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メンバー情報

ID2291
名前続*越中「井波城」
コメント 早駆けと 非番を駆使しての出陣
 ひたすら 労を惜しまず 再び 三度・・ 

 4年と9ヶ月間 愛馬「ハリアー」を駆っての
 「日本100名城」の登城も 一段落かと思いきや… 

  *日本城郭協会 登録第472番目*

 2018年4月6日 「続・日本100名城」の
  ラリーが開始される
 既に 半数超も登城済みであるが
 ここに 新たな「登城の証」と「撮り直し」の一人旅が
 愛馬「アトレー」を駆っての 続編がここに始まる

 
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
根室半島チャシ跡群
2014年5月26日
学術上貴重とされ 濠は明瞭な状態で保存されているとあるが
どのような建造物であったかは 現在もわからない。
これも「日本100名城」の一つである以上
遠く 北のさいはてまで訪ねし者にとって
違和感が残るのは 明確な根拠と形が 見えないからだろうか。

しかしながら 偶然にも根室駅前の観光センターでお会いした
「日本城郭協会」の方との出会いと センターの職員さんの
心優しい応対を受け 本土最東端の地 納沙布岬にて達成感に浸る
五稜郭
2014年5月28日
鋭角三角形を組み合わせた
我が国初の洋式城郭プラン
箱舘奉行所を城郭化して五稜郭と称する。
箱館戦争の折には 奉行所の高くそびえた太鼓楼が
皮肉にも新政府軍の砲撃対象となり あえなく炎上とは。

これから訪れる最後の和式城郭・松前城
この築城後10年という ほぼ同時期に
北の地に築かれたのも何かの因縁だろうか。
松前城
2014年5月29日
我が国最後の和式城郭・松前城
ロシアの南下に備え、7座の砲台を構えるなど
軍学の粋を集めた最高傑作の城
そんな近代城郭も旧幕府軍による艦砲砲撃と
土方歳三の手により簡単に落ちたところで
日本100名城 この松前城にて踏破!

私の「100名城の達成」を祝って
松前城のスタッフの皆さんの心暖まる
「手作りのくすだま」と盛大な拍手に
これまでのどの名城よりも素晴らしい
驚きと感動を頂きました。
こうした皆さんが貴重な財産を守り 訪れる私たちを
暖かく迎え入れてくれる城こそ
「真の100名城」ではないでしょうか!
ありがとうございました。
弘前城
2012年10月6日
津軽富士を仰ぐみちのくの名城 弘前城
現存天守と5つの城門と3つの櫓

そして 春の満開の桜に夏の月 秋の楓に冬の雪
この城には 四季折々に写真を「盗る」という
具体的な目標が3つもある

ここに 現存天守 12城の登城成る
根城
2012年10月5日
奥州における南朝方の拠点となる
城にと、命名された 根城!

廃城までの300年間における
巨大な空堀跡や中世の城郭の特徴を
忠実に伝える本丸跡の建物群 

広大な史跡は、今も、その規模と
原型をしっかりと受け継いでいる。
盛岡城
2012年10月6日
「盛り上がり栄える岡に」そんな藩主の
願いが込められた 盛岡城!

北上川と中津川を天然の外堀として
緻密に組まれた白い花崗岩の石垣は
東北の城郭の中にあって 異彩を放ち
本丸と二の丸を渡る 鮮やかな
朱塗りの橋が これに彩りを添えている。
多賀城
2012年9月16日
対蝦夷と行政機能を併せもった
奥州の前進基地 多賀城

そんな前進拠点も千年の時の流れが
古代の武人たちの夢とロマンに満ちた
見ごたえのある史跡へと変えている
仙台城
2012年9月16日
奥州の覇者にふさわしい
野望を秘めた名将の居城 仙台城
それは あきらめきれぬ天下取りへの威光か

騎乗の政宗公のご尊顔を拝するには
 朝の登城においてない
久保田城
2012年10月4日
堀と土塁を巡らした佐竹氏
20万5千石の居城 久保田城

市の発展を願い 二層の「御隅櫓」に
城下の繁栄が一望できる 望楼を乗せた
「四層の天守」として復元 
1603年の築城以来の夢が 平成の世に叶うが
山を切り盛りした土造りの城は 決して貧相ではない
山形城
2012年9月15日
最上義光 五十七万石の威信をかけた別名霞ヶ城
見事に復元された二の丸東大手門
そして本丸一文字門と大手橋
騎乗の義光公 平成の築城を見る
二本松城
2012年9月16日
再構築された山上の本丸天守台を頂点に
裾野の三の丸を底辺とした平山城

見事なまでの箕輪門の「赤松」
そして小堀遠州作の名園が誇る「傘松」

そんな二本松の城にも 東日本大震災の爪痕が
天守台への道も閉ざされ 今回は搦手門まで
2022年8月3日 再登城 山頂の本丸石垣
会津若松城
2009年10月16日
幾度となく訪ねし会津の地

数多くの戦国大名から幕末の戊辰戦争
歴史そのものが城の魅力

堅固な石垣に映える 春の桜と冬の冠雪
次回は、この季節に

2012年9月15日
忘れ物を撮りに「再登城」

再び会津の空に映える「赤瓦」の天守!
そして平成25年大河ドラマ
「新島八重」幕末のジャンヌ・ダルクの戦いが
ここに始まる

2014年4月21日
満開の桜…、八重の桜…  
天空の城!に対抗すべき
圧倒的な表現が見当たらない
白河小峰城
2012年9月15日
戊辰の役で城郭の大半が焼失
ここ奥州の玄関口にあって
「考証重視」当時の姿を忠実に再現された
平成の復元・御三重櫓と前御門

城に刻まれた3.11の爪痕!
痛々しい石垣の崩壊を公園内より遠く眺めるも
復旧の目処は立っていない

2014年4月21日
分かっていながらも再登城を試みる
(昨日まではイベント開放)まさに「後の祭り」
城内は立ち入り禁止! 
満開の桜も 冷たい雨のせいか
余計に距離を感じる

2022年8月4日 ようやくにして城内開放成る!
水戸城
2011年9月11日
家康の11男,頼房が入城し
御三家・水戸徳川家の居城となる。

藩校当時の姿が現存する弘道館
残念ながら、大震災により閉館中!
開館の目処はたっていない。

訪ねし、水戸第一高校内の「薬医門」
武芸(テニス)に汗し、門内にて休息する子弟たち
来訪者の姿に、サッと門外に身を引く
徳川斉昭公の建学の精神と
一高生のさわやかな学風に触れ
ここに「関東・甲信越」の踏破なる。
足利氏館
2011年7月22日
足利学校と「鑁阿寺」、中でも世界一の藤の花
 「あしかがフラワーパーク」は毎年、訪れたいところ

 日本100名城! 49城目は「鑁阿寺」ではなく
 「足利氏館」として再登城? 
 
箕輪城
2011年7月22日
箕郷支所にて通行手形を頂く
案内は、まさに先陣の皆さんの評判どおり◎

かくして、甲冑ならぬ蚊虫対策も万全に
その遺構を巡る

歴史的な史実に基づいた史跡公園としての
保存整備に期待したい
金山城
2011年7月22日
 石造りの山城 まさに関東随一

 山頂から四方に派生する尾根に
 実城、西城、北城と呼ばれる曲輪群を
 配した巨大な山城

 延々と構えられた壮大な石垣に
 日ノ池、月ノ池池が その威容
 さを和らげている

 是非とも再登城したい城の一つである
鉢形城
2011年7月23日
 節目の50城! まさに敵(的)中!

  荒川の急流と急崖、そして、深沢川の渓谷に
  守られた天然の要害 

  広大な城域にポツンと復元された四脚門 
  今後の発掘調査と史実に基づく城郭の復元整備に期待したい

  この時期の登城は、夏草に覆われ、その遺構を知るには
 天然記念物「エドヒガン」の満開時か
川越城
2011年7月23日
 壮大な規模を誇った近世城郭も
  今では、既に市街地化され
 城内に球音と掛け声が響き渡る
 
 幕末に再建された東日本唯一の
 本丸御殿 移築された家老詰所に
 当時の面影が残されている 
佐倉城
2011年9月10日
台地の先端部に本丸を構え、
その崖下には水堀、曲輪間には、
巨大な空堀が巡らされている。
まさに、江戸東方を守る要衝の地。

この城の難所は、「印」の保管櫓と聞く。
その「緑のプレハブ櫓」は、むしろ感覚的には
広大な城内というより、佐倉東高校と隣接する
自由広場と称する駐車場との境にあり!

有難いことに、登城一番に印す。
諸国の皆さんの情報に感謝!
江戸城
2010年11月18日
東京の中心「江戸城」 
壕と城門の造形美を楽しむには 
早足の方には かたじけないが 徒歩にて ご無礼を
先ずは 田安門から平川門、桜田門まで

2011年10月26日
桜田門から半蔵門、北桔橋門から天守閣跡
富士見櫓から大手門
八王子城
2011年7月23日
後北条最強の山城 この城の凄さは
壮大な石塁を始め 軍事技術を駆使した鉄壁の防御

山麓に居館を構え 背後に詰城となる
要害部を構えるも 小田原攻め北陸軍の
前田利家 上杉景勝軍に攻められ落城
小田原城
2011年7月23日
 鉄壁の支城ネットワーク
 箕輪城、鉢形城、八王子城から
 名将の居城へ
 
 北陸勢!史上最大の惣構を誇る
 難航不落の小田原城に
 
 明らかに戦力の差 
 ここに秀吉の天下統一成る
武田氏館
2013年10月12日
2009年10月26日登城
平成19年の大河ドラマ「風林火山」
遅れて走ること二年
夜間の進軍は「疾(速)きこと風の如く」
目指すは 軍旗「風林火山」

2013年10月12日再登城
風林火山はためく居館・躑躅ヶ崎と
詰城「要害山城」を目指す
登山道は広く よく整備されており
疲れを感じないまま本丸に
確かに 山城の見本といわれるのも 納得できる
しかしながら 貴重な遺構に枯損木が
放置されているのが残念でならない
本丸に足跡を残し ここに改めて登城とする         
甲府城
2009年10月26日
中央線に分断されてはいるが
高石垣や天守台の規模に圧倒される

