸の近くまで県道城山線で登ります。結構登るので徒歩では大変です。車を停めてどなたかの歌碑をみてから本丸まで徒歩で数分で着きます。

 本丸頂上は勿論誰もいません。だんだん風が強くなって寒いし暗くなってきたので早々に降りました。出来れば次の金沢城の近くまで行きたかったのですが、戻って七尾駅のそばのホテル(ルートイン)に一泊しました。翌朝に資料館に行ってスタンプ押印しました。懐古館ではご主人に色々と説明をしていただきました。
金沢城
2008年5月18日
 七尾城から金沢城に回ります。国道159号から日本の道100選に選ばれた能登有料道路を通って金沢に向います。天気が良いので能登有料道は最高です。途中で千里浜なぎさドライブウェイを走ります。子供が波打ち際で遊んでいます。

 能登道を白尾海岸で降りて国道159号(国道8号との重複道)を兼六園に向います。兼六園駐車場に停めてお城に向います。左が兼六園、右が金沢城公園です。石川門を入って入口の案内所でスタンプ押印しました。ちょっと薄かったです。

 広場の向こうに横長の城壁が見えます。角の入口から二の丸、本丸へ進みます。本丸跡には戌亥櫓跡があってそこから下を見下ろします。大規模な工事中でまだまだ再建が進むようです。兼六園の見学は時間が許さず又の機会に譲ります。
丸岡城
2008年5月18日
 金沢城から丸岡城へ周ります。国道159号から県道25号で北陸自動車道金沢西ICから高速に乗ります。丸岡まで60kmです。丸岡で降りて標識に従って少し戻って丸岡城です。一筆啓上茶屋の右横を通ってお城に登ります。

 入場券を買って入ると目の前に日本最古の天守と言われる丸岡城が見えます。小さいけれど堂々としています。ずっと城址ばかり見てきたのでやはり天守が現存するとそれは感激です。階段が急なので縄が降りています。手すりと縄を伝いながら天守に上がっていきました。狭いけれどしっかりとした木造の天守です。修復の跡があちこちに見えます。

 広場には人柱を差し出したお静の碑が立っています。息子を侍に取り立てるという約束で、人柱に本人と二人の息子のうちの一人を差し出したのに反古にされた恨みの碑だそうです。お城に登り下りの途中の「一筆啓上日本一短い手紙」を読みながら行くとにやりとしたりほろっとしたりします。スタンプは茶屋にあります。そばを食べました。美味しいです。
一乗谷城
2008年5月18日
 丸岡城から一乗谷城へ国道159号から158号左折し一乗谷城遺跡の標識に従い道なりに進むと復原町並北門の駐車場に着きそこで車を停めました。北門入口で入場券購入しスタンプ押印しました。

 入ってすぐにビデオがあって一乗谷城の歴史を見てから復原町の町並を散歩しました。家並みはもう少し説明があれば分かりやすいかもしれません。北門から昔の家並みを見ながら南に向います。道路を渡って朝倉氏遺跡、庭園を見ながら駐車場に戻ります。

 お城は山の上にあるようですがそこにはとても行けません。国道158号にはもう少し先に行くと越前大野城があり行きたかったのですが明日は月曜日です。見終わったのが15:30です。これで富山、石川、福井3県のお城を見ました。北陸自動車道から名神、東名で自宅に戻ったのが23:00でした。
名古屋城
2008年5月22日
 国道1号線から大津道路に進み名古屋市役所を過ごした交差点を左折して200mくらいで名古屋城の標識あり。右折して有料駐車場に入れる。開城は9時なので30分ほど待つ。

 しばらくすると大型バスが到着し平日なのに凄い人出になった。おりからつつじ展が開催されていた。名古屋城最古の建物と言われている西北隅櫓がオープンされていたので覗いてみた。係りの人が丁寧に説明をしていました。古材を使って改修したそうだが確かに古いのでこれからの手入れも大変だと思った。

 庭園がとても綺麗でした。本丸御殿の再建の寄付を小額ですがしてきました。アジア人の見学が多いように感じました。スタンプは正面入口の改札口にて押印しました。
岐阜城
2008年5月22日
 名古屋城の次に岐阜城を訪問する。名古屋城から国道19号、22号、21号、157号、256号と乗り継いで岐阜城公園の有料駐車場(1回300円)に停める。

はるか上にお城が見えます。公園の中をロープウェイの乗り場まで徒歩で数分、15分おきに運行しているのでそんなに待ちません。頂上駅から天下第一の門をくぐって徒歩で10数分ほど坂道を登ると岐阜城です。

良くこんな所に作ったなと言う感じです。長良川の流れを見下ろして爽快です。資料館でスタンプ押印します。資料館の2階には何故か和楽器が展示されていました。
犬山城
2008年5月22日
 岐阜城から犬山城に移動する。国道157号から国道21号バイパスで各務原を過ぎて県道27号を右折犬山城の標識に従い駐車場に入れる。50mほど戻ると大きな石に国宝犬山城と刻印されている。

 坂道を5分ほど登り入場券500円購入してから犬山城の入口門の2階でスタンプ押印する。天守への急階段は縁が丸みを帯び何万人もの入場者の重みに耐えているようだ。天守からは木曽川が眼下に見えて国宝の眺めが心地よい。全体的にしっとりとしたお城だ。文化資料館やからくり館は次の岩村城の時間が押しているので割愛した。
岩村城
2008年5月22日
 犬山城から岩村城に移動する。国道41号から東名、中央高速で恵那ICで降りる予定が園原まで行ってしまいやっと戻り国道19号、257号で岩村城に着く。そんな時間の無駄もあり資料館に着いたのが16:25何とか閉館は免れた。

資料館を斜めに見て早速岩村城に登る。最初はゆっくりとした石畳の登りで明治の教育者下田歌子の勉学所が脇にある。そのうち石の階段の急な登りとなる。頂上まで800mで息が切れる。500mくらいから石垣が見え始める。頂上の本丸跡に着いたときは全身びっしょりになっていた。やっとのことで資料館まで降りたときには足がわらっていた。

資料館の入口には江戸末期に維新の志士に影響を与えた岩村藩の陽明学の佐藤一斎の像と三学戒「少にして学べば則ち壮にして為す事あり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老にして学べば則ち死して朽ちず」があった。
長篠城
2008年5月23日
 岩村城から長篠城まで国道257号で移動する。長篠で一泊する。翌朝資料館の開館は9:00である。資料館でスタンプ押印してから資料館を見学する。

 鳥井強右衛門の磔図でここの城を知る。前の本丸跡を散策する。外側をJR飯田線が走っている。平日なので誰もいません。本丸跡を見た後は医王寺まで車で行き引き返して鳥井強右衛門の磔の後の石碑をみる。

 石碑からは鳥井強右衛門が家康に援軍を依頼してまた長篠に引き返して援軍到着の狼煙をあげたという山が良く見えます。その山は地元の人が教えてくれました。茶畑がのんびりとした時間を演出しています。
新発田城
2008年5月31日
 関越道を小出まで行き国道17号から8号、460号、290号経由し、県道22号、21号で新発田城の無料駐車場に着きます。すぐ目の前が三階櫓ですが自衛隊の敷地なので入れません。

 お堀に沿って右に回りこむと、隅櫓が見えます。ぐるっと回り込むと表門です。表門の対面には堀部安兵衛の像があります。表門に受付の方が居られて県外の人は記帳します。そこに百名城のスタンプも置いてあります。

