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メンバー情報

ID10712
名前Waてっぷ
コメント完全制覇を目指して!
東海から全国各地の城を巡っています。

コロナ禍もあり当初予定より遅れたが、7年間かけて2023年11月16日にやっと百名城を完全達成した。

まだ続百名城が30ほど残っているが、のんびり登城を目指したい。
登城マップ訪問城マップ

登城記録

登城日順 城番号順
根室半島チャシ跡群
2017年7月9日
丘先式チャシ・面崖式チャシ
16-18世紀

チャシ跡群のうち「ノカマツツ1・2号」と「ヲンネモトチャシ」
を訪れた。海に面した断崖上に、緑に覆われた堀・土塁などの
遺構が発掘整備されている。
五稜郭
2017年7月5日
稜堡式
築城 1866年(慶応2年) / 廃城 1869年(明治2年)

石垣や土塁から水堀を眺めると、死角のない防御となって
いることが分かる。
五稜郭タワーの展望室から全体が見渡せるので、お薦め。
松前城
2017年7月6日
平山城 (主な城主・松前氏)
築城 1855年(安政元年) / 廃城 1874年年(明治7年)

現存の本丸御門と石垣、再建の天守閣とそれを支える石垣が見どころ。
海の方を見れば、海防上重要な拠点となる城だと思い起こさせる。
弘前城
2019年10月23日
梯郭式平山城 (主な城主・津軽氏)
築城 1611年(慶長16年) / 廃城 1871年(明治4年)

天守のほか二の丸に辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓、門として三の丸に追手門・東門、二の丸に南門・東門などが現存している。
天守付近の石垣修理のため、天守は「曳家」で移動させられ、元の場所に戻るのは早くて025年度とのこと。
根城
2019年10月25日
連郭式平山城 (主な城主・根城南部氏)
築城 1334年(建武元年) / 廃城 1627年(寛永4年)

本丸に主殿・中馬屋・鍛冶工房・納屋・東門などが復元され、
往時を思い起こさせる。
曲輪、空堀、土塁が遺構として整備されている。
盛岡城
2019年10月26日
連郭式平山城 (主な城主・南部氏)
築城 1598年(慶長3年) / 廃城 1871年(明治4年)

建造物は残存せず、石垣、土塁、堀が残るのみである。
石垣は花崗岩で積まれ、どっしりとした景観を見せている。、
多賀城
2016年12月22日
古代城柵(築城主・大野東人)
築城 724年(神亀元年)

発掘整備された政庁跡の礎石に当時を思い起こしたい。
近くにある多賀城碑も立ち寄りたい。
仙台城
2016年12月21日
梯郭式平山城(主な城主・伊達氏)
築城 1601年(慶長5年) / 廃城 1871年(明治4年)

天守は建造されず、本丸に御殿跡の礎石を残す。
本丸から仙台市街、仙台平野などが広瀬川の向こうに眺められる。
久保田城
2019年10月23日
平山城 (主な城主・佐竹氏)
築城 1604年(慶長9年) / 廃城 1880年(明治13年)

本丸・二の丸一帯が千秋公園となっており、御物頭御番所が現存し、
本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)と本丸表門が再建されている。
天守は築かれず、堀は明治の大火後の再建で殆んどが埋めたてられた。
山形城
2022年4月23日
梯郭式平城 (主な城主・最上氏 鳥居氏 堀田氏 秋元氏)
築城 1356年(正平11年・延文元年) / 廃城 1871年(明治4年)

三の丸まで含めると全国有数の規模だが、現在は本丸・二ノ丸が整備されている。二ノ丸東大手門が続櫓・高麗門・土塀などが再建され、藩主の威厳さが感じ取られる。本丸の一文字門も大手橋・高麗門・枡形土塀が復元されており、そこを入ると本丸に至る。本丸には天守はなく、御殿が建てられていた。なお、本丸御殿の復元整備計画があり、建物の立体が確認できる資料がないので、復元は困難とのこと。(間取り図はある)
二本松城
2022年4月20日
梯郭式平山城 (主な城主・二本松氏 伊達氏 蒲生氏 上杉氏 加藤氏 丹羽氏)
築城 室町時代中期 / 廃城 1871年(明治4年)

二本松少年隊群像を見つつ、石垣に聳える箕輪門を潜って三の丸下段上段・回遊式庭園を一周する。本丸までの徒歩を断念し、北東の桜並木を山頂の乙森駐車場まで車で登り、本丸跡を目指す。本丸の石垣群は修復整備され堅牢な佇まいを見せている。本丸に天守台は造られたが、天守は建てられなかった。
会津若松城
2022年4月22日
梯郭式平山城 (主な城主・蒲生氏 上杉景勝 加藤氏 保科氏 会津松平家)
築城 1384年(元中元年・至徳元年) / 廃城 1874年(明治7年)

北出丸から本丸へ向かうと、国内唯一の赤瓦の五層の天守や干飯櫓・南走長屋が威容誇っている。戊辰戦争による天守の無残な姿を想いつつ、改めて現在の姿を眺めてみたい。
本丸御殿の庭にあった高楼建築「御三階」が市内七日町通りの阿弥陀寺に、唯一の遺構として残されている。千利休の子、少庵が建てたとされる茶室麟閣も、三千家の茶道の歴史を感じつつ訪れてみたい。
白河小峰城
2022年4月21日
梯郭式平山城 (主な城主・白河結城氏 蒲生氏 丹羽氏 松平氏 阿部氏)
築城 1340年(興国元年・暦応3年) / 廃城 1871年(明治4年)

水堀と石垣を左右に見て清水門跡を通ると、目前に堅牢な石垣が聳え立つ。前御門や三重櫓が本丸跡に木造で復元され、全体に石垣が多く用いられ、奥州の抑えの城としてその威容を誇っている。なお、本丸と二之丸をつなぐ清水門の木造復元事業が推進中である。
水戸城
2019年12月7日
連郭式平山城 (主な城主・馬場氏 江戸氏 佐竹氏 徳川氏)
築城 1190-1198年(建久年間) / 廃城 1871年(明治4年)

台地を利用して本丸・二の丸・三の丸などが土塁と堀切で築かれている。特に二の丸と三の丸にある深い堀切は必見。
足利氏館
2021年11月22日
平城 (主な城主・源氏 足利) 平安末期〜鎌倉初期

鑁阿寺境内が居館跡とのことだが、余りよく分からない。ただ、ほぼ正方形の方形居館跡である境内は、東西南北の四方に門を構え、水堀と土塁に囲まれており、平安後期から鎌倉期の武士の館の面影を残している。境内の本堂・一切経堂・多宝塔・楼門(山門)などの建造物を巡って、足利氏の
変遷を感じたい。
箕輪城
2017年10月11日
梯郭式平山城(主な城主・長野氏 内藤氏 滝川一益 北条氏邦 井伊直政)
築城 1512年(永正9年) / 廃城 1598年(慶長3年)

井伊直政によって近代城郭に大改修され、土塁・堀・石垣が
残っている。 郭馬出の西側の虎口に城門(櫓門)が復元されており、
そこから大堀切を目指したい。
金山城
2021年11月22日
連郭式山城 (主な城主・岩松氏 由良氏 高山貞重 宇津木氏久)
築城 1469年(文明元年) / 廃城 1590年(天正18年)

