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メンバー情報

ID1976
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コメントもともと城めぐりが好きでたくさんの城に行きましたが、偶然に百名城のスタンプを知り、また一から城めぐりを楽しんでいます。
そして今回このサイトとも出会い、多くの城好きの人がいることを知り驚いていますし、うれしくも思っています。
今は家族も巻き込んで、城と温泉とご当地グルメを求めながら、百名城全城登城を家族で目指しています。

百名城完全登城目前に、続百名城のスタンプラリーが始まってしまい、息子達がスタンプ捺印した自身未登城の城を登城しながら、続百名城登城も平行して登城することになりました。
百名城登城の折に、登城済みの続百名城が15城有りましたが、
再度スタンプを押すために再登城するつもりです。二百名城の完全登城を今後の数ある趣味の目標の一つにして頑張るつもりです。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
五稜郭
2008年2月10日
記念すべき1城目
次男の大学入学が決まり、二人で函館へ。
雪の中登城しました。
箱館奉行所の復元工事中でした。

2015年7月9日 妻と次男と松前城登城の前に3人で登城
前回登城時の復元中の箱館奉行所も完成しており、奉行所内をじっくりと見学。
世界中の稜堡式の城郭を画面で検索することが出来る。次男が行ったボストンの稜堡式城郭も検索し見ることが出来た。また、登城済みの龍岡城五稜郭も検索、画面で確認することが出来た。
五稜郭タワーからの五稜郭の眺めと函館山の眺めは絶景であった。
大好きな土方歳三の銅像と一緒に記念撮影をし、今夜の宿湯の川温泉に向かった。
金山城
2008年2月17日
2城目
風の強い中、次男と登城。
石垣はなかなか立派だった。

2010年12月5日 写真を撮るために妻と再登城。
以前の登城日と違いたくさんの人が登城していた。
太田道灌に名城と言わせただけあって堀切は深く、金山山頂部に大規模な縄張りをつくりあげている。
麓の金山城跡ガイダンス施設は金山城を詳しく解説している。
足利氏館
2008年2月17日
3城目
金山城に続き、次男と登城、本日2城目。
城と言うには少しさびしい感じ。
足利学校は一見の価値あり。

2010年11月24日、写真を撮りに再登城。
楓の赤と銀杏の黄色が鮮やかだった。
大阪城
2008年2月25日
4城目
次男が友達と登城。
自分は過去に、またその後も登城。
規模はさすがに大きい、秀吉時代の総構えはさそがし壮大であったと思いは馳せる。
松阪城
2008年3月6日
5城目
家族5人で伊勢神宮参拝と絡めて雨の中登城。
規模は思ったよりは小さかったが、野面積の石垣は見ごたえがある。
新発田城
2008年8月29日
6城目
長男が友達と登城。
自分は過去に登城。
過去に登城した時は、三階櫓はなかったのでもう一度登城したい。

2016年12月4日 登城
友人との月岡温泉での忘年会旅行の前に登城
表門は12月から3月までは閉門中のため、残念ながら城内には入城出来ず。
過去に登城したときには無かった三階櫓を堀越に見ながら、旧二の丸隅櫓、表門、辰巳櫓を眺望。三階櫓は、最上階の屋根の棟が丁字型で、三つのそれぞれの隅に鯱が載リ、合計三匹の鯱が載る国内唯一の珍しい櫓である。
外装は、白漆喰塗りで各層の腰壁は海鼠壁で仕上げてある。これは壁に付いた雪を落としやすくするための工夫でそうである。
その後、駐車場の隣にある陸上自衛隊新発田駐屯地にある、白壁兵舎広報資料館を見学。旧陸軍歩兵16連隊、116連隊の貴重な資料や新発田城に関する資料を見ることが出来た。
表門の前には、新発田藩の浪人で、その後赤穂義士となった堀部安兵衛の銅像が建っている。
首里城
2008年9月9日
7城目
次男が友達と登城。
自分は未登城。自分以外、妻、長男、長女は過去に登城済み。
ゴルフを絡めて登城したい。

2017年4月11日 妻と2人で登城
那覇空港からレンタカーで首里城地下駐車場へ。レンタカー乗り場から20分ほどで到着。
妻は40年前、学生時代に登城、その時は正殿などはなくその時と同じ場所かと見間違うほど整備されていると感心しきりであった。あいにく正殿は塗り替え工事中で、一部に覆いがかかぶせれれていて写真を撮るには残念な状態だった。石積みの城壁は、丘陵地帯の地形に沿ってなめらかな曲線を描き美しさを演出している。正殿は北京の紫禁城をモデルにし、中国と日本との狭間で微妙な地位を保ち続けた琉球王国を象徴する建物に見える。
帰りに龍潭越しに首里城の写真を撮ってホテルに向った。
二条城
2009年2月24日
8城目
2009年1城目。長男が登城。自分、妻、長女、次男は登城済み。
二の丸御殿は戦う城のイメージとはかけ離れた、落ち着き感と豪華さを醸し出している。

2018年5月16日 妻と2人で登城
二条城への登城は、5〜6回目。流石に世界遺産、修学旅行生と外国人観光客で芋洗い状態。写真を撮るにも一苦労。家康が征夷大将軍の拝賀を受け、慶喜が大政奉還をした。徳川幕府の始まりと終わりがにこの二条城が関わっていることに因果を感じてしまう。登城の度にに感じるが、慶喜が大政奉還を諸侯に宣言した大広間はとても小さく感じてしまう。京都の真ん中にこれだけの規模の城が維持されていることは称賛に値する。二の丸御殿の障壁画は見事である。
江戸城
2009年3月24日
9城目
規模はさすがに将軍の城だけあって他の城を大きく凌駕している。
また、石垣、堀、城門、櫓、どれも気品を兼ね備え、大きさも桁違いに大きく立派である。まさに日本一の城である。

2013年10月4日 皇居一般参観にて再登城。
過去二回の皇居東御苑の登城と違い、桔梗門から登城。窓明館にてビデオを見た後宮内庁職員の方のガイドで参観。
皇居東御苑からは、柵越えにしか見ることの出来なかった富士見櫓をまじかに見ることが出来大感激。
宮殿長和殿を右手に見ながら正門鉄橋(二重橋)を渡る。皇居外苑から見るのとは違い実際に渡ることが出来またまた感激。
二重橋からは、伏見櫓をまじかに見ることが出来る。
参観所要時間は、約1時間15分。充実な参観であり、江戸城の大きさを改めて実感した登城であった。

2017年3月29日 妻と再々登城
妻が未登城のため桜を愛でながらの登城。今年の桜は例年より少し遅く見頃には少し早かった。見学者は外国人も含めて大勢でさすが日本一の城である。
仙台城
2009年8月2日
10城目
長男が登城。自分は仙台には何回か行っているが未登城。

2011年11月6日、妻と2人で登城。自分は初登城。
朝9時過ぎに、大手門隅櫓と修復中でブルーシートの石垣見学後、迂回路の案内板に従って少し遠回りしてから本丸駐車場に到着。
小雨の降るあいにくの天気にも関わらずたくさんの人が朝早くから見学に来ていた。
さすがに大藩の居城、本丸の広さと見事な切込接の本丸石垣は見ごたえがある。
仙台城見聞館を見学後、笹かまぼこなどのお土産を購入して多賀城に向かう。
盛岡城
2009年8月8日
11城目
長男が登城。盛岡には行ったことはあるが自分は未登城。

2016年11月2日 妻と2人で登城。
平泉で中尊寺、毛越寺を見学。平泉から約1時間で盛岡城に到着。下の橋の擬宝珠を見ながら、近くのコインパーキングに車を止めて登城。予想以上の石垣の高さに圧倒される。さらに石垣は、野面積、打込接、切込接と築城時期の違いが石垣の積み方の変遷を現している。残念なのは、建造物が一つもないことである。門や櫓の復元が期待される。翌朝、もりおか歴史文化館にて盛岡藩の歴史や南部家の至宝を見学して、その後、田沢湖、角館経由で秋田に向かった。
箕輪城
2009年8月16日
12城目
妻と二人で登城。
本丸の空堀はかなり深く、堅固さが窺える。西側は河岸段丘で容易に登ることは出来そうもない。武田方を何度も打ち払った、まさに天然の要害と言える城だろう。
夏は蚊避け対策が必要。

2017年2月25日妻と再登城
井伊直政時代の櫓門が完成したと聞いて登城。
前回登城時よりも駐車場も城跡も良く整備してあった。他の建物も再建予定がありそうで
今後の整備が楽しみである。
鉢形城
2009年9月21日
13城目
妻、長女、次男と4人で登城。
城跡の中に道が通っていて縄張りはかなり大きい。
鉢形歴史資料館から深沢川を渡り、
荒川河岸段丘の崖の上の本丸跡まではかなり距離がある。
北条の城は天然の要害に築かれていたが、徳川の時代には役割を終え、多くが廃城になってしまい哀愁を感じてしまう。
松代城
2009年10月17日
14城目
妻と2人で登城。
武田信玄も城に居たとかと思うと感慨深い。
城の規模は小じんまりとしている。松代の城下も小じんまりとしているが趣はある。
川中島の古戦場、八幡原公園も千曲川を渡ればすぐである。

2015年4月11日
善光寺御開帳参拝の帰りに2度目の登城。
本丸内部はたくさんの桜が満開で大勢の人で賑わっていた。
野面積の石垣と満開の桜の取り合わせが素晴らしく映った。
上田城
2009年10月17日
15城目
妻と2人で登城。城全体が落ち着いた茶色で質実剛健な感じがする。徳川を二度に渡り退けた真田の心意気も感じられる。
小諸城
2009年10月17日
16城目
妻と2人で本日3城目。駅裏の道から三の門に向かうと「穴城」と言われるよに坂を下るようになる。懐古園の額が掲げられた三の門は城門と言うには趣がありすぎて、力強さはあまり感じられない。駅の反対側にある大手門は中々立派である。

2015年6月6日 再登城
天守台は野面積で所々苔が生え歴史を感じさせてくれる。本丸は深い堀切で防御されており、守りの堅固さがうかがえる。
名古屋城
2009年11月28日
17城目
自分は前日より岐阜入り、28日ゴルフコンペのため妻が一人で新幹線で名古屋入りして登城。名古屋城の近くは何度となく通過したが自分は未登城。妻は一人登城のため歴女に間違われる。青み掛った屋根と金の鯱は遠くからも眺めることが出来る、まさに天下普請にふさわしい大城郭である。

2016年11月23日 妻と2人で登城
江戸城、大阪城の天守が焼失後、江戸時代から第二次世界大戦で焼失するまで日本最大の天守を誇った名古屋城、さすがに大天守である。家康による豊臣恩顧20家の大名による天下普請、家康の強大な権力を窺い知れる。清須城から移築されたと言われる三重三階の清須櫓は、小さな城の天守並の大きさである。本丸御殿も修復作業中であるが、資料に基づく正確な再現がなされており、完成が楽しみである。天守の木造建築による再建が検討されているようであるが、貴重な図面などの資料が焼失を免れており、日本人のみならず、外国人の観光客も大勢見学に来ている現状も考慮すれば、城好きの立場では是非とも再建を切望したい。 


 
岐阜城
2009年11月29日
18城目
岐阜に泊まり妻と2人で登城。岐阜にも何度も来ているが初登城。昨夜はライトアップされた幻想的な岐阜城を眺めることが出来た。早朝金華山ロープウェーにて眼下を眺めながら登頂。よくもこんな山頂に城を築いたと感心する。望楼からの眺めは360度、名古屋の高層ビルも見ることが出来る。信長と同じ景色を見ていると思うと感無量であった。
犬山城
2009年11月29日
19城目
初の国宝に妻と2人で登城。国宝1城目。現存天守1城目。
城門を潜り左手前方に出現する犬山城は、やや小振りながら迫力は満点である。
古式豊かなその姿は、現存天守として400年の時間の重さを見る者に否が応でも
見せつける不思議な力を秘めている。急こう配の階段も現存天守の証しであろう。
岡崎城
2009年11月29日
20城目
妻と2人で登城。本日3城目。犬山より名鉄特急で岡崎へ。
家康誕生の城、そして今川から独立した城として興味深い城である。
天守は小振りであるが、南側の乙川が堀の役目を果たし堅固さを感じさせる。
佐倉城
2010年2月13日
21城目
2010年1城目。雨の中妻と2人で登城。
かなり広い規模の城郭で、中に中学校や国立民族博物館もある。
石垣が無く土塁と空堀で防御しているところに大きな特徴がある。
出丸は残存状態は良く見るべき価値があるが、本丸跡からはかなり遠い。
国立民族博物館は必見の価値がある。
武家屋敷ものどかな雰囲気があり是非寄るべきである。
岡山城
2010年2月19日
22城目
次男と2人で西日本登城の旅。
駅から路面電車で城下で下車、徒歩5分ほどで漆黒の天守を見ることが出来る。天守の裏と表とではまったく違う姿を見せてくれる。また、漆黒と金の鯱、金箔瓦のコントラストは威厳を放ち豪華さも醸し出している。後楽園からの天守も絵のような美しさである。
赤穂城
2010年2月20日
23城目
次男と登城。四十七士の石像が立ち並ぶ大石神社を参拝後登城。
石垣の高さ、堀の深さとも規模は小さい。石高と城の規模がしっかりと比例していることを感じる。帰りに大石内蔵助宅跡を見て、姫路城に向かう。
スタンプはシャチハタではなくうまく押すことが出来ず残念。
姫路城
2010年2月20日
24城目
次男と登城。本日2城目、国宝2城目。現存天守2城目。
平成の大修理の前に滑り込み登城。
さすがに世界遺産の城である。
桜門を潜るまえの内堀越しから見る白亜天守群にすかさず圧倒されてしまった。
連立式天守ゆえに見る位置から異なる天守群は様々な顔を持ち、いつまでも見続けたい眺めである。見学者の数もいままで登城した城とは比べものにならないほど大勢で、まさに城の中の城と言える。

2016年5月19日妻と再登城
平成の大修理を終えての再登城。白亜の天守群は修理を終えて以前よりも真っ白になり気品と優雅さがさらに増した。まさに天下の名城である。
津山城
2010年2月20日
25城目
次男と登城。本日3城目。
山全体を高石垣で覆ったような壮大な平山城である。
古写真では天守をはじめ数多くの櫓が立ち並ぶ素晴らしい光景を見ることができた。
備中松山城
2010年2月21日
26城目
次男と2人で登城。現存天守12城の3城目。
冬期のため鞴峠駐車場まで車で行くことが出来た。しかしながら道は、1台通行するのがやっとの狭い山道、朝早かったため運よく行きも帰りも対向車はなかった。
山城故か、天然の岩盤を石垣の一部に上手く使用している。
天守は二重二階で規模はかなり小さい。天守一階には囲炉裏が切ってあった。
鬼ノ城
2010年2月21日
27城目
次男と登城。本日備中松山城に続き2城目。
備中松山城ほどではないが、道は所々狭いところがあり対向車には注意が必要。
中世以降の城とは趣の違う古代山城で、復元工事が行われていた。
眼下には総社平野が一望出来る。
今帰仁城
2010年3月4日
28城目
次男が友達と登城。自分は未登城。
琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されているが、見学者はほとんどいなかったそうである。