城門の復元や発掘調査 壮大な城郭の
謎が解き明かされていく

2013年10月12日再登城
史実に基づく 見事な「鉄門」の復元
さらに石垣の修復など 着々と維持・保全に
整備が進められている
松代城
2009年10月26日
城としての景観を 江戸の世に再現された松代城
川中島 上杉軍と対峙した重要拠点「海津城」 

これまで 幾度となく通過せし 上信越道も
甲斐の国から この日は 急ぎ走り去る訳には

2014年6月16日
信玄が拠点とした荒々しい海津城も
家を守り 領地・領民を守る 実直な藩祖信之の気風が 
どう大河ドラマ(真田丸)に映し出されるか
さらに期待は膨らむ
上田城
2009年8月23日
全国に名を馳せた真田氏の居城
徳川の大軍を退けた戦歴を誇る

先祖の地を越中・井波とする池波正太郎の
「真田太平記」に戦略を見る

2012年8月26日
忘れ物を撮りに「再登城」

今、合戦の舞台は、NHK!
大河ドラマの誘致に 智将・真田一族の
戦略に期待したい

2014年6月16日
大河ドラマ誘致決定に湧く上田市
その真田一族の聖地 小県を訪ねる

砥石城・米山城・本城・枡形城・・
どのルートも遺構も整備が行き届き
道案内(軽トラのおばちゃん)の里人までも
多くの真田ファンを迎える体制は 既に整っている
小諸城
2009年8月23日
小諸なる古城のほとり
攻めるに難しく、守るに易い
珍しい「穴城」と呼ばれる独特の形態
山本勘助ならではの築城が興味深い

2012年8月26日「再登城」
攻め手を見上げる天然地形
まさにコストパフォーマンス城

2014年6月16日
撮り直しの「再々登城」
松本城
2010年9月18日
国宝「松本城」
四季折々に登城すること数知れず
信濃国5名城の最後の証を手に
急ぎ 山中城に

2012年8月26日
忘れ物を撮りに「再登城」

城の美しさは、「白」とは限らない
「黒」の美しさは、ここにおいてない

2014年6月17日
多くの登城者で賑わう いつもの松本城
人影の無い漆黒の大天守群は 滅多に見られない
高遠城
2009年10月26日
日本さくら名所100選 高遠城址公園

断崖上の要塞の地に
永い歴史と風土に培われた 国登録有形文化財「高遠閣」
芸術の発信基地「信州高遠美術館」
この地の芸術文化の開花は 春だけではない

2013年10月13日再登城
戦国期の土塁・空堀がよく残されているが
この時期は まだ緑が色濃く
その威容を掴めきれない
新発田城
2011年6月4日
新発田城天守 三階櫓と称す
 史上唯一 三匹の鯱

 表門で登城の印を頂くと、諸国の皆さんの
 評判どおり、丁寧にもてなされる。

 なんと、城郭図に加え、驚く事に「当同好会」の
 紹介チラシまで頂く。
 
 よりも、我々の心配と不安を知りつくしての事か
  横には「試し印のための用紙」まで備えてある。
 これも歴代藩主の教えなのだろうか。
春日山城
2010年5月29日
幾度ともなく通過せし 春日山
ようやくにして 全山に及ぶ要害を歩く

林泉寺にて 謙信公に遅参の
詫びを申し上げ 帰国の途に着く

2014年6月16日
雄大かつ堅固な難攻不落の城
戦国時代の山城の原点に学ぶ
スタートとしても相応しい

再登城にあたり 先ずは謙信公に
100名城踏破!の旨を報告す
高岡城
2010年10月30日
近くて 遠き 高岡城 

ここ高岡にして「北陸・東海」
完全登城成る!

忘れものを「撮り」に
2011年9月23日

縄張りは、築城の名手「高山右近」
城域の三分の一を占める広大な水濠
江戸、大阪に次ぐと言っても過言ではない
七尾城
2009年9月5日
戦国山城の典型 七尾城 
調度丸から桜馬場の石垣群に
これまでの荒々しい 息づかいが静まる 

麓の懐古館飯田家 丁寧な説明に加え
「九月十三夜」を詠んでいただく

2014年5月8日
「海や島々の躰までも絵像に写し難き景勝の地である」
謙信も絶賛した景勝の地
戦国乱世にあっても 遥かなる時を超えても
金沢城
2010年10月30日
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
また石川門(重要文化財)の修復など
伝統井波の確かな技は 洗練された城郭を甦らせてきた

130年ぶりに甦った河北門 開門から半年遅れの登城である

海鼠壁の華麗な城郭美
2012年4月21日
丸岡城
2009年8月30日
石瓦を葺く日本最古の現存天守閣 

廻り縁のある望楼 木彫銅版張りの鯱 石の瓦
出窓形式の石落とし 天主の原型がここにある

2013年10月4日
朝日を受けて 忘れ物を撮りに
素朴で規模は小さくとも 古式を留める 
やはり現存天守には確かな風格がある 
一乗谷城
2013年10月4日
2009年8月30日
幾度となく訪れし 一乗谷朝倉の地
復元された武家屋敷と館の庭園も
ゆるり鑑賞する間もなく 帰国の途に

2013年10月4日
海抜473m 忘れ物の「一乗山城」を目指す
麓の八幡神社から本丸(千畳敷)まで 一気に登ること30分 
一の丸・二の丸・三の丸へと 
だれ一人いない山中は どうしても足早になる
折り返しは逆に遺構を写真に収め のんびり下っても
基点の神社まで 1時間15分
本丸に足跡を残し ここに改めて登城とする         
岩村城
2009年9月20日
「女城主」悲哀の物語が残る岩村城

昭和62年の岩村城創築800年祭
女優の渡辺美佐子さんが女城主として入城
あれから20数年 再び脚力が試される

2013年10月1日
忘れ物を撮りに三度目の登城
スタンプ帳を手にした青年に声をかける
しばしの立ち話… 先週「根室のチャシ跡」へ
羨ましい話である
岐阜城
2010年5月4日
天下の堅城 岐阜城
「道三」ならぬ再三の登城

夜間の登城とあって 資料館の開門が気になる
慎重(信長)に印を頂き 天下布武の夢を眼下に見る

2013年9月30日
撮り直しの登城も本日 五城目
岐阜城はいつも夕暮れである 
山中城
2010年9月18日
広大な山中に 類例のない空堀「障子堀」があると
本当に落ちたら上がれないのか  その真実を確かめに
まさに ここは戦う城!

時は夕暮れ 既に置かれた
登城の証を持ち帰ることに(不覚)

2013年9月22日
早朝  富士の山を仰ぎ  東海道は三島より再登城!
ようやく  悲願の登城の印をいただく
駿府城
2010年9月19日
 将軍職を譲るも 大御所として
天下の実権を握る 隠居城
 二ノ丸東御門と巽櫓の忠実な復元が嬉しい
さらなる天守の復元にも期待したい

2014年8月21日 再登城!
掛川城
2010年9月19日
木造天守閣として復元された
「東海の名城」 掛川城

城主 山内一豊の修築によるものだが
まさに、後の高知城の原型である

2012年7月18日 再登城!

2014年8月21日 再々登城!
「高天神城」登城後の暑さと疲れを癒す 
天守の最上階 心地よい風が吹きぬける
遠く富士を眺め しばしの城談義
時を忘れ 熱く語るのも 模擬復興ではない
本物へのこだわりが基調にある
犬山城
2009年8月9日
現存天守12城のみならず
国宝指定4天守の一つ 犬山城

はるか木曽川の断崖上にそびえる
天守には 幾度となく足止めされる

2011年5月23日 再登城
名古屋城
2009年8月9日
御殿の最高傑作「本丸御殿」
国宝第一号も昭和20年の空襲で焼失
以来、60余年の歳月を経て
復元工事に着手される

期待は、史実に基づいた木造建築
そして何よりも御殿を彩る障壁画と
精緻を極めた「木彫刻」が興味深い

2011年5月23日 再登城 
「匠文化の原点が今蘇る」

2012年2月26日 
本年最初の登城は、四度目の名古屋城・本丸御殿
御殿の完成予定まで、あと6年道は、遠い…

2018年8月28日 
江戸初期の姿が73年ぶりに蘇った本丸御殿。
将軍の宿所となる上洛殿の色彩も鮮やかな
御殿欄間は、古写真をもとに井波彫刻師の技により
見事に復元された。
岡崎城
2009年9月20日
早朝の出立 開門前に布陣
3層5階の重厚な天守は
「神君出生の城」に相応しい

2013年10月1日
城郭写真ファンから 難攻不落と称されている
天守前の二本松 そんなこととも知らず
諦めの撮り直し登城するも

隣接する龍城(たつき)神社が改築中
まさに 家康公と同じ複雑な心境である
長篠城
2009年9月20日
天然の要害 長篠城

鳥居強右衛門の命を賭した忠義が
勝利を呼び込む

2013年10月1日
再び忘れ物を撮りに
生憎とこの日の資料館は休館日
近くのコンビ二にスタンプが(委託)
再登城の証は2冊目のスタンプ帳に

2018年8月27日
新昌寺に眠る鳥居強右衛門を訪ねるなど、
ここに三度の登城と相成る
伊賀上野城
2009年10月20日
2009年10月20日
白亜三層の天主
日本一の高さを誇る高石垣

白鳳城とも称される
端麗な城郭に魅せられ
登城すること数知れず

2014年6月30日
天下普請を一手に引き受け
生涯17もの城を手がけた藤堂高虎
直線で積み上がっている高石垣が最大の魅力

ただ いつもながら思うのは
天守裏の石垣に多量に放置された裏込めのための栗石と
折角の高石垣が雑木と草に覆われ 堀の周囲から
その威容を見上げられないのが残念である
松阪城
2009年10月20日
2009年10月20日
櫓がないのは寂しいが
威容を誇る 総石垣が最大の魅力

ありがちな巨石は全くないが
強固さの中に 美観を感じる

2014年6月29日
松坂市内の丘陵に築かれた
累々たる石垣は まさに戦国期の要塞
その魅力に惹かれ 再登城!
小谷城
2009年8月30日
季節は同じく まさに8月
中腹に駒を止め 汗し本丸を目指す
番所跡から馬洗池 首据石を経て
長政自刃の地へと

小谷城落城 正室お市と浅井三姉妹の
悲話がここに始まる

2013年9月30日
撮り直しもそうだが 目的は山王丸の大石垣
奥深い山中 ご当地の県職の方と一緒になれたのは
心強かったが 何よりも「驚いた」のは
「お猿の群れ」との遭遇! しばし立ち尽くすも 

帰って思うに 彼らの方がズッと
「客の取り扱い」が上手かったような・・

2016年12月 8日
 落葉の大広間と本丸… いつ訪れても、
 ここには壮絶なドラマが蘇る。
彦根城
2009年10月20日
北陸道からは 東国と西国の分岐点に位置する
天下の名城 国宝・彦根城

ここは 重要な戦略(休息)拠点と位置づけるも
「ひこにゃん殿」には 未だ対面ならず

2013年9月30日
忘れ物を撮りに 朝一番の登城
天秤櫓の公開と佐和口多聞櫓の管理の方との
彦根城談義が嬉しかった
「ひこにゃん殿」には 今回も対面ならず!