西城から西矢倉台・物見台・馬場曲輪・月ノ池などを経由して大手虎口へ向かう。途中に堀切・竪堀・石垣が随所に現れ、大手虎口の石垣や日ノ池、本丸跡地(新田神社)裏手の残存石垣など、一連の遺構を見ると、堅固な城郭だと伺いしれる。登城時は生憎の雨模様で霧が出ていたが、好天気であれば関東平野の東西南北が遠くまで眺められるとのこと。
鉢形城
2021年11月21日
連郭式平山城 (主な城主・長尾景春 上杉顕定 北条氏邦)
築城 1476年(文明8年) / 廃城 1590年(天正18年)

歴史館から外郭の長い土塁、そして伝御殿下曲輪の土塁を経由して笹曲輪に向かう。荒川に架かる正喜橋近くの笹曲輪から本曲輪方面に至る随所に石積土塁が確認できる。荒川の右岸崖上に築かれた城郭は、深沢川を巧みに利用して広大な地域に各曲輪を配置している。
川越城
2017年10月14日
平山城 (主な城主・扇谷上杉氏 後北条氏 酒井氏 堀田氏 越前松平氏)
築城 1457年(長禄元年) / 廃城 1869年(明治2年)

本丸御殿が残るが、そのほかに明確な遺構は見つけにくい。
三の丸跡の高校南側のひっそりと小山に天守代りの富士見櫓跡がある。
佐倉城
2019年12月6日
連郭式平山城 (主な城主・鹿島親幹 千葉邦胤 土井利勝 堀田氏)
築城 1532-1555年(天文年間) / 廃城 1873年(明治6年)

城郭として石垣を一切用いず、水堀、空堀、土塁で築かれている。
出丸や馬出が多く残されており、復元された椎木門跡の空堀や角馬出が
立派である。
江戸城
2017年10月11日
輪郭式平城 (主な城主・太田氏 扇谷上杉氏 後北条氏 徳川将軍家)
築城 1457年(長禄元年)

さすがに巨大な敷地をもつ将軍家の城だ。
櫓や城門など江戸時代の建物が残っているが、注目すべきは天守台など
城内に残る石垣である。
八王子城
2017年10月14日
山城 (主な城主・北条氏照)
築城 1587年(天正15年) / 廃城 1590年(天正18年)

本丸・曲輪・御主殿跡・石垣・土塁・堀切などが広大な山の中に
残っている。  「旧道」にて山麓から山頂の本丸まで目指したが、
降雨のため途中で断念し引き返した。
雨でなくとも「新道」で登った方が楽だと後悔した。
小田原城
2017年3月9日
平山城 (主な城主・後北条氏 阿部氏 稲葉氏 大久保氏)
築城 1417年(応永24年) / 廃城 1871年(明治4年)

外観復元された天守最上階から石垣山城が遠望できる。
常盤木門、銅門、馬出門が復元されている。
武田氏館
2021年11月20日
連郭式平城 (主な城主・武田氏 河尻氏 徳川氏 豊臣秀勝 加藤光泰 浅野長政)
築城 1519年(永正16年) / 廃城 1594年(文禄3年)

全体として城郭を偲ばせる遺構は少ない。武田神社東側入口が大手口で、その前面に三日月堀・角馬出が発掘調査され、土塁・石塁が復元されている。西曲輪と主郭(中曲輪・東曲輪)を結ぶ土塁や堀、石垣が残っている。西曲輪北の枡形虎口は整備され、その形状などが比較的よく確認できる。
甲府城
2021年11月20日
梯郭式平山城 (主な城主・浅野氏 徳川氏 柳沢氏)
築城 1583年(天正11年) / 廃城 1873年(明治6年)

鍛冶曲輪門、稲荷曲輪門、黒鉄門、稲荷櫓などが再建されおr、城内各所に残る石垣群が見所である。特に天守台の石垣は堂々としており、その上から城内・城下町、遠くに富士山が眺められる。石を割った跡「矢穴」が石垣の中に見ることができる。
松代城
2019年4月25日
輪郭式平城 (主な城主・武田氏 田丸氏 森氏 真田氏)
築城 1560年(永禄3年) / 廃城 1873年(明治6年)

太鼓門・北不明門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元され、千曲川を外堀とした城郭づくりの痕跡が随所に見受けられる。
本丸には野面積の石垣で築かれた櫓台(天守台)がある。
上田城
2019年4月26日
梯郭式平城 (主な城主・真田氏 仙石氏 松平氏)
築城 1583年(天正11年) / 廃城 1874年(明治7年)

現存する南櫓と北櫓の結ぶ東虎口櫓門が復元され、堂々たる門構えになっている。
南側の尼ヶ淵から断崖上の本丸を望むと強固な城づくりが伺える。
小諸城
2019年4月27日
平山城 (主な城主・武田氏 仙石氏 牧野氏)
築城 1554年(天文23年)

まず三の丸にある当時の建物の堂々たる大手門を訪れ、その後、三之門から二の丸、本丸を目指す。野面積の天守台石垣も風情があり、その上に立って周囲を眺めてみたい。
松本城
2019年4月25日
梯郭式・輪郭式平城 (主な城主・小笠原氏 石川氏 松平氏 堀田氏 水野氏 松平氏)
築城 1504年(永正元年) / 廃城 1871年(明治4年)

月見櫓・辰巳附櫓・大天守・渡櫓・乾小天守の複合天守群を様々な角度から眺めてみたい。北アルプスをバックに水堀に映る姿を楽しみたい。
高遠城
2018年4月6日
平山城 (主な城主・高遠氏 武田氏 京極s 鳥居氏 内藤氏)
築城 不明 / 廃城 1872年(明治5年)

とくに建造物は残存してなく、本丸跡もその面影もないが、
曲輪間にある深い空堀が見事である。
新発田城
2022年4月22日
平城 (主な城主・新発田氏 溝口氏)
築城 不明 / 廃城 1873年(明治6年)

城郭跡は本丸の一部を残し、陸上自衛隊の新発田駐屯地が置かれ、一般公開されている地域は限られている。現存する建造物は本丸表門と本丸鉄砲櫓址に移築された二の丸隅櫓が残る。復元された実質的な天守である三階櫓は、丁字型の屋根に三匹の鯱が載る独特な姿を見せている。
春日山城
2019年4月26日
連郭式山城 (主な城主・長尾氏 上杉氏 堀氏)
築城 1336-1392年(南北朝時代) / 廃城 1607年(慶長12年)

空堀・土塁・井戸などが山城に点在し、裾野には堀と土塁で総構が築かれている。
中腹の謙信像付近から山城を遠望すると、その壮大さを感じることができる。
埋蔵文化財センターの近くで堀跡や土塁跡が確認できる。
高岡城
2018年5月17日
梯郭式平城 (主な城主・前田利長)
築城 1609年(慶長14年) / 廃城 1615年(元和元年)

当時の建物遺構はなく、水堀と一部の石垣、井戸が残るのみである。
短期間で廃城となったが水堀は埋め立てられず、往時の風情を残している。
七尾城
2018年5月17日
連郭式山城 (主な城主・畠山氏 鯵沢長実 前田氏)
築城 1428-1429年(正長年間) / 廃城 1589年(天正17年)

本丸や曲輪などに石垣が遺構として残るが、特に桜の馬場には石垣が
五段に組まれている。本丸跡から七尾湾や能登島を一望できる。
金沢城
2018年5月17日
梯郭式平山城 (主な城主・佐久間氏 前田氏)
築城 1580年(天正8年) / 廃城 1871年(明治4年)