2017年4月12日妻と2人で登城
本日、座喜味城、中城城、勝連城についで4城目の登城。
沖縄のグスクはどれも曲線の美しい石垣と石の門で建物はなく、妻云わく「どこも一緒に見えてしまう」 そうではなくて各グスクの特徴を楽しむことが重要と説き伏せる。
今帰仁城は、慶長14年薩摩に攻められ炎上し廃城となった。その後も城は聖域・拝所として存続した。それゆえに城としては相応しくないような、グスクの入り口から神社の参道のような真っ直ぐな石の階段が長く続いていたことを納得出来た。
次男が来たときとは違い、夕方にもかかわらず見学者は大勢いた。

続日本百名城のスタンプが出来たらまた、座喜味城と勝連城のスタンプを押しに来るのだろうか? 願わくば早くスタンプ帳とスタンプの設置をして欲しい。

翌日は、予定通り沖縄での初ゴルフを妻と満喫しました、
中城城
2010年3月5日
29城目
次男が友達と登城。自分は未登城。
今帰仁城同様見学者はいなかったそうである。

2017年4月12日妻と2人で登城
2017年4月6日に発表された続日本百名城で、沖縄の座喜味城と勝連城が入ったことを出発前に知り、予定を変更しホテルから座喜味城を見学後中城城に到着。あいにく正面入口が工事中だったが、ゴルフ場のカートで400メートル先の正門まで案内していただいた。中城城は料金所から登ると裏門で正門から出るのが通常のルートのようだが、工事中でカートで案内されたため正門から入り裏門へ戻る順路とは逆に見学。沖縄本島でも東西の間隔が狭い位置に立地するため、東に太平洋、西に東シナ海を眺望することが出来る。石垣の積み替え工事中で郭には番号を振られた石垣が整然と並んでいた。
小田原城
2010年3月13日
30城目
妻と長女を箱根に誘いながら3人で登城。
関東の覇者後北条氏の本拠地、東海道の要衝。
上杉謙信の包囲を切り抜けたことが、秀吉の包囲も切り抜けられると考えたのであろうか。「小田原評定」が頭を過ぎった。堀、石垣の規模は思ったほど大きくはない。
天守からは相模湾を一望出来る。
山中城
2010年3月13日
31城目
小田原城に引き続き妻と長女の3人で登城。本日2城目。
国道1号は渋滞のため箱根新道で一気に箱根峠を越えて山中城へ。
箱根旧街道が城内を通り、三島方面からは上り坂であり西からの侵入には守り易かったと思われる。障子掘や畝堀が見事に復元されており、他の城にない後北条氏の築城術を垣間見ることが出来る。

2018年10月29日
妻と2人で再登城。
滝山城、石垣山城登城後、宿泊地伊豆長岡温泉に向かう途中に登城。前回登城出来なかった岱崎出丸に登城。見事な畝堀越しに冠雪した富士山を見ることが出来た。城全体の整備が大変良く出来ていた。
久保田城
2010年7月16日
32城目
長男が登城。自分は堀の脇は通ったことはあるが未登城。

2016年11月3日妻と2人で登城。
角館から1時間ほどで久保田城に到着。大手門後からの大手門通りは、道は上り坂になっており城が高台に築かれていたことが実感出来る。石垣はなく土塁により築かれた城である。二の丸から長坂門口の階段を上がると久保田城唯一の現存建物、御物頭番所が右手にあり左手には階段がありその上に表門が再現されている。表門を潜ると本丸である。本丸には、佐竹義堯公の銅像と八幡秋田神社等がある。本丸の北西隅の高台に三重四階の御隅櫓が博物館として建てられている。実際の御隅櫓は二重櫓であったそうである。石垣も天守もない質素な城は、幕府への配慮なのか? 
翌日、秋田城跡、横手城を見学して帰路についた。
松本城
2010年7月24日
33城目
妻と2人で登城。国宝3城目、現存天守4城目。長男、次男は登城済み。
漆黒の天守群が織り成す屋根の構成美はまさに国宝の城である。
また、天守群は無骨な西面、風雅な南面と見る方向から違った顔を見せている。
しかしながら、石垣は低く、堀は堀と言うよりは池と言った感じで天守群の素晴らしさとは対照的で物足らない感じがした。

2014年12月6日 再登城
前回は夏の松本城であったが、今回は冬の松本城に登城。白い雪景色に黒の松本城のコントラストは前回の夏とは違った趣がある。昼食は「あさだ」でそばを堪能し、雪道の中
白骨温泉に向かった。
高遠城
2010年7月24日
34城目
妻と2人で登城。本日2城目。
天守や櫓・石垣の無い城も、佐倉城や山中城のように空堀や土塁など城を感じることの出来る遺構があったが、高遠城は空堀は確かにあるが、公園の印象が強すぎた。
信濃の要衝の城、名君保科正之の城として名高い高遠城ではあるが、何か復元整備出来れば素晴らしいと思った。
高岡城
2010年9月18日
35城目
妻、次男、長女と登城。北陸2泊3日遠征の1城目。
以前、氷見の友達の結婚式で射水神社に来て以来の登城。
縄張りはかなり広く、各曲輪が水掘りによって囲まれ独立性を保っている。
水掘りの水は深緑色で、堀の深さを想像させている。
近くの高岡大仏は日本三大大仏とのことで、是非参拝を。
七尾城
2010年9月18日
36城目
妻、次男、長女と登城。
高岡城の後、氷見の友達に氷見魚市場食堂「海寶」で昼食をごちそうになる。
いなだ・甘エビ・イカ・アジ等の刺身の大盛り合わせとかますの焼物で超満腹。
急な山道ではあるが、本丸跡、さらに上の展望台まで車で行くことが出来る。
展望台、本丸からの眺めは最高である。
低い野面積の石垣を数段に積み上げている。山城故に各曲輪の面積は小さい。
丸岡城
2010年9月19日
37城目
妻、次男、長女と登城。現存天守5城目。宿泊先の和倉温泉より直行。
堀は無く、二重三階の天守と野面積の天守台石垣が小高い丘の上にあるだけだが、
さすがに現存天守、小さくとも存在感が十分にある。
望楼部が大きいためより重量感が感じられる。
また、現存故に急こう配の階段が趣を誘っている。
昼食は福井名物ソースかつ丼をおいしくいただきました。
一乗谷城
2010年9月19日
38城目
妻、次男、長女と登城。本日2城目。
復元された武家屋敷や町屋には優雅さがあり、朝倉氏の繁栄ぶりを彷彿させる。
二つの城戸は下手には石垣、上手には土塁が築いてある。
金沢城
2010年9月20日
39城目
妻、次男、長女と登城。自分は過去7〜8回登城。
登城する度に復元整備がなされ、加賀百万石にふさわしい格調高い城に生まれ変わりつつある。兼六園も加賀百万石の庭園に相応しい優雅さと風情を醸し出している。
春日山城
2010年9月20日
40城目
妻、次男、長女と登城。本日2城目。
春日山一山全体が巨大な山城で、麓に復元された水掘、土塁から天守閣跡まではかなりの距離がある。戦国時代有数の大城郭を想像することが出来る。林泉寺の山門も立派である。
大野城
2010年10月1日
41城目
大宰府天満宮参拝の後、大宰府政庁跡に隣接する大宰府展示館でスタンプ捺印。
時間の都合で山頂には登れず。次回の九州遠征で登城予定。
規模は鬼ノ城以上かと想像される。