 押印して右に行くとそこが辰巳櫓です。平成16年に復原工事が完了しています。中に入るとまだ檜の香りが漂っています。塀の向こう側は自衛隊の基地になっていてトラックが沢山駐車しています。表門の外の茶店でこんにゃくをいただきました。お土産に縄かりんとを求めました。安兵衛の父が辰巳櫓焼失の責任を取って浪々の身となり最後は討ち入りに参加したことを初めて知りました。
山形城
2008年5月31日
 新発田城から山形城に移動する。国道7号から113号で南陽市に出て国道13号、112号から県道19号の標識に従って東大手門の駐車場に行く。東大手門から入城し広場に案内の人がいます。折悪しく雨が強くなってきました。傘が無いのでデジカメが濡れない様にすばやく大手門、最上義光像、郷土館の撮影をしました。

百名城のスタンプは郷土館で押印しました。郷土館は元の済生館本館で16角形の建物でとても珍しいものです。その後に最上義光(よしみつと読んだら広場の係りの人によしあきですと笑いながら訂正されましたが)記念館に回ったら時間切れでした。次の機会に譲りたいと思います。

 雨もありまた翌日からガソリンが大幅に値上がりするので給油に時間がとられ、ギリギリで飛び込んだので駆け足訪問になりました。その日はルートインで宿泊しました。翌日は山寺立石寺と米沢城をまわり喜多方でラーメンを食べました。
伊賀上野城
2008年6月9日
 国道25号(名阪国道)を上野ICで降り国道368号に右折し、しばらく直進すると伊賀上野城の標識が見えるので右折で入るとすぐそこが駐車場です。最初間違えて伊賀ICで降りてしまい思いがけずJR柘植駅前に出てしまいそこが芭蕉の生誕の地だと知りました。

 駐車場を出ると藤堂高虎400年記念の幟がはためいています。数十m歩くとすぐにお城です。大天守と小天守がそびえています。スタンプは券売所で押印します。お城の入り口には青い鯱が、城に入ると藤堂高虎の像が出迎えます。1階には高虎の書や秀吉拝領の兜などが展示されています。

 天守の天井には再建時の著名人の書画がはめ込まれていて見ものです。ただ首が疲れます。荒城の月のメロディーが流れていました。木造の良いお城でした。忍者屋敷は時間の都合で割愛しました。
大阪城
2008年6月9日
 修学旅行以来四十数年ぶりに訪城しました。森之宮駅前の公園駐車場に車を入れてお城まで歩きますが随分遠いです。

 やっとお城が見えてきました。やっぱり堂々とした立派なお城です。そしてとても綺麗な外観です。度肝を抜かれるのが正面石垣の巨石です。たたみ何畳あるのでしょうか。大砲がおいてあります。天守1階の受付でスタンプ押印しました。お城の中は昔来たイメージは全くありません。平成の改修ですっかり変わったようです。

 城内の金の鯱と虎は金ぴかですがそれなりに大阪城らしいです。売店でお土産の印籠を買いました。観光のお城としてこれはこれなりに良いと思いました。平日なのにお客さんも大入りです。帰りは駐車場までの間に土砂降りになりびしょ濡れでした。停める場所を間違えたようでした。
和歌山城
2008年6月10日
 和歌山に前泊し朝一番で訪城した。岡公園駐車場に車を入れて岡口門から入城する。時間があるのでそのまま表坂から天守に登らずにぐるっと大手門に周り伏虎像を左手に、二の丸庭園を右に見て裏坂からゆっくり天守に登る。

 時間前に着きまだ開城しておらず少し待つ。開城と同時にスタンプを改札口で押印する。楠門から隅櫓を抜けて城に入る。天守から見る紀ノ川ははるかに霞んで初夏の風が天守を吹き抜ける。まことに和歌山に来たという香りだ。5年ぶりの和歌山城だがこの雰囲気が心地よい。

 帰りは動物園が併設されているのでそちらの方に降りて動物を見ながら表坂、岡口門(重要文化財)から駐車場にもどった。駐車場には陸奥宗光の像があり明治の稀有な外務大臣陸奥宗光が紀伊藩の出身であることに思いをいたしたのである。
千早城
2008年6月10日
 和歌山城から国道24号、310号から県道214号から突き当りを705号に右折し暫く行くと金剛山ロープウェイの手前へ着く。左側に食堂まつまさの案内があるのだが見落としやすいので注意されたい。

 その案内を左折して50m行くとまつまさの駐車場がある。車を入れて金剛山の登山口を登る。登り口に湧水がある。金剛山の登山者は水を汲んでいます。道の途中から右千早城の案内あり、案内にしたがってその階段を登る。頂上は開けているが何もない。

 まつまさとは違うところに下りる階段もあるが帰りも同じ道を引き返した。湧水で顔を洗って生き返りました。頂上までは行き帰りで30分強かかります。まつまさは500円以上購入で1時間駐車無料、2000円以上購入で2時間無料です。500円のざる蕎麦を食べましたが美味しいです。噂の豆腐定食もさぞ美味しいだろうと思いました。
高取城
2008年6月10日
 千早城から国道360号、169号を橿原方面に進む。県道219号高取城祉を右折する。途中の壷坂寺を通過していくと道が分岐している、標識を見落として広い方に右折して行ったが間違いでとんでもなく狭いところに行ってしまい引き返した。再度確認して狭い方に左折が正解だった。

 勿論すれ違う車は一台もいない。途中に高取城祉の表示があり路駐して細い道をすすむ。所々に標識があるのだが誰もいないので心細い。暫く進むと突然大手門の所に突き当たった。そこで本丸から降りてきた人に逢いました。

 そこから天守跡まで道なりに行きました。大手門から天守まででも結構な距離だから下から上がったら大変です。結果的に裏から登ってきたのですね。夢創館でコーヒーを飲みながらCGを見せてもらって気がつきました。とてもよく出来ているCGですね。特にCGと現状対比のものは分かりやすくてよかったです。
二条城
2008年6月11日
 宇治に前泊してまだ暗いうちに明治天皇稜を参拝し、そばにある伏見桃山城を見学し国道24号から県道38号で二条城の駐車場前に到着する。開城まで大分時間があるので室町通りまで足を延ばし8:45に戻り入城した。

 室町時代の室町ってこの通りからついた名前だと言うことを知りました。既に券売機の前は黒山の人だかりだ。ここも修学旅行以来なので四十数年ぶりだ。国宝二の丸御殿は大渋滞で凄い人気です。廊下の虎の絵やウグイス張りはいまだに健在で昔の通りのような音がします。(勘違いかも)

 それに比べて本丸がイヤに質素な感じです。以前に来たときには全く気がつきませんでした。とにかく大人気の二条城でした。スタンプは入城して右手の管理事務所に入るとすぐ前に置いてありました。
安土城
2008年6月11日
 二条城から国道1号線を栗東に抜け8号線から県道26号で近江八幡城を覗いてから県道2号線で安土城に向う。信長の館は標識に従って道なりに行ける。

 信長の館の黄金の間は人工物とはいえ凄く綺麗です。おそらく同じようなイメージのものが安土城にあったのでしょう。安土城へは信長の館からJRの下をくぐって800m行くと着きます。駐車料の変わりに入門料を払います。そこから四百数十段の階段が待っています。

 しばらく登ると仏足石がありその後信長の本廟へ、門の奥20mに見えます。戻って本丸から天守跡へ礎石が並んでいます。天守からの見晴らしを楽しんでから下りは三重塔から仁王門を経て入口に戻りました。スタンプは信長の館の受付で押印しました。安土城へ登るときは入口にある杖を利用された方が年配者はベターです。
観音寺城
2008年6月11日
 安土城で観音寺城までの地図をもらって先ずお土産処「石寺楽市」を訪ねた。15世紀にこの地で初めて楽市楽座が出来たのを記念して作られたものだそうだ。といっても田舎の野菜即売所のようなところです。

 スタンプはここで押印した。店番のおばちゃんに観音寺城までの道を聞いた。2本道があってどちらも有料である。1本はここからすぐの所にある観音正寺参道だが階段を登るとのこと。もう1本は2km先の林道から入りそこの駐車場から平地を歩く道でこちらから行った。