五十間長屋(多聞櫓)の内部に入ると、梁や木組みを見ることができる。
二の丸西側にある再現された玉泉院丸庭園は、色紙短冊積石垣を含め
様々な石垣群で構成されて美しい。
丸岡城
2018年5月16日
連郭式平山城 (主な城主・柴田氏 本田氏 有馬氏 青山氏)
築城 1576年(天正4年) / 廃城 1871年(明治4年)

望楼型の現存天守は野面積の石垣の上に築かれ、屋根瓦に石瓦を用い、
一階の板張りなど独自の景観をみせている。
天守内部の急な階段を上り、各階の造作や外部の眺望を楽しみたい。
一乗谷城
2018年5月16日
山城 (主な城主・朝倉氏桂田長俊)
築城 1336-1392年(南北朝時代) / 廃城 1575年(天正3年)


唐門(江戸中期再建)から入ると、朝倉館跡として常御殿・主殿などの
礎石や庭園・花壇の遺構があり、背後に一乗谷城が築かれている。
復原町並として侍屋敷や町屋が整備され、庭園・井戸・厠なども
再現されている。
岩村城
2018年6月7日
梯郭式山城 (主な城主・遠山氏 森氏 大給松平氏 丹羽氏)
築城 1221年(承久3年) / 廃城 1871年(明治4年)

藩主邸から石垣・曲輪・井戸などを見つつ、本丸まで登城道を
行くと北東面に六段壁の石垣が現れる。建物の遺構はないが、
全体的に整備されて、往時を偲ぶことができる。
岐阜城
2017年1月26日
山城(主な城主・斎藤氏 織田氏)
築城 1201年(建仁元年) / 廃城 1600年(慶長5年)

復興天守の最上階から長良川、市街地、御嶽山、伊吹山、濃尾平野など
東西南北を眺めることができる。
山麓の信長居館跡もお見逃しなく。
山中城
2017年3月9日
山城 (主な城主・松田氏)
築城 1558-1570年(永禄年間) / 廃城 1590年(天正18年)

堀、土塁、畝堀、障子堀などが整備され、当時の様子が
よく理解できる。 他では見かけない障子堀がとくに美しい。
駿府城
2017年3月8日
輪郭式平城(主な城主・徳川氏 中村氏 内藤氏)
築城 1585年(天正13年) / 廃城 1869年(明治2年)

本丸・二の丸は市民の「公園」となっている。
巽櫓、東御門などが復元されており、天守台は発掘調査中である。
掛川城
2017年3月8日
平山城 (主な城主・山内氏 太田氏 石川氏)
築城 1469-1487年(文明年間) / 廃城 1871年(明治4年)

木造による天守が再建され、唐破風出窓や花頭窓が忠実に
再現されているようだ。
1861年再建の二ノ丸御殿が現存し、内部を見学できる。
犬山城
2017年1月26日
平山城(主な城主・石川氏 平岩氏 成瀬氏)
築城 1469年(文明元年) / 廃城 1871年(明治4年)

現存天守の急な階段を上り、上階の手すり越しに木曽川を眼下に
眺められる。対岸からの眺めが絵になる素晴らしさである。、
名古屋城
2016年11月13日
梯郭式平城(主な城主・尾張徳川家)
築城 1609年(慶長14年) / 廃城 1871年(明治4年)

二次大戦で焼失した大小天守の木造での再建が待ち遠しい。
現存する西南隅櫓などや忠実に木造再建された本丸御殿がおすすめ。
岡崎城
2017年6月13日
梯郭式平山城(主な城主・西郷氏 松平氏 田中氏 本田氏 水野氏)
築城 1452年(享徳元年) / 廃城 1873年(明治6年)

家康公ゆかりの場所が点在している。
公園として整備されており、中世の空堀も残っている。、
長篠城
2017年11月25日
平城 (主な城主・菅沼氏 奥平氏)
築城 1508年(永正5年) / 廃城 1576年(天正4年)

豊川と宇連川が合流する断崖上に築かれ、牛渕橋から眺めると
天然要害であることがよく分かる。 内堀と土塁が一部残っており、
また本丸南に曲輪跡があるが、JR飯田線で分断されている。
伊賀上野城
2017年4月8日
梯郭式平山城 (主な城主・脇坂氏 藤堂氏)
築城 1585年(天正13年) / 廃城 1871年(明治4年)

模擬天守があるが、見どころは高石垣。
堀越しに見る石垣も良いが、本丸など上から見るのも一興。
松阪城
2017年2月20日
梯郭式平山城(主な城主・蒲生氏郷 服部一忠 古田重勝)
築城 1588年(天将16年) / 廃城 1871年(明治4年)

蒲生氏郷が築城した石垣が本丸などに残っている。
安土城の石垣作りが取り入られているようだ。
本丸から紀州藩士の御城番屋敷を見下ろすことができる。
小谷城
2017年11月26日
梯郭式山城(主な城主・浅井氏 羽柴秀吉)
築城 1516年(永正13年) / 廃城 1575年(天正3年)

小谷山の尾根に築かれ、土塁・曲輪・石垣などが遺構としてある。
落城後は、秀吉の長浜城築城に際し石材が運び出されたが、所々に
立派な石垣の痕跡が残っている。
彦根城
2017年12月2日
連郭式平山城 (主な城主・井伊氏)
築城 1622年(元和8年) / 廃城 1874年(明治7年)

時代劇でよく出てくる天秤櫓、太鼓門、廊下橋など多くの遺構が
残っている。玄宮園から池越えに天守を眺め、茶席でお茶を一服
するのもおすすめ。
安土城
2017年12月2日
山城 (主な城主・織田信長 織田秀信)
築城 1579年(天正7年) / 廃城 1585年(天正13年)

秀吉等の屋敷跡を左右に見ながら、石仏も混じる高い石段の大手道を登って行くと、所々に壮大な石垣が現れる。礎石が残る天守跡から琵琶湖を眺め、少しでも往時を偲びたい。、
観音寺城
2017年12月2日
山城 (主な城主・佐々木氏 六角氏)
築城 1467-1487年(応仁・文明年間) / 廃城 1568年(永禄11年)

西国三十二番札所・観音正寺の境内を抜けて登城開始。
広範囲にに渡り曲輪、土塁、石垣、虎口などが見受けられる。
二条城
2018年1月15日
輪郭式平城 (主な城主・徳川氏)
築城 1603年(慶長8年) / 廃城 1873年(明治6年)

二の丸を通り本丸に向かい、天守台に登る。
本丸西に見られる石垣が美しい。
大阪城
2017年4月12日
輪郭式平城 (主な城主・豊臣氏 奥平氏 徳川氏)
築城 1583年(天正11年) / 廃城 1868年(明治元年)

規模が大きな江戸時代の城郭であるが、豊臣時代の遺構を
思い浮かべたい。 石垣が立派で、石垣巡りも楽しい。
千早城
2018年4月12日
連郭式山城 (主な城主・楠木氏)
築城 1332年(正慶元年) / 廃城 1392年(明徳3年)

案内図によれば、曲輪跡、空堀、堀切などがあるとのことだが、
よくよく見ないと、その痕跡は認識しずらい。
竹田城
2023年3月31日
梯郭式山城 (主な城主・太田垣氏 羽柴秀長 桑山重晴 赤松広秀)
築城 1431年(永享3年) / 廃城 1600年(慶長5年)