2018年12月6日
妻と長男と再登城
福岡から宇美町側からレンタカーで登城。百間石垣を見学後、四王寺県民の森管理事務所で長男がスタンプを捺印。案内図を見て改めて大野城の規模の大きさを実感する。その後宇美町側に戻り水城館を目指す。
福岡城
2010年10月1日
42城目
本日2城目。夕方4時半過ぎに登城。先に鴻臚館跡展示館にてスタンプ捺印。
規模はかなり大きく城内は広い。5時で多聞櫓に入る門が閉まってしまい残念ながら
入ることは出来ず。潮見櫓や下の橋大手門は本丸跡からは離れているが見る価値は十分ある。
吉野ヶ里
2010年10月2日
43城目
確かに日本の城の起源と思われるような壕や城柵が集落を囲い、外敵からの侵入を防ぐ防御が出来ている。規模は広く全部みるには2〜3時間を要す。復元された建物はどれも立派で、邪馬台国を彷彿させる。
八王子城
2010年11月6日
44城目
妻と長女と登城。ボランティアの方に御主殿跡まで親切、丁寧に案内していただいたため、当時の八王子城の様子を想像しながら見ることが出来た。ボランティアのおじさん、ありがとうございました。
徳川幕府になり、八王子城の戦略的価値が無くなり、廃城となって山中にひっそりと埋もれている城に哀愁を感じざるを得なかった。
甲府城
2010年11月6日
45城目
妻と長女と登城。本日2城目。
想像以上の規模で、野面積の石垣が高く積まれており、甲府城の重要性が窺われる。
線路の北側には山手御門も復元されており、稲荷櫓と共に当時を彷彿させてくれる。
天守台からは山の向こうに富士山を見ることが出来ました。
昼食には、ほうとうと2010年B1グルメで優勝した甲州鳥もつ煮をおいしくいただきました。
武田氏館
2010年11月6日
46城目
妻と長女と登城。本日3城目。やはり城と言うよりは神社。
まさに「人は石垣、人は城」である。
東側では発掘作業が行われており、今後の復元に期待したい。
駅から武田通りは緩やかな登りで、背後は山に囲まれ要害の地であったことは想像出来る。途中の山梨大学には飯部兵部の屋敷跡の看板があり、館の南側が繁栄し、防御も兼ねていたと思われた。
水戸城
2010年11月20日
47城目
妻と2人で登城。
水戸城の航空写真を頭に焼き付けて登城すると、連郭式の縄張りを実感することが出来る。そしてその規模は御三家の城に相応しい大規模なものである。
旧三の丸の東端にある弘道館から現在は道路になっている深い堀に掛る大手橋を渡り、
旧二の丸を通り抜け、現在は水郡線が通る深い堀に掛る本城橋を渡るとやっと旧本丸、(現在は水戸一高)に辿り着く。この間徒歩で7〜8分。ここに唯一現存する薬医門が移築されている。
また、旧三の丸の西端に残る空堀も段丘を切り開いて造ったことを容易に想像することが出来る。
焼失してしまった御三階櫓などが再建されればよりすばらしいと思った。
駿府城
2010年12月11日
48城目
妻と2人で登城。前日夜に静岡入り、静岡おでん、桜エビ、生シラスを堪能。
朝一に大手門跡に向かうが、あいにくの石垣工事中のため通行出来ず。写真撮影のみ。
本丸の家康公の銅像、家康公御手植えのミカンを見学した後、二の丸の東御門、巽櫓を見学。
10時の開館を待って県庁の展望ロビーより眼下に駿府城を眺める。
平城ながら三重の堀が堅固さを物語っている。
掛川城
2010年12月11日
49城目
妻と2人で登城。本日2城目。
大手門駐車場に駐車して登城開始。駐車場を出るとすぐにぽっんと大手門が住宅の隣に出現。さらに、人通りのほとんどない城下町風の街並みを進むと眼前に掛川城天守と太鼓櫓
が現れる。小高い天守からは掛川市街を一望出来る。
幕末に建てられた二の丸御殿は現存する数少ない城郭御殿であり、重厚さと趣を兼ね備えている。
昼食は掛川名物いも汁をいただく。
長篠城
2010年12月11日
50城目
妻と2人で登城。本日3城目。スタンプラリー半分の区切りの登城。
城の遺構と言えるのは北側の土塁と堀くらいである。戦国時代に廃城になった城は残念ながら遺構となるものは少ない。
しかしながら、宇連、寒狭両川の合流点の北側の断崖絶壁の地に築かれた長篠城はまさに天然の要害である。その姿は牛渕橋から確認することが出来る。
設楽が原の馬防柵を見て、武田騎馬軍団の悲哀を感じ、歴史的な合戦の地に立っていることに深い感慨を覚えた。
岩村城
2010年12月12日
51城目
妻と2人で登城。折り返しの1城目。
国道257号から一方通行の岩村の古い街並みを通り岩村歴史資料館に到着。
太鼓櫓を見学後、時間の都合で車にて出丸駐車場へ。冬にもかかわらず数台の車が来ていた。
海抜721メートルの近世山城で最も高い本丸跡、雛壇状に6段に積まれた石垣や山頂付近に張り巡らされた石垣群は実に見事である。
岩村藩の医師が長崎で覚えた岩村名物のカステーラとしぼりたての新酒「女城主」をおみやげに買い求めました。
タイムスリップしたような岩村の古い街並みは立ち寄る価値十分である。
福山城
2011年2月11日
52城目
2011年1城目。妻と2人で登城。
福山駅の北口を出ればすぐ目の前に石垣。縄張りの中に駅が出来た、まさに駅前城。
天守は昭和41年に再建された、鉄筋コンクリート。昭和30〜40年代に再建された城は、多くが鉄筋コンクリートで内部が博物館になっている。平成以降の再建は木造が多く、往時を彷彿させてくれる。福山城も内部は博物館である。今後改修の計画があれば内部も焼失以前の復元を期待したい。
現存の伏見櫓と筋鉄御門は伏見城からの移築とされ貴重な遺産である。
岩国城
2011年2月12日
53城目
妻と2人で大雪の中登城。
前日広島に泊まり、友人夫婦と牡蠣づくしの夕食を堪能。広島に冬に来た甲斐があった。
しかしながら、冬に雪は付きものである。岩国に向かうにつれて大雪になり、錦帯橋についた時は一面の銀世界。ロープウェイが動いてるか不安でいると、錦帯橋のボランティアの方が一緒に錦帯橋を渡り、ロープウェイ乗り場まで親切に案内してくれた。途中、香川家長屋門や旧目加田家住宅を案内していただいた。ありがとうございました。
スキー場のロープウェイを思わせる雪景色の中、3人連れのやはり百名城のスタンプ帳をお持ちの年配の方と5人でロープウェイで山頂へ。足跡もない新雪の山道を登ること5分、南蛮風の岩国城天守を目の当たりにする。
天守閣内部は福山城と同じく博物館になっていた。天気が良ければ眼下に錦帯橋を眺めることが出来るのだろうが、大雪で視界は極めて不良。
天気の良い日に再登城し、眼下の眺めと錦帯橋からの岩国城天守を眺めて見たいと思う。
広島城
2011年2月12日
54城目
本日2城目。午前中の岩国での大雪がうそのような良い天気の中、妻と2人で登城。
さすがに120万石の毛利輝元が築いた、大大名に相応しい巨大平城である。
下見板張の古風で武骨な望楼型天守は、白く優美な塗籠とは違い戦国の雰囲気を醸し出している。
築城から間もない関ヶ原の敗戦で、広島城を去ることになった毛利輝元の無念は察するに余りある。
夕食は友達夫婦に二晩連続で付き合ってもらい、魚料理食べた後、お好み焼きも食べ、広島の味を大いに満喫しました。
郡山城
2011年2月13日
55城目
妻と2人で登城。広島駅からレンタカーで国道54号線を50分程走って、安芸高田市歴史民族博物館に到着。広島はくもりだったが、途中の峠から雪になった。また、途中には分水嶺の案内板があり、江の川が国道沿いを日本海へと流れている。
郡山城は山全体を城郭にした中世山城で、江の川も堀の一部にしている。イメージとしては春日山城の雰囲気である。遺構となるものは少ないが、毛利元就の居城としての存在感は大いに感じることが出来る。博物館の資料で郡山城の全体像を把握することが出来る。
川越城
2011年4月30日
56城目
妻と2人で登城。2年半に及ぶ平成の大修理の完了を待っての登城。
公開初日の3月26日に登城予定であったが、東日本大震災によるガソリン不足などのため延期、被災された方にお見舞いを申しあげ、一日も早い復興をお祈りいたします。
江戸の搦手といわれた川越城ではあるが、当時を彷彿させる遺構は少ない。
修理が完了した本丸御殿は17万石に相応しい風格はあるが、現存する建物は当時の10分の1の規模であり、周囲は野球場や学校などで「城」を感じることはあまり出来ない。
しかしながら、市立博物館は見ごたえがあり、蔵の街や鍵の手の道は川越が城下町であったことを物語っている。
富士見櫓跡、中の門堀跡、喜多院などは必見である。
昼食は40分待って鰻重をいただき、小江戸蔵里でお土産を買って帰路に着きました。
彦根城
2011年6月4日
57城目
妻と2人で登城。国宝4城目。現存天守6城目。
前日夜に彦根入り。夢京橋キャッスルロードのせんなり亭伽羅で近江牛すき焼きを堪能。
朝8時15分からボランティアガイドさんの案内で登城開始。10時30分のひこにゃんの本丸広場登場に合わせて玄宮園から見学。玄宮園から望む天守の姿は数々の写真では見ているが、実際に見た感動は言葉では言い表せないほどすばらしい。
その後、表門橋を渡り、天秤櫓、太鼓門櫓を通り本丸へ。
天守は三重三階で大津城からの移築と伝えられている。思ったよりは小振りだが、多彩な破風に飾られて、その雄姿は見る角度により多彩な表情を見せてくれる。
ひこにゃんの愛くるしいしぐさにこころが和み、昼食の鯖そうめんを食べるべく、さざなみ街道を長浜へ向かう。
小谷城
2011年6月4日
58城目
妻と2人で登城。本日2城目。
長浜で鯖そうめんを食べてから約20分で小谷城戦国歴史資料館へ到着。
スタンプ捺印後、小谷・江のふるさと館の駐車場に車を止めて、14時30分の小谷城バスにて番所跡まで登城。そこからボランティアガイドさんの説明を聞きながらゆっくりと登城。姉川古戦場を眼下に眺めながら、竹生島を眺望できる桜番場跡へ、ここは大河ドラマ「江」のロケ地とのことでガイトさんがドラマの写真を見せてくれた。大河ドラマの影響はやはり大したもので、城の興味よりもドラマの興味の方が大勢登城しており、城マニアには複雑な思いである。
本丸跡で引き返しであるが、本丸の北側の大堀切を見学して、15時15分のバスで下山。
小谷城は小谷山の稜線に多数の郭を要し、土塁や空堀、竪掘で防御した日本屈指の山城であり、すべてを見るには1日掛かりであろう。
歴史上重要な城であることは間違いない。
17時の閉館間際の長浜城歴史博物館を見学してホテルへチェックイン。
安土城
2011年6月5日
59城目
妻と2人で登城。長浜のホテルからさざなみ街道を通り抜け約45分で安土城に到着。
しかしながら、運か不運か年に一度の「あづち信長まつり」の開催日。安土城入口の駐車場には物品販売のテントが張られて駐車出来ず。駐車場案内もないため、安土駅前の観光案内所にて詳細を聞く。文芸の郷(信長の館、安土城考古博物館などがある)の駐車場に車を駐車して、JRびわこ線のガードを潜り約10分で安土城入口に到着。
信長まつりのため入場料は無料。
真っ直ぐに伸びる大手道を登り、その後、鍵の手の石段や土道、虎口を通り抜け本丸跡、最上部の天主跡に到着。安土城のみが「天守」を「天主」と呼んでいる。
天主跡には、壮大な天主を支えたであろう礎石が整然と並んでる。天主跡からは築城当時には山麓まで来ていた琵琶湖を眺望することが出来る。
下山時に、総見時の三重の塔、二王門を見て約1時間で見学終了。
近世城郭の先駆けとなる壮大な安土城を築城し、天下統一を目前に本能寺で非業の最期を遂げた信長の無念は計りしれない。
その後、信長の館で安土城の天主5階6階部分の再現を見学して観音寺城に向かう。
観音寺城
2011年6月5日
60城目
妻と2人で登城。本日2城目。
昨日の彦根城、小谷城、そして今日午前中の安土城と山登りの連続で疲労困ぱい、それとまだ未登城の伊賀上野城もここから1時間半ほどで行けそうなため、観音寺城本丸への登城は今回は断念し、石寺楽市会館にてスタンプのみ捺印。
安土城からは、ほんの目と鼻の距離。小谷城と同じく山全体が城と言った感じ。
繖山の高さ大きさは、安土山よりも高く山全体も大きい。
この地方がいかに重要かが感じられる。
急ぎ伊賀上野城を目指す。
伊賀上野城
2011年6月5日
61城目
妻と2人で登城。本日3城目。
今回の遠征では登城出来るかどうか不確定であったが、観音寺城の本丸登城を断念して急遽登城。北陸・東海の最期の未登城の城。地理的にも不便で高取城と合わせて登城しようと考えていただけに、今回車で来ている時に登城出来てラッキーであった。
観音寺城から甲賀を抜けて1時間ちょっとで到着。周りを山に囲まれた上野盆地の高台に
やけに白く感じた三重三階の天守と二重二階の小天守を伴った連結式の形で木造で再建されている。
天守の中は博物館になっているが内部も階段も木製で、やはりコンクリート製の復興天守とは趣を異にしている。藤堂高虎の一生を描いた手作りの年表を見た後に高石垣を見学して、築城の名人藤堂高虎の城づくりへの情熱を垣間見た感じがした。
高石垣は直線的で美しいが、力強さも兼ね備えていてたやすくは攻略出来ない。
高石垣を堀の外から見学しようとしたが、夏場は木が多すぎて見るには難しい。
昭和10年に私財を投じて復興天守を再建された、川崎克氏には敬意を表したい。
根城
2011年7月9日
62城目
妻と2人で登城。
登城の前に、八戸駅からレンタカーで八食センターへ行き早めの昼食(寿司)を取る。
八食センターは大勢の人で賑わっていた。
親切なボランティアガイドさんの案内で登城開始。南部氏の歴史を解説していただき、
根城の成り立ちを学ぶ。空堀にて区切られ、各曲輪が独立している。
再現された主殿は中世の武士のくらしを彷彿させてくれる。城跡全体がきれいに管理されていて、地元の人たちの熱意を感じた。
奥入瀬渓流、十和田湖経由で弘前に向かう。
弘前城
2011年7月10日
63城目
現存天守7城目。前日に弘前に宿泊して、朝1番に妻と2人で登城。前夜は貝みそ焼き、いかめんち、のっけ汁などの郷土料理を堪能。
ホテルから徒歩で旧青森銀行などの古い洋館を見ながら三の丸追手門に向かう。櫓門に石垣ではなく、土塁で枡形を形成しており、西国の石垣とは違う東国の土塁建築を実感する。二の丸未申櫓、辰巳櫓を見学後、天守を目指す。
下乗橋からの天守は数々の写真では見たが、実物は現存であり、やはり見ごたえがある。
しかしながら、本丸辰巳櫓を改装して天守に代用しただけあって、天守台の上に立ち四方を石垣に囲まれた天守とは重みが違う。また、天守の城内側は窓だけのシンプルな造りで、装飾された城外側とは趣を異にしている。江戸城富士見櫓の方が立派?かも知れない。
帰り際、下乗橋を拭き掃除しているボランティアの人たちと遭遇した。ボランティアの人たちに敬意を表したい。
ねぷた村でおみやげを購入し、黒石でつゆ焼きそばを食べ、三内丸山遺跡を見学後、新青森から帰路に着いた。
白河小峰城
2011年9月18日
64城目
妻と2人で登城。
白河中央スマートインターを降りて一般道をしばらく走ると、阿武隈川の橋上から左手前方の小高い丘陵に白河小峰城の三重櫓を仰ぎ見ることが出来る。
さすがに奥州関門の名城、思った以上に大きく立派な城である。
二の丸にある駐車場から白河集古苑の脇を通り本丸に向かうが、残念ながら東日本大震災の影響で石垣が崩れ本丸には登城出来ず。二の丸から本丸を仰ぎ見て、集古苑を見学、受付にて石垣修復の募金箱に寄付をし、その後城の北側の狭い道路を一周して見学終了。
戊辰戦争の激戦地、犠牲者の冥福を祈り、石垣の早期回復を願い会津若松城に向かう。

2015年12月12日 再登城
前回登城出来なかった三重櫓に登城。なかなか立派な三重櫓である。最上階からは白河街のを一望出来る。石垣の復旧はまだ続いており早めの復興を願うばかりである。
昼食は、城近くの城山坊と言うそば店でそばをいただいた、出てくるのに時間は掛かったが、そばの味は絶品であった。
会津若松城
2011年9月18日
65城目
妻と2人で登城。本日2城目。
会津若松インター出口が大渋滞のため、ひとつ先の新鶴スマートインター下車で市街地に向かう。釜めしと会津そばの昼食後に、甲賀町口郭門跡の横を通り、鶴ヶ城北口から、北出丸の枡形を通り抜け、西出丸のほぼ満車の駐車場に駐車して登城。
さすがに家光異母弟の名君保科正之の居城、縄張りも大きく、東北では少ない石垣を多様した名城で、本丸東側の高石垣は見事である。。
天守閣は博物館になっているが、展示内容は充実しており見ごたえは十分である。
特に、松平容保公が孝明天皇から戴いた御賑簡の写しは、容保公の孝明天皇からの信頼の大きさを窺わせる証しであろう。
幕末期の赤瓦に葺き替えられた天守、走り長屋も、以前見た黒瓦とは趣を変え東北の名城の名を更に高めている。
確か、再来年の大河ドラマは新島(旧姓山本)八重子と聞いた気がするが、大いに楽しみである。
飯盛山の白虎隊士のお墓をお参りして、帰路に着く。
二本松城
2011年11月5日
66城目
妻と2人で登城。
二本松菊人形まつり開催中のため、インター出口、駐車場ともに大変な混雑。
箕輪門を写真に撮るのも人が多すぎて上手く写すことが出来ず。
城跡は霞ヶ城公園になっていて庭園、池など良く整備されているが、戦う城も十分に感じることが出来る。本丸に向かうに従い勾配はきつくなり土塁と堀切が随所に見られ、山城であることを実感出来る。
本丸には東日本大震災の影響で入ることが出来なかったが、山頂にある石垣は打込接で実に見事である。
山形城
2011年11月5日
67城目
妻と2人で登城。本日2城目。
二本松城登城のあと、高速と一般道で約1時間半で山寺立石寺に到着。
1015段の石段を往復1時間かけ参拝。紅葉と五大堂からの眺めは素晴らしかった。
その後、一般道で約25分、山形城二ノ丸東大手門前の地下有料駐車場に到着。
二ノ丸東大手門前の堀は思いの外深く、幅も広い、堀に沿ってJR線が走っている。
枡形を通り抜け二ノ丸に入ると、今まで見たどの騎馬像よりも凛々しく、勇猛な最上義光騎馬像が出迎えてくれる。
本丸は、一文字門石垣と大手橋が復元されているが、本丸内部は発掘・復元中であり、今後の復元に期待したい。
最上義光歴史館で、織田信長から義光が拝領し、長谷堂城の戦いで被弾したとされる兜を見て、宿泊先の仙台に向かう。
多賀城
2011年11月6日
68城目
妻と2人で登城。
前夜は、牛タン、かきフライ、笹かまぼこなど仙台名産をつまみに一杯。
朝一で仙台城に登城してから、約30分で国府多賀城駅に到着。観光案内所でスタンプをを捺印して、パンフレットをいただきいざ登城開始。
小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気で見学者も数人。多賀城碑を見学後、小高い丘に真っ直ぐに伸びる幅広い石段を登ったところにある多賀城政庁跡に到着。
今は何もないここが、奈良、平安時代の東北の中心と考えると、感慨深いものがある。
正殿などの復元が出来れば素晴らしいと感じた。
津和野城
2011年12月15日
69城目
長男が友達と登城。自分は未登城、2012年中に妻と登城予定。
12月の平日で観光リフトは運休中、山頂には行かずスタンプのみ捺印。
自分が登城時に山頂の本丸高石垣を制覇したい。
冬のためか津和野の町も観光客は少なかったらしい。

2018年11月13日
妻と2人で登城
萩からレンタカーで1時間ほどで観光リフト駐車場に到着。平日のためか人はまばら。
リフトでの乗車時間は5分ほど。リフト降り場から城跡までは工事中の箇所がいくつもあり、板敷きの仮設通路が出来ていた。途中の出丸も石垣の工事中のため行くことが出来ず。本丸、二の丸、三の丸には見事な石垣が残っている。紅葉の終わる時期で紅葉の絨毯になっている箇所も数箇所あった。本丸からは、津和野の赤い屋根の町並みを眼下に望むことが出来る絶景を満喫出来る。竹田城の縮小版といった雰囲気である。たまたま居合わせた著名な写真家の先生に夫婦で記念の写真を撮っていただき津和野の良い思い出が出来ました。
萩城
2011年12月16日
70城目
長男が友達と登城。自分は未登城。2012年妻と登城予定。
前日の夜、津和野からレンタカーで約1時間で萩に到着。
麓の本丸等を見学後、指月山の詰丸にも登った模様。
やはり冬のせいか観光客は疎らだったらしい。