2014年6月24日
「過ぎたる城」とうたわれた三成の要塞 佐和山城
二段重ねの石垣と眼下の彦根城が
廃城の無念さをより感じさせる

「ひこにゃん殿」にお目通り叶う! ニャンとあり難き幸せ!
安土城
2010年5月4日
二度目の登城を目前に 思わぬ足止め
天主への道のりは容易ではない

挑まれたからには 応じざるを得ない信長検定
運と感を働かせ20問中18問的中
褒美に城の記念誌を授かる

行幸を目的とした大手道 天下取りを夢見て 
信長も歩いたであろう 長いこの石段も
魅せる城 権威を象徴する異色の城として
これまでの城の概念を捨て去れば「天主」は近い

2013年9月30日
撮り直しの再登城も 我一人 大手道を堂々と

2016年12月7日
愕然!安土城!
?土地問題に絡む有料・無料の駐車場論争。
?大手道を堂々と遮る番所(料金所)
?石仏さんへの志が灰皿に
 是非に及ばず!
観音寺城
2010年5月4日
安土城で思わぬ時を費やし
急ぎ、登城を目指すも、麓での駒止め
ようやく観音正寺に辿りつくも
時、既に遅し 岐阜城は夜討ちか

2013年9月30日
撮り直しの再登城 多くのお参り客と離れ
我一人 ブッシュ道を小笹を振り回し歩く(くもの巣払い)
日本100名城とは何か! ここに限定する訳ではないが
選定の基準に環境整備(草刈り)も追加されたい。
二条城
2010年11月7日
新緑と紅葉に魅せられ
京の都へは 年に数回の年も

二条城 幾度となく周回せしも
ようやくにして 恥ずかしながら 
数十年ぶりの登城

大休憩所内に配置の「印」が見当たらず
急ぎ番所に申し出る
持ち帰った不届者がいると判明
これには まいった
大阪城
2011年8月27日
広大なお堀と壮大な石垣
豊臣政権を見せつけた天下人
黄金太閤の巨大城郭・大阪城!

政権交代を明らかにせんがため
秀吉の城を地中に埋め
今ある城郭を築いた、徳川大阪城!

全国100名城の諸大名が
幾度となく馳せ参じる中で 
恥ずかしながら初の登城!
千早城
2011年8月28日
諸国の皆さんの情報に基づき、黄色の看板を頼りに「まつまさ」へ。
馬を休め、女将さんに押印を願い出、説明書を受け取る。

装備万端の多くの強者たちの中にあって、
軽装(ペット、タオル、カメラ)にて試みる。

彼らと同行することしばらく、一合目の給水場にて、
覚悟を決め、右の急斜面を登る・・。
険しい地形の山中で、楠木正成と少数の守備兵の戦いぶりを
思い描く間もなく、一息ついたところが参道。

目前に、木漏れ日が差し込む本丸(神社)あり。
竹田城
2013年11月2日
2011年4月16日
迫る壮大な石垣群 感動を抑え(山城の郷から)
徒歩で登城!「天空の城」偽りなし

2011年10月12日
壮大な石垣群に魅了され、再度
雲海に浮かぶ天空の城を求めて

2013年11月2日再々登城
これまで城郭ファンを魅了してきた竹田城!
ここはもはや廃城ではなく 一大観光地か
急激に変わり行く聖地は 石垣群から人垣群に

ここに改めて 雲海に浮かぶ天空の城に触れ 
再々登城とする 
篠山城
2011年4月16日
大書院の再建時に登城
竹田城攻略前に 証を求めんと
 
明石城
2012年4月29日
城内の日時計が正午を告げ
ここに 近畿14城達成なる

この城の魅力は 現存する三重櫓の雄姿
巽櫓と坤櫓 支えるのは扇の勾配とも
言われる 美しい反りを持つ石垣
そして 他に類例のない唐破風と千鳥破風の
二重構造を見落としてはならない
姫路城
2012年4月29日
節目の「70城」は 城郭美の最高峰 
世界文化遺産「姫路城」

令和4年8月24日
感状山城、置塩城の攻略後の五層・7階の天守は
さすが堪えた。
赤穂城
2010年10月10日
初の四国入りを目指し 山陽道を走る
赤穂の城は 二度目の登城

急ぎ 三之丸大手門から復元された
本丸表門を目指す
改めて城の広大さを感じる
高取城
2011年8月28日
日本三大山城の一つ高取城

高取城入口という標識に惑わされることなく
道ある限り突き進む。もはやここまで・・。
ここが「七つ井戸」登り口。

アブの大群を払いながら、見上げれば、
太鼓櫓台と新御櫓台は目前に。

白亜の大天守、小天守はじめ多くの櫓や門が
この高取山中に長く連なる。 
日本最大級の山城に異論は無い!

累々と構えられた壮大な石垣から
往時の威容(別名:芙蓉城)を想像するには
9月19日の町民を挙げての草刈りを
待たねばなるまい。
和歌山城
2011年8月27日
大天守に小天守を構え
要塞化した連立式天守の威容を誇る
紀州徳川家の居城 和歌山城

再登城の目的は二つ!

平成18年に復元された
全国でも珍しい「御橋廊下」
そして一つは「珍・石垣を登る人」

2018年11月25日 四度目の登城        
鳥取城
2011年4月17日
山頂への急な坂道を一息で駆け登る
褒美は、鳥取砂丘の眺望

二の丸の「菱櫓」
金沢城の五十間長屋の遺構が ここにも
松江城
2011年10月8日
二層が初層より大きい実戦重視の現存天守
素木の上に柿渋を塗った板張りは
白く輝く優美な城とは対照的!

自らを無骨な戦う城と名乗る    
そんな千鳥城にも隠された
愛情(ハート)があるという

09年の春の忘れ物(登城の証し)と
深い愛情を探し求めここに再登城!
月山富田城
2011年10月8日
毛利元就を悩ませた戦国大名 尼子氏の居城
山頂に本丸を構え そこから放射状に広がる
戦国最強の無敵の要塞

月山全体を城域とする巨大な山城だが
大手門下のスペースに駒を止め
軍政上の心臓部「山中御殿」から「袖ヶ平」
までは一息 本丸は、目前にある
津和野城
2013年3月23日
津和野の町並みを見下ろす頂部に 壮大な高石垣 
詰丸として三十間台を置く
大規模な石垣の遺構群 見るものを圧倒する 津和野城

評判どおりは リフトのおじさんの親切さだけではない
朝の男子高生の挨拶… 
今も木造の庁舎で励む 役場の皆さん… 
この町のどれもが暖かい
津山城
2011年10月8日
平山城の理想像ともいえる津山城
完存する壮大な一二三段の石垣
堅固無比な石垣群は見応え充分

津山城築城400年を記念して
史実や史料に極めて忠実に
復元された「備中櫓」
単にシンボル的な櫓ではない
ここは戦う御殿
備中松山城
2012年4月28日
現存天守としては 最小ながらも最高の高さを誇り
山城の醍醐味と魅力の全ての条件を備えた
日本三大山城 備中松山城
急峻な臥牛山の岩肌を削りだし 巧妙に積まれた石垣と
小振りながらも重量感のある二層の天守

市教育委員会の解説員 サルの保護おじさん
さらには 観光協会の皆さんへの感謝
「朝一番の登城 大儀であった」

令和元年6月21日
 猫城主さんじゅうろう殿との御目通りがかなう
鬼ノ城
2012年4月28日
当時の技術では考えられない 
強固な城壁と壮観な城門
多くの謎に包まれた 古代の山城「鬼ノ城」

ここは 武将ならぬ鬼と「桃太郎」が
熱き戦いを繰り広げた 伝説の舞台
鬼の気配が漂う 2.8キロの城壁めぐり
鶯と初ゼミのコラボに 鬼も休日に違いない
岡山城
2012年4月28日
旭川の流れを本丸に取り込み 防備の薄さを補完
不等辺五角形の天守台は 信長の安土城を偲ばせる
三重六階の堂々たる国宝天守 空襲で焼失するも 
その復興天守は 古式を受け継いだ 黒い下見板張りの
外観に 金箔瓦が彩を添え 昔日の威容を誇っている
福山城
2010年11月25日
築城時に伏見城から移築された「伏見櫓」
同じ平面の初層と二層の上に やや小さな三層
「筋鉄御門」と相俟った壮観な構えに 何度も振り返る
薔薇のまち福山 咲き香る季節に再び
郡山城
2013年3月22日
北陸の遅い春を感じながら 登城を開始する

目指すは 全山を要害化した中国の覇者 毛利元就が居城
一代で西日本最大の戦国大名にのしあがり
その生涯を本拠地とした 郡山城

広大で複雑な地形の曲輪群 軽く見歩いたが 
山中で出会ったのは 一人の姫(城ガール) 
これは、いいスタートかも知れない
広島城
2013年3月24日
秀吉が築いた聚楽第を基本に 
郡山城に代わる広島城を築城した毛利輝元
西軍に組みした輝元 厳封となり 福島正則が入城
そんな正則も無断の修築を行い改易される

浅野氏時代には 最大級の連結天守を誇った
国宝 大天守も 昭和20年には灰燼に帰す 
蘇った二の丸の櫓群は 巨城の格を誇示している 

「いよいよ残すは 北海道 九州の16城!」
岩国城
2011年11月18日
眼下に流れる錦川を天然の外堀にし
山頂に映える桃山風南蛮造りの白亜の天守
史実とは異なる復興天守は、いささか残念だが
木造五連の名橋「錦帯橋」の背景には欠かせない
萩城
2013年3月23日
西軍の総大将 毛利輝元 
広島城を捨てて この地に押し込まれて
築いた不満の築城 萩城