先ずは城下町から山頂の石垣群を遠望し、その威容さを感じ取る。入場受付から階段を登り北千畳から三の丸・二の丸・本丸・天守台・花屋敷・南二の丸・南千畳の石垣遺構や曲輪跡を廻ってゆく。眼下に城下や街道筋が眺められ、その堅固な山城としての存在を感じる。本丸から南千畳方向、南千畳から本丸方向の石垣群の眺めは特に素晴らしい。
篠山城
2023年3月30日
輪郭式平山城 (主な城主・形原松平家 青山氏)
築城 1609年(慶長14年) / 廃城 1871年(明治4年)

大手門跡から石垣を見つつ鉄門跡へ向かうと、木造再建の大書院が迎えてくれる。大書院の南側には二の丸御殿跡が平面表示で整備されている。天守は築かれなかったが、石垣と堀などで天下普請の強固な城構えとなっている。東馬出が比較的良好な状態で残っている。
明石城
2018年4月12日
連郭梯郭混合式平山城 (主な城主・松平(越前)氏)
築城 1618年(元和4年) / 廃城 1874年(明治7年)

全国で現存する数少ない三重櫓である巽櫓と坤櫓が素晴らしい。
天守が築かれなかった天守台は広大な面積を持つ。
姫路城
2019年4月4日
渦郭式平山城 (主な城主・小寺氏 黒田氏 池田氏 本多氏 松平氏 榊原氏 酒井氏)
築城 1346年(貞和2年) / 廃城 1871年(明治4年)

時代劇の映画やTVドラマでお馴染みの景色が広がる。天守群や櫓・門・石垣・堀などの城内をじっくり巡りたい。連立天守群は様々な場所から眺めると、違った表情の風景に出会えることができる。
赤穂城
2019年4月4日
変形輪郭式海岸平城 (主な城主・浅野氏 永井氏 森氏)
築城 1648年(慶安元年)-1661年(寛文元年) / 廃城 1873年(明治6年)

本丸表門・枡形虎口・本丸厩口門・本丸御殿遺構・本丸庭園・外堀などが復元整備されているが、かっての海城の面影を窺うことはできない。
高取城
2022年3月23日
連郭式山城 (主な城主・越智氏 筒井氏 本多氏 小出氏 植村氏)
築城 1332年(元弘2年) / 廃城 1873年(明治6年)

壺阪口門から大手門、二の丸そして本丸へと進むと石垣が現れてくるが、特に本丸の高石垣には圧倒される。明治の古写真を参考に、石垣群を眺めて往時の姿を思い浮かべたい。天守台穴倉の入口には、古墳の石棺が転用石として用いられている。
和歌山城
2018年4月15日
梯郭式平山城 (主な城主・豊臣氏 浅野氏 徳川氏)
築城 1585年(天正13年) / 廃城 1871年(明治4年)

大天守と小天守が連結され、この天守群は渡櫓で櫓群と連なっている。
豊臣期・浅野期・徳川期に築かれた石垣は、石の種類や積み方が
それぞれ特色のあるものになっている。
鳥取城
2021年10月16日
梯郭式平山城/山城 (主な城主・山名氏 吉川氏 宮部氏 池田氏)
築城 天文年間(1532-1555年) / 廃城 1871年(明治4年)

久松山山頂の山上ノ丸の山城部や山麓の天球丸、二の丸など石垣群を内堀から眺めると、その強固な城構えを感じ取れる。天球丸の石垣の前面には、石垣崩落防止のために球面状の「巻石垣」が築かれており、特異な構成となっている。二の丸背後の崖には、石切り場の遺構が残されており、その切り出した石材にて石垣造りが行われた。
松江城
2021年10月15日
輪郭連郭複合式平山城 (主な城主・堀尾氏 京極氏 松平氏)
築城 1611年(慶長16年) / 廃城 1871年(明治4年)

現存の望楼型天守閣は、木造の鯱・入母屋破風・鐘型の窓である花頭窓・黒色の下見板張りなど見どころが多くある。天守内部は長い心柱が入手困難であったため、2階分の短い通し柱で天守全体を支えている。本丸東側最下段の二の丸下の段(外曲輪)には藩の米蔵が置かれ、石積基壇の遺構が発掘されている。
月山富田城
2021年10月15日
複郭式山城 (主な城主・尼子氏 吉川元春 堀尾吉晴)
築城 1185年(文治元年) / 廃城 1611年(慶長16年)

花ノ壇から中腹の山中御殿跡の遥か上にある月山山頂部に築かれた本丸・二の丸・三の丸を眺めると、難攻不落の屈指の山城だと感じられる。城下町から見上げる千畳平は、巨大な石垣を積み上げて造られている。
津和野城
2023年4月20日
連郭式山城 (主な城主・吉見氏 坂崎氏 亀井氏)
築城 1295年(永仁3年) / 廃城 1871年(明治4年)

リフトを降り、しばらく歩くと出丸が現れる。地形に合わせた曲輪や石垣を持つ中世山城の特徴を持っている。さらに大手道を歩き随所に現れる高石垣を眺めながら、二の丸・東門跡・本丸方面に向かう。三十間台からは眼下に城下町が見渡せる。
出丸から太鼓谷稲荷神社方面へ下る途中に、吉見氏の時代の中世山城の遺構(曲輪・竪堀・堀切)が見られる。
津山城
2021年10月14日
梯郭式平山城 (主な城主・山名氏 森氏 松平氏)
築城 嘉吉年間(1441-1444年) / 廃城 1873年(明治6年)

明治の廃城令で天守や櫓など全ての建物が取り壊されたが、三の丸・二の丸・本丸を高石垣が支えている様子は壮観である。唯一の建物として備中櫓が復元され、内部は御殿造りとなっている。
備中松山城
2021年10月14日
連郭式山城 (主な城主・三村氏 水谷氏 板倉氏)
築城 1240年(仁治元年) / 廃城 1874年(明治7年)

山城として唯一現存する天守や二重櫓・三の平櫓東土塀があり、また本丸南御門/東御門・平櫓・土塀などが忠実に復元されている。本丸・二の丸・三の丸を構成する石垣群や土塀、現存や復元の建物から往時の山城の雰囲気が感じ取れる。
鬼ノ城
2021年10月13日
神籠石式山城
築城 7世紀後半 / 廃城 不明

標高400mの鬼城山を中心に城壁・水門・城門などが発掘・整備されている。西門は復元され、そこからは吉備高原を見下ろせ、遠くは瀬戸内海・四国が眺められる。
城壁は一部に高石垣があるが、殆んどは版築土塁で構築されている。
岡山城
2021年10月13日
梯郭式平山城 (主な城主・宇喜多氏 小早川氏 池田氏)
築城 天正年間(1346-1369年) / 廃城 1873年(明治6年)

2022年11月まで令和の大改修のため、城内は入場禁止。内堀や後楽園側から遠望するのみ。天守閣には工事用足場が組まれているが、見る角度により複雑な外観が窺いしれる。
福山城
2023年4月19日
輪郭式平山城 (主な城主・水野氏 松平氏 阿部氏)
築城 1622年(元和8年) / 廃城 1874年(明治7年)

福山駅の真ん前から高石垣を仰ぎ見つつ筋鉄御門を潜ると本丸に出る。本丸には伏見櫓、月見櫓、御湯殿、鏡櫓、鐘櫓そして五重の天守が建てられている。三重の伏見櫓は伏見城からの移築といわれ独特な意匠を持っている。復元天守の北側には鉄板張りの外壁が確認できる。石垣が本丸・二之丸・三之丸の三段でひな型状に築かれ、強固な城構えとなっている。
郡山城
2023年4月21日
山城 (主な城主・毛利氏)
築城 不明 / 廃城 1591年(天正19年)