2018年11月13日
妻と2人で登城。
8時半にホテルを出発、平安古伝建地区の鍵曲を見学。9時に光圀本店に行きお土産に夏蜜柑丸漬、夏蜜柑マーマレード、萩の薫を購入。その後萩城に登城。駐車場から萩城本丸に向かう枡形の石垣は、巨石の打込接ぎで37万石にふさわしい威圧感を感じさせる。城跡は堀と石垣のみで一抹の寂しさを感じる。明治新政府の中心として廃城令を率先して実行した潔さはある意味見事である。萩は江戸時代の古地図と現代の道がほとんど変わっていない城下町に魅力が残っている。萩博物館を見学後山口へとんぼ返りし、この日も萩に宿泊。翌日14は、松蔭神社を見学後津和野に向かう。
大分府内城
2012年7月15日
71城目
長男と次男が早めの夏休みを取り、九州5城めぐりの旅、1城目。
大分空港から、杵築城、別府温泉入浴後に登城。
城内の無料駐車場が分からず、場外の有料駐車場に駐車。
隅櫓と再現された廊下橋の他には建物はなし。
何故か、天守台の下に大友宗麟の胸像があったそうである
自分は妻と今後登城予定。

2018年4月16日 妻と2人で登城
百名城完全登城目前に、続百名城のスタンプラリーが始まってしまい、息子達がスタンプ捺印した自身未登城の城を登城しながら、続百名城登城も平行して登城することになったしまった。続百名城1城目の中津城登城後、宇佐神宮を参拝した後、大分府内城に登城。
県庁など官公庁街に堀と櫓、復元された大手門がある。当時の縄張りは官庁街も含めた壮大な規模であったであろう。鉄パイプ?で組まれた天守閣が城内広場に出来ていた。夜にはイルミネーションが灯ることを聞いた。出来れば天守台に木造の天守を再建して欲しい気持ちに駆られた。
岡城
2012年7月16日
72城目
長男と次男、九州遠征2城目。
大分市内から国道442号線経由でほぼ1時間で到着。次男の高校担任の郷里。
城入口でスタンプ捺印。珍しい巻物状の案内図をもらいいざ登城。
祝日ながら、大雨の影響で見学者はほぼゼロ。
15分ほどで本丸に到着、立派な石垣を見学。
以前は大手門の再現があったらしいいが現在はなし。
自分は妻と今後登城予定。

2018年4月17日 妻と2人で登城
別府温泉に泊まりレンタカーで、延岡、佐伯、臼杵城を登城後に午後4時45分に岡城に到着。受付は午後5時までだが、見学はその後も出来ることを聞き安心しゆっくりと登城。山城だが本丸、二の丸、三の丸、西の丸の敷地が広く、それぞれが急峻な崖と高石垣で守られている。竹田城に勝るとも劣らない敷地の広さと堅固な縄張り、見事な石垣は百名城の中でも屈指の名城といえるだろう。大手門や櫓など一つでも復元された建造物があれば往時を彷彿するのに役立つと感じた。
熊本城
2012年7月16日
73城目
長男と次男が登城。自分は過去2回登城済み。
大雨の影響で迂回路を通り、竹田市内から約3時間で到着。
二の丸駐車場に駐車しいざ登城。
美しいカーブを描く武者返しの石垣は見事である。
現存の宇土櫓は往時を偲ばせ、櫓とは言え小藩の天守を凌ぐ立派さである。
本丸御殿の昭君の間はみごとであった。
自分が登城時には本丸御殿は再建されていなかったため、もう一度登城予定である。
島原城
2012年7月17日
74城目
長男と次男が登城。自分は過去に妻と登城済み。
熊本から高速フェリーで移動。島原港からは10分ほどで到着。
4万石の大名にしては、石垣、堀ともに立派である。
天守の入り口には、武者、忍者、町人姿の人がいて、鎧を着けることも出来る。
昼食は、城近くの姫松屋で郷土料理の具雑煮をいただいた。
平戸城
2012年7月18日
75城目
長男と次男が登場。九州遠征5城目。
長崎から高速経由で2時間ほどで到着。
本土と平戸島に架かる平戸大橋は見事なつり橋である。
城跡からは壱岐の島も見ることが出来る。
青い海と白い城、そして赤い平戸大橋のコントラストは実に美しい。
自分は今後妻と登城予定である。

2016年4月14日
妻と2人で登城。前日、平戸城と対岸のホテルに宿泊。部屋から平戸港越しに平戸城を目の当たりにすることが出来大感激。夜にはライトアップされた幻想的な天守を見ることが出来た。三方を海に囲まれた絶好の地に城が作られ、改めて先人の城の立地の目のつけどころに感心した。
今治城
2013年2月3日
76城目
次男が友達と登城。
松山空港からレンタカーで1時間10分で到着。
天守の外見は立派だが、中は再建のため趣はあまり感じらなかったらしい。
馬上の藤堂高虎像は立派。
天守入口で限定のバリィさんコラボ缶バッチを購入。
自分は妻と今後登城予定。

2015年3月2日妻と2人で登城。
宿泊先の道後温泉から国道317号線で1時間弱で今治城駐車場に到着。
幅60mの水掘が直ぐに目を引く。本丸は五層六階の層塔型で見た目には細く高く感じた。
本丸は鉄筋コンクリート造りで内部は博物館になっている。最上階の天守からは来島海峡大橋を見ることが出来た。また、海と繋がる排水口も見ることが出来た。天守を含め3つの櫓を周りスタンプを押して絵ハガキをいただいた。
昼食は、今治B級グルメの焼豚玉子飯を今治在住の知人と白楽天でいただいた。
松山城
2013年2月4日
77城目
次男が友達と登城。ゴンドラが修理中のためリフトで登城。
雨であったが、マドンナ姿の係員さんが雨カッパを貸してくれた。
天守までは、リフトを降りて徒歩10分。
天守からは松山市街が一望出来る。

2015年2月28日 妻と2人で登城現存天守8城目。
松山空港からレンタカーで20分。東雲口から満員のロープウエイで長者ヶ平へ、扇勾配の石垣を右手に見ながら徒歩7〜8分で本丸へ、天守、小天守、南北隅櫓、多聞櫓、廊下で結ばれた現存連立式天守は見ごたえ十分である。帰りに東雲かまぼこ店にてじゃこてんを食べ湯築城へ向かう。
高松城
2013年2月5日
78城目
次男が友達と登城。城の西側から登城。
堀には海水が入っており、堀で鯛の餌やりを体験。
天守台は工事中であった。水手御門は船が直ぐに着けられるようになっていた。

2015年9月15日
妻と2人で登城。
山越うどん、金毘羅宮参拝後に登城。玉藻公園駐車場から艮櫓が良く見える。その後旭橋を渡り旭門より入城。桜御門跡が工事中のため迂回路を通り披雲閣へ、披雲閣庭園を抜け月見櫓・水手御門・渡櫓を見学。海と水堀をつなぐ水門も通り二の丸跡へ、木造の鞘橋を渡り本丸天守閣跡に到着。天守再建の計画があるとのことで是非とも再建天守を見て見たいものだ。
艮櫓、月見櫓・水手御門・渡櫓はいずれも破風や石落などが付けられ他の城の櫓よりも装飾性が高く豪華で城全体が気品に溢れ譜代大名の城の風格が感じられた。
堀には鯛が数匹泳いでおり、海城であることが実感出来る。
丸亀城
2013年2月5日
79城目
次男が友達登城。高松から一般道で40分で到着。
城の向かいの無料駐車場に駐車。
天守までの坂は急だが、天守からの眺めはすばらしく、
瀬戸大橋を望むことが出来る。

2015年9月16日
妻と2人で登城。現存天守9城目。
城の大手門の前に立つと天守を頂点に城山全体に石垣が見られその重厚感に思わず圧倒されてしまう。今までの城めぐりでも5本の指に入る名城である。三の丸北側の高石垣は算木積の美しい曲線美である。
三層三階の小振りの天守は、現存木造天守では日本一小さい天守であるが天守最上階からは瀬戸内海を一望することが出来る。他の櫓などが再建されれば素晴らしい城となるであろう。
徳島城
2013年2月6日
80城目
次男が友達と登城。高松から高速で1時間20分で到着。
城内の有料駐車場に駐車。
城跡と言うよりは公園。蜂須賀家政公の銅像がある。
堀にはボラが泳いでいる。
スタンプは、徳島城博物館にて捺印。

2015年9月17日
妻と2人で登城。遺構は少なく再建された鷲の門と「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩の石垣くらいである。この石垣の石は全体的に平べったく、緑色のカビが生えたような色で石垣自体も他の城の石垣よりも低めである。
徳島城博物館に隣接した表御殿庭園は、決して大規模ではないが枯山水と築山泉水庭から構築された回遊式庭園で桃山様式を顕著に示している。
人吉城
2013年3月19日
81城目
次男が友達と登城。
九州自動車道の人吉ICから5分ほどで人吉歴史館に到着。歴史館にてスタンプ捺印。
歴史館は、人吉藩初期に活躍した相良清兵衛屋敷跡にあり、人吉城と相良家の展示がある。
人吉城は石垣は見事である。建造物は門や隅櫓が再建されている。
歴史館から車で3分ほどのところに青井阿蘇神社があり、建物は国宝に指定されている。

2018年9月2日  妻と2人で登城
鹿児島空港からレンタカーで50分ほどで人吉歴史館に到着。係の人の丁寧な説明で人吉城の縄張りがよく理解できた。球磨川と胸川の合流地点の平坦部から高台にかけて広範囲が城域になっている。胸川沿いに再建された角櫓、長塀、多門櫓は見ごたえがある。広大な三の丸、二の丸の高石垣も見事である。城内にかつてあった市役所が移転して発掘調査も行われており、今後の整備に期待したい。
鹿児島城
2013年3月20日
82城目
次男が友達と登城。
黎明館の無料駐車場に駐車。黎明館にてスタンプ捺印。
城からは、錦江湾を望める。石垣には西南戦争時の砲弾の後が随所に残っている。
城の北西、鬼門の石垣は鬼門除けとして石垣の隅を欠いている。

2018年9月3日 妻と2人で登城。
人吉城から1時間半ほどで城山にある城山ホテル鹿児島に到着。タクシーで天文館に向かい、黒豚しゃぶしゃぶの夕食を摂る。その後、天文館むじゃきで「しろくま」を食べる。早朝、ホテルからは少し雲のかかった桜島を一望することが出来る。レンタカーで10分ほどで黎明館駐車場に到着。月曜日で休館日と思っていたが、思いかけず臨時開館中で黎明館を見学することが出来た。
御楼門跡は、修復工事が行われておりクレーン車が城内に入っていた。鹿児島城は、堀と石垣があるのみで、城というよりは巨大な館といった感じである。これは、領内に多くの外城が存在していたことでそうなったのか? 幕府に遠慮したのか? 私には分からない。
77万石にしてはあまりにも質素な気がした。その後、仙厳園を見学し知覧に向かった。
根室半島チャシ跡群
2013年8月6日
83城目
次男が友達と登城。
釧路空港からスタンプがある根室市歴史と自然の資料館までレンタカーで2時間10分程。
あいにくの天気だったため、納沙布岬で写真を撮り、チャシには足を運ばなかったとのことで、後日妻と登城予定。