 観音正寺までは500mの道のりだ。お寺の中をしばらく行くと観音寺城跡まで310mの標識がある。でもなんか獣道のようで心もとない。一応踏み跡があるので道なりに行くと苔むした階段がある。それを登ること100mで本城跡の石碑と観音寺城祉の表示板があった。ここが100名城?と思うほど未整備でこれからのお城です。観音正寺は立派なお寺でした。
彦根城
2008年6月11日
 観音寺城から県道2号線で彦根城に回る。二の丸駐車場に車を入れて表門券売所でスタンプを押印する。彦根城は三重天守がとても綺麗で太鼓門橋から、月見櫓から、西の丸からそれぞれが皆美しい景観をかもし出している。

 観音寺城が山城で未整備だったから国宝の彦根城が余計引き立って見えるようである。ここは築城に相当時間をかけたと伝えられているが、信長・秀吉の影響力を排除するため家康が立派なものを作られたのでしょう。

 一説によると天守は京極氏の大津城から、西の丸三重櫓は浅井氏の小谷城から、天秤櫓は秀吉の長浜城からそれぞれ移築されたと言うことらしい。次の小谷城が押しているのではしょって見学した。彦ニャングッズは買いませんでした。
小谷城
2008年6月11日
 彦根城から国道8号、県道510号、国道365号を経て小谷城戦国歴史資料館に16時到着する。今日はここが最後のお城です。戦国歴史資料館でスタンプを押印して小谷城までの道順を受付の女性に聞きました。地図をいただいて懇切に説明していただきました。熊が出るので鈴かラジオをつけて入山して欲しいとのことです。

 暗くなるので戦国歴史資料館の見学もそこそこに小谷城址に向います。標高300mの番所跡まで車で上がります。若干の駐車スペースに停めて入山します。一応鈴の付いた杖を用意してきたので大きめに音を鳴らしながら登り始めます。しばらく登ると急に開けてそこが大広間です。大広間からまた上がると突き当たりに石垣が見え、そこが本丸跡です。そこを過ぎると一旦下ってまた登りになります。その辺で17時を回ったので引き返しました。

 車に戻るとパトカーのお巡りさんがいました。やっぱり本当に熊が出るのかしら?
篠山城
2008年6月19日
 名神高速を京都東で降りて国道1号、9号、372号と乗り継いで県道77号との分岐を右手にしばらく行くと篠山城の駐車場に着きます。標識が少なくて分かりにくいです。入口の堀にかかる橋を渡って入口に入るとすぐ大書院が正面に見えます。

 大書院の受付にて入場料を払いスタンプを押印しました。国道372号を走っているとデカンショ街道の表示があり何のことかと思っていましたがあのデカンショ節のお祭りが当地で行われているとのこと受付の方から教えてもらいました。

 大書院は木造のしっかりした建築で京都の二条城の二の丸御殿のような感じです。周りには武家屋敷や歴史村、安間家資料館などがありますが、あいにくの雨で大書院のみの見学にとどめ、次の福知山城にむかいました。
竹田城
2008年6月19日
 福知山城から国道9号、312号、県道104号でJR竹田駅へ向う。県道は旧街道で古い町並が続きます。竹田駅で駅員さんにお願いしてスタンプを出していただき、ついでにお城への道順を教えていただきました。

 徒歩の場合は竹田駅裏から800m、30分登りの登山道があります。車の場合は街道を暫く進み踏み切りを渡り標識に従って駐車場まで行きそこから300mの階段を一気に登ります。階段といっても山の階段ですから結構きついです。

 途中から石垣が見えてきます。そこが頂上かと思うとまだ回り込んで坂は続きます。最後の天守への石段を登り天守広場へ、そこからさらに梯子で天守跡に登ってそこが頂上です。遠くで雷が鳴っていますが、雨も小降りですが結構見晴らしが利きます。登城情報にあるようにここは天空の城なんでしょうね。とてもいい感じです。手を入れればもっともっといい場所になると思いました。
姫路城
2008年6月19日
 竹田城から播但道に乗ろうと思うのだが標識が少なくなかなか分からない。コンビニで聞いて朝来ICから乗りました。恥ずかしながら朝来をあさぎといままで読み違えておりました。

 播但道を終点で降りて2号姫路バイパスを進み中字ICで降りる。播但道出口のおじさんから十時(じゅーじ)で降りてくださいと聞き違いしてたのでいきなり中字ICが出てきたときには焦りました。中字ICからは案内に沿って進みます。

 姫路城は以前仕事の帰りに何回も訪れたお城です。二の丸駐車場に車を入れて桜門橋を渡りますがこれは以前とは違ったような感じです。桜門から中に入ると「世界遺産 姫路城」と書かれた巨大な石碑がお出迎えです。これも以前には無かったものです。

 スタンプは入場券売場の横の管理事務所に置いてありました。管理の担当者が、前の人は試し押しではうまくいったのに本番の台帳では失敗していたと云っていました。自分は貼付派なのでやっぱりと思いました。次の赤穂城に向いました。
赤穂城
2008年6月19日
 姫路城から山陽道に入り、国道250号に降りてから案内に沿って赤穂城に向う。最後の角を間違ってしばらくウロウロしていたが偶然赤穂神社に出くわした。

 赤穂城の訪問は3回目だ。前回は10年ほど前だ。赤穂城の前に車を停める。あいにくの雨で誰もいない。時間も16時を回っている。目の前にある赤穂城に全く見覚えがない。すべてが綺麗になっている。以前首だけ出して写真を撮る看板もなくなっている。おそらく大々的な改修があったのだと思われるが公園化している。あいにく大雨になってきて写真を撮るのも容易ではなくなってきた。

 スタンプはお城の入り口門に寂しく置いてありました。大石神社の四十七氏の像を撮りました。神社は昔日の面影あるも閑散としていて居心地今一で車に逃げ込みました。6/19は赤穂城が最後で相生に宿泊し翌日龍野城(番外)、明石城、津城(番外)、松阪城を周ります。
明石城
2008年6月20日
 朝一で龍野城に登り国道2号バイパスを明石西ICで降りて国道2号線を明石城に進む。たかだか10Km強だが朝の2号線は生活道路で大変な混雑です。明石西ICではなく玉津ICから国道175号で行ったほうが良いです。

 県道52号を左折して案内にしたがって明石公園駐車場に車を入れます。駐車場は奥のほうが正面入口に近いのですが手前に停めた為お城の裏手から回りこむように天守跡に着きました。。隅櫓が2つありますが、中には入れません。二の丸跡から正面出口にある日時計に出ました。そこの公園サービスセンターでスタンプを押印しました。

 この日も朝から雨が断続的に降っています。入口広場から見ると左右に櫓が建っていて、今はない本丸、天守があったらと思われます。お城の帰りに明石天文館に寄ったらその日はこどもの日で午前中は貸切状態なのであきらめました。次は松阪城です。
松阪城
2008年6月20日
 明石から松阪まで200kmの移動です。国道2号線から阪神高速、西名阪高速、国道25号名阪国道から国道163号で津方面へ、国道23号、42号、県道756号で松阪城の側の市営駐車場に停めました。

 徒歩で登ります。入口に歴史民俗資料館があります。後で見ることにして櫓跡、本丸跡を見ますが跡碑だけで石垣だけ残っています。広場には梶井基次郎の文学碑が建っています。民俗資料館には近江商人に関する資料が展示されています。昔の煙草入れの偽皮紙は上手く出来ています。薬の販売用の看板や軽粉(おしろい)など展示されています。