毛利元就墓所参道が工事中で、本丸・二の丸・三の丸などがある山頂部まで登るのを断念した。山麓の大通院谷遺跡・薬研堀・毛利隆元墓所・常栄寺跡・元就火葬場伝承地を廻ったのみである。
広島城
2023年4月19日
輪郭式平城山 (主な城主・毛利氏 福島氏 浅野氏)
築城 1589年(天正17年) / 廃城 1874年(明治7年)

平櫓・多聞櫓・太鼓櫓と水堀を見ながら御門橋を渡り、表御門から入ると、各櫓と石垣に囲まれた馬出しの機能を持つ二の丸が現れる。本丸北西角に再建された天守閣は、東小天守跡からの姿も素晴らしい。天守台から続く石垣は刻印も見られ、また福島正則の無断修理したと伝わる石垣を見ることができる。原爆による変色した石垣や司令部作戦室跡、大本営跡など戦争に関わる歴史を大いに感じさせられる。。
岩国城
2023年4月20日
連郭式山城 (主な城主・吉川氏)
築城 1601年(慶長6年) / 廃城 1615年(元和元年)

天守は山麓から眺望できるよう旧来の場所の南側に古図面に基づき復元されている。旧天守台は発掘調査され本来の場所に古式穴太積で復元されている。本丸の北東には北ノ丸跡があり、その近くに大規模な空堀が確認できる。
萩城
2023年4月20日
梯郭式平山城 (主な城主・毛利氏)
築城 1604年(慶長9年) / 廃城 1874年(明治7年)

二の丸南門跡の枡形虎口の石垣を抜けて、本丸御門跡への橋を渡って本丸に入る。
天守台跡には五層五重の天守の礎石が残っている。そこからの内堀や指月山の眺望が素晴らしい。
徳島城
2017年11月16日
梯郭式平山城(主な城主・蜂須賀氏)
築城 1585年(天正13年) / 廃城 1869年(明治2年)

本丸周囲に高石垣が見られ、この地方での青石が用いられている。
鷲之門が大手門の外側に再建復元されている。
高松城
2017年11月16日
輪郭式平城 (主な城主・生駒氏 松平氏)
築城 1590年(天正18年) / 廃城 1869年(明治2年)

本丸の天守台の石垣が解体整備されており、二の丸と廊下橋である
鞘橋でつながっている。
かっては外濠・中濠・内濠に海水が引き込まれ、最大規模の海城の
名残が見受けられる。
丸亀城
2017年11月15日
渦郭式平山城 (主な城主・生駒氏 山崎氏 京極氏)
築城 14世紀頃(室町時代初期) / 廃城 1871年(明治4年)

高石垣上に現存天守がそびえており、小規模ながら美しい佇まいである。
堂々たる構えの大手一ノ門と大手二の門が残っている。
今治城
2017年11月15日
輪郭式平城 (主な城主・藤堂氏 松平(久松)氏)
築城 1602年(慶長7年) / 廃城 1873年(明治6年)

水堀から眺める再建の模擬天守と山崎櫓の景色が良い。
満潮になると水門から海水が流れ込む海城である。
湯築城
2017年11月14日
梯郭式平山城(主な城主・河野氏 小早川氏 福島氏)
築城 1335年(建武2年) / 廃城 1587年(天正15年)

発掘調査され武家屋敷や土塀が復元されている。
城址のある丘陵が外堀と内堀や土塁に囲まれている。
松山城
2017年11月14日
連郭式平山城(主な城主・加藤氏 松平(久松)氏)
築城 1602年(慶長7年) / 廃城 1873年(明治6年)

大天守や野原櫓・乾櫓・隠門続櫓、戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門、
筋鉄門東塀など数多くが現存している。
NHKドラマ「坂の上の雲」のオープニングで秋山兄弟と子規の三人が
石垣の間を駆け上がる場面を思い出す。
大洲城
2017年11月14日
梯郭式平山城(主な城主・宇都宮氏 藤堂氏 脇坂氏 加藤氏)
築城 1331年(元徳3年) / 廃城 1871年(明治4年)

忠実に木造復元された天守に現存の台所櫓・南隅櫓と連結されている。
ほかに高欄櫓・苧綿櫓が現存している。
宇和島城
2017年11月14日
梯郭式平山城(主な城主・藤堂氏 伊達氏)
築城 1236年(嘉禎2年) / 廃城 1871年(明治4年)

小さな上り立ち門から石垣を各所で見ながら登城すると、
本丸に現存する装飾性に富んだ天守が現れる。
高知城
2017年11月12日
梯郭式平山城(主な城主・山内氏)
築城 1336-1392年(南北朝時代) / 廃城 1871年(明治4年)

天守と本丸御殿の両方が現存する唯一の城郭である。
ほかに現存する建物として追手門・詰門・各所にる矢狭間塀など
数多く見られる。
福岡城
2023年6月8日
梯郭式平山城 (主な城主・黒田氏)
築城 1601年(慶長6年) / 廃城 1871年(明治4年)

鴻臚館跡側の東御門跡から、広大な城郭エリアにあるテニスコートや競技場などを見下ろしながら、小中天守台・天守台の方に登ってゆく。次々と現れる石垣は、その総延長は3Km以上といわれ、見所の一つである。現存建物としては下之橋御門・(伝)潮見櫓・多聞櫓などが往時の姿を見せている。
大野城
2023年6月7日
古代山城(朝鮮式)
築城 665年(天智天皇4年)

四王寺(大野山)の広大な地域に、尾根沿いに土塁・石垣・城門跡・建物礎石などの遺構が散在している。細かく廻るのは無理なので、車で四王寺林道を北側から入り、南側の太宰府天満宮方面へ抜けた。途中に巨大な百間石垣や焼米ケ原で土塁や高床式倉庫の建物礎石などを確認し、その壮大な防御体制の一部でも感じることができた。
名護屋城
2016年12月7日
梯郭式平山城(主な城主・豊臣秀吉)
築城 1591年(天正19年) / 廃城 1598年(慶長3年)

破却された石垣などが部分的に残る。
望楼型天守が築かれていた本丸からの眺めは素晴らしい。
吉野ヶ里
2023年6月7日
遺跡 (環濠集落)
弥生・古墳・奈良時代

環濠集落として大々的に整備され、広大な敷地が公園化されている。建物の復元が多く行われており、南内郭・倉と市・北内郭・北墳丘墓が特に見所となっている。集落が「「ムラ」から「クニ」へ発展すると「争い」が起き、その防御用の外環濠や城柵が築かれるが、それも復元されている。
佐賀城
2023年11月15日
輪郭梯郭複合式平城 (主な城主・鍋島氏)
築城 1602年(慶長7年) / 廃城 1871年(明治4年)

焼失した天守は江戸期にも再建されず、天守台のみが遺構として残る。本丸御殿は佐賀の乱でも焼失を免れたが、その後取り壊された。しかし2004年に木造にて再建されている。天保期の鯱の門・続櫓が現存し、その門扉には佐賀の乱の弾痕が残っており、歴史を感じさせる。本丸西側には外側(三の丸側)は石垣が積まれているが、内側は土塁となっている。
平戸城
2016年12月8日
梯郭式平山城(主な城主・松浦氏)
築城 1599年(慶長4年) / 廃城 1871年(明治4年)