2019年6月25日 妻と2人で登城

前日釧路に宿泊。途中、厚岸漁業協同組合の直売店エーウロコに立ち寄り花咲ガニと弁天牡蠣、鉄砲汁などを購入。12時過ぎにレンタカーで根室に到着、ニューモンブランにてエスカロップの昼食を取る。その後、根室市観光インフォメーションセンターに立ち寄る。根室市内は晴れていたが、納沙布岬に向かうに連れて霧が発生。納沙布岬では霧で視界不良。納沙布岬から5分ほどで、ヲンネモトチャシ跡駐車スペースに到着。こちらは納沙布岬ほどの霧の濃さではなかった。駐車スペースから200mほどでヲンネモトチャシ跡の先端に到着。途中、切岸の名残がここがかってアイヌの砦であったことを彷彿させてくれる。 
湯築城
2015年2月28日
84城目
妻と2人で登城。
松山城からレンタカーで様々な形の路面電車が走る通りを走り10分かからずに到着。
丘陵部を二重の堀と土塁に囲まれた平山城である。市街地にもかかわらず縄張りが良く残っている。今夜の宿泊先である道後温泉街へも徒歩で行ける立地であるが、市街地にある坂の上雲ミュージアムを見学し道後温泉に到着。
大洲城
2015年3月1日
85城目
妻と2人で登城。
朝からあいにくの雨で途中松山自動車道は濃霧に覆われていた。大洲郵便局横の枡形跡と思われる突き当りを左折し、道後温泉から約1時間で駐車場に到着。風雨強まる中坂道を5分ほど登り本丸へ。再建された天守ではあるが、大勢の方の寄付により木造で再建された四重四階の両脇に櫓を連結した立派な天守であり、鉄筋コンクリートの再建天守とは趣が大きく違う。
500円で甲冑着用のオプションがあり、雨で登城者が少ないため挑戦した。レプリカではあるが、係りの人に着せていただき戦国武将の気分を満喫できた。雨のため外で天守をバックに写真撮影が出来なかったことがこころ残りであった。
宇和島城
2015年3月1日
86城目
妻と2人で登城。本日2城目。現存天守10城目。
大洲城からレンタカ−で40分ほどで宇和島城桑折長屋門前の駐車場に到着。朝からの雨は上がったが本丸の登る石段は滑って登りづらかった。15分ほど掛かって本丸に到着。本丸からは宇和島湾を一望出来る。本丸はそんなに広くなく現存の三重三階の層塔型の天守のみが立っている。見て来たばかりの連立式天守を持つ松山城や大洲城から見ると残念ながら物足りなさを感じた。
古図によれば宇和島城は、総郭の半分が海に面した五角形の縄張りの海城であったが、今は埋め立てが進み海には面していない。築城の名手藤堂高虎の築城技術の巧妙さを見ることが出来た。
宇和島名物鯛めしは、到着したかどや松山空港店にて事前に美味しくいただいた。
松前城
2015年7月10日
87城目
妻と次男と3人で登城
宿泊先の湯の川温泉からレンタカーで、途中道の駅しりうち、横綱の里ふくしま、北海道最南端の白神岬に立ち寄り2時間半ほどで松前に到着。
途中、津軽半島の岩木山も見ることが出来、最後に立ち寄った道の駅北前船松前のスタッフの方も岩木山まで見えるのは年に数回とのことで最高の日和に遠く松前まで来ることが出来幸せであった。
松前は、江戸時代仙台以北最大の人口3万人を要する城下町で、その繁栄の様子は松前城資料館の松前屏風やこじんまりとしたテーマパーク的な松前藩屋敷にてうかがい知ることが出来る。
また、幕末外国船に対応するために築かれた日本最後の日本式城郭の松前城は、箱館戦争で2度にわたり合戦の舞台となっており、百名城でも数少ない合戦を経験した城郭の一つでもある。
函館への帰路、松前藩が築いた戸切地陣屋、そして翌日函館空港近くの志海苔館を見学し帰路についた。
これで東日本は完全登城済となった。
高知城
2015年9月16日
88城目
妻と2人で登城。自分は過去に登城済だがスタンプ捺印のため再登城。現存天守、本日登城済みの丸亀城に引続き11城目。
前日に高松空港に到着、山越うどんにてかまたまうどんを食べ、785段の階段を上り金毘羅宮を参拝。その後高松城を見学。
本日、高松より丸亀城を見学後、12時前に高知城に到着。日本で唯一現存追手門から現存天守を見上げることの出来る景色を堪能し登城開始。現存天守12城の中で唯一本丸御殿が現存する本丸御殿を見学後天守に登城。
やや小振りの外観四重(内部三層六階)の天守だが現存の重みは十分に感じ取れる。
最上階はかなり狭いが、廻縁のに設けた欄干は、擬宝珠高欄で家康の許可を得て取り付けたものだそうである。見学後、かつおの塩たたきを堪能し、桂浜で坂本龍馬像を見学し高知をあとにした。
松江城
2015年10月27日
89城目
妻と2人で登城。国宝5城目。現存天守12城目。国宝、現存天守完全登城。
前日、米子鬼太郎空港に到着。境港の水木しげるロードで鬼太郎ブロンズ像などを鑑賞。
CMで有名になったべた踏み坂の江島大橋を渡り夜松江に到着。夕食後、タクシーにてライトアップされた松江城を見学。夜の松江城も幻想的で素晴らしかった。
翌朝一番に松江城天守閣へ登城。まだ人も少なく良い写真を撮ることが出来満足出来た。
新たに国宝に登録されたことで幟や横断幕が随所に飾られている。
外観五重内部六階の天守は外観より広く、現存の重厚さを大いに感じとることが出来る。
最上階からは宍道湖を望むことが出来る。自分の中で5本の指に入る名城である。
その後、大手門広場より堀川めぐりの船に乗船、50分の船めぐりで塩見縄手、松江市街、堀越しの松江城天守の景色を満喫。堀川めぐりは是非とも乗船されることをお勧めします。下船後、隣接のみやげが充実している島根ふるさと館で島根みやげを購入し。月山冨田城へ向かう。
月山富田城
2015年10月27日
90城目
妻と2人で松江城に引続き登城。本日2城目。
松江城からレンタカーで45分ほどで道の駅「広瀬・冨田城」に到着。昼食に割子そばを
いただく、腰が有り適度な冷たさでのど越し良く即完食。となりの安来市立歴史資料館でスタンプを捺印。親切な係りの人に登城の説明を受けいざ登城。あいにく小雨が降り出したため狭い道を通り山中御殿近くの駐車場まで移動。山中御殿は三方が石垣によって囲まれている大規模な曲輪である。山中御殿とその下の花の壇は堀切で分断されており、麓から本丸に到るまで大小の曲輪が点在し、最盛期中国地方8カ国を治めた尼子氏の居城に相応しい月山そのものが巨大な山城となっている。
残念なことに、登城時には誰にも会わず夫婦2人での貸し切り状態であった。
整備が進みたくさんの登城者が来ることを願い下城した。
その後、直ぐ近くの素晴らしい庭園とたくさんの横山大観の絵画が所蔵されている足立美術館を見学し、本日の宿泊地玉造温泉に向かった。
鳥取城
2015年10月29日
91城目
妻と2人で登城。前日、玉造温泉に宿泊、玉作湯神社、出雲大社、八重垣神社、白兎神社と年頃3人の子供のため良縁祈願の神社めぐりをしながら夜鳥取に到着。
朝食後、ホテル近くのすなば珈琲にてコーヒーをテイクアウトし、いざ鳥取城へ登城。
駅前の大通りの正面に山頂に石垣がある久松山を良く見ることが出来た。
鳥取城跡は、現在大手登城路や石垣などの修復工事がなされており、クレーンなども入っておりあいにく写真は撮りずらい状況であった。
鳥取城は、平地との境に堀があり、山麓にかけて石垣によりいくつもの曲輪が造られ、さらに山頂部に本丸がありまさに久松山全体が壮大な城郭となっており、信長も「堅固な名城」と評した城であった。
工事が進み城跡全体が整備されれば良い城跡になるであろう。
その後、天球丸の球面石垣などを見学し、鳥取砂丘に立ち寄り鳥取コナン空港より帰路についた。
名護屋城
2016年4月14日
92城目
妻と2人で登城。
前日、平戸に泊まり早朝より平戸オランダ商館、平戸ザビエル記念教会、平戸城、伊万里「大川内山」を見学。遅めの昼食を呼子河太郎で「いか活き造り定食」を満喫。午後2時前に佐賀県立名護屋城博物館に到着。館内見学後、タブレット端末を借りて登城開始。
タブレット端末から当時の櫓、門、多門櫓、御殿、五層七階建ての天守などをCGで見ることが出来臨場感あふれる見学が出来た。秀吉がわずか5ヶ月で当時大阪城に次ぐ規模の名護屋城を建設したところに秀吉の権力の凄さを象徴している。天守台跡からは玄界灘を見渡せ素晴らしい眺望を楽しめる。
佐賀城
2016年4月15日
93城目
妻と2日人で登城。
前日唐津に宿泊。午後9時過ぎに大浴場で入浴中に熊本地震の前震に遭遇。唐津では震度3で大きな揺れではなかった。その後、テレビで熊本の状況を見て被害の大きさを改めて知った。被災された熊本の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
ホテルから、唐津曳山展示場を見学後、佐賀城本丸歴史館に到着。ボランティアガイドさんの丁寧な説明に感謝しながら見学。本丸御殿を木造で忠実に再現している点は素晴らしい。平城故に70mの幅の堀を巡らし防御を固め、その規模は県庁や学校も含めかなり広大な城であったことがうかがえる。
和歌山城
2016年5月17日
94城目
妻と2人で登城。新大阪から特急くろしおで1時間JR和歌山駅に到着。バスで5分ほど公園前で下車。一の橋を渡り大手門から入城。一度反対(南)側の岡口門に行き写真撮影、表坂を登り連立式天守閣に登城。連立式天守閣は小ぶりで鉄筋コンクリート製で博物館的な内部。天守最上階からは和歌山市街と紀の川紀伊水道を一望出来る。裏坂を下り二の丸庭園から御廊下橋を靴を脱いで渡り西の丸へ。御廊下橋は傾斜があり歩きづらいが見事な橋である。西の丸庭園を散策し、わかやま歴史館を見学してバスにて和歌山駅まで戻り、
近鉄百貨店の地下の清乃で和歌山ラーメンを食べ本日の宿泊地姫路に向った。
竹田城
2016年5月18日
95城目
妻と2人で登城。前泊の姫路よりレンタカーで約1時間半で山城の郷駐車場に到着。天空バスで10分で竹田城跡に到着。舗装された山道約800メートルを約20分で登り料金所に到着。そこから北千畳、三の丸、二の丸、本丸、南二の丸、南千畳と一方通行での見学。平日の午前中にもかかわらず大勢の見学者が来ていた。まさに天空の城と言われるだけあり、360度の絶景を見ることが出来る。東側急勾配の眼下に竹田駅と竹田の町並みを見ることが出来る。石垣の上にどんな櫓や門があったのか、想像するだけでわくわくする石垣群である。見学所要時間約50分。帰路は竹田城跡まで下りを約15分歩き、再び天空バスで山城の郷駐車場まで戻り篠山城へ向った。
篠山城
2016年5月18日
96城目
妻と2人で登城。竹田城から1時間かからずに篠山城に到着。見学者は我々の他に1組だけと少し寂しい気持ち。大手門跡を登り枡形の先に大書院の入り口。靴を脱ぎ大書院を見学。平成12年に総工費12億円を掛けて再建されている。四方に広縁と落縁が巡らされ襖絵などに囲まれた8つの部屋がある。その中でも上段の間は幅3.5間の大床があり、二本の松の木が描かれている。大阪城包囲のために1609年に1年足らずで築城され、二重の堀と高石垣に囲まれ大書院が立っている。石垣の外からは、大書院の屋根の一部しか見ることが出来ない。帰りに東馬出と南馬出を見学し姫路に戻った。
明石城
2016年5月19日
97城目
妻と2人で登城。前日に竹田城、篠山城に登城し姫路に戻り宿泊。午前中に姫路城に登城。私は平成の大修理の前の2010年2月の登城以来二度目の登城。姫路城見学後、JR新快速で23分で12時少し前に明石に到着。そのまま明石焼きの松竹へ直行、特別卵焼きを注文。15個と少し多かったが、出し汁とソースをつけて見事完食。その後東入口より登城。城跡というよりは公園。坤櫓と巽櫓の両方が写せる西芝生広場から写真撮影。その後本丸に登り展望台より南側を眺望。巽櫓の右手に明石海峡大橋を臨むことが出来た。残念ながら平日のため櫓内部の見学は出来なかった。帰路大手門の枡形を通りぬけ魚の棚商店街を通り帰路に着いた。
中津城
2018年4月16日
続1城目(通算98城目)
妻と2人で登城
大分空港からレンタカーで一般道で1時間半で中津に到着。途中、豊後高田の昭和の町並みを通る。登城前に名物中津からあげの昼食を摂る。天守は、模擬五重天守だが黒塗りで見応え十分。黒田時代と細川時代の石垣の継ぎ目を間近に見ることが出来る。登城後、宇佐神宮を参拝して、大分府内城に向かう。
延岡城
2018年4月17日
続2城目(通算99城目)
妻と2人で登城
宿泊地の別府温泉からレンタカーで1時間40分ほどで到着。城山公園の北駐車場から復元された北大手門を通り抜け登城開始。建造物は北大手門のみだが、石垣は随所に残り見応えがある。二の丸の通称「千人殺しの石垣」は、熊本、小倉城に次ぐ九州屈指の19mの高さを誇リ威圧感を感じる。天守台跡には城山の鐘があり、登城中に12時の鐘が鳴らされていた。登城後、佐伯城に向かう。
佐伯城
2018年4月17日
続3城目(通算100城目)
妻と2人で登城
延岡城からレンタカーで40分ほどで佐伯市歴史資料館駐車場に到着。立派な佐伯市歴史資料館を見学後、三の丸櫓門を通り抜け登城開始したところ雨が強く降り出したため、徒歩20分掛かると資料館で言われた山頂天守への登城を断念。白塀が続く歴史と文学の道をレンタカーでゆっくりと通り街並みを堪能。途中に、明治の文豪国木田独歩館が趣深く建っていた。その後、臼杵城へ向かう。
臼杵城
2018年4月17日
続4城目(通算101城目)
妻と2人で登城
佐伯城からレンタカーで30分ほどで臼杵市観光交流プラザ駐車場に到着。眼の前に高くそびえる臼杵城を眺めることが出来る。現在は埋め立てれれているが、元々は臼杵湾に浮かぶ丹生島に大友宗麟が築城。島津軍の猛攻にも持ちこたえた名城。防御のため岩を掘り切って造った狭い鐙坂を上り登城。天然の岩の上に石垣・塀を巡らせ櫓を巧みに配置し、堅固な防御態勢を確立している。私にとって名城の一つに入る城である。その後1時間半掛けて岡城を登城し、別府温泉に戻った。
角牟礼城
2018年4月18日
続5城目(通算102城目)
妻と2人で登城
朝、宿泊先の別府温泉の地獄めぐり後にレンタカーで1時間20分ほどでわらべの館駐車場に到着。途中岩村城下町の通りに似た雰囲気の豊後森町の石畳の道を通る。随所に金太郎や桃太郎などの石像が有り、おとぎの世界を演出している。豊後森藩資料館は、わらべの館の2階の一室を利用した靴を脱ぎ入る質素な資料館だった。資料館のボランティアの方に角牟礼城への行き方と地図をいただき、備中松山城に登るような狭い山道を上り三の丸駐車場までレンタカーで登ることが出来る。そこからは山道で、登る毎に野面積みの石垣が出現。おまけに蛇も三度出現した。現在石垣を随所で積み直す作業をしている様子であった。整備が早く進むことを願います。その後、杵築城と杵築の街並みを散策し大分空港から帰路についた。
品川台場
2018年4月26日
続6城目(通算103城目)
1人で登城