 また映画監督の小津安二郎も松阪に縁があることを知りました。また珍しいと言われる鉄製の宝篋印塔の事など係員の方から懇切な説明をいただきました。松阪城の後近くに阿坂城祉(白米城祉)があるので行って見ましたが石碑だけ分かりました。
高松城
2008年7月28日
 朝早くに明石大橋を渡って洲本城を見学してから、国道28号、11号と乗り継ぎ、途中の琴林公園松原うどんで朝食代わりの讃岐うどんを一杯、とても美味しいです。

高松市内で国道11号から国道30号に突き当たり右折してしばらく行くと高松城が見えます。30号に沿った琴電高松築港駅側が西入口で玉藻公園駐車場は反対側の東入口です。玉藻公園駐車場は無料ですが、分からなくて西側の有料駐車場に停めました。失敗しました。

西入口から入ると海水導入門があります。そばに鯛願城就の旗がはためいて50円で買った餌をまくと鯛が群がってきます。凄いですね。鳩まで集まってきました。あとで鯛願城就のハンカチを買いました。

天守、大書院をまわって来ましたが既に大汗です。大書院の庭の樹木の手入れをしていました。また復元工事もやっていました。城内に海水を引き入れているのは初めてでした。鯛の群れが印象に残りました。
丸亀城
2008年7月28日
 高松城のそばにある栗林公園を見てから、丸亀城まで足を伸ばしました。市内に入り国道11号から県道21号を経由して行きます。上り坂は結構きついです。石垣は高くていい反りをしていてかっこいいですね。

さて坂を登って天守閣に入ろうとすると16時を5分ほどまわっていたので閉まっていました。16:30入館締め切りと勘違いしてました。声が聞こえるのでスタンプの押印をお願いしました。5分位なので入れてくれるかなと思いましたがスタンプの押印だけでした。

天守広場から市街地を見下ろすととんがった山があって印象的です。山の名前は分かりません。とにかく暑いのでお城を見に来る人は先ずいないので聞こうにも聞けません。登りもきついので散歩代わりに登る人もいないようです。

自分の不注意で天守に登れなかったこともありとぼとぼと坂道を下ってくると途中に高浜虚子の句碑「稲むしろあり 飯の山あり 今昔」があり、説明文に虚子が丸亀平野を隔てて讃岐富士(飯の山)を見たとあって、やっと山の名前が分かりました。この句で少し元気がでました。
今治城
2008年7月29日
 高松のホテルを早朝に出立し、高松西ICから今治湯の浦ICで県道38号に乗りかえる。今治城第一駐車場に入れて振り向くと青空に白く浮かぶ今治城の姿があった。

一番乗りで鉄御門に架かる橋を渡り城内に入る。、鉄御門、高虎公像と後ろの天守、山里、御金、武具、多聞櫓、吹揚神社それぞれが素晴らしいです。確かに創建時のそれとは多少違っているのでしょうが問題にならないくらい綺麗に整備されています。

天守からは今治港が一望の下です。海水を引き入れているお堀の導入口もよく見えます。広場には今治の繊維産業の基を築いた矢野七三郎の像があり「首倡功(はじめて功をとなう)」の言葉を初めて知りました。

とにかく凄く綺麗なお城というのが印象です。
湯築城
2008年7月29日
 今治城から国道317号から海側の196号を通って湯築城へ移動した。途中で道に迷い道後温泉の表示を目指して進み道後公園駐車場から湯築城に入った。

湯築城資料館でビデオを見せていただきました。係りの人に大変親切にしていただきました。ビデオでお城の歴史や状況を知り、その裏にある復原武家屋敷を見学しました。中には人形が当時の姿を再現していました。

森の方に進みましたが樹木が鬱蒼としていて何も無いので戻りました。意外と規模が大きなお城だということが分かります。資料館以外のところももう少しあればと思いました。
松山城
2008年7月29日
 湯築城から松山城に回る。車で数分の距離です。ロープウェイで上ることにし乗り場のそばのコイン駐車場に車を入れました。10数年前に来たときは徒歩で登った筈です。

ロープウェイとリフトと2種類あります。行きはリフト、帰りはロープウェイを使いました。頂上駅から徒歩で重文も含めた数箇所の門をくぐって天守に行き着きます。入口から北隅櫓、小天守、天守と渡り松山の市街が一望の下です。確か台湾にも松山と言う地名があったのを唐突に思い出しました。

階段は結構急でよく使い込んだ歴史を感じさせるものです。勿論木造天守で重文に指定されています。でもちょっと安普請風です。見方が違っていたらごめんなさい。
大洲城
2008年7月29日
 松山城から高速道と国道56号を乗り継いで大洲市内に入ったら大洲市役所を右折します。標識は曲がったところにあるのでちょっと分かりにくいです。最初は反対に左折してしまいました。

駐車場入れて徒歩数分で大洲城です。天守は復元です。入ってみるとまだ十分に新しく木の香りがいいです。肱川沿いに建てられています。台所櫓、高欄櫓が付いています。その他の櫓は離れたところにあるようですが、ちょっと分かりません。

天守にはちょっとした展示場があって鯱が展示してありました。石垣は野面積みに積んであるようです。次の宇和島城の時間が押しているので退去しました。
宇和島城
2008年7月29日
 大洲城から宇和島城に移動です。高速大洲北只ICから終点(高速未完成)まで乗って県道45号、国道56号と乗り継いで市内の標識に従い駐車場へ入るのだが、標識に木がかかっていて見えない。

何回かまわって分からずに店に入って聞きました。ちょっと先の標識が隠れているのがやっと分かりました。時間をロスしてしまったので慌てて急な石段を天守に駆け上がりました。よく上がれたと思いました。ここでも16時を5分ほど過ぎてしまいましたが受付の人は途中で戸締りを始めますので17時までに退去してくださいと言って入れてくれました。

天守は重文となっていて、木造の歴史あるお城です。天守からは市街が一望の下です。宇和島の海も見えます。帰りの石段を降りながらよくこんな階段を駆け上がったと思いました。今日の宿は松山なので国道56号をゆっくり松山まで戻りました。
高知城
2008年7月30日
 前泊の松山のホテルから国道33号で高知に向う。途中の仁淀川に軍艦そっくりな島があって少し休憩する。高知市内に入り県庁前の駐車場に入れる。徒歩300mほどで国宝高知城に着く。重文の追手門から入城する。板垣退助の立像が出迎えてくれる。

三の丸の石垣の積みなおしの工事中でした。土佐の中央に高知があり高知の中央に高知城がある。ほぼ完全な形で残っているのは全国でそうないそうです。彼の山内一豊の創建した城とのこと。綺麗な形です。天守から東多聞に回って見学終了です。

三の丸が修復工事中でしたが、工事のやり方をのぼりで説明してあって分かりやすくてよかった。しばらく工事を見ていたが面白かった。帰りに一豊の妻の像が馬と一緒にありました。百名城ではないが安芸城にも足を伸ばした。
徳島城
2008年7月30日
 高知城から安芸、日和佐の両城を経て徳島城へ向います。いよいよ四国最後のお城になりました。

国道55号から11号に変ってしばらく行くと徳島城の標識はないのですがそれらしきところを左折したら公園の駐車場でした。発券機が無いのでそのまま入ったら奥に人がいてお金を払えと血相変えて追いかけてきた。先ずそこから嫌な感じがした。

案の定徳島城博物館に入ると誰も出てこない。奥の控え室でおしゃべりの声が聞こえる。やっと出てきたのでスタンプをお願いする。出てきたスタンプは上下が写らないひどいスタンプです。写らないといっても自分のせいじゃないとばかりの態度がありあり。このお姐さんが噂の人かと納得しました。

資料館のでは阿波踊りのお鯉さんの特集をやっていた。知人に良く似ていたので記念に写真を撮ってきた。そんなで最後のお城は甚だ気分を害してしまった。何もないお城で徳島ではこの程度で百名城かと思いました。ホテルで内藤大助の逆転KOを見て寝ました。
仙台城
2008年8月30日
 益岡公園白石城を見てから高速に乗り仙台で降りて青葉通りから仙台(青葉)城に着きました。美味し国伊達な旅のキャラクターのお結び丸(可愛い)の旗が迎えてくれました。