指月山頂に詰丸を構え 
山麓には五層の秀麗な天守

往時の面影を色濃く残す城下の町並に比べ
国の史跡としても 不満が残る
そんな城郭ファンを惹きつける 雄姿が待ち遠しい
徳島城
2011年5月4日
22年10月の忘れ物を取りに
再度、海をわたる。
 
珍しい緑の石垣と手入れされた
表御殿庭園が迎えてくれる

二の丸の天守跡、山頂へ至る石垣群
との対比が面白い
高松城
2010年10月12日
四国「九城」の全登城ならず! 
第一次は、香川・愛媛で帰国の途に

この高松城から高知城まで歩いた
数十年前の記憶を辿るも
天主台は復元中で 今はない
丸亀城
2010年10月11日
最小天守をいかに大きく威風堂々と
防衛策を駆使した56メートルに及ぶ
日本一の高石垣は圧巻

2012年7月5日
忘れられない讃岐うどんの味と
忘れ物(天守正面)を撮りに、再登城

令和の初登城(元年6月20日)は好天に恵まれる。
石垣の崩落現場の悲惨な状況に言葉も出ない。 
今治城
2010年10月11日
築城の名手 藤堂高虎公 
伊賀上野城とは まさに正反対

高石垣から 海水を導入した類例のない一大平城
濠に映える優美さまでも 意識したのだろうか

*令和2年10月31日
湯築城
2010年10月12日
登城の疲れを道後で癒し
早朝、山頂に立ち 松山城を眺める
再び 現存する堀と土塁を巡り
開門前の資料館に赴く

既に 門前に印が置かれている
うれしい限りである

*令和2年10月30日
松山城
2010年10月12日
早駕籠に頼らずとも 大天守を仰ぎ見て
登ること苦にならず
 
本丸大手口より臨む太鼓櫓と
天守の眺めは圧巻
代表的な連立式城郭だけに、
感動までは撮りきれない

*令和2年10月30日
黒門より登城する。
 
大洲城
2010年10月11日
平成16年7月 天守が甦る

ここでも全国唯一 伝統・井波の名工の
技が光る

「時代が変わろうとも、後世に残す
 技は変わらない」
 (棟梁 宮大工 野村克己)
*令和2年10月30日
宇和島城
2010年10月11日
目指すは 現存天守閣十二城の一つ
泰平の世の築造とあって 犬走りと
優美な玄関を構える
事細かな案内人の説明に感服

名物の「鯛めし」で空腹を満たし
松山へ折り返す

*令和2年10月30日
 高知、河後森城より登城する。
高知城
2011年5月5日
徳川の大名となった山内一豊が築く
白亜の天守と日本で唯一残る本丸御殿

早駆け、往復300里
二度目の登城で四国を踏破!
福岡城
2013年9月15日
合戦を知り尽くした軍師の知恵
黒田如水・長政父子による築城 福岡城
関ヶ原の戦功により中津12万石から
筑前52万石の大大名に

玄界灘を望む総石垣の城だが
一説によると巨大な天守台があったというが
天守がた建てられたという記録はなく
その有無を含めて不明といわざるをえない

奇抜な戦術と手馴れた調略を得意としただけに
これも黒田如水の知恵なのか

2014年の大河ドラマ いよいよ天下人
秀吉の軍師として お茶の間に頭角を現す
大野城
2013年9月14日
古代国防の山城 大野城
唐・新羅軍が攻めてくるという危機感から
九州は統治の中心である大宰府の背後に築城

2市1町にまたがる 標高410mの四天王寺山一帯に
全長180mにわたる百間石垣をはじめ
総延長8kmに及ぶ土塁や石塁が築かれている

古代の山城のスケールを実感するには
あまりにも広大すぎるが 
全容が草に覆われていては 実感が伴わない

2023年6月10年ぶりの登城
名護屋城
2013年9月13日
太閤秀吉の夢のあと 肥前名護屋城
朝鮮を攻めていた 実質7年のみ栄えた
まさに「兵どもが夢のあと」

朝鮮出兵も失敗に終わり
豊臣政権を圧迫した文禄・慶長の役
陣城として築かれた名護屋城は
こうして幕を閉じたが
天下人の夢をのせた城だけに
あまりにも広大すぎる
吉野ヶ里
2013年9月14日
城のはじまり 環濠集落「吉野ヶ里遺跡」
集落の耕地や作物を他者から守ることから
柵が巡らされ 物見櫓が構えられている

100名城とすることに異論もあるようだが
しばし名将の居城を離れ 弥生時代の
都市や暮らしの歴史をたどるのもいいが
今日の暑さと 南北1kmはさすがに堪える
佐賀城
2013年9月14日
佐賀と言えば「鍋島の化け猫騒ぎ」
家臣が猫をいじめ いじめられた猫が
藩主の側室に入れ替わり 仇を討つ
この猫が外国の猫というのが面白い!

そんな滑稽な猫騒ぎの城でもあるが
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」
佐賀藩の家風を象徴する「鯱の門と続櫓」
入れ替わった主従 鍋島氏と龍造寺氏
まさに家風を象徴する城である

節目の90城!
ここにも 暖かいハートが嬉しい
平戸城
2013年9月13日
海に突き出した山鹿流の縄張り 平戸城
屏風折れの塁壁に入隅を用い
横矢掛を多用した石垣が特徴

平戸城は本来 天守はなかったようなのだが
まちのシンボルとしての模擬天守は
正面には天守台がなく 後ろは一変して石垣が出現

そんな細かいことは どうでもいい
天守最上階からの絶景に 
一見の価値をみつけていただきたい
島原城
2013年9月12日
最初の九州遠征 典型的な層塔型の天守の島原城
かっては四重五階の天守に 四十九基の櫓
島原藩「四万石」の石高では 到底まかなえない
そして負担を強いられた領民 その反発が「島原の乱」

本来の天守は下見板張りだったというが
見応えのある石垣には 城は白亜でなければならない
そして 大きなハートも忘れてはならない
熊本城
2014年3月15日
築城の名手 加藤清正 そのもてる力の
全てを傾注した名城 熊本城

大小の天守に宇土櫓 迷路のような縄張り
見事なまでの高石垣と美しい反り
西南戦争でも落城しなかった史上最強の城

天下無比の大城郭 熊本城は どの表現を使っても
過剰な言葉はない 別格である

人影の無い 日中の撮影には 難攻したが
当会の定めは 掲載写真は3枚まで
厳しい選択も 名城たる所以であろう
人吉城
2014年3月15日
球磨川と胸川に守られた 天険の城 人吉城
数万石の大名とは思えない 城郭の規模

城と両川との一体化した 落ち着いた風情
「はね出し工法」の石垣も珍しいが
何よりも 整備された城郭と
人の心までもが伝わる 歴史の重みが嬉しい
大分府内城
2014年3月17日
大友宗麟ゆかりの地に築かれた 府内城
巡らされた堀に映える 本丸・二の丸の櫓群
見所多き 名城なるも 門前払い
これほど苦言の多い名城も珍しい

大手門の屋根には 「獅子」が四方から
睨みを利かせてはいるが
そのどこか淋しい その眼差しから
遠路 全国から訪れる 同好会員の
熱い思いと期待の裏返しを
誰よりも感じているに違いない

【当会員の命であるスタンプ。盗難防止対策
とは言え グリグリと穴が開けられ、針金で
巻かれた無残な姿は実に悲しい!】

残す 北海道の三名城に期待して…
岡城
2014年3月16日
標高325メートルの天神山の丘陵
断崖絶壁に高石垣が巡る天険の要害 岡城

ただ そのスケールに 圧倒されるに留まらず
近戸門跡のゆるい曲線を描いた高石垣
七曲りの石垣の階段は ここ岡城だけのものか…  
城郭ファンなら見逃せないところである

滝廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった城は
富山城など諸説(少年時代の二年間、富山市に在住)あるが
この哀調を帯びた 岡城の雰囲気と
岡城の魅力の一つひとつを 丁寧に語る
岩見さんのガイドにはかなわない

是非とも 季節を変えて 再び訪ねたい城の一つである
飫肥城
2014年3月14日
シラス台地に築かれた伊東氏の居城 飫肥城
苔むした石垣と 鬱蒼とした飫肥杉の木立
そして格調高い 大手門

群郭式(曲輪群)の城なんて珍しいが
それぞれが しっとりとした 落ち着きを
放っている

食べ歩きもいいが お気に入りの場で
その雰囲気とともに味わいたい
鹿児島城
2014年3月15日
「城をもって守りと成さず 人をもって守りと成す」
軍事的な重厚さよりも 華麗なる御殿建築を誇る
徳川政権に遠慮した 薩摩島津家 72万石の館 鹿児島城

噴煙を吐く櫻島を背景に
西郷隆盛 最後の戦いの場となった 西南戦争
石垣に残る無数の弾痕が
当時の生々しい激闘の様子を伝えている
今帰仁城
2012年3月25日
琉球王朝の栄華をしのぶ世界遺産 今帰仁城

絵に描いたような東シナ海の絶景と
見事なまでの曲線美の城壁

その城壁を渡る風が その時代の
変遷を語ってくれる
中城城
2012年3月25日
琉球屈指の名城との評価を仰いだ 中城城
高台に 一直線に連なる六連郭の曲輪群

沖縄では角や隅に魔物が宿ると…
こうした意図から 城壁の角には
魔物を跳ね返すための反り返しが
みられる
首里城
2012年3月24日
琉球王国の華麗な王朝文化に
彩られた グスクの中のグスク 