皆さんの書き込みのお蔭でマリンハウスで無事スタンプ捺印。マリンハウスから海越しに第三台場は見えるが、夏日の中、お台場ビーチの遊歩道を10分ちょい歩き第三台場跡の台場公園に到着。幕末にしかも海の中に、よくもこのような凸地にして五稜郭のように庇のような刎出しをつけた石垣に囲まれた砲台台場を造ったものだと感心しきり。ガイドブックと同じ構図の写真を撮ろうとレインボーブリッジに登り写真撮影。台場側へ戻ろうとも考えたが、第六台場の写真も撮ろうと思いレインボーブリッジの遊歩道を芝浦側に進み第六台場を撮影。しかし、その後のレインボーブリッジ走破は苦しかった。
千早城
2018年5月17日
98城目(通算104城目)
妻と2人で登城
奈良からレンタカーで1時間20分ほどでまつまさに到着。スタンプ捺印後登城開始。
往復40分と教えられ登城開始するも急な山道で上りはかなりきつい。途中に竪堀や堀切などを見ることが出来る。それ以外は城であったと思われる痕跡を見つけるのは難しい。但し険峻な山の尾根上に曲輪を築く縄張りは、鎌倉幕府の大軍を苦しめたことを容易に想像することが出来る。千早神社を参拝し、まつまさで御朱印をいただいて高取城に向かう。駐車時間1時間丁度。お土産を購入し駐車料金600円は無料になりました。
高取城
2018年5月17日
99城目(通算105城目)
妻と2人で登城
千早城からレンタカーで1時間20分ほどで夢創館に到着。夢創館は、4月に行った角牟礼城の城下町豊後森や岩村の城下町の狭く古い街並みを残した上り坂の通りに面しています。係の女姓がとても親切に高取城への行き方を教えてくれました。レンタカーでやはり、角牟礼城、岩村城、備中松山城に向かうような狭いカーブの続く山道を教えられた仮設トイレが3つある登り口まで登る。少し広い道の脇にレンタカーを駐車し登城開始。これがまたきつい上りで、途中にある崩れ掛けた石垣が本丸への登城の意欲を掻き立ててくれた。三の丸、二の丸に到着すると石垣の素晴らしさに疲れも忘れるほどの感激を受ける。本丸天守台の高石垣は見応え十分である。写真で見た高取城の石垣の上に立つ天守や櫓が現存していればさぞかし素晴らしい光景であったに違いない。三大山城に数えられることが良く理解出来た。竹田城、岡城にも匹敵する名城である。続いて宇陀松山城に向かう。
宇陀松山城
2018年5月17日
続7城目(通算106城目)
妻と2人で登城
高取城からレンタカーで1時間30分ほどで千軒舎に到着。スタンプ捺印後、千軒舎裏口から車一台がと通れるまだ整備中と思われるコンクリートの打ちっぱなしの道路を城跡目指して登城。親切なことに城跡までの距離が100mごとに書かれた目印の石標が、600mから100mまである。本日、千早城、高取城と山登りした後の最後の100mは土の山道で勾配もきつくかなり苦しかった。本丸跡はかなり広く、その奥に多少石垣が残る一段高い天守郭がある。続100名城に選定されたことで各所で整備進行中の印象を受けた。春日神社の春日門の櫓台の石垣を見学後、西口関門も見学して奈良のホテルへ戻った。千軒舎から春日神社、西口関門に続く通りは、宇陀松山の古い町並みが良く残っており見る価値は十分にある。
大和郡山城
2018年5月18日
続8城目(通算107城目)
妻と2人で登城
奈良からレンタカーで30分ほどで到着。柳澤文庫にてスタンプ捺印。高石垣と堀が往時の大城郭を連想させてくれる。前日登城した宇陀松山城同様、続100名城に選定された影響か、改修工事が行われていた。天守台は整備済みで、転用石が多く使用されており、石地蔵が逆さに石垣に使用されている「さかさ地蔵」がパネルで紹介されていた。改修工事が進み櫓門や堀に掛かる橋が再現されることを期待しています。
龍岡城
2018年6月6日
続9城目(通算108城目)
妻と2人で2回目の登城
軽井沢から一般道で1時間ほどで到着。函館とここ龍岡だけにしかない星形の西洋式城郭。
函館五稜郭と比べると堀の幅も狭く石垣も低い。石垣の最上部には、函館五稜郭や品川台場同様の敵の侵入を防ぐための庇のような刎出しが作られている。城内の小学校は数年先には統廃合により廃校予定とのこと。その後、函館五稜郭内に箱館奉行所が再建されたように往時の建物が再建されることを願っています。
高島城
2018年6月7日
続10城目(通算109城目)
妻と二人で3度目の登城
前日、龍岡城登城後ゴルフ場隣接のホテルに泊まりゴルフをしてから麦草峠を通り1時間半ほどで夕刻に高島城に到着。
スタンプは、資料館になっている再建された鉄筋コンクリート造りの三重天守内にある。
今は埋め立てが進み諏訪湖湖面からかなり離れているが、往時は諏訪湖が天守石垣まで迫っており浮城であったという。さぞかし優美な姿を見ることが出来たであろう。その後、上諏訪温泉に宿泊し翌日は山梨に向かった。
新府城
2018年6月8日
続11城目(通算110城目)
妻と2人で登城
上諏訪温泉から高速で1時間、韮崎市民族資料館に到着。新府城のジオラマが展示してある。受付で「新府城と七里岩」と書かれた新府城の見どころマップをいただく。新府城に登城前に資料館でマップをいただくことをお勧めします。皆さんの口コミ通り駐車場から道路を渡るのは注意が必要、東出構から反時計回りで本丸を目指す。途中、小竹の密集地など未整備の山道を登る。本丸は予想以上に広い。帰りは、藤武神社の石段を降りて駐車場に戻った。道路は歩道部分が狭くカーブで車がスピードを上げて走っているので注意が必要。勝頼在城68日は余りにも寂しい。
要害山城
2018年6月8日
続12城目(通算111城目)
妻と次男の甲府在住の次男の妻の両親と4人で登城
新府城から30分ほどで藤村記念館に到着。藤村記念館で次男の妻の両親と合流。藤村記念館の脇には甲府城山手御門見事に復元れている。スタンプ捺印後、ほうとうと甲州鳥もつ煮込みの昼食を摂る。その後要害山城を目指す。次男の妻の両親は、事前に要害山城に下見登城をしてくれていた。当日は高温で女性陣は途中でリタイア。男二人で山頂を目指す。つづら折れの山道を登ると途中から門跡、曲輪の連続。30分ほどで主郭に到着。5月に登城した千早赤阪城、高取城並の登山。主郭は広く、周りを土塁で覆われている。搦手口の門後には石垣を配した堀切が見事に残されていた。下山後、武田神社で御朱印を頂き長野、山梨の続百名城を制覇して帰路についた。
唐沢山城
2018年6月27日
続13城目(通算112城目)
1人で2度目の登城 妻とは2016年2月26日に登城済
北関東道佐野田沼インターから車で10分程で駐車場に到着。関東平野を見下ろす唐沢山全体を城郭にした関東七名城の一つ。堀と土塁、関東の城には珍しい石垣が城の防備堅めている。本丸の野面積みの高石垣は圧巻。本丸跡の唐沢山神社に参拝して帰路に着く。
知覧城
2018年9月3日
続14城目(通算113城目)
妻と2人で登城。
仙厳園からレンタカーで1時間ほどでミュージアム知覧に到着、スタンプ捺印後、知覧特攻平和会館を見学、係の人の卓話に涙が溢れる。平和の尊さを実感しつつ、若くして命をお国のために捧げた皆様のご冥福をこころよりお祈りした。その後、知覧特攻平和会館からレンタカーで5分弱で知覧城脇の駐車場に到着。駐車場の裏側全体の小高い山が知覧城。登り口が分からず、駐車場から徒歩で来た道を戻り入口を発見。シラス台地の浸食谷を利用した空堀を登り本丸を目指すも、台風21号による降雨の影響で足元が悪く本丸登城を断念。
その後、知覧武家屋敷を見学、大河ドラマ西郷どんのロケ地にも使われていた。武家屋敷群全体がきれいに整備されており、地元の方の努力に敬意を評したい。
その後、本日の宿泊地指宿温泉に向かう。
志布志城
2018年9月4日
続15城目(通算114城目)
妻と2人で登城
前日の宿泊地、指宿温泉白水館で砂むし温泉を体験。温泉も城巡りの楽しみの一つです。
台風21号は九州をそれたため、予定通り山川港からなんきゅうフェリーで大隅半島の根占港まで50分の船の旅。
山川港10時発で、志布志市埋蔵文化財センターには12時過ぎに到着。昼休み中にもかかわらず、係の人がスタンプを事務所から持ってきてくれました。文化財センターには、黎明館にあった志布志城の大きな模型の小型版が展示してあります。志布志城跡へは、文化財センターから車で5分弱の新しく整備された駐車場から徒歩で。
これが、雨の後の湿気とシラス台地の土のぬかるみ、おまけに廃屋の横を登るかつてない整備の悪い登城路。内城の本丸を目指すも、雲行きも悪くなり途中で断念。出来ればもう少し登城路の整備を望みます。
飫肥城
2018年9月4日
100城目(通算115城目)
妻と2人で登城
2008年2月の五稜郭にてスタンプラリーを始めて以来、10年でついに100名城のスタンプをすべて捺印することが出来ました。飫肥城歴史資料館で100城目のスタンプを捺印した時は感無量でした。続100名城は、完全登城出来るか分かりませんが、次の目標にして出来るだけ挑戦したいと思います。
志布志城からナビで案内された狭い県道3号を通り、途中バケツを引っくり返したような豪雨に会い1時間ほどで飫肥城駐車場に到着。幸運にも飫肥城到着と同時に空が明るくなり雨が上がりました。天も私の100名城登城達成を祝福してくれているとかってに思い込む。
再建された大手門脇の飫肥城の碑と大手門をバックに、100名城完全登城と書いた紙を持って記念撮影。4本のしあわせ杉の対角線の中心に立ち幸せパワーを夫婦で交互にもらう。おび天と玉子焼き、冷や汁を食べ、四半的射場で横向きに座り弓で矢を放つ。妻は2本、私は1本小さな的に命中する。大きな達成感と満足感を抱え、鵜戸神宮経由、本日の宿泊地青島に向かう。
佐土原城
2018年9月5日
続16城目(通算116城目)
妻と2人で登城
宿泊地青島のホテルから朝一番で青島神社に参拝。青島神社からナビに0985-39-6911を入れて佐土原城を目指して出発。土地勘もなかったが、看板に佐土原の文字が見えず不安を感じつつ運転すると、佐土原歴史資料館ではなく、国指定史跡、蓮ケ池横穴群のあるみやざき歴文化館に到着。受付で尋ねると佐土原歴史資料館鶴松館は、月〜金は休館のため、続100名城のガイドブックの電話番号にはみやざき歴史館の電話番号を載せてあるとのこと。間違えて来た人が多数いるようで恐縮な様子で、0985-74-1518の電話番号を書いたメモをいただく。スタンプは、鶴松館向かいの城の駅、いろは館にあることも教えてくれた。気を取り直して、20分ほどで鶴松館に到着。休館のため門は閉まっている。門に向かって左手方向に「本丸、天守台はこちら」と書かれた小さな案内板がありそちらに向かう。知覧城の本丸に向かう道に似た狭くて急な登城路が現れる。時間のロスがあり、帰りの飛行機の時間もあるため本丸への登城を断念し、閉まっている鶴松館を一周して帰路についた。
座喜味城
2018年10月14日
続17城目(通算117城目)
次男夫婦が遅い夏休みを取り登城。私と妻は続100名城が選定された2017年4月6日直後の2017年4月12日に登城済。
一の郭と二の郭のみのシンプルな縄張りで規模はそれほど大きくはない。琉球石灰岩の切石を積み上げた城壁は迫力がある。二つのアーチ門天井のくさび石は必見。
勝連城
2018年10月14日
続18城目(通算118城目)
次男夫婦が遅い夏休みを取り登城。私と妻は続100名城が選定された2017年4月6日直後の2017年4月12日に登城済。
座喜味城、中城城登城後に登城。丸亀城を彷彿させる独立した丘陵地に、四つの曲輪の琉球石灰岩の城壁が目の前に現れる様は圧巻である。最上部の一の曲輪からは太平洋の大海原を見ることができる。
滝山城
2018年10月29日
続19城目(通算119城目)
妻と2人で登城。
圏央道あきる野インターから15分ほどで八王子市加住市民センターに到着。スタンプ捺印後、パンフレットをいただき登城ルートの説明を受ける。滝山観光駐車場に車を駐車して登城開始。住宅の間にある大手口から登城。すぐに急な坂道になる。坂道を登りきると平坦な道になるが、堀で仕切られた曲輪が多数存在している。さらに曲輪には枡形や馬出が作られ北条氏の城の特徴をうかがうことが出来る。城跡は都立滝山自然公園になっており、ハイキングコースにもなっているため、道は歩きやすいように整備されている。
石垣山城
2018年10月29日
続20城目(通算120城目)
妻と2人で登城。
滝山城から1時間半ほどで到着。駐車場も広くスタンプは駐車場のトイレの前にある。
本丸までは10分ほどで登城。途中崩れてはいるが見事な石の石垣が随所に見られる。本丸展望台からは、肉眼でも小田原城を見ることが出来る。陣城の規模を超えた秀吉の権勢の大きさを垣間見た気がした。帰りに一夜城ヨロイヅカファームでマロンアイスとケーキをいただく。
興国寺城
2018年10月30日
続21城目(通算121城目)
妻と2人で登城。
宿泊地伊豆長岡温泉から車で40分ほどで沼津市文化財センター未到着。親切な職員の方にパンフレットをいただき、興国寺城への道順を教えていただく。沼津市文化財センターから車で10分ほどで興国寺城に到着。三の丸にある駐車スペースから城の全容を見渡すことが出来る。本丸の東西と北側は土塁で囲まれ、本丸北の土塁の上に小さな天守台がある。本丸の北側は深い空堀があり、その北側に北曲輪が見える。北曲輪の中を東海道新幹線が通っている。北条早雲が初めて城持ちになった城として興味深い。見学後、狭い山道を通り新東名の駿河湾沼津スマートインターから諏訪原城に向かう。
諏訪原城
2018年10月30日
続22城目(通算122城目)
妻と2人で登城。
興国寺城から途中昼食を取り2時間弱で金谷駅前の観光案内所に到着。パンフレットをいただき、諏訪原城への行き方を教えてもらう。徒歩と勘違いされ、徒歩では旧東海道の石畳を通り30分掛かるそうである。車では5分ほどで諏訪原城の駐車場に到着。現在ガイダンス施設建設中で駐車スペースは3台のみ。駐車場から登城するとすぐにスチール製の書庫が置かれてあり、スタンプはその中にあります。残念ながらスタンプのインクは薄かった。入ってすぐの城跡の左手には茶畑が広がり本当に城跡かと思うほどですが、しばらく行くと順路の矢印があり採掘現場のような風景が広がります。しかし、それは三日月堀と馬出の跡です。現在も発掘工事が行われており、早めに整備が完成することを願います。唯一の構造物は、二の曲輪北馬出の復元された薬医門のみでした。薬医門の右手には富士山を望むことが出来ました。残念なことに諏訪神社の石鳥居が壊れていました。早急な復興を願います。
高天神城
2018年10月30日
続23城目(通算123城目)
妻と2人で登城。