 まだ開館前なので佐竹氏の像や仙台市街を眺めて時間を待ちました。見聞館の人が時間前に入れてくれました。スタンプを押印してから、お城の話を色々聞かせていただきました。旗印が九つもあったようです。ビデオも見せていただきました。

 帰りに駐車料金400円を支払いました。次に博物館によって魯迅の碑を見ました。胸像と碑があって最初胸像だけと勘違いして帰ろうとしました。よく見ると左に碑があり碑文も付いています。
多賀城
2008年8月30日
 仙台城から国道45号線でしばらく進み標識に従い左折し多賀城駅を左手に見て踏み切りを渡ると埋蔵文化財調査センターに着きます。中に入ると古代多賀城城址のロマンティックな大きい絵が迎えてくれます。月明かりに浮かんでるような絵に見えます。

 ウロウロしていたら係りのお姉さんがスタンプの場所まで誘導してくれました。文化財指定10周年記念の多賀城碑記念展をやっていました。碑には「京を去ること一千五百里、蝦夷の国の界を去ること一百二十里、常陸の国の界・・・」とあります。昔は遠かったのですね。

 その後に胆沢城、水沢城、払田柵にまわりました。胆沢城はアテルイの説明や古代東北蝦夷の世界のビデオなど見所が多いです。水沢城は桂冠門のみがあります。払田柵は古代の城で青空に古代の柵がとても良いコントラストで、すごく印象的でした。
久保田城
2008年8月31日
 ホテルでの朝食後散歩かたがた久保田城に出かけた。千秋公園までJR西口から5分程度で着きます。佐竹資料館口から黒門を抜けて入ってすぐの資料館でスタンプを押印しました。スタンプ帳に昨日の払田柵のしおりをはさんでいたので押印に失敗してしまいました。

 佐竹氏の立像を撮影後、結構広い公園を奥の御隅櫓へ階段で130段あります。御隅櫓からゆっくりと長屋跡、埋門跡を歩いていきます。お堀を出て亀と鴨が遊んでいるのを眺めていましたがふと気がつくとホテルのチェックアウトの時間です。慌ててホテルまで帰りました。

 JR秋田駅へ向う途中、在職時の出張で常宿したホテルの前を通りました。しばらく秋田へ来ていなかったので懐かしい思いをしたと同時に、すぐ側の久保田城に気が付かなかった余裕のなさを思いました。
弘前城
2008年9月13日
 東北道の深夜割引料金を利用して矢板ICから大鰐弘前ICへ国道7号、102号経由で弘前観光会館の地価駐車場に車を入れた。この時期は1時間までは無料です。観光会館で地図をもらって追手門から入城です。杉の大橋を渡って天守へ行きます。桜の頃と比べると人が少ないのにびっくり。

 300円で天守へ、天気が良くなって天守はとても綺麗です。桜の頃に2回来ていますが青葉の弘前城は初めてです。天守内の写真を撮ったところ自動でフラッシュをたいてしまい、係りの人に注意されました。何故か以前に来たときよりも全治的に小さく見えました。桜がないせいでしょうか。

 天守の後に二の丸辰巳櫓によって赤色の杉の大橋出たところにあった100円アイスを食べました。秋田のババヘラアイスに似た味です。お堀には蓮の葉が一杯でした。
根城
2008年9月13日
 弘前城から十和田湖・奥入瀬渓谷を抜け八戸へ向う。十和田湖展望台からの眺望は絶景でした。奥入瀬渓谷も岩手地震の影響はなく観光の車が並んでいた。

 根城には15:30に着いた。駐車場は無料です。資料館前の南部師行公の像を写真にとってからボランティアセンター内でスタンプ押印する。ボランティアの人に案内していただく。主殿には250円で入場する。主殿に入ると城主の厩が再現されている。繋がれている馬も本物そっくりです。

 主殿をまわり、付帯設備を急ぎ足でみて戻りましたが、その間にボランティアの人から城主の南部師行が南朝の味方であった事、曽我氏を撃破していることなどの説明があった。ボランティアの人は以前に蒲田・鶴見に居たそうで昔の話をひとしきりしてしまいました。
盛岡城
2008年9月14日
 前日の弘前城、根城、三戸城をみて盛岡に泊まった。チェックアウトの前に盛岡城を散歩する。ホテルから徒歩15分の所です。

 城址公園の坂を上って広場に出ると42代当主の銅像の台座だけがあります。太平洋戦争で供出させられたとのこと。宮野小提灯の句碑がある。《月まつや独り古城の松のもと》二の丸を抜けると烏帽子岩がある。とても大きい。岩の正面は神社の方から見る。

 その後に石割桜をみた。岩手地裁の庭にある。ぐるっとまわってプラザおでってに向う。途中の道にはとちのみが落ちている。開館が8:15と聞いたので近くのマックで時間を潰す。押印後新渡戸稲造の胸像などを見ながらホテルに戻った。

 盛岡城の後に志波城にいった。広々とした良いお城だ。こういうお城も百名城にあってもいいのではと思いました。
五稜郭
2008年9月27日
 東北道深夜割引(5割引)を利用して浦和から青森へ着いたがフェリーは出航した後でした。急遽大間経由函館へこれも出航間際に飛び乗った。

 函館から道に迷って偶然四稜郭へ着いた。折角なので見学後五稜郭へ。当日は雨模様で少し寒いくらいだ。箱館戦争供養塔から堀を渡って公園内へ入園する。足元がぬかるんでいる。そんなに高くはない石垣から箱館奉行所の再建工事が続いている。

 箱館奉行所は大工事のようだ。平成22年に完成予定だがこれから行く人は楽しみです。管理事務所で押印して次の松前城に。予定のフェリーに乗れず時間が押しているので気がせいて次の松前城に向う道も間違えてしまった。
松前城
2008年9月27日
 五稜郭から松前城に向う。道を間違えて函館市内でロスした分時間がない。松前城に着いたのは閉館1分前、扉を閉める寸前でした。入館料は350円です。受付で押印しました。

 天守にはアイヌの資料、特にアイヌ12酋長の似顔絵が迫力ありました。それずれの特徴を掴んでよく描かれています。小振りな城です。外に出ると海からの風が小雨交じりでとても寒く震えてしまいました。

 その後に松前藩屋敷にまわりましたが、既に閉館でした。屋敷内には入れないという条件で中に入れていただきました。昔の民家や武家があり生活を偲ばせるものです。奥に金子翁の書道碑が10月にオープンだそうです。
根室半島チャシ跡群
2008年9月30日
 松前城から積丹半島、札幌、旭山動物園、サロマ湖、網走と観光してやっと根室のチャシに着きました。

 根室市歴史と自然の資料館は研究室といった佇まいです。リンドバーク夫妻が根室に飛来した時のものや自然の動物の剥製などが所狭しと並んでいます。押印してからチャシの場所を教えていただきました。

 折角なのですぐ側にある花咲車石、納沙布岬を見学してから温根元漁港近くにあるチャシに行きました。漁港からテトラポット沿いの浜辺の道を抜けてチャシに行きますが、テトラポットを乗越えられません。危うく落ちそうになりました。携帯電波塔から民家を抜けてゆく道も途中で分かりません。

 ここの百名城はちょっと無理があるようです。漁港から見える範囲で写真を撮りました。辿り着けなくて残念でしたが怪我するよりましですね。
津山城
2008年11月15日
 高速道路深夜半額を利用して東名、名神、中国道から国道53号を経由して津山城へ。観光センターに駐車してお城へ向う。城への階段を登って入場料210円払って中に入るとあの信長の小姓であった森欄丸の弟の森忠政公の像が迎えてくれる。