北陸(越中)の遅すぎる春を呼び込むには
真紅の世界遺産「首里城」をおいてない
志苔館
2022年6月18日
平成26年5月、100名城達成の松前城から8年ぶりの北海道。上ノ国町、松前町、木古内町などから函館市に及ぶ「道南十二館」の最も東に位置する志苔館。土塁や二重堀切などの遺構が確認でき、その土塁上から臨む函館山や津軽海峡の眺望が嬉しい。 
上ノ国勝山館
2022年6月19日
 日本最北の戦国期の山城、松前藩が成立するまでの
重要な拠点、勝山館。ガイダンス施設から山道を下ると
忽然と現われる防御の柵、見慣れない光景に感動する。
この柵を越えれば、見事に整備された建物跡の礎石や空堀、
復元された橋の先には日本海が目に飛び込んでくる。
浪岡城
2020年6月20日
津軽地方を支配した浪岡北畠氏、
京の公家たちとの交流から「北の御所様」として
尊崇された名家も、内紛で衰えていく。
河岸段丘上に、島のように点在する全ての曲輪の
草刈りが徹底され、内館や北館を取り巻く二重の堀など、
守りが強化されているがよくわかる。
しばし、往時の御所様の栄華に想いをはせたい。
九戸城
2020年6月20日
歴史小説の中でも数少ない東北の城、
「冬を待つ城」(安部龍太郎)の舞台となった九戸城。
秀吉の奥州仕置に、蒲生氏郷ら六万の軍に、
五千の兵で対抗した二戸市の九戸氏の居城。
天然の断崖の本丸に、空堀の石垣や櫓台、
喰い違い虎口など、近世と中世城郭が混在した
堅固な様子が見て取れる。
白石城
2019年8月26日
仙台城の支城として蒲生の城から伊達の城となる。
正宗の重臣、片倉氏の居城として、一国一城令も
対象外として、明治維新まで存続する。
何よりも、平成7年、本丸屋形図や古記録に基づき、
掛川城・大洲城に次ぐ、大櫓や門や土塀の復元が嬉しい!
これが続100名城の推薦の理由だが、やはり、
いい城は、いつもいい写真が撮れるものである。
脇本城
2020年6月19日
日本海に突き出した男鹿半島の付け根に
東北最大級の山城が広がる。
 城の歴史よりも、先ずは、眼下に広がる
日本海の絶景を楽しむのも一つだが、
内館の大土塁、広大な城域に連続する曲輪の周囲を
流れるように走る土塁のラインに期待したが、
繁茂する雑草に覆われ、確認できなかったのが悔やまれる。
秋田城
2020年6月19日
国境を超える城攻め制限が解かれ、満を持しての東北制覇(続100)へ。
古代の「城柵」と言われれば、理解できなくもないが、
復元された赤い外郭東門や築地塀から、それとなく
古代行政庁としてのイメージが伝わってくる。
むしろ、関心は、再現された「水洗トイレ跡」
すぐに水を流せば、容易に想像できる優れもの。
鶴ヶ岡城
2019年10月30日
百間堀と呼ばれる巨大な水堀に囲まれた
土づくりの平城でしかない。
選定理由に、元和8年に酒井忠勝が入城し、
以後、明治まで酒井氏12代の居城とある。
庄内藩の藩校「致道館」や御隅櫓まで歴史は繋がるが、
異彩な洋風建築で歴史が止まる。明治から大正へ、
やはり、時代の流れだったのでしょうね。
米沢城
2019年8月26日
家康に抗した上杉景勝、本城の会津若松城を没収され、
大名としては、石垣のない土塁と水堀の小規模な城だが、
高く掲げられた「毘と龍」の軍旗から、上杉ファンならずとも、
越後の虎一族の生き様を思い描きたいところだが、
参拝の後は、真っ直ぐに、かなり足早となる。
ここは、間違いなく濠に囲まれた神社である。
三春城
2019年8月27日
平成26年の春、「滝桜」を見に訪れるも何故か城には立ち寄らず、
伊達正宗の正室・愛姫、生誕の地という大河ドラマの記憶がある。
主郭や虎口などに石垣の痕跡があるようだが、広く夏草に覆われ
実態がよく把握できないからか、登城コメントも浮かばない。
せめて、続100名城と名乗ったからには、「滝桜」と並び称される
名城であって欲しい。
向羽黒山城
2019年8月26日
数々の大名が守りの要として、手を加えてきただけに、
日本最大級の広がりの中で、山城特有の迷路感が堪能できる。
山城の全てのパーツを備えた地元、増山城の遺構もそうだが、
大規模な竪堀に、複雑な構造の水手曲輪、巨石が睨む虎口など、
その巨大さと巧妙さには唸らせられる。
(翌日、帰路を急ぐも、再び立ち寄る。)

加えて、広大な城域にあって、この時期の除草の徹底など、
管理面において頭が下がるが、蜘蛛が仕掛けた防御網だけは、
長槍(枝)を振り回し、突き進むしか手はない。
笠間城
2021年7月22日
関東の山城で、見事に残る石垣の構築と天守を備えた城は、
異例中の異例であろう。これだけの規模を誇る城は、
石垣山城と笠間城だけと言われるのも頷ける。
天守台上の佐志能神社の社殿、明治6年(1873)に、
天守を解体し、その材で建てられたと伝えられている。
その神社の裏側、高く積み重なった巨岩の数々も、
見落としてはならない。
土浦城
2021年7月22日
霞ケ浦の湖畔に位置し、その湖水を引き入れた「水城」。
家康の関東入りにより、御曹子の結城秀康の入城により、
大改修がなされたとある。
二階門形式の本丸表門(太鼓門)、霞門や高麗門が残され、
本丸の西櫓、次いで東櫓が復元されている。
甲州流で築かれた濠や土塁は、公園化に伴い改修されたが、
毎日でも散歩したくなる風情ある公園である。
唐沢山城
2019年9月17日
城主が入れ替わる中で、頑強さを増してきた唐沢山城。
全長40メートルにわたる壮大な高石垣、
関東七名城と謳われた所以がここにある。
夜明け前の登城となったが、愛馬の到着とともに
城内を見守る猫兵たちの出迎え、大儀である!
名胡桃城
2018年6月21日
遺構もわかりやすく、きちんと整備された小さな城だが
何よりも管理人の丁寧な接客は、皆さんの評判の通りで
あることを真っ先に記したい。

北関東の要衝にあって、武田・北条・上杉が激しく争い、
一族の命運をかけて守り抜く真田昌幸、
秀吉の「惣無事令」に反するとして小田原攻めの発端ともなるなど、
稀代の名将が続々と演じる歴史の舞台としては広大すぎる。 
沼田城
2018年6月21日
市民の健康づくりや憩いの場として賑わう公園の一角、
現場は、スタンプが設置されている観光案内所前の駐車場。
既にテニスコートなど利用する市民の車で満車状態…

空きを待つ時間の経過とともに期待感が薄れていく。
黙ってパソコンに向き合う職員にも声もかけられない。
見所の西櫓台の石垣も小松姫や武将のキャラ看板に
すっかり主役を奪われている。

改めて、続100名城の推薦理由を見る。
「関東では珍しい天守があった」とある。
残念だが、理解できないまま撤退、勉強不足だった。
岩櫃城
2018年6月21日
今も続く大河ドラマの効果。平日にも関わらず、
5組の登城者と挨拶を交わした。
そんな気軽に語り掛けられたのも出迎えて頂いた
男性管理人との関わりがなければ、無かっただろう。

天険の要害、岩櫃城… 確かに岩櫃山を眺める限り
脅威に感ずるが、現実は、ごく普通の山城に類する。

岩櫃山から流れ落ちる二本の滝(須坂市・米子大瀑布)、
その山頂に威容を誇る「備中松山城」
バイオリンの音が響き渡る「真田丸」のタイトルバックのCGが
今日にしてようやく現実のものとして繋がった。
忍城
2019年9月17日
総延長28kmにおよぶ石田堤だが、包囲中に決壊して、
石田方に多数の溺死者が出て、水責めは失敗したという。
備中高松城もそうだが、水責めという奇策を思い描こうと、
石田堤を踏みしめ、三成の本陣の丸墓山古墳に立ち、
想像を試みるも「のぼうの城」のキャストや名シーンの
「横矢」をまともに受け、再び失敗に終わった。
杉山城
2019年9月17日
築城者と築城年代を巡る論争も、最近の発掘調査から、
山内上杉氏により造られた城であったとのこと。
ともあれ「杉山城問題」は、専門の方々にお任せして。
どのパーツも精巧で緻密、しかもコンパクトに凝縮され、
「土の城の芸術品」「城の教科書」と謳われただけのことはある。
しかも徹底した草刈り、これが独り占めとは、なんとも贅沢な。
続100名城、一推薦者に対する饗応(おもてなし)であろうか。
菅谷館
2019年9月17日
協会の認定理由に「大規模な空堀が残る館造りの城」とある。
資料館での情報収集を欠いては、館内には踏み込めない。
「畠山重忠」鎌倉時代の武士の居館として伝わっており、
現在の城跡は、山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いの中で
整備されたと考えられているとある。
見所の出枡形土塁と本郭の土橋、三ノ郭の蔀土塁など、
夏草に深く覆われ、カメラを構える場もなく、
もう一歩が踏み込めない。
博物館の受付職員の「遠路からお疲れ様」がなければ、
間違いなく、最近の流行り言葉「失望した!」
本佐倉城
2021年7月21日
 千葉県は、平成23年9月の佐倉城から、ちょうど10年。
三方の湿地帯と谷からなる広大な丘陵地にあり、竹藪や木々に
埋もれた土塁や堀切などが、ほどよく整備されている。
 東山馬場の「月星紋」の盾も、珍しい光景であるが、
天下人・秀吉の小田原攻めによる千葉氏の滅亡と破城の
憂き目にあったことは、忘れてはならない。
大多喜城
2021年7月21日
 徳川四天王のひとり、本多忠勝を初代城主とし、
見るべき遺構も、二の丸に現存する日本一の大井戸と
大多喜高校に移築された薬医門。
むしろ、この町の魅力は城下であろう。
今も、江戸時代の変わらぬ建物が点在するなど、
「房総の小江戸」と称されるだけのことはある。
滝山城
2019年11月19日
大手口(天野坂)から、空堀や土塁が巧みに配され、
いきなりの重厚感に圧倒される。
何よりも、日本最大級の城域に、曲輪群を囲む大きな空堀に、
横矢掛りが加えられ、虎口や馬出しの多用により、城内全体が
迷路化されている。信玄が二の丸までしか踏み込めなかったのも頷ける。
先を急ぐ者にあっては、ついつい、時間が気になる一城である。
小机城
2019年11月19日
「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへと…」
小机、一度、どこかで耳にした覚えがある。
太田道灌が、この城を攻めた時に詠んだ歌とのこと。
 竹林の城跡は、落ち着きがあり、堀底から見上げても
高さも充分だったが、グルリ本丸を囲む防球ネット。
ここは、時代が瞬時に急変する市民の森だった。
石垣山城
2019年11月19日
天正18年(1580年)の小田原後北条氏攻め、
4月から普請し、5月には石垣が構築、6月末には本陣を移し、
7月には北条氏直が降伏とある。
  そして、平成29年の「8月」、広大な城域の中でも、
残存度が当時のままの「井戸曲輪」内。この夏の最高気温という
猛暑に襲われ、フラフラ状態から抜け出した苦い思い出がある。
再登城は、令和の穏やかな11月。
新府城
2019年11月20日
より堅固な居城を求め、高い断崖に築かれた新府城。
武田流の特徴である馬出しや内枡形の工夫が凝らされているも、
自ら火を放ち、その真価を発揮しないままに落ちた勝頼。
そんな起死回生の城も、どこか管理の手薄さからなのか、
より勝頼の無念さを実感させる。
 本丸から眺める八ヶ岳の頂きは、もう冬の到来を告げていた。
要害山城
2019年11月19日
 平成21年に訪れた武田氏の居館、躑躅ヶ崎館を訪ねるも、
その戦国大名の威力を体感したく、平成25年10月、
信玄公誕生の地、要害山を目指した。
比高230m、30分ほどのコースには、石積の三の門、
枡形虎口、山上の主郭の土塁など見所も多かったものだが、
今回の目的である登城の証(スタンプ)は、甲府駅北にあり。
 山城と中心地との距離、本当に登城して来たのだろうか?
龍岡城
2018年6月22日
日本に二つしかない信州の五稜郭、函館とは比較にならないが、
運動場を走り回る元気な子供たちの声、お茶のサービスでもてなす
おばさんたちの笑顔、心地よい風とともに、山の展望台から眺める光景は、
忘れ去った懐かしい過去の記憶を呼び起こしてくれます。