三方を海に囲まれ、模擬天守が築かれている。
島原城
2023年11月16日
連郭式平城 (主な城主・松倉氏 松平(深溝)氏)
築城 1624年(寛永元年) / 廃城 1871年(明治4年)

巨大な五層の天守閣が復元され、堂々と本丸に建っている。二の丸や三の丸を含め外郭は4キロメートルに及ぶとのこと。多数の櫓や練塀で囲まれていたそうだが、今は本丸に西の櫓・丑寅の櫓・巽の櫓が再建されているのみである。
熊本城
2018年11月17日
梯郭式平山城 (主な城主・加藤氏 細川氏)
築城 1469-1487年(文明年間) / 廃城 1874年(明治7年)

熊本地震の2年半後に訪問したが、大修繕の真っ只中であった。
熊本市役所14階の展望フロアから天守閣方面を眺望できた。
震災前の面影が全く無くなっていて、非常に残念な気持ちであった。

(2023/11/17再登城)
復興見学ルートが設けられ、櫓や石垣など修復状態が確認できるようになった。天守閣も近くまで行けるようになり、内部まで見学できる。
人吉城
2018年11月18日
梯郭式平山城 (主な城主・相良氏)
築城 1204-1206大手門脇年(元久年間) / 廃城 1871年(明治4年)

隅櫓、多聞櫓、長塀などが復元されており、球磨川に面する水の手門跡に石垣が遺構として残る。御館の石垣の一部には、最上部に武者返しと呼ばれる「はね出し」が突き出ている。
大分府内城
2018年11月16日
梯郭式平城 (主な城主・竹中氏 日根野氏 大給松平氏)
築城 1597年(慶長2年) / 廃城 1872年(明治5年)

人質櫓と宗門櫓が現存し、廊下橋・大手門・南西隅櫓などが
再建されている。 天守は築かれていたが、1743年(寛保3年)に
焼失しその後再建されていない。
岡城
2018年11月16日
梯郭式山城 (主な城主・志賀氏 中川氏)
築城 1185年(文治元年) / 廃城 1871年(明治4年)


大手門跡や御三階櫓台、そして本丸北側などに石垣が見られ、
特に三の丸北側の高石垣は必見である。
飫肥城
2018年11月15日
群郭式平山城 (主な城主・土持氏 新納氏 伊東氏)
築城 戦国初期 / 廃城 1871年(明治4年)

再建の大手門をくぐり、旧本丸跡(現在小学校)を通り旧本丸まで
行くと、飫肥杉が林立し、枡形の虎口には石垣が見られる。
鹿児島城
2018年11月19日
平山城 (主な城主・島津氏)
築城 1602年(慶長7年) / 廃城 1872年(明治5年)

石垣や堀、大手門に架かる石橋が遺構として残るが、本丸跡や
二の丸跡には施設が立ち並び、往時の面影はない。
大手門である御楼門が復元工事が行われている。(2020年完成予定)
今帰仁城
2019年2月28日
山城 (主な城主・仲北山王 桶川按司 今帰仁按司)
築城 13世紀初頭 / 廃城 1665年

城郭が石灰岩の石垣で何重にも取り囲まれ、外郭を含めてスケールの大きなグスクとなっている。城壁と海の青さのコントラストの眺望が素晴らしい。
中城城
2019年2月27日
山城 (主な城主・先中城按司 護佐丸盛春)
築城 14世紀後半 / 廃城 1458年

城壁は琉球石灰岩の石垣で築かれ、その積み方は野面積み・布積み・相方積みと多彩である。六つの郭で構成されており、それぞれの城壁、北の郭の裏門や南の郭の狭間など見どころが多い。
首里城
2019年3月1日
山城 (主な城主・第一尚氏 第二尚氏)
築城 14世紀末 / 廃城 1879年(明治12年)

守礼門をくぐり歓会門・瑞泉門を経ると、正殿・北殿・南殿などの建物群が現れる。
「東のアザナ」や「西のアザナ」からは那覇市内が一望できる。
また外郭の城壁や内郭の石垣も見どころの一つである。

追記)
2019年10月末の火災で、正殿・北殿・南殿が全焼、その他の建物も被害にあった。
早く再建され往時の景観を取り戻すことを願いたい。
浪岡城
2019年10月24日
平城 (主な城主・北畠氏 浪岡氏)
築城 1467-1469年(応仁年間) / 廃城 1578年(天正6年)以降

散策路入口から、猿楽館、東館、北館、内館などの曲輪を行くと、角曲輪は中央部に中土塁がある二重堀に囲まれていることがわかる。
九戸城
2019年10月24日
梯郭式平山城 (主な城主・九戸氏 南部氏)
築城 1492-1501年(明応年間) / 廃城 1636年(寛永13年)

本丸・二の丸・三の丸・若狭館・石沢館などの曲輪群で構成されている。
本丸と二の丸の間には、東北最古の野面積の石垣が残っている。
白石城
2022年4月20日
梯郭式平山城 (主な城主・白石氏 蒲生氏 上杉氏 片倉氏)
築城 鎌倉時代 / 廃城 1874年(明治7年)

忠実に木造復元された三階櫓と大手門は、昨年(2021年2月)の福島沖地震で被害を受け、本年9月末まで修復工事中で足場が組まれている。本丸外郭の石垣遺構として、当初は野面積であったが江戸時代の度々の災害で、一部が加工された石で修復されている。二ノ丸大手二ノ門(東口門)が明治期に解体され、市内の当信寺山門として移築されている。
脇本城
2019年10月23日
山城 (主な城主・安東氏)
築城 1577年(天正5年)大改修 / 廃城 1590年(天正18年)

天下道を登って行くと、左右に広大な曲輪・土塁・空堀が次々と現れる。南端の曲輪からは八郎潟や日本海を眺望できる。
秋田城
2019年10月23日
古代城柵
築城 733年(天平5年) / 廃城 1000年年代

外郭東門・築地塀・古代沼・トイレ遺構(簡易水洗式)などが復元されている。
出土した資料などを展示する秋田城跡歴史資料館もお薦め。
鶴ヶ岡城
2022年4月23日
輪郭式山城 (主な城主・武藤氏 上杉氏  最上氏 酒井氏)
築城 鎌倉時代初期  / 廃城 1871年(明治4年)

城としての遺構は水堀や土塁が一部確認できるが、明治期に本丸址に創建された荘内神社を中心に公園化している。城跡周囲についても、藤沢周平作品の海坂藩城下をイメージするが、藩校だった致道館以外、残念ながらその面影は少ない。
米沢城
2022年4月20日
輪郭式山城 (主な城主・長井氏 伊達氏 蒲生氏 上杉氏)
築城 1238年(暦仁元年)  / 廃城 1871年(明治4年)

江戸期の縄張図を見ると東西1.2?・南北2.1?の広大な城郭だったが、現在は本丸跡とその周りを囲む水堀が遺構として残るのみである。本丸跡は上杉神社が祭られており、所々に上杉鷹山関係の像や碑が多く設置されており、上杉氏への敬愛が感じ取られる。
三春城
2022年4月21日
山城-平山城 (主な城主・田村氏 松下氏 加藤氏 秋田氏)
築城 1504年(永正元年)  / 廃城 1871年(明治4年)