忠政も小姓に取立てられるが同輩にからかわれて頭を叩いたのを信長に見られて返されるのだがそれが自分の命を救うことになる。本能寺の変だ。その後松代城、津山城に移封。

備中櫓でスタンプ押印する。この城が70城目だという人に会う(後でKUROさんとわかる)。城内の紅葉が綺麗で大銀杏は黄金の輝きだ。これだけでも充分に価値があります。

KUROさんも同じコースだということで、再会するかもねと津山城を後にした。
備中松山城
2008年11月15日
津山城から国道53,181,中国道有漢ICから県道で鶴見橋公園駐車場までゆき、そこからバスに乗換えて更に上の鞴(ふいご)峠までゆく。結構スリルのある狭道で雨の時は運休になるそうだ。鞴峠の登城心得に「忘れ物なきよう身支度すべし」とあった。

鞴峠からは徒歩で天守に向う。途中の道にはボランティアが落葉を清掃していた。頂上には備中松山城址と少し離れて天守、二重櫓がある。ここでも黒門、四平櫓跡辺りは紅葉が見頃だ。やがて天守が見えてくるが小振りだが風情のあるものだ。天守は急峻な崖の上なので崩落が心配か。

KUROさんと帰り道ですれ違った。1バス遅れたようだ。会釈して過ぎる。次は鬼の城だ。
鬼ノ城
2008年11月15日
 備中松山城から国道180号で鬼の城に向う。鬼城山ビジターセンターへの道は確かに本欄で言うように狭いがさほどではない。センターで押印、さほど興味を引くようなものはなかったのですぐに復原西門に向う。

お年寄りの集団が車椅子の人をロープで引っ張って上に向っていた。復原西門に向う道は平坦な登り道と急な坂道と二つあり、係員は平坦の道の方を勧めるが訛りが強いのでお年寄りに通じない。坂道は道が悪いので車椅子の小車輪を登り方向に向けるとうまく進めない。その内にリーダーの人が大きいほうの車輪を上に向けたのでやっと進んだ。

でも皆で一生懸命協力して西門に着いた時にこちらもほっとしました。連れが前の2城で
くたびれて車内に置いて来たので西門から先に進まずに引き返した。

復原西門のおどろおどろしい梵字(のような)と絵が何なのか分からずじまいであった。
岡山城
2008年11月15日
 鬼城山から国道180号で岡山城へ。大手前駐車場でしばらく空くのを待ったが駄目でそばの有料駐車場も一杯、しかたが無いので連れを残して路駐した。

岡山城の裏側の土手沿いの方から入城した。裏側は空き地になっていて数台の車が止まっていた。岡山城は久し振り2回目である。城下門を通って広場に出ると烏城と呼ばれるお城は黒ずくめで堂々としている。

お城では特別展「岡山藩郡代 津田永忠の偉業と池田家」をやっている。したがって本サイトにあるように入場料が高い。津田永忠は備前岡山藩の池田氏に仕えたもので、藩校の設立、新田・用水の開発、後楽園の造営等に尽力した人である。

路駐が心配なので速やかに戻った。
福山城
2008年11月15日
 岡山城から国道180号から山陽道を飛ばして福山城へ。広場では菊展をやっている。16:30に入城、受付で押印する。17:00までは開けている様だが、自分の後は誰も入ってこなかった。

入城すると家康・勝家が出迎えてくれる。コンクリート作りのお城は少々味気ない。天守に登ると眼下には新幹線ホーム、福山市外が一望だ。

天守は外から見るとそれなりに美しいものだ。新幹線ホームからの撮影は出来なかった。今日のホテルに向った。津山、備中松山、鬼城山、岡山、福山の5城を周った。
郡山城
2008年11月16日
 前日福山で叔父夫妻と会食し、少々重くなった身体で郡山城へ向う。国道2号、184号、54号で吉田歴史民俗資料館へ着く。資料館で押印し地図を貰って車で移動する。資料館には毛利元就の映像が印象的だ。

登った所の駐車場に車を置いて、徒歩で毛利元就の墓所、百万一心の碑に向う。なだらかな道だ。小雨で暗い。いかにも墓所の雰囲気だ。

本丸まで800mの表示で登り始めるが、雨で石畳がぬかるんで滑って危険なので100mほど登って引き返した。やっぱり下り坂で滑って怖かった。

墓所付近の銀杏もいい感じでした。
広島城
2008年11月16日
 郡山城から国道54号、県道6号で広島城へ着く。広島城護国神社は大変な人出だ。駐車にしばらく並んでやっと入れた。

広島城は大田川の河口のデルタに作ったお城だ。木造の天守は堂々として風格が在る。押印は天守2階の売店の呼び出しなのも本サイトの通りである。天守からは原爆ドームの屋根がかすかに見える。

お城の後に原爆ドーム、平和記念資料館に行った。資料館は初めてだった。原爆投下時間の写真が胸に迫る。資料館の後は疲れてタクシーでお城へ戻った。
岩国城
2008年11月16日
 広島城から国道2号、広島岩国道路で岩国城へ向う。岩国城は16:30で閉館、リフトの乗車は16:00迄に乗らないと間に合わない。リフトの駐車場に入れて、なんとか15:40のリフトに飛び乗った。

お城とリフトのセット券は800円、リフトのみは560円だ。リフトを降りてそこから上り坂だ。やや小振りの天守であるが風情があってよいものだ。受付で押印する。天守から眺める錦帯橋も乙なものだ。

リフトを降りて白蛇を見学した。見学は連れ合いのみ3匹いたらしい。錦帯橋へ徒歩で移動する。錦帯橋は既に渡っているのでここも連れ合いのみ渡る。渡橋料は300円だ。水面に映る橋を撮影した。本日は郡山、広島、岩国の3城を周った。山口のホテルまで移動する。
萩城
2008年11月17日
 前日の山口のホテルから秋芳洞観光をしてから萩城へ到着した。萩城駐車場からお城に向う。お濠に沢山の鯉がいる。早速鯉の餌(50円)を購入して撒いてみると大量の鯉が集まってきた。

入口で入場料210円を払って押印する。天守跡の石垣群、お濠、神社をみる。自転車の乗り入れが可能だ。指月山の方には行かなかった。戻って長屋を見学、萩城の明治の写真があった。立派なお城だったようだ。

土産店をひやかしていたら夏みかんキャラメルを見つけて1個買って食べたら美味しいので連れ合いはお土産に追加購入した。
津和野城
2008年11月17日
 萩城から県道を乗り継いで津和野城へ向った。奇跡的にリフトが修理完了していることを願ったがやっぱり故障中でした。リフト茶屋で押印し神社の駐車場に車を入れてから、中国自然道で津和野城址の坂道を登った。

最初自然道の入口が分からずに神社の裏手に行ったりと苦労した。大きな鳥居の下に自然道の表示が見える。山道を一人黙々と登っていく。途中にリフトと交差する。頂上は石垣が昔の姿を留めているだけだ。SLが通る時間はまだだ。

行き帰りで50分かかりました。自然道の入口ではSLを狙ったカメラマンがチャンスを狙っていました。
松江城
2008年11月18日
 前日の松江のホテルから朝一で松江城に向う。小雨模様だ。島根県物産館に駐車、あとで買物をする。連れ合いは車でテレビを見るという。

入場料は300円だ。松江開府400年とNHKテレビだんだんの幟がはためいている。月曜の朝だというのに朝から観光客が多い。天守は木造のしっかりしたものだ。

最上階からは宍道湖を見ることが出来る。各階ともよく手入れされていてとっても感じいい。お濠からは堀川めぐりの船が出ている。天気が良ければ・・と思った。次は月山冨田城だ。
月山富田城
2008年11月18日
 松江城から月山冨田城へ向う。安来市立歴史資料館でスタンプ押印する。津山城で会ったKUROさんに再会した。