諏訪原城から少し道に迷い、40分ほどで大東北公民館に到着。スタンプ捺印後パンフレットをいただき、記念にピンバッチを購入しました。搦手門からの登城を勧められましたが、時間の都合で本丸に近い追手門から登城。狭い山道を車で登り5分ほどで駐車場に到着。徒歩10分ほどで本丸に到着。本丸の脇は断崖絶壁。武田と徳川が死力をかけた高天神城に登城することが出来感激。信玄も落とせなかった高天神城を勝頼が落としたことは、勝頼の武勇を証明する一つの証ではないだろうか? しかし、高天神城は甲府からはあまりにも遠い。浜松からはすぐそこの距離。家康にとっては、高天神城が武田のものであった時期はさぞかし目覚めが悪かったことであろう。三の丸からは遠州灘を見下ろすことが出来た。
浜松城
2018年10月30日
続24城目(通算124城目)
妻と2人で2度目の登城。
高天神城から1時間ほどで浜松城に到着。到着時間は、見学終了時間16時30分の5分前。階段を走って登った。2016年11月22日に天守内は見学済のため入場料200円を支払いスタンプのみ捺印。入場券は前回登城時と違い、再建60周年記念の絵葉書になっていた。続100名城では久々の復興天守。やはり天守や門を見ると城に来たという実感が湧く。天守よりもと野面積み天守台の石垣の方が大きいが、復興天守は往時の三分の二の大きさで再建されていることを知り納得する。宿泊先のホテルからは浜松城を見渡せ、夜にはライトアップされた浜松城も見ることが出来た。
吉田城
2018年10月31日
続25城目(通算125城目)
妻と2人で登城。
浜松から1時間ほどで吉田城に到着。豊橋の市街地には路面電車が走っていた。城跡は野球場や美術館などがある広大な豊橋公園になっている。公園の北東の本丸部分が城跡として整備されている。資料館にもなっている昭和29年に模擬再建された鉄櫓にてスタンプを捺印。本丸の北側には豊川が流れており堀の役目を果たしている。なお、豊橋はカレーうどんを名物として売出し中とのことであった。特徴は、丼の底にご飯、その上にとろろ、そしてカレーうどんをその上に乗せ、うずらの卵をのせることと聞いた。時間の都合で食べることは出来なかった。次回来れたら挑戦してみたい。
古宮城
2018年10月31日
続26城目(通算126城目)
妻と2人で登城。
吉田城から車で1時間ほどで作手歴史資料館に到着。新城市街から山道を登り標高500mの作手盆地が古宮城の在所。2016年のNHK教育テレビ趣味どきっ「お城へ行こう」を見て古宮城の存在を初めて知った。そして、これだけの規模で戦国時代の土の城がほぼ完全な形で残っていることは極めて貴重であることを教えられた。家康の喉元に突き刺さった作手の丘全体を大堀切と迷路のように巡らされた幾重もの掘りで武田流築城術の粋を極めた最前線の城。続200名城に選定されるべくして選定された城に登城出来たことは城マニア冥利に尽きる。
浜田城
2018年11月12日
続27城目(通算127城目)
妻と2人で登城
萩石見空港からレンタカーで1時間ほどで浜田市観光協会協会に到着。パンフレットをいただき城への道順を確認する。広い道から側道に入り狭い坂道を登ると浜田護国神社に到着。社務所でスタンプ捺印後登城開始。津和野城から移築された薬医門を潜り石段を登ると高石垣が現れる。更に登ると直ぐに本丸に到着。薬医門から本丸まで10分程度。本丸からは日本海の眺望を楽しめる。第二次長州征伐で長州に破れ、自ら城を焼き退散したのはさぞかし無念であったことだろう。
大内氏館・高嶺城
2018年11月13日
続28城目(通算128城目)
妻と2人で登城
前日に浜田城からレンタカーで2時間で萩に到着。萩に宿泊し午前中に萩城、鍵曲、萩博物館、萩城下町を見学後山口に向かう。途中、道の駅萩往還で維新の志士の銅像を写真撮影。
萩から山口までの道のりは、信号も車も少なく1時間弱で山口市歴史民族資料館に到着。
スタンプ捺印後、資料館を見学。職員の方の丁寧な対応と説明に感謝。その後山口城正門を見学し大内氏館へ向かう。復元された池泉庭園、西門、北側の土塁を見学。時間の都合で高嶺城の登城は断念。瑠璃光寺を参拝後山口駅前で山口ういろうを購入して萩に戻る。
岩櫃城
2018年11月24日
続29城目(通算129城目)
妻と2人で登城
渋川伊香保インターから40分ほどで平沢登山口駐車場に到着。駐車場は広く車も多かった。観光案内所でスタンプ捺印。記念のボールペンをいただく。パンフレットは充実している。尾根通りを15分ほど登ると本丸跡に到着。道はよく整備されている。途中、多数の竪堀、雛壇状に配置された曲輪が城の堅固さ物語っている。本丸北側には雪を冠った上越国境の山々を見渡せる。武田勝頼滅亡の折、岩殿城ではなく岩櫃城に落ち延びていれば武田と戦国の歴史も変わっていたのであろうか?
名胡桃城
2018年11月24日
続30城目(通算130城目)
妻と2人で2回目の登城
岩櫃城から車で40分ほどで名胡桃城址案内所に到着。スタンプ捺印すると六文銭のマークのついたシールをいただく。案内所には、「歴史を変えた、名胡桃城址」と書かれたポスターが貼ったあった。城の規模こそ小さいが、秀吉による小田原征伐のきっかけをつくった城として歴史から消えることのない城である。復元整備も素晴らしい。写真は、当日は西日で自分の影が写ってしまうため、1回目の2016年10月18日に撮影したもの掲載。
沼田城
2018年11月24日
続31城目(通算131城目)
妻と3回目の登城。
名胡桃城から車で15分ほどの近距離。2016年10月18日に大河ドラマの「上州沼田真田丸展」を見学して以来の登城。利根川と薄根川の合流点の河岸段丘の台地の崖の上に立つ北関東の要衝の城。上杉、北条、武田の争奪戦となった歴史がある。観光案内所には真田信之が建造した五層の天守の沼田城の模型が飾れれていた。復元運動の盛り上がりを期待したい。城跡は公園となっており、石垣が残るのみである。沼田は、ブラタモリで日本一有名な河岸段丘の街として紹介され天空の城下町として見どころは随所にある。写真は、当日は既に暗くなりかけていたため、1回目の2015年11月17日に撮影したもの掲載。
杉山城
2018年11月29日
続32城目(通算132城目)
妻と2人で登城
関越道嵐山小川インターから車で5分ほどで嵐山町役場に到着。スタンプを捺印し、パンフレットをいただき杉山城までの案内図もいただきいざ登城開始。車で3分ほどで玉の岡中学校の体育館裏手の駐車スペースに到着。大手口から登城するが、整備がよく施されていて歩きやすく空堀、切岸、土塁など高低差を巧みに利用した山城の縄張りを実感出来る。私有地との説明が書かれていたが、所有者の方のご好意で登城出来ることに感謝します。
菅谷館
2018年11月29日
続33城目(通算133城目)
妻と2人で登城
杉山城から5分ほどで埼玉県立嵐山史跡の博物館に到着。ところが、残念なことに駐車場に臨時休館の赤い文字。呆然としながら博物館入口に向かうと入口脇のテーブルの上にスタンプが置いてあった。安堵の気持ちでスタンプを捺印。その後館跡を見学。館と言うイメージとは掛け離れ、平坦な土地に深い堀と4〜5m程ある高い土塁で広い各郭の防御を固めている。整備状態も良く案内板も多数あり見学しやすい。その後、パンフレットを入手するため武蔵嵐山駅に向かう。駅の観光案内所で菅谷館をはじめ比企城館群の杉山城、松山城、小倉城のパンフレットをいただき、嵐山町のキャラクター嵐丸くんの木製ストラップを記念に購入して忍城に向かう。
忍城
2018年11月29日
続34城目(通算134城目)
妻と2人で登城
行田には仕事で来る機会が多く3〜4回目の登城。
菅谷館から一般道で40分ほどで行田市郷土博物館駐車場に到着。駐車場に忍城御本丸跡の碑がさり気なく立っている。忍城といえば、和田竜氏の小説のぼうの城。小説も読み、映画も見ました。石田三成らの水攻めにも耐え、小田原落城後も落ちなかった城。関白秀吉に坂東武士の心意気を見せた城として歴史に名を残した城の一つである。博物館で購入した忍城今昔図は、忍城が浮城と呼ばれた所以を示すように城の周りを掘・沼・川で防御していた様子をうかがい知ることが出来る。
小倉城
2018年12月5日
続35城目(通算135城目)
妻と遅い夏休みを取った長男の3人で登城
福岡空港からレンタカーで1時間20分ほどで勝山公園地下駐車場に到着。
残念なことに小倉城天守は改修工事中のため中に入ることは出来ず。小倉城庭園にてスタンプを捺印。庭園見学後、小倉城天守を外から見学。小倉城天守は、細川忠興が層塔型天守を築いていたが、昭和34年に再建された復興天守は入母屋破風など多くの破風を持つ望楼型天守で再建されてしまった。史実に基づかない天守の再建は残念なことであった。当時の場所に当時のままの姿で再建された着見櫓でお土産を購入して宿泊地福岡に戻った。
水城
2018年12月6日
続36城目(通算136城目)
妻と長男の3人で登城
福岡のホテルからレンタカーで大野城の百間石垣を見学後水城館に到着。スタンプ捺印後、係の方に水城に関するビデオを見せたいただく。水城、大野城、基肄城の築城が663年の白村江の敗北に関係していたことが良く理解出来た。太宰府政庁の防衛戦として大野城、基肄城と共に、福岡平野の最も狭くなった所に長さ1.2km、幅80m、高さ10mの土塁と内外に水濠を備えた水城を築いた技術力の高さと当時の日本の危機感を感じ取った。水城館の展望台からは水城の壮大さを間近に実感できる。
基肄城
2018年12月6日
続37城目(通算137城目)
妻と長男と3人で登城
水城館からレンタカーで30分弱で其山町民会館に到着。町民会館にてスタンプを捺印。
ところが、西日本豪雨による土砂災害により基肄城への登城は危険と係の方からの警告される。なおかつ、当日は雨模様のためより一層危険と念を押されたため基肄城への登城は断念。改めて西日本豪雨の災害の大きさを実感する。被害に合われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。続100名城に選定された城では、パンフレットなど未整備のところもありますが、基山町はパンフレットがとても充実していました。特に「基肄城のヒミツ」という小冊子の漫画は基肄城の成り立ちをわかり易く説明してくれています。
久留米城
2018年12月6日
続38城目(通算138城目)
妻と長男の3人で登城
基山町民会館から30分ほどで久留米ラーメン大砲本店に到着、遅い昼食を摂る。お店には田中麗奈ちゃんが久留米ラーメンを食べようとする大きなポスターが貼ってあった。余談ながら田中麗奈ちゃんは久留米の出身だそうです。大砲から5分ほどで久留米城に到着。現在の城跡は、本丸のみで広大な二の丸、三の丸、外郭は市街地となっている。城跡には篠山神社が建立されている。社務所でスタンプを捺印。その後有馬記念館を見学。遺構は本丸の高石垣と堀のみである。城の北東を流れる筑後川は大河で城の守りを堅固にしている。
唐津城
2018年12月7日
続39城目(通算139城目)
妻と長男の3人で登城。私と妻は2度目の登城
長男が肥前名護屋城未登城のため福岡からレンタカーで1時間半ほど掛けて肥前名護屋城へ。その後、呼子でいかの活き造り定食の昼食。呼子から20分ほどで唐津城に到着。
帰りの飛行機の都合もあり、エレベーターを使い登城。前回2016年4月14日登城時も工事中であったが、今回も工事は続いていた。しかし、模擬天守内は整備され入口の場所も変わっていた。天守5階からは、虹の松原、宝当神社のある高島など絶景を見渡せる。松浦川の河口の高台に築いた立地は見事としか言いようがない。
小机城
2018年12月23日
続40城目(通算140城目)
妻と2人で2018城エキスポに行く途中に登城
小机駅南口の横浜市城郷小机地区センターでスタンプを捺印。センターから徒歩10分ほどで小机城に到着。雰囲気は滝山城に似ている。横浜にあるとは思えないほど空堀、土塁、各郭が良く保存されている。30分ほど見学しパシフィコ横浜へ向かう。みなとみらい駅周辺は連休のため大混雑。城エキスポは城好きにとっては堪えられないイベントであった。
一宮城
2019年1月30日
続41城目(通算141城目)
妻と2人で登城
徳島空港からレンタカーで30分ほどで、一宮城跡登山口の看板を150mほど過ぎた大日寺の駐車場に到着。駐車場から来た道を戻り大日寺と一宮神社を参拝してから登城開始。登山道の入り口にスタンプとコピーされたパンフレットが入ったポストが置かれている。登山道は地元の保存会の皆様の尽力によりよく整備されている。急な石段を20分ほど登ると本丸の見事な石垣が現れる。石段を登ると広い本丸に到着。本丸からは眉山と徳島の街を見渡すことが出来る。太平の世になり、戦いのための城から領国統治の城に城の役割が変遷する中、山城の一宮城から平城の徳島城への移転は残念ながら当然の成り行きか。400年が過ぎた現在もその痕跡を刻み続ける一宮城と保存会の皆様に敬意を表します。
洲本城
2019年1月30日
続42城目(通算142城目)
妻と2人で登城
一宮城からレンタカーで大鳴門橋を渡り1時間強で淡路文化史料館に到着。高速を降りて洲本の街に入ると洲本の街から一気に聳え立つ三熊山山頂に、模擬天守と立派な石垣を眺望することが出来る。淡路文化史料館からレンタカーで5分ほどで駐車場に到着。駐車場に入る前から立派な石垣が現れる。石垣の保存状態は最高。続百名城では久しぶりの感激。本丸大石段を登り駐車場から5分ほどで本丸に到着。本丸天守台も見事。残念なのは、昭和3年に再建された模擬天守。見事な天守台が残されているので、出来ることであれば史実にもとずいた天守の再建を望みます。本丸や馬屋からの眺望は素晴らしい。日暮れが迫っていたため本日の宿泊地鳴門に向かう。
勝瑞城
2019年1月31日
続43城目(通算143城目)
妻と2人でと登城
勝瑞城登城前に、うずしお観潮船に乗り鳴門の渦潮を見学。眼前に見える渦潮は迫力満点。
船を降りてからレンタカーで高速と一般道を通り30分ほどで勝瑞城跡駐車場に到着。勝瑞城の遺構は、僅かな水堀のみで城を連想するにはあまりにも寂しい。城跡に建つ見性寺にある三好氏4代の墓に参拝。その後、レンタカーですぐの勝瑞館跡にある勝瑞発掘現場事務所に向いスタンプを捺印。勝瑞館跡は広大な敷地になっており、発掘調査はは当分続きそうな雰囲気であった。一乗谷のような復元がなされることを願っています。その後、天気予報通り雨が降り始めたため、徳島そごうで土産を購入し午後は大塚国際美術館をじっくりと見学しました。
引田城
2019年2月1日
続44城目(通算144城目)
妻と2人で登城