本丸跡には三階櫓や御殿などが建てられたが今はその面影はなく、一部の石垣が見られるのみである。明治の廃城後に城山の土地や本丸の三階櫓などの建物、石垣が売却され公園化している。
向羽黒山城
2022年4月21日
山城 (主な城主・葦名氏 上杉氏 蒲生氏)
築城 1568年(永禄11年) / 廃城 1601年(慶長6年)

岩崎山頂上にある本丸跡の一曲輪まで車道から急な坂や階段を登って行く。その途中に、空堀や土塁・竪堀・礎石建物跡・虎口跡などの遺構が次々と現れる。頂上からは会津が一望できる。
笠間城
2019年12月7日
山城 (主な城主・笠間氏 宇都宮氏 蒲生郷成 牧野氏)
築城 1219年(承久元年) / 廃城 1873年(明治6年)

山頂の天守曲輪の石垣や石段が東日本大震災で大きな被害を受け修復中。
本丸八幡台上にあった八幡台櫓が相生町の真浄寺に移築され現存している。
土浦城
2019年12月7日
輪郭式平城 (主な城主・若泉氏 松平氏 朽木氏 土屋氏)
築城 1429-1441年(永享年間) / 廃城 1873年(明治6年)

櫓門と霞門が建物遺構として現存し、西櫓、東櫓が復元されている。本丸跡や二の丸跡は公園化され、往時の面影は余り感じられない。
唐沢山城
2021年11月23日
連郭式山城 (主な城主・佐野氏)
築城 927年(延長5年) / 廃城 1602年(慶長7年)

本丸跡の明治創建の唐沢山神社を中心に、戦国期の関東最大規模の山城の遺構が残る。くい違い虎口・天狗岩(物見台か)・大手道・南城の石垣・本丸の高石垣(高さ8m)など見所充分な城郭である。
名胡桃城
2021年11月22日
山城 (主な城主・真田氏(鈴木重則)
築城 1492年(明応元年) / 廃城 1588年(天正16年)

ささ郭・本郭・二郭・三郭・外郭が直線的に並び、各郭は堀切で分断されている。段丘面に築かれた山城として良く整備保存されており、建物や虎口の門をイメージすると、往時の山城全体が思い浮かぶ。ささ郭からは利根川の向こうに沼田城方面が眺望できる。
沼田城
2021年11月21日
丘城 (主な城主・沼田氏 本庄秀綱 猪俣邦憲 真田氏)
築城 1532年(天文元年) / 廃城 1682年(天和2年)

本丸・捨曲輪・二の丸・三の丸の一部が公園となっている。西櫓台とその石垣・石段や本丸の堀跡が遺構として残るが、全体として城としては感じ取れない。五層天守が築かれたが、その名残もない。捨曲輪からは名胡桃城址方面や谷川岳・武尊山などの山並みが眺められる。
岩櫃城
2021年11月22日
山城 (主な城主・斎藤憲行 斎藤憲広弘 真田幸隆 真田昌幸 真田信之)
築城 南北朝時代 / 廃城 1614年(慶長19年)

平沢登山口から随所に堀切を見つつ、中城・二の丸を経由して本丸へ急坂を登って行く。本丸下の幅広い堅堀や鉤の手に折れる竪堀は見所である。本丸から北側ルートを下ると、志摩曲輪跡に水場である「水の手」の遺構がある。
忍城
2021年11月23日
平城 (主な城主・成田氏 松平氏)
築城 15世紀後期 / 廃城 1871年(明治4年)

戦国の成田氏時代の城址の面影はなく、江戸期の城郭として本丸跡の土塁、櫓の石垣で使用の間知石など一部の遺構が残るのみである。今の水城公園にあった御三階櫓が再建されている。城から南東にある日本最大級の円墳である丸墓山古墳は、石田三成が水攻め時に陣を張ったと云われている。古墳の頂上からは御三階櫓が遠くに眺められる。
杉山城
2021年11月21日
平山城 (主な城主・山内上杉氏)

本郭をはじめ、北・東・南に各郭が、また外郭・出郭・馬出郭などが整備保存されている。各遺構を見て回ると、全体的に山城としての存在が感じ取られる。地元の保存会や隣接する玉ノ岡中学校の活動により良好な保存状態となっている。感謝!
菅谷館
2021年11月21日
平城 (主な城主・畠山重忠 山内上杉氏 北条氏)  

鎌倉期の居館跡ではなく戦国期の城跡であり、本郭を中心に南郭・二ノ郭・三ノ郭・西ノ郭が配置され、堀と土塁に囲まれている。本郭にある出枡形土塁や土橋がはっきりと確認できる。三ノ郭にある目隠しのための蔀(しとみ)土塁が珍しい。(一説には円墳の利用)
本佐倉城
2019年12月6日
連郭式平山城 (主な城主・千葉氏 小笠原吉次 土井利勝)
築城 1469-1487年(文明年間) / 廃城 1615年(元和元年)

最初に模擬矢立を見て、城山・倉址・奥ノ山などの内郭群を巡ると、土塁・空堀・櫓台が比較的良好に残されていることが確認できる。
大多喜城
2019年12月6日
連郭式平山城 (主な城主・真理谷氏 里見氏 阿部氏 稲垣重富 長沢松平氏)
築城 1521年(大永元年) / 廃城 1871年(明治4年)

大手門跡や本丸跡付近にわずかに土塁が、二の丸跡(高校敷地内)に大井戸と薬医門の遺構が残る。本丸跡に御三階櫓が再建されているが、天守の存在は不明との説がある。
滝山城
2021年11月21日
連郭式山城 (主な城主・大石定重 大石定久 北条氏照)
築城 1521年(大永元年1) / 廃城 1572年(元亀3年)

東京都立公園として整備され、空堀・土塁・馬出・曲輪など良好な状態で残っている。各所に詳しい説明版が設置されており、それらを参考に遺構を巡れば理解し易い。中の丸と本丸との間の大堀切に架かる木橋が復元され、見所の一つとなっている。
小机城
2019年12月6日
連郭式平山城 (主な城主・上杉氏 長尾氏 笠原氏 後北条氏)
築城 1429-1441年(永享年間) / 廃城 1478年(文明10年) 1590年(天正18年)

東西二つの曲輪の間の竹林や雑木林の中に、土塁や空堀が残る。
どちらの曲輪が主郭(本丸)であったかは不明である。
石垣山城
2021年11月23日
梯郭式山城 (主な城主・豊臣氏)
築城 1590年(天正18年) / 廃城 1590年(天正18年)

南曲輪・本丸曲輪・二の丸曲輪・井戸曲輪などの石垣が残り、とても短期間で築かれた城とは思えない。特に本丸の石垣は20mを超える高さがあり、また井戸曲輪の石垣群は見応えがある。「城割り」での痕跡が虎口や石垣の隅に崩れた石垣に見られる。物見台や展望台からは小田原城と城下町を一望でき、小田原攻め時の秀吉の権威を感じさせる。
新府城
2021年11月20日
連郭式平山城 (主な城主・武田勝頼 徳川氏)
築城 1582年(天正10年) / 廃城 1590年(天正18年)

東西の二つの出構を左に見つつ乾門枡形虎口へ向かう。二の丸・本丸には特にはっきりと確認できる遺構は少ない。大手枡形虎口、その南側の丸馬出や三日月堀はよく整備されており、武田氏城郭の特徴をよく表している。
要害山城
2021年11月20日
山城 (主な城主・武田氏 徳川氏 加藤光泰)
築城 1520年(永正17年) / 廃城 1600年(慶長5年)