車にご一緒させていただき、山中鹿之助像、山中御殿、花の壇をまわった。小雨模様のあいにくの天気だ。山中御殿跡から本丸までの道があるが雨模様だし割愛した。

確かに道は狭くてすれ違いは不可。難攻不落の城を彷彿とした。KUROさんもこの後鳥取城に向うそうだ。友人を待たしているとのことでKUROさん先に行く。
鳥取城
2008年11月18日
 いよいよ中国地方最後のお城になった。県立博物館に駐車し、仁風閣に入る。白亜の立派な洋館だ。まだ工事は続いているが中には入れます。受付で押印した。

仁風閣には名付け親の東郷平八郎揮毫の「仁風閣」がある。最後の城だから二の丸石垣を見てから山の上丸へ登り始めたが、雨が降ってきて足元が危ないので山の上丸への登城は断念した。

この後に鳥取砂丘へ行きました。やはり雨で、風も強く、小雨を待って砂丘に行きましたが寒さでいい加減なところで引き返しました。中国地方のお城を周ったので残りは九州と沖縄を残すのみとなりました。
大分府内城
2008年12月20日
 例によって高速道路深夜割引を利用して東京から大分まで休憩しながら18時間で着きました。大分から時計回りで九州のお城を走破します。最初は中津城に寄りました。中津城も良いお城です。

 別府湾を見下ろして大分府内城に着いたのが11時過ぎでした。城址内にある大分文化会館の2階の玄関前にスタンプは寂しく放置してありました。お城は文化会館の付け足しのような感じです。

 それでも文化会館の周りをぐるっとまわると石垣や濠などの遺構は整備されています。荷揚城と呼ばれていた頃の築城の際のお宮の人柱の表示がありました。当時は他の百名城でもそのような例を見ました。でもそのお陰で難工事を完了させお宮は府内城の鎮守となったそうですからまずはめでたしですか。私見ですが中津城の方がそれらしいですね。
岡城
2008年12月20日
 大分府内城から竹田の岡城駐車場へ回ります。大きな駐車場で無料です。奥に観覧券発売所があります。料金300円を払うとこのサイトでお馴染みの巻物が手渡されます。相棒は頂上まで20分かかると脅され車で待つことに。

 ここ竹田の名物ベストテンの1位は勿論岡城であるが、荒城の月、広瀬中佐等があるようだ。ただ今日は登城路のお店がお休みで荒城の月のメロディーが全く聞こえてきません。少しだけ開いているお店のラジオが流れているだけです。

 登城路の横の石垣の上はは丸みを帯びています。大手門を過ぎて三の丸、二の丸を経て本丸に着く。本丸の石垣は切り立っている。ちょっと危険です。滝廉太郎の銅像が山並みを背にして佇んでいます。まさしくこのお城は荒城の月そのものだと思えてきました。
飫肥城
2008年12月21日
 宮崎のホテルに前泊して宮崎県庁通りの朝市で蜜柑の詰め放題300円美味しい蜜柑をゲットしてから飫肥城に回りました。

 ナビの案内が裏門に着いてしまい、裏門の道路に路駐して裏から表にまわりました。表には豫章館があり賑やかな音頭が流れています。また大手門を入りなおして飫肥城歴史資料館でスタンプ押印します。入場料は全館共通で600円、歴史館だけなら200円です。

 裏門から入ったので動揺しておびてんを食べるのを忘れていました。折角このサイトで調べていったのに残念でした。裏門側には立派な飫肥杉がそびえています。また日露戦争終結に功のあった小村寿太郎外務大臣記念館も行きたかったがこの後鹿児島。熊本まで足を延ばすので割愛した。
鹿児島城
2008年12月21日
 飫肥から国道と九州道で4時間かけて鹿児島へ。鹿児島県歴史資料センター黎明館と美術館の共用駐車場は駐車券を貰って無料です。黎明館への入場料は300円です。スタンプはここで押印します。

 黎明館の展示は古代から近代の鹿児島の民俗、美術・工芸である。隼人の盾というのがあって渦巻き文様であるが、鬼の城の門の文様に似ていた。邪気を払う文様との事。現代では天文館通の模型が面白かった。

 外の通りに出て西郷隆盛像、小松帯刀像、西南戦争銃丸跡を見学した。銃丸は良く見ると表示の場所以外にも到る所に跡があるようです。ボランティアの方には写真撮影を快諾していただきその対応に感心しました。その後天文館通りに行って黒豚を食べようと車で探しましたが分からずに鹿児島を後にしました。
人吉城
2008年12月21日
 鹿児島天文館での黒豚探しで時間をとられ人吉に着いたのが閉館間際でした。早速人吉城歴史館「相良清兵衛屋敷」に入館した。入館料は200円、駐車代は無料です。人吉には今まで来たことがありません。百名城が無ければおそらく来なかったでしょう。

 青井阿蘇神社のおくんち祭りが10月にあるそうですがそれが人吉最大のお祭りだそうです。どんなお祭りでしょう。係員の人に頼んで地下室を見せていただきました。階段を下りてゆくと8畳くらいの場所に3畳ほどの小さなプールがあります。そこに下りる5段くらいの階段がついています。なにか水浴びをするような場所の様です。

 歴史館を出て通りの向こうに城址があります。石垣以外の遺構はありません。石垣の外は球磨川です。石垣が切れているところがあってそこから物資の出し入れをしたようです。一通り見終わったら雨が落ちてきました。そのまま側にある人吉温泉に行きました。
熊本城
2008年12月22日
 前夜人吉から熊本まで移動したときは大雨でしたが今朝はまあまあの天気です。ホテルからお城までは車で10分程度です。入城料は500円、二の丸駐車場は200円です。
城から帰ったら烏の糞で汚れてしまいました。木の下は注意です。

 宇土櫓と天守は無料である。本丸御殿の入城が料金の全てである。天守はコンクリートのお城ですから多少味気ないものです。宇土櫓はそのままの姿で残っているが何しろ中が暗いので良く分からない。もう少し維持に問題の無い照明をしたらどうなのか。

 本丸御殿は素晴らしい。特に王昭君の間は良かった。本当は将軍の間として秀頼を迎えたかったのが清正の気持ちでしょうか。石垣はいまさら云うまでも無く素晴らしいものだ。清正の像を見過ごしてしまい、後ではぜ方門に車を停めて撮影した。
島原城
2008年12月22日
 熊本港から九商フェリーの11時の便で島原外港へ渡る。11時の便は特別に4割引なので車の方はお勧めです。1時間で島原外港に着きます。その間相棒とぐっすり寝ました。

 普賢岳の灰で真っ白になった島原城を見て以来の入場です。天守から眺める平成新山(旧普賢岳)がその跡を留めています。入城料は520円、駐車代は310円です。城内の展示物はキリシタン関係の展示物が多い。

 城外には北村西望記念館があり長崎平和記念像のモデルも展示されている。また復興記念館もあり往時の噴火の跡を展示している。この後に天草四郎最後の戦いで有名な原城に寄りました。海を背にしたお城で悲劇がそこかしこに埋まっているようです。
平戸城
2008年12月23日
 前日は長崎の原爆資料館、平和記念像を見て宿泊し、朝に大村城に寄ったあとに平戸に来ました。入城料500円で駐車代は無料です。スタンプは天守にて押印します。

 ここ平戸から遣唐使が中国に渡った事を忘れていました。天守からは平戸港が見えます。また渡ってきた平戸大橋も綺麗に見えます。平戸出身の中山慶子さんが明治天皇の生母だということを知りました。

 また平戸に初めてタバコの種子が渡ってきたという碑があります。先史ではここが世界の窓口だったのですね。その後平戸から長崎に窓口が移ってしまったことも平戸の歴史を変える出来事だったのでしょう。