「三つめの五稜郭」発見!
招魂社裏の民家の裏庭の小さな花壇までもが五稜郭。
暖かい気風が、こんな小さな所にもありました。
高島城
2018年6月22日
長野県はもとより関東方面の城めぐりの宿場として
主要な街道が交わる諏訪の地には、幾度となく訪れ、
「諏訪の浮城」と呼ばれる名城も目にしてきたが
初めて歴史的な画像がここに記録される。
続100名城の選定がなければ、この先も登城や画像は
なかったであろう。

いつもの登城に関する感想が、湖面より浮いてこないのは
対話を避けるかのように、展示室の一角に設置された
スタンプの姿からであろう。
ともども、いつまでも心に氷の張ったままの
城であってはならないのだが…。
村上城
2019年10月30日
臥牛山の本丸を壮大な高石垣と櫓と門で固めた堅固な守り、
とりわけ、少数の兵で敵を迎え撃つという、
全国無類の工夫「四ツ門」など、納得の一城である。
本丸黒門周辺部の石垣の修復工事が進められ、
一体はブルーシートに覆われている。
修復後は、隣県ながら最も遠い城だが、越後随一の
石垣の城、その全容を堪能したい。
高田城
2018年9月23日
謙信公の春日山城下に築かれた天下普請の土の城
金沢城、福井城と並ぶ北陸最大級の城だが
城の全てが土塁で固められ、天守も代用の三重櫓
こうした二つの特徴もそうだが、何よりも 
巨大な水堀に春を彩る日本の三大夜桜と
夏に涼しさを呼ぶ東洋一の蓮 攻めずに花を愛で歩く 
こんな 続100名城もいいではないか
鮫ケ尾城
2018年9月23日
謙信と信玄の信越国境をめぐる広大な軍事拠点
御館の乱の敗将・上杉景虎、遠く異国の地にて無念の自刃
谷筋にまで及ぶ広大な城域、数々の遺構を誇った戦いの城も
全てこの「無念と悲劇」で語り尽くされる。

歴史の里・総合案内所の管理人の近藤さん
一つひとつが懇切丁寧… 100名城窓口の対応は トップクラス
ガイドブックにも載らないことから、この場で語り継ごう。
富山城
2018年10月28日
 富山市の観光スポット富山城。「小学校」の遠足以来の登城である。
黒の下見板張りを施せば、あの現存12天守の「犬山城」に。
模擬天守の走りだが、今も、全国のこうした天守には、足が向かない。

 「小学校」と言えば、名曲「荒城の月」の作曲者 滝 廉太郎。
廉太郎は、父の転勤(現在の副知事)で小学校1年の途中から
3年の途中まで、富山城内にあった小学校に通っていた。
その後、父の故郷の大分に転勤、小学校を卒業するまで、
過ごした岡城(竹田市)を脳裡に浮かべ作ったとされているが…。
 父の転勤により、富山城、大分府内城、竹田市の岡城、江戸城、
そして、滝家の出身地・日出城と様々な城を眺めてはいるが、
中でも、生まれて初めて「城郭」の中で学んだのが富山城。
遠く立山連峰を眺める美しい自然の中で、少年の豊かな感性が
磨かれ、名曲・荒城の月の誕生に繋がったのではなかろうか。
増山城
2018年4月6日
ラリー開始の「城の日」の旗揚げは、地元・増山城!
翌日の地元紙に大きく掲載される。

「増山の事、元来剣難の地」と絶賛した上杉謙信公、
 「城主になりたい山城のトップ1」に選んだ春風亭昇太師匠
山城を構成する全ての遺構が壮大で、
 ほぼ現存に近い典型的な土の城がここにある。
鳥越城
2018年5月21日
「復元された本丸門や虎口、整然とした遺構の標示や歩道も整備された優しい城」として続100名城に推薦したが、城の顔である本丸門は、かなり朽ち果てているのが気になる(添付画像は、平成27年11月)。
 いつもながら早朝に登城したまでは良かったが、スタンプの設置場所は、この日の月曜は休館日!諦めかけたところに、職員の方がたまたま出勤され、危ういところで6回目の登城は免れた。
福井城
2018年5月21日
家康の二男、結城秀康を封じての天下普請の城内に、隙間なく県庁舎が立ち並ぶとあって敷居が高く、濠から高石垣を眺めていた福井城。おそらく、続100名城の選定がなければ、登城はなかったであろう。平成20年に復元された御廊下橋、規模こそ小さいが、格調高い天守台は江戸城を思わせ、福井の発祥となった「福の井」など、徳川の城郭としての象徴性が見事に保たれている。
越前大野城
2018年5月21日
登城ルートは、侍たちが登城した「百間坂」を迷わず選択。野面積みの石垣が往時を偲ばせ、一帯は眺望もよく整備されている。
ただ、「天空の城」なる「登城証明書」が入場券として交付するアイデアは素晴らしいが、現実に、「竹田城」の天空の城を満喫しただけに、雲海の発生しないこの季節に証明をもらってもと困惑。
佐柿国吉城
2019年3月28日
春を待っての出陣は、続100名城 塗りつぶしのための
再登城から始める。

国吉籠城戦!約10年間にわたる朝倉勢の猛攻に耐え、
信長の朝倉攻めの攻略の基地ともなった若狭・越前国境の要衝の地。

土づくりの山城とされていたが発掘調査により、
本丸虎口の石垣や高土塁などが姿を現す。
本丸に集められた石仏は、籠城戦の折に朝倉勢に
投げつけたと伝えられている納得の山城である。
玄蕃尾城
2018年10月25日
続100名城 推薦の一城である玄蕃尾城

巨大な空堀と土塁が山中に波打つ威容は圧巻
これまで幾度となく訪ねるも 
これほど見事に整備された山城は数少ない

選定後の初登城!
ここにスタンプを押印し塗りつぶす 
郡上八幡城
2018年4月23日
日本で最も美しい山城(街道をゆく)として評した司馬遼太郎 ・・
確かに「山城からの城下の眺望は美しい」
これまで、幾度となく登城するも、
天守に登閣(スタンプ押印のため)したのは記憶に遠い。

ベタベタシール貼りの軽四のワゴンで登城の「袖ケ浦ナンバー」の一人旅さん
また、どこかのお城でお会いしましょう!
苗木城
2019年5月6日
木曽川に突き出した高森山、
その露出した巨岩を巧みに活かした天守跡、
整然と積まれた圧巻の石垣とともに城の堅固さを誇る。
平成25年10月の圧倒的な威圧感にかきたてられ、
令和の初登城とする。
大型連休とあって家族連れなど多くの人出があったが
これが、観光化に歩を進めることなく山城としての
威厳を保ってほしい。
美濃金山城
2019年4月17日
森可成が城主となり、以後は長可、蘭丸という
歴史上の名も聞こえるが、何よりも本丸の礎石や破城の痕跡、
自然の岩を利用した本丸の石垣など、城域としては小規模ながら、
お気に入りの山城が選定され嬉しい限りである。
 続100名城の選定が契機となり、新たに整備された
観光交流館のスタッフに快く迎えていただく。
話題の富山の「増山城のマドンナ」が、ここ美濃金山城にも!?
大垣城
2018年8月28日
美濃を抑えた要衝の地、多くの曲輪と
ひしめく櫓群で守りを固めた大垣城。
三成が率いる西軍の拠点として、
東軍を迎え撃とうと目論むも決戦の舞台は関ケ原に…。

旧国宝であった天守の消失後、外観復元され
さらに、近年の改修により、多くの千鳥破風で飾られた
白壁の天守が往時のままに再び蘇った。
興国寺城
2019年11月18日
北条早雲が初めて城主となった興国寺城。
猛暑の平成29年8月、高い土塁とそれを遮断する
深い空堀、神社の木陰で涼を求めた記憶がある。
新東名のスマートICからのアクセスもよく、
目的である登城の証(スタンプ)を得、この先を急ぐ。
諏訪原城
2019年4月16日
 平成最後の城攻めは、平成26年8月の猛暑をついての
行軍が思い出され、また、高天神城と併せ、続・日本100名城の
推薦の一城でもある諏訪原城から。
登城の証し(スタンプ)を得る目的もそうだが、日本城郭協会長の
小和田理事長が整備委員長を務めた「二の曲輪北馬出の門」
その復元の姿にある。
高天神城
2019年4月16日
「高天神城を制するものは遠州を制す」武田と徳川の激戦の舞台。
四年前は、猛暑による汗が妨げとなり、本丸・西の丸を登りつめ、
急ぎ、撤退した苦い思いがある。
 初夏を思わせる絶好の条件が整い、堀切、横堀、甚五郎の抜け道など、
一城別郭といわれる難攻不落の城郭パーツに往時の攻防を重ねあわせる。
浜松城
2019年4月16日
平成29年5月に続いての登城の目的は証しのみ。
現存する天守曲輪の野面積の石垣が最大の魅力であるが、
「徳川家康か、堀尾吉晴か」どの城主時代かは定かではない。
 天守は、市民の寄付金によって建設費用を調達するものであったが、
十分な資金が集まらず、天守台に余白を残す結果となったが、
城下町浜松を象徴するシンボルには間違いない。
小牧山城
2018年8月28日
信長が美濃攻略の拠点として築いた小牧山城、
在城期間はわずか4年だが、その裏側には、
直線的な大手道や三重の石垣、さらには、
職人や商人を寄せた城下町を造るなど、
驚くべき技術が隠されている。