宿泊地鳴門のホテルからレンタカーで海沿いの一般道を通って40分ほどで讃州井筒屋敷に到着。引田の町中は道路が狭く運転には注意が必要。讃州井筒屋敷でスタンプを捺印しパンフレットをいただく。登城の道順を係の人から丁寧に教えてもらう。引田港側登山口の僅かなスペースにレンタカーを駐車させ登城開始。登り口は急な傾斜が続くが登山道は整備されている。5分ほどで引田港を見渡せる開けた場所に着く。そこから本丸まで410mの標識がある。岩肌が見える道を15分ほど登ると、こじんまりとした本丸石垣が現れる。そこからは引田港をよく見渡せる。本丸すぐ下の昔の引田湊は、風除けの天然の良港として瀬戸内海の要港として栄えていた。そのため引田の町は井筒屋をはじめ商家などが立ち並ぶ町並みが今も残っている。
笠間城
2019年5月23日
続45城目(通算145城目)
妻と2人で登城
かさま歴史交流館井筒屋脇の駐車場に車を駐車。井筒屋でスタンプを捺印。パンフレットをいただき、笠間城の歴史がよくわかる2階の展示施設を見学。登城前に、真浄寺に移築された八幡台櫓を見学。櫓はきれいに保存されている。5月にしては猛暑の中登城を開始するが暑さと時間の関係もあり大手門跡で引き返す。本丸に近い千人溜り駐車場が整備され、本丸付近の立ち入り禁止区域が解除された後再度本丸登城を目指したい。その後、笠間稲荷神社を参拝し御朱印をいただき、二ツ木のくるみいなり寿司を購入して土浦城に向かう。
土浦城
2019年5月23日
続46城目(通算146城目)
妻と2人で2度目の登城
土浦市立博物館の駐車場に車を駐車。スタンプは博物館ではなく東櫓内にある。続100名城には珍しく現存の櫓門が本丸に残っている。また、本丸は狭いながらも堀や土塁、復元された西櫓と東櫓、二つの門があり城としての景観が保たれている。
本佐倉城
2019年5月24日
続47城目(通算147城目)
前日に土浦城から車で40分ほどで成田に到着。成田山新勝寺に参拝して成田市内に宿泊。
成田市内から一般道で車で15分ほどで酒々井町中央公民館に到着。公民館でスタンプを捺印。パンフレットは数種類あり充実している。本佐倉城までの丁寧な案内図をいただき登城開始。皆さんの書き込みの通り、酒々井町中央公民館から本佐倉城までの道のりは、最初は住宅街、その後は田んぼの中の狭い道の連続ですれ違いは不可能。幸いにも対向車が来ずに5分ほどで駐車場に到着。東山馬場に設置された千葉氏の家紋、月星紋の盾が往時を連想させてくれる。東山馬場の高台からは見晴らしが良い。案内板には当時は、現存の京成線の線路の先は印旛沼で線路と本佐倉城の間は今は田んぼとなっているが、当時は湿地帯で防御に適していたと書かれていた。城の中は構築物はないが、堀や土塁が残り虎口もよく分かる。
大多喜城
2019年5月24日
続48城目(通算148城目)
妻と2人で2度目の登城
本佐倉城から1時間半ほどで千葉県立中央博物館大多喜分館下の駐車に到着。駐車場から数分坂道を登ると模擬天守の博物館に到着。スタンプは博物館2階にある。立地は、夷隅川の河岸段丘を天然の要害にしている。博物館では、本多忠勝のレプリカの兜をかぶって写真を撮ることが出来、兜と鎧、陣羽織を着て写真を撮りました。前回見ることが出来なかった、薬医門と二の丸大井戸も見学して帰路につきました。
志苔館
2019年9月4日
続49城目(通算149城目)
妻と長女と3人で登城。私と妻は2015年7月、松前城登城の帰りに登城して以来2度目の登城。その時はまさか、志苔館が続100名城に登録されるとは夢にも思わずに飛行機の時間潰しに登城していた。函館空港からレンタカーで一般道を通り10分弱で到着。
函館空港の滑走路がすぐ間近に見える。津軽海峡を見下ろす丘の上に土塁を巡らせた道南12館の一つ。防御力は今ひとつといった感じ。前回登城時同様に晴天に恵まれ、函館山や下北半島まで見渡すことが出来た。
上ノ国勝山館
2019年9月5日
続50城目(通算150城目)
妻と長女と3人で登城。
前日は湯の川温泉に宿泊し、3度目の五稜郭に登城した。朝一番に四稜郭に登城してから、江差で開陽丸を見学した後に登城。四稜郭から江差までレンタカーで1時間半。江差から勝山館ガイダンス施設まで15分。勝山館ガイダンス施設は、勝山館の最北端に位置し、主郭部には山を下ることになる。江差から来る途中、天の川という川を渡った。その天の川が、和人地と蝦夷地の境界であったそうである。勝山館から2度目の松前城に向かう途中、奥尻島を見ることが出来た。
米沢城
2019年9月28日
続51城目(通算151城目)
友達6人と蔵王温泉宿泊の帰りに登城。
前日には山形城に2度目の登城。前回登城時には無かった本丸一文字門(高麗門)が復元されていた。9月28日は、第8回なせばなる秋祭りの開催中で上杉神社周辺は、大勢の人で大混雑。写真を撮るには最悪の状況。社務所で御朱印をお願いしている間に、社務所向かいの観光案内所でスタンプを捺印。御朱印は、不思議なことに武田神社の御朱印に似た極めてシンプルな御朱印。その後、上杉神社を参拝。武田神社よりは規模は大きいが、水堀に囲まれた平城は武田神社とよく似ている。その後、隣接の松岬神社を参拝して昼食にそばを食べて帰路に着く。
鮫ケ尾城
2019年10月10日
続52城目(通算152城目)
妻と2人で登城
自宅から車で230km、斐太歴史の里総合案内所下の駐車場に到着。案内所でスタンプを捺印。記念にピンバッジ、城御朱印を購入。お茶と漬物をご馳走になり、案内所から最短距離の北登城道から本丸跡を目指す。粘土質の山道のため場所によってはぬかるんで滑りやすい。20分ほどで本丸跡に到着。本丸跡からは眼下に高田、直江津の街並が見渡せ日本海も見ることが出来た。遺構は随所にある曲輪跡と堀切のみである。本丸跡の公園のような休憩所が山城の雰囲気を台無しにしている。上杉景虎自刃の城として悲壮感も感じた。下山して駐車場脇の斐太神社を参拝して高田城に向かう。
高田城
2019年10月10日
続53城目(通算153城目)
妻と2人で登城
昼食は、斐太の里の方から教えていただいた車で10分ほどの新井名物の「とん汁 たちばな」にて、とん汁定食を食べる。玉ねぎ、豆腐、豚肉だけの味噌味のとん汁。玉ねぎが大量に入っていて甘みを出している。注文すると直ぐに出てきて時間に追われる身にありがたかった。「とん汁 たちばな」から車で15分ほどで高田公園駐車場に到着。目の前に土塁の上に立つ三重櫓が現れる。天下普請によって4ヶ月足らずで築城した広大な城に徳川の力の凄さを感じた。広大な城跡は、学校や自衛隊の基地になっており、城を感じられるのは、三重櫓と土塁、広大な外堀、内堀に掛かる極楽橋くらいである。
三春城
2019年11月4日
続54城目(通算154城目)
妻と2人で登城
磐越自動車道郡山東インターから車で15分ほどで、三春町歴史民俗資料館に到着。館内を見学しスタンプを捺印、パンフレットをいただき登城開始。三春町歴史民俗資料館と反対側の小高い大志多山が三春城跡。車一台が通れる狭い急坂を登り広い路肩に駐車。そこから徒歩10分ほどで本丸跡に到着。本丸跡からは三春の町並みを見渡せる。遺構は堀、土塁、野面積みの石垣の一部がある程度で、城跡というよりは公園といった感じ。三春の印象は、三春城主田村清顕の娘が伊達政宗の正室愛姫、戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟を裏切り新政府軍に恭順し無血開城したこと。日本三大桜と言われる滝桜があること。町並みは盆地の中の落ち着いた雰囲気である。
白石城
2019年11月4日
続55城目(通算155城目)
妻と2人で登城 私は2度目の登城
三春城から高速で1時間20分ほどで白石城に到着。続100名城には珍しく木造で再建された三重三階の復元天守があり気分も高揚する。天守は、幕府をはばかって大櫓と呼んでいた。また、高麗門の大手一之門、櫓門の大手二之門も再建されており城を実感出来る。元和の一国一城令にもかかわらず、仙台城と白石城の2城の存続が許された伊達家の力を感じる。
鶴ヶ岡城
2019年11月4日
続56城目(通算156城目)
妻と2人で登城 妻も私も2度目の登城
白石城から高速で2時間30分ほどで鶴ヶ岡城に到着。既に4時を過ぎており急いで庄内神社を参拝し、スタンプを捺印。鶴岡で楽しみにしていた藤沢周平記念館の開館時間が5時までと確認してから、明るいうちに城跡を散策。城跡と言っても僅かな土塁の跡と水堀程度で城を実感出来ない。上杉神社と似た雰囲気。4時半から5時まで藤沢周平記念館を見学。蝉しぐれの内容を思い出しながら鶴岡の古地図を見る。鶴岡に宿泊し、翌日は致道館、大宝館を見学して村上に向かう。
村上城
2019年11月5日
続57城目(通算157城目)
妻と2人で登城
鶴岡から途中笹川流れの景観を見学して2時間ほどで村上に到着。村上郷土資料館でスタンプを捺印。昼食は、村上の鮭と思い「千年鮭 きっかわ」直営の井筒屋に向かうが、2時までは予約で一杯で2時の予約を入れて村上城を目指す。村上城下の駐車場に車を止め、七曲り道を登り天守を目指す。この七曲り道が昼飯前の身体には厳しい上り坂、15分ほどで四ツ門跡の石垣に到着。ここからは緩やか上りとなり、出櫓台の石垣、本丸の石垣を下から見ながら大きく迂回して本丸に到着。本丸天守台からは眼下に村上の街並み、鮭が遡上する三面川そして雄大な日本海を見渡せる。台風の影響か随所にブルーシートが掛けられていた。井筒屋の予約時間が迫ってきたため急ぎ足で下山。井筒屋で村上の塩引き鮭の定食を美味しくいただき、「きっかわ」で腹びれの先2センチくらいを残し、頭を下にして吊り下げられた100匹くらいの鮭を見学して、途中3度目の新発田城を見学して、本日の宿泊地会津東山温泉に向かう。
向羽黒山城
2019年11月6日
続58城目(通算158城目)
妻と2人で登城
宿泊先の会津東山温泉から車で25分ほどで無人の向羽黒山城跡整備資料室に到着。スタンプを捺印しパンフレットをいただき登城開始。向羽黒山城跡整備資料室脇の道を進むとフィールドアスレチックなどのある観音山、羽黒山神社のある羽黒山を通り抜け、向羽黒山城のある岩崎山にに入る。右手に三曲輪がある。さらに進むと道路自体が二曲輪と一曲輪を隔てる堀切になっている。二曲輪下の駐車場に車を止めて二曲輪に登城。二曲輪虎口がはっきりと分かる。一曲輪への登り口脇には長く伸びた竪堀を見ることが出来る。蘆名氏が築いた向羽黒山城だが、その後の会津の支配者、伊達、蒲生、上杉がこの向羽黒山城を改修していたことは、この向羽黒山城が防御に優れた東日本最大級の山城であったことを物語っている。その後、会津西街道の宿場町であった大内宿を見学し、昼食に三澤屋のねぎを箸代わりにして食べる高遠そばを食べて帰路につく。3日間の走行距離963.8kmでした。
三原城
2019年12月5日
続59城目(通算159城目)
妻と遅い夏休みをとった長男の3人で登城
前日、長男未登城の松山、湯築城に2度目の登城をして道後温泉に宿泊。道後温泉からしまなみ海道をレンタカーで2時間ほど走って三原駅前の有料駐車城に車を止め、駅中の三原観光協会でスタンプを捺印。三原城と新高山城の御城印を購入。記念に小さな三原だるまも購入。天守台は駅構内から直結。福山城同様城跡に駅が出来ている。開発され海城を感じることは出来ず、遺構も天守台と堀のみである。駅北口広場には、小早川隆景の銅像が設置されている。三原で有名な八天堂のクリームパンを購入して新高山城へ向かう。
新高山城
2019年12月5日
続60城目(通算160城目)
妻と長男の3人で登城
三原城からレンタカーで20分ほどで本郷学習センターに到着しスタンプを捺印。パンフレットは充実している。本郷学習センターから沼田川の橋を渡り沼田川沿いを5分ほど北上すると新高山城跡駐車場に到着。駐車場から眺める新高山城は尖った三角形のように見える。
登城を試みたが、今回は長男未登城の城を含め3泊4日で12城を巡るハードなスケジュールのため登城を泣く泣く断念。次の機会に登城を目指すことにした。本郷駅前の本郷観光協会で缶バッチを購入出来ると駐車場の案内に書いてあったため本郷観光協会に向かうが、午前中のみの開館で残念ながら缶バッチは購入することが出来なかった。引き続き長男未登城の福山城を目指す。
能島城
2019年12月5日
続61城目(通算161城目)
妻と長男の3人で登城
新高山城から2度目の福山城を登城して、しまなみ海道を戻り大島にある村上水軍博物館まで福山城からレンタカーで1時間ほどで到着。村上水軍博物館でスタンプを捺印。記念品に村上水軍の旗印のマグネットを購入。既に日も傾きかけていたため村上水軍博物館の見学を早々に切り上げカレイ展望台を目指す。カレイ展望台からは能島城を眼下に見下ろすことが出来、能島城が好立地な位置を占めていたことが確認出来る。また、島全体に階段状に曲輪を配置していることも目視で確認出来る。カレイ展望台からは能島城の他にも瀬戸内海の絶景を堪能出来るので、カレイ展望台には登られることをお勧めします。能島城への上陸は次の機会に挑戦したい。
河後森城
2019年12月6日
続62城目(通算162城目)
妻と長男の3人で登城
能島城のあとに宿泊地の今治にレンタカーで30分ほどで到着。夕食後ホテルから近いライトアップされた2度目の今治城に登城。ライトアップされた天守閣が堀の水に映し出され幻想的な今治城を見ることが出来た。3日目の12月6日は、朝一で3度目の今治城に登城後、2度目の大洲城に登城、宇和島のかどや本店で鯛めしの昼食を摂り、2度目の宇和島城に登城。宇和島城からレンタカーで30分ほどで松丸駅に到着。松丸駅でパンフレットをいただき、観光案内のおばあさん?から河後森城の風呂ヶ谷駐車場への道を教えてもらい登城開始。5分ほどで風呂ヶ谷駐車場に到着。我々の他に車はなし、人の気配もなし。駐車場から10分ほどでスタンプのある西第10曲輪の復元された掘立柱建物に到着しスタンプを捺印。そこから10分ほどで本郭に到着。本郭からは登って来た風呂ヶ谷が眺められ、本郭を中心にU字型の曲輪の配置が確認出来る。本郭の風呂ヶ谷と反対側は断崖絶壁で眼下に松丸駅と周辺の集落を見下ろせる。河後森城の縄張りの巧妙さを実感出来た。
岡豊城
2019年12月7日
続63城目(通算163城目)
妻と長男の3人で登城
前日、河後森城から2時間30分ほど掛けて高知城近くのホテルに到着。夕食後徒歩で3度目の高知城に登城。おりしも「チームラボ 高知城 光の祭」が開催されており、光と音響により高知城が神秘的な雰囲気を醸し出していた。朝一で昼間の高知城に4度目の登城後、レンタカーで30分ほどで高知県立歴史民俗資料館に到着しスタンプを捺印。記念品を購入し、資料館裏手の山から登城開始。10分ほどで詰に到着、眼下に天然の堀にしていた国分川が見下ろせ、その先には太平洋を見渡せる。岡豊山山頂の詰を中心にし、二ノ段、三ノ段、四ノ段と各曲輪が詰を囲むように配置されている。詰には建物の礎石が有り、三ノ段には低いながら石垣も見ることが出来る。その後、桂浜に行き坂本龍馬像を見学、高知県立坂本龍馬記念館を見学し浦戸城跡を見て高知空港から帰路についた。3泊4日、12城を巡る旅の走行距離は638qでした。