 
名護屋城
2008年12月23日
 平戸から名護屋城へ移動する。まずは佐賀県立名護屋城博物館へ入る。立派な博物館であるが入城料、駐車代ともに無料である。ここは秀吉の朝鮮出兵の基地として築城されたものである。壮絶な無駄の象徴のお城である。

 博物館を出て城跡へ登る。頂上の台地からははるかに水平線が見える。各大名の陣立てが配置図としておかれている。中臣鎌足が失敗した白村江出兵と同じようなことをやったのですね。各大名の怨嗟の声が聞こえてきそうです。

 天守台は復元工事中?で全体に防水シートで覆われていて縄張りされているので中央の石碑に近づけません。『太閤が 睨みし海の 霞かな』関西の俳人の青木月斗が詠んだ句碑があります。睨んだ眼は半分虚ろではなかったでしょうか。
佐賀城
2008年12月23日
 名護屋城から唐津城に寄ってから佐賀城に着ました。佐賀城本丸歴史館は入場料無料ですが満足度に応じた寄付をすることになっています。言うだけのことはあって立派な歴史館です。閉館時間は18時になっていました。

 ネットで調べたときは17時閉館になっていたので焦りましたがゆっくり見ることが出来ました。本丸御殿のように建てられた歴史館で佐賀排出の偉人たちの紹介でした。天守台の遺構と濠、鯱の門は当時の姿を留めている。

 ホテルに着いてボクシングの内藤大助の世界タイトルマッチを見ました。確か前回の世界戦のときも百名城見学でどこかのホテルで見ていました。佐賀は10年ほど前に来ましたがその時に買った塩羊羹が何処にも売っていません。あの塩羊羹はいずこに・・
吉野ヶ里
2008年12月24日
 佐賀のホテルから吉野ヶ里に着いたときは時間前で10分ほど開館を待ちました。一番で入りましたが何処に停めていいのか分かりませんでした。全く車がいないと分かりにくいものです。矢印に従っていったら外に出てしまう羽目になりました。

 吉野ヶ里の全体のビデオを見てから電動自動車で一旦ぐるっと廻りながら大まかな解説を運転手さんからしていただきました。寒いので厚いビニールのカーテンが幌になっていて少し見にくかったのが残念でした。

 王墓から見ながら入口まで戻ってきます。それぞれに見応えがあります。南内郭の櫓に上がって全体を見渡しました。ボランティアさんの懇切な説明がありました。今より海岸線がずっと近かったこと、渡航人の集落もあることから文化の継承地でもありました。

 勾玉の体験作成をしました。時間が無いので途中の仕上がりとなりましたが面白かったです。その後で古代米の雑炊を食べました。ここで大幅に時間を超過しました。
大野城
2008年12月24日
 久留米城から大宰府展示館に着く。駐車場が見えないので展示館の先のお寺の駐車場の前に相棒を待機させて路駐した。入城料は150円です。スタンプは展示館で押印しました。

 古代大和朝廷の出先機関であった大宰府政庁跡は展示館のすぐ横にあります。ボランティアさんの説明を聞きました。説明上手でした。その後政庁跡を見学してから太宰府天満宮に寄って来年の干支の牛を撫でてきました。天満宮は民間駐車場500円でした。

 そのあと県道を登って県民の森に進みます。途中で岩屋城があり県道の広がっているところに車を停めて岩屋城に5分ほどで登りました。忠烈碑を撮影しました。その後百間石垣を見てから福岡にまわりました。大野城跡は結局分かりませんでしたが展示館と岩屋城、百間石垣でよしとしました。


 
福岡城
2008年12月25日
 昨日も鴻臚館に行きましたが時間切れで閉館してましたので押印だけしてもらい、翌朝ホテルから一番で鴻臚館に行きました。入館は無料ですが、コイン駐車場200円でした。

 鴻臚館の係りの人は昨日来た事を覚えていてくれて色々説明をしてくれました。鴻臚館は古代の迎賓館であったこと。中大兄皇子がはじめた白村江の戦いを無駄なことだと力説していました。

 面白かったのは古代の迎賓館のトイレは籌木と呼ばれる細い円筒木で尻を拭ったということで実物が展示されています。この後金印(漢の倭の・・)の話が出てついでに見に行くこととした。福岡市博物館にありました。その後海ノ中道を通って金印公園まで行きました。玄界灘をはじめて見ました。
今帰仁城
2009年1月27日
 微糖さん同様、沖縄3城を含む世界遺産9ヶ所と名所巡りの1泊2日の旅の始まりです。SM社の往復航空券21千円、SR社のレンタカー7千円、RI社ホテル6千円は予約しました。羽田発は6:55で那覇着9:50です。

 空港からおもろ町に移動しレンタカー受け取りますが凄い混みようです。11:00にエンジンON。今日の行程は座喜味城、琉球村、万座毛、古宇利大橋、今帰仁城、美ら海(ちゅらうみ)水族館、辺戸岬(沖縄本島最北端)、名護ホテルです。美ら海水族館は16時から1260円に割引ですから一寸見にはお勧めです。

 今帰仁城は1/23〜2/8まで桜祭りで平日でも大変な人出です。通路は桜の枝が出張ってるし牛歩の状態でした。お城は自然の地形を生かした縄張りで石垣も曲線を描いています。石組みも緩やかで沖縄の感じなのかと思います。

 座喜味城もとても良い感じでした。琉球村も沖縄の音楽で踊りも良いし係りの人も和やかです。古宇利大橋は左右の海がとても綺麗です。美ら海水族館のでかい水槽の鮫への餌やりは見事です。辺戸岬は着いたのが18:45で流石に暗くなりました。
中城城
2009年1月28日
 沖縄3城と世界遺産を巡る旅の2日目です。今日の行程は、勝連城、中城城、首里城、園比屋武御嶽石門、玉陵、金城の石畳、斎場御嶽、平和祈念公園、健児の塔、ひめゆりの塔です。

 名護のホテルを7:45に出発し、国道58号から沖縄高速許田ICから沖縄北ICで降りて勝連城には8:45に着く。無料駐車場からグスクの天辺が見える。早いから貸切だ。頂上まで10分、そこからの眺めは最高です。左右の海、島へと渡る海ノ中道、沖縄ですね。

 そこから一般道で中城城まで30分です。ここも勝連城を少し規模を大きくしたような感じです。まだ修復中でどんどん良くなるようです。地元でもグスクの会が出来て、座喜味、勝連、今帰仁、中城、首里城と連携をとる運動が進んでいると沖縄タイムスにありました。

 勝連城でもそうでしたが、頂上では米軍のジェット機の耳をつんざく騒音が凄いです。青い空全体がうなり声を上げています。本土の我々は沖縄に足を向けて寝られませんね。
この後は百名城最後の首里城です。
首里城
2009年1月28日
 いよいよ百名城巡りの旅も最後の首里城になりました。中城城から首里杜館の地下駐車場がナビで検索できず、付近の駐車場に停めて徒歩で首里城を目指しました。結局裏側の円覚寺方向に駐車したようです。

 首里杜館の案内所で無事押印しました。その後守礼門、園比屋武御嶽石門、首里城御庭、南殿、本殿、北殿を周りました。修学旅行生と一般客が入り混じってここも凄い混雑です。押されて通過しましたが本殿の中の装飾は見事でした。

 その後は余裕で斎場御嶽を見学しましたが、そこで感じたのは沖縄には到る所に拝所があると云うことです。最後にひめゆりの塔を見学しました。館内に流れる音楽は卒業式に流されるものだそうで、写真と作文を読みながら涙が止まりません。

 百名城の旅もここで一区切りです。定年でゆっくり出来るのに、まだ会社時代の癖が抜けず行程表の通りに進めてしまい同行人に笑われています。