安土城に繋がる天下統一の構想は、
既に、ここ小牧山城から始まっていた。
古宮城
2018年8月27日
比高30メートルの丘に巧みに刻まれた土塁と空堀、
これらが幾重にも張り巡らされた城域は迷路そのもの。
「巨大な土の要塞」「土の城の完成形」「ここを見ずして
武田の城は語れない」どの評価も譲れないが…、
「防御機能に優れた設計力と半端ない土木工事」
ここは、感じたままの評価でまとめたい。
吉田城
2019年4月17日
 豊川を臨む堅固な石垣、池田輝政ゆかりの名城だが、
これまで、幾度となく攻城を試みるも、敵の籠城戦術
(鉄櫓の開館日、開館時間)に阻まれてきた。
市役所でも証しは得られるものの、あえて、待つこと
半時、三度目にして、ようやく登城の証しを得る。
続100名城の選定後、どこの城も整備や話題に
事欠かないようだが、誤った見方かも知れないが、
何故か名城の実感が湧いてこないのは、私だけだろうか。
津城
2018年4月22日
高虎公が手掛けた高石垣の改修、
 その壮大さは、伊賀上野城、松坂城と並び羨ましい限りである。
しかしながら、県庁所在地ながら縄張り図(パンフレット)の
備えがないのが悲しい。
 ここは、お堀と庭園をめぐる静かな市民の憩いの場なのだろう。
多気北畠氏城館
2018年11月22日
北畠氏を代表する霧山城の山麓部に居館を置くが、
全国的にも武士の庭園が残るところは少なく、
福井県の朝倉氏一乗谷館、滋賀県の朽木秀隣寺庭園と並び
「三大戦国武将庭園」として数えられている。

豪雨災害により、アクセス条件は最悪ではあったが、
自然の地形を巧みに活かし、素朴で野趣にあふれた
枯山水や米字をかたどった米字池は、ちょうど紅葉の
じゅうたんに彩られており、しばし、戦国武将の権威と
文化の象徴に触れる・・。 
田丸城
2018年11月22日
平成25年4月、お伊勢参りに立ち寄った田丸城。
本丸及び要所は、しっかりと石垣で固められ、
天守台を有してはいるが、築かれなかったという。

その天守台に鉄パイプが組まれ、白いスクリーンに
覆われた二層の天守が設置されている。
町のシンボルである城の天守をモチーフにした
イルミネーションがこの24日から明年1月まで
冬の夜空に浮かび上がるとのことだ。

幻想的なイベント自体を否定するものではないが、
遠くから、ありのままの天守台に期待し、
愕然としたのは私だけだろうか。再登城とあって、
下調べを怠った自己責任か。

*画像は、平成25年の天守台
赤木城
2018年11月23日
 築城の名手・高虎の高名が、こんな奥深い山中に、
そんな思いで登城したのが、平成26年9月。
割石が積まれた直線的な石垣群、複雑に曲がった虎口、
主郭の張り出した櫓台など、小さな城ながらも
どこか竹田城の風情が漂っていた。
続100名城の推薦理由に赤木城をこう記した。
「丘陵部の全域を取り囲む見事な石垣群は、
どこか天空の城・竹田城と重なる風情ある城」

再び登城の機会が叶い、人の視野を超えた眺望
「丸山千枚田」と併せ、竹田城とは対照的に、
変わらない姿で迎えてくれたのが何よりも嬉しかった。
鎌刃城
2018年4月26日
最大の魅力は 行く手を阻む 研ぎ澄まされた
鎌の刃の尾根 その尾根を断ち切る七重の堀切・・
息も荒々 ようやく主郭を固める石垣に出会える

平成26年9月以来の再登城だが
朽ち果てた小和田哲男先生 直筆なる
サイン入り標柱が気になる
八幡山城
2019年9月27日
平成28年12月に登城済みだが、印象からすれば、
麓の秀次居館跡の石垣と竹林が印象深い。
山上からの安土城の眺望が素晴らしいが、
恋人の聖地としてのオブジェは、城郭としての
歴史的な品位を損ねているのは如何ともし難い。
ロープウエイ山上駅にて、スタンプ押印後は、
即、折り返し、たねや本城へ駆ける!
福知山城
2019年3月28日
光秀の丹波支配の中心城郭「福智山城」
後の城主が「智を知」に変えたとある。
五輪塔・宝篋印塔・石灯籠が独特の異様を放つ
天守台の石垣が続100名城の推薦理由である。

幾度となく立ち寄りし、福知山は、城めぐりの要衝の地、
今回の登城目的は「スタンプの押印にあり!」
芥川山城
2020年3月22日
俗に芥川政権時代とよばれる三好長慶の絶頂期の居城。
郭の多さも特徴の一つだが、大手道や出丸などに見られる石積み、
堀切や竪堀、土橋など、7年間における畿内統括の
要所としただけのことはある。
スタンプ設置のしろあと歴史館。新型コロナの影響で、
休館をさらに延長、メールで問い合わせた、その直後、担当職員から
「お急ぎの様子でしたので、電話でご連絡させて頂きました。」
丁寧な対応に免疫力をアップしての攻城となった。
飯盛城
2020年3月22日
三好長慶が芥川山城から移り居城としたが、
死後は、信長の攻撃を受け廃城となる。
城内の随所に見られる隠れた石垣や切岸、土塁が見所だが、
数多くのハイカーで賑わう戦国の山城は初めてである。
明るく丁寧な「キャンピィだいとう」のスタッフから
頂いた免疫力も忘れてはならない。
岸和田城
2018年11月24日
「だんじり」に施された「彫刻」を見ようと
天守を横目に、「だんじり会館」を訪ねた遠い記憶がある。
本来の天守は五層造の下見板張であったようである。

石垣や堀は、往時の姿を留め、
復興された天守や櫓は白壁と美しく調和しているが、
逆に、その美しく公園化された城内からは、
どこか歴史感が伝わってこないのが悲しい。
出石城・有子山城
2019年9月27日
伝統的町並に辰鼓楼、永楽館、家老屋敷、さらに
皿そば、カバンと、合併以前から、幾度となく
訪ね歩き、食し、買い求めた町である。
「有子山城」は、続100名城の推薦の一城であり、
「広大な山上に本丸と千畳敷を隔てる巨大な堀切、
高石垣によって構築された曲輪は圧巻である。」を
推薦理由とした。
今日の登城目的は、スタンプとカバンにある。
黒井城
2019年3月28日
要所を石垣で固めた厳重な構えだが、
北側の斜面には石垣が見当たらない。
麓の城下から見える部分にのみ積まれ
威勢を誇示しているのが面白い。

眺望を阻害する雑木が処理され、ここも見事な天空の城。
26年9月の登城時は、独り占めの眺望も
今日は、十数名の登城者と感動を共有する。
洲本城
2019年6月20日
四国攻めにあたり、これまでも幾度となく通過してきた洲本城。
島内の多くの城が海に接する水軍の城にあって、三熊山の頂きに
壮大な石垣で構築された本格的な山城に感動を受けるも、
昭和3年築の模擬天守、平成から令和の時代にあっては
異様(威容)と言わざるを得ない。
大和郡山城
2018年10月24日
平成26年9月、豊臣秀長が古寺などから徴発した
石材で構築された天守台を訪ねるも
修復中につき立入禁止!
情報収集を怠った結果としての撤退であった 

天守台の上にさらに展望台が整備され、
周囲もカラー舗装で固められた異様な変貌に
驚きの表情もなく 穏やかなお顔の「さかさ地蔵」さん
ようやくにしてご尊顔を拝する
宇陀松山城
2018年10月24日
風情ある宇陀の町並の散策に時を奪われ、
止むなく登城を諦めた因縁の城、宇陀松山城

殆どの石垣が土に埋もれ、その一部が確認できるが
大御殿から見上げる天守郭は、まさに巨大戦艦にも似たり
こう表現すれば、往時の威容が想像できよう

新たな車道も整備され、近く開放されるようだが
くれぐれも主要な遺構部には触れないで頂きたい
新宮城
2018年11月23日
平成26年9月。駐車場から側面の巨石に
圧倒されながら本丸へと向う。切込接の見事な総石垣の上に
天守と10基の櫓を構えていたという驚きの城!
という登城の感想がある。

熊野川に面した炭納屋跡が、続100名城の選定理由の
一つにあるが、やはり、ここは、近世城郭の本格的な
石垣が楽しめる城であることを推したい。
若桜鬼ケ城
2019年9月26日
平成29年6月の登城以来、お気に入りの一城に加えた。
因幡随一を誇る縄張りを誇る総石垣の城も、一国一城令により
破壊され、散った石の数々が、破城のもの悲しさを伝えている。
今回の再登城は、登城の証し(スタンプ)を得ることも
そうだが、「六角石垣」をゆるり堪能するがためである。
余談になるが、県内でも「コンビニのない町」と前に聞いたが、
今回は、果たして…。令和の時代にも入っても、なかった。
米子城
2019年9月26日
平成25年11月以来の登城であり、続100名城
推薦の一城である。その理由を「一国一城令」の例外として
存続を許され、山頂部を高石垣で囲った壮大な天守郭は圧巻である。」
とした。きれいに修復され、完成形ともいえる石垣に立ち、
眺める大山や日本海、中海、360度の絶景も素晴らしい。
浜田城
2020年7月21日
日本一危ない国宝!三徳山・三佛寺「投入堂」で六根を清め、
急ぎ、松原湾と浜田川に囲まれた浜田城には、スタンプギリギリの刻限。
三の丸から本丸にかけ、石垣が階段状に残さているのが嬉しい。
中でも、高石垣や二ノ門の枡形虎口に、その厳重さが見て取れ、
越中からの深夜行軍の疲れを癒すには、充分である。
備中高松城
2019年6月21日
「浮世をば 今こそ渡れ武士の名を高松の 苔に残して」
池のほとりに佇み、秀吉を天下人へと導いた奇策(水攻め)を想像する公園であろう。これが、続100名城の推薦理由の一端である。
再登城の目的は、スタンプの押印もそうだが、蛙ヶ鼻の堤防の痕跡に立ち、
当時の築堤の状況を想像せんがための「備中ならぬ越中」からの大返しにある。
三原城
2020年7月22日
小早川隆景が築いた瀬戸内水軍基地としての三原城。
石垣に波が打ち寄せる浮城も、山陽新幹線が貫通し、
しかも、有数な規模を誇る天主台へは、駅構内から。
 当時を偲ばせる面影が浮かんではこない。
翌、23日の早朝に、再び、そこに足を運ばせたのは、
四百年前の美しい石垣の姿をそこに見たからであろう。
新高山城
2020年7月23日
 沼田川対岸の高山城から移築、その後、三原城の築城により
廃城となるも、これら三城は、小早川氏城として国の史跡に指定。
標高は、高山城より7m高く、本丸の途中に残る石垣、
西ノ丸の畝状竪堀や釣井の段に残る六基の井戸など、随所に見応えがある。
 さらに、直下に見下ろす山陽新幹線の振動を感じ、先頭車両を
画像に捉えたのは、嬉しいが、同じ史跡にあっての「高山城」。
登城に難儀した数々(登城口や登城ルートの案内、路面の整備や
遺構の標示など)は、とても書ききれない。
大内氏館・高嶺城
2020年7月22日
攻めは、標高338mの鴻ノ峰にある高嶺城から。
四方に伸びる尾根に曲輪が広がり、主郭やその周囲に
巡らされた石垣、廃城時の破却の様子が窺える。
大内氏館は龍福寺一帯に築かれ、発掘調査に基づいた、
土塁や池泉庭園、復元された西門を回り、証し(スタンプ)は、
大路ロビーにて、適切な対応もあって、総合評価はトリプルA
勝瑞城
2020年10月29日
阿波国守護所として細川氏、三好氏が本拠とし、
250年間も四国地方の政治文化の中心だったとあるが、
栄えた場所と思われる痕跡は、どこにも見当たらない。
対して館跡の方は、城跡を上回る広大な規模で、
その一部が復元はされているものの、水堀などの
平面的な整備でイメージが湧いてこない。
今後、立体感のある復元に期待したい。
一宮城
2020年10月29日
小型バスやマイカーで行き交うお遍路さん。
第13番札所大日寺の反対側の登城口に人影はない。 
一番の見所は、石段がついた本丸東虎口の石垣。
阿波の青石を用い、そそり立つ急勾配な石垣が
本丸を取り囲んでいる。途中、本丸に至るまでの
才蔵丸、明神丸の切岸や竪堀、小倉丸への堀切は見逃せない。
県内最大級の山城に満足し、一人、異質な登山姿で、参詣する。
引田城
2019年6月20日
眼下に広がる紺碧の播磨灘と点在する島々や城下の町並など、
どの眺望も素晴らしいが、魅力は、算木積みの初期といわれる
本丸の石垣、北二の丸の上下段の高石垣などをグルリと辿ることにある。
(港側登城口への誘導標識や駐車場の不備、本丸に至る中腹の岩場の危険度と
パンフレットの小さな注意書、見所である石垣の崩落防止目的のシートなどから、
遠方からの疲れがドッと湧き出た名城というコメントは控えねばなるまいが、
加えて、人影もなく終始独占できたのは、続100名城では初である。)
能島城
2020年10月31日
100名城もそうであったように、
実際に城内に踏み入ってのスタンプである。
能島城、かなりの難攻不落だが、この信念は曲げられない。
威勢よく船出をしたものの、複雑に流れ落ちる
潮流の勢いに圧倒される。潮流に守られた水軍独特の
堅固な要塞には、土塁や空堀は要らない。
悲願の攻城を果たしての越中への大返し、
どうにか翌月には至らなかった。
河後森城
2020年10月30日
伊予と土佐の国境の城。四万十川の支流である広見川と
その支流の鰯川と堀切川に囲まれた馬蹄形の丘陵である。
風呂ヶ谷に愛馬を休め、当時の雰囲気を感じながら、
本郭、古城へと行き届いた道筋を辿る。
復元された掘建柱の建物や門、土塁などを堪能し、
平成22年10月、ちょうど、10年振りとなる
宇和島、大洲、そして松山へと先を急ぐ。
岡豊城
2020年10月29日
標高97mを測る丘陵からは、四国の覇者としての
居城としては、少し淋しい感があるが、見所の三の段の土塁や石垣、
畝状竪堀群や堀切などから、技巧的な要素が見られる。
 続100城の選定理由に、「安土城に先行して石垣・瓦を使用」
とあるが、資料館も来春まで改修工事で休館中、その辺りはわからない。
長宗我部元親、土佐の統一や四国制覇の拠点として
乗り出した城で足りるであろう。
水城
2023年6月25日
 大きな外濠があったことから「水城」と呼ばれたとある。
大宰府を守る全長約1.2km、幅80m、高さ約10mの
強固な城壁と、幅60mの濠があったという。
 展望台から静かに見下ろせば、文字通り満々と水を貯えた
当時の外濠と内濠が現れてくる。
久留米城
2023年6月26日
 築後川を後輩の守りとして築かれた久留米城。
本丸を総石垣とし、七基の櫓が連結され、九州一の
壮観さを誇ったとある。
 今は、本丸大手の虎口と濠の一部を残すのみであるが、
反りのない重厚な石垣、そのストレートな高さに
幾度となく見上げてしまう。
基肄城
2023年6月26日
 太宰府の防衛のために、70haを越える城域を、4kmにわたり、
土塁や石垣によって囲まれていたとある。
 今は流失し、一部に残る城門跡や水門跡のほか、礎石建物跡から、
当時の緊張感が伝わってくるが、やはり、見所は最大級の大きさを誇る
「南水門」。ここは、悠久の時を経た水の流れに浸る癒しの場である。
唐津城
2023年9月3日
周囲を海に囲まれた最大級の海城、唐津城。
高石垣で固められた腰曲輪がめぐる満島山の
山上には、巨大な模擬天守が威容を誇っているが、
復元された櫓門も資料的な根拠はないという。
これまで幾度となく仰ぎ見て、スルーしてきたが、
今回は、証し(スタンプ)を得るため初登城となる。
金田城
2023年6月24日
 続100名城の攻略も残すは九州・沖縄。金田城は、その
先駆けとして最も相応しい城であると。名古屋まで愛馬で駆け、
名古屋(小牧)から福岡を経て、空から攻め入る。
 登城前から朝鮮に対する国土防衛の最前線とあって、どこか
緊張感が走る。沢ごとに設けられた三つの城戸、長大な石塁、
ただただ当時の技術力に驚くばかりである。
 清水山城跡と併せた攻城戦略、投じた軍資金以上に価値あり。
福江城
2023年9月2日
対馬の金田城に続き、名古屋(小牧)から福岡を経て、
空から福江城に攻め入る。
幕末らしく砲台を備えた海防の城だが、二の丸御殿には
九州屈指の大名庭園、港の常灯鼻には石垣造りの灯明台など
見所満載だが、修復中の「蹴出門の土塀」は残念だったが、
これで、能島城、金田城、福江城と続100の難攻不落の
3城を攻略し、残す城はスタンプ帳を埋める再登城となる。
原城
2023年9月3日
幕府軍13万人の攻撃に、3か月も持ちこたえた一揆勢。
壮絶な島原の乱の舞台となった原城。
一揆勢の籠城や虐殺の悲劇、徹底的に破壊された石垣、
弱冠16歳の総大将、天草四郎の像や墓碑の前で
手を合わせると、悲痛な叫びが聞こえてくる。
 戦国初期の有馬氏による築城だが、ここは城跡というより、
戦いの痕跡を今に伝える一揆軍の要塞である。
鞠智城
2024年3月16日
令和6年、最初の城攻めは鞠智城。歴史公園に着くと、
いつもの城郭とは異なる八角形の鼓楼と米倉が飛び込んでくる。
温故創生館の二階より広大な古代山城の全容眺める。
663年の「白村江の戦い」で敗れ、大宰府を守るために
大野城、基肄城、金田城が築かれ、これらのお城に兵士や武器、
食糧など補給する支援基地の役割を担ったとある。
八代城
2024年3月16日
島津氏に対する牽制として、加藤忠弘が築いた南肥後の堅城。
父清正とともに数々の天下の名城の普請を手掛けただけあって、
複雑に入り組ませた堀、巧みな横矢掛、壮大な石垣と門櫓。
これらが威容を放ちながらも、どこから眺めても実に
落ち着きのある城である。
延岡城
2024年3月18日
登城記録を見ると平成27年3月25日とある。9年前は、南より攻め入り、
今回は北より攻め込む。
これまで、ズッと気になっていた「千人殺しの石垣」が目前にある。角の隅石がコンクリートの違和感、以前は空洞があり、子供が潜って遊んでいたという。また、先端から見上げると右側に湾曲する稜線は、崩落を想定した防御戦略か。
残す続・100名城のスタンプの回収は、1都3県の8城。
(画像は、2015年3月、この頃は木製の柵がありません)
佐土原城
2024年3月17日
日向の豪族・伊東氏、島津氏に大敗し日向を放棄し、豊後に逃れる。
以後、島津氏の南九州の拠点として明治まで存続とある。
山林化が進みつつある天守台跡だが、金箔瓦が見つかった
ことからも南九州唯一の三重の天守があったとされているが…。
志布志城
2024年3月17日
中心の内城に松尾城、高城、新城からなる志布志城。
シラス台地に、深く・鋭く切り込まれ、迷路のように張り巡らされた
空堀にはまると、次々に飛び込んでくる光景に誘われ足が止まらない。
どこを見ても土の迷路、迷わないようマップは手離せない。
知覧城
2024年3月17日
広大なシラス台地上に独立した曲輪群、この地域の
山城に見られる典型的な群郭式の縄張りである。
城は、本丸、蔵之城、弓場城、今城からなり、その周りを
東ノ栫、西ノ栫、南ノ栫などの曲輪がグルリ取り巻くとある。
現在、豪雨災害の復旧工事により立ち入りが禁止されているが、
工事が休日とあって、本丸まで踏み込ませてもらう。