武田氏館の詰城となっており、主郭に至る通路には土塁・堀切・竪堀・門跡が連続して随所に見られる。枡形虎口には自然石の石積みが確認できる。険しい急な通路の登って行くと主郭が現れ、東郷平八郎の書になる「武田信玄公誕生之地」の石碑が建っている。(南麓の積翠寺での生誕説もあり)
龍岡城
2019年4月27日
稜堡式 (主な城主・大給松平氏)
築城 1867年(慶応3年) / 廃城 1871年(明治4年)

星形の西洋式城郭で龍岡五稜郭とも呼ばれ、水堀の周囲を歩いてみると、その星形であることが感じとられる。水堀の幅が狭く、西南・南西部分も未完成であり、要塞としては心もとない。
高島城
2019年4月27日
連郭式平城 (主な城主・日根野氏 諏訪氏)
築城 1592年(文禄元年) / 廃城 1875年(明治8年)

諏訪湖と河川を利用した水城(浮城)であるが、今はその面影は少ない。
水堀から復興天守・復興隅櫓・石垣を眺めると往時の景色を少し感じ取られる。、
村上城
2022年4月22日
平山城 (主な城主・本庄氏 堀氏 内藤氏)
築城 1500年代 / 廃城 1871年(明治4年)

城跡の東側は中世遺構であるが、近世は西側中心で大手道(七曲り)が一文字門跡から臥牛山頂に続く。四ツ門址・鐘門跡(枡形)・出櫓台・本丸など随所に近年整備された堅牢な石垣が残る。本丸入口にある鏡石も見てみたい。本丸からは日本海や鮭漁で有名な三面川、村上城下が眺められる。
高田城
2019年4月26日
輪郭式平城 (主な城主・松平氏 稲葉氏 榊原氏)
築城 1614年(慶長19年) / 廃城 1871年(明治4年)

平城では珍しく天守もなく、また石垣は用いられず土塁と堀で築かれている。本丸の土塁は規模が大きく、復興天守として三重櫓が建てられている。
鮫ケ尾城
2019年4月25日
連郭式山城 (主な城主・堀江宗親)
築城 16世紀後半

遊歩道をカタクリを見ながら山頂部へ登って行くと、よく確認しないと分からないが曲輪・堀切などが現れてくる。山頂曲輪(本丸跡)下の二の丸跡や三の丸跡の曲輪が発掘調査されている。
福井城
2023年5月31日
輪郭式平城 (主な城主・柴田勝家 越前松平家)
築城 1575年(天正3年) / 廃城 1871年(明治4年)

水堀に囲まれた本丸には、御殿跡に県庁舎・議会議事堂・警察本部が建てられている。北西角に天守台や小天守の石垣が、天守台に登ると礎石が見られる。また御座所があった西二の丸(山里丸)と本丸との出入口として、御廊下橋と山里御門が復元されている。御門跡や瓦御門跡の石垣を登ると、水堀と石垣の上からの眺望が楽しめる。
越前大野城
2023年5月31日
梯郭式平山城 (主な城主・金森氏 松平氏 土井氏)
築城 1580年(天正8年) / 廃城 明治初期

南登り口から城門をくぐり、右手に柳廼社を見つつ登る。途中の本丸への本来の登城道である百間坂でなく、明治期以降に整備された遊歩道をゆく。天守が再建されており、野面積みの石垣が堅固な造りを見せている。
佐柿国吉城
2023年3月31日
山城 (主な城主・栗屋勝久 木村定光)
築城 1556年(弘治2年) / 廃城 1615年(元和元年)など

山頂部に構築された本丸跡や二の丸跡などの城郭部分へは登らず、山すそにある城主居館跡の近辺を廻るに留めた。発掘調査により、段々にも石垣が積まれ、建物の敷石遺構が確認できる。
玄蕃尾城
2023年5月31日
山城 (主な城主・柴田勝家)
築城 1582年(天正10年) / 廃城 1583年(天正11年)

賤ケ岳の戦いに備えて造られたが、戦い時には利用されず、築造当時の遺構がよく残っている。大手虎口から郭1・土橋を通り、虎口郭・馬出郭など経て主郭に入ると櫓台が見られる。全体的に土塁や空堀が随所によく確認できる。
郡上八幡城
2023年5月31日
平山城 (主な城主・遠藤氏 稲葉氏 井上氏 青山氏)
築城 1559年(永禄2年) / 廃城 1869年(明治2年)

昭和初期、天守跡に天守・隅櫓・高塀が再建されており、木造再建城として日本最古のものとなっている。比較的小規模ながら、山城として美しい佇まいを見せている。
美濃金山城
2019年4月22日
梯郭式山城 (主な城主・斎藤氏 森氏 石川氏)
築城 1537年(天文6年) / 廃城 1600年(慶長5年)

曲輪・土塁・井戸・礎石・堀・石垣などの一部が残り、本丸からは東美濃が眺望できる。
大垣城
2020年2月15日
連郭・輪郭複合式平城 (主な城主・竹腰氏 氏家氏 岡部氏 久松松平氏 戸田氏)
築城 1500年(明応9年) / 廃城 1871年(明治4年)

石灰岩が混じる本丸の石垣の上に天守が復元されている。従来は水堀を三重四重に設けて巨大な縄張であったが、その面影は少なく、現在は本丸・二の丸が整備されているのみである。
諏訪原城
2019年8月31日
山城 (主な城主・今川氏真 松平家忠)
築城 1573年(天正元年) / 廃城 1590年(天正18年)

堀・曲輪・馬出などの遺構が良好な形で残り、特に三日月堀や丸馬出、横堀が戦国の山城の特徴を表している。
高天神城
2019年8月31日
連郭式山城 (主な城主・福島氏 小笠原氏 岡部氏)
築城 16世紀初頭 / 廃城 1581年(天正9年)


追手門から三の丸址を経由して本丸跡を目指すと、100m程の山の急斜面を利用して、曲輪・土塁・掘割を見ることができる。
浜松城
2019年10月17日
梯郭式平山城 (主な城主・飯尾氏 松平氏 堀尾氏 井上氏 水野氏)
築城 1504-1520年(永正年間) / 廃城 1871年(明治4年)

本丸・二の丸・三の丸は公園化や市街地化されており、一部の
石垣が確認できるのみである。本丸から独立した曲輪にある
野面積みの天守台に模擬天守が建てられている。
小牧山城
2019年8月22日
平山城 (主な城主・織田氏 徳川氏)
築城 1563年(永禄6年) / 廃城 1567年(永禄10年)

南側の大手口から直線的な大手道を登り、中腹から折れて本丸へと向かいたい。この後の安土城と類似している縄張りが見受けられる。
発掘調査で信長時代の築城時の石垣跡が発見されている。
古宮城
2020年1月5日
平山城
築城 1571年(元亀2年) / 廃城 1575年(天正3年)

独立した30m程の小さな丘に築かれ、曲輪・土塁・堀などの遺構が良好な形で残る。土塁の上を歩けば、曲輪や堀がよく確認できる。
吉田城
2019年8月31日
半円郭式平城 (主な城主・牧野氏 戸田氏 大河内松平氏 本庄松平氏)
築城 1505年(永正2年) / 廃城 1871年(明治4年)

本丸北西に鉄櫓櫓が再建され、三の丸には石垣・土塁・堀塁が残る。
川に面した本丸北側の石垣も見てみたい。
津城
2020年1月6日
輪郭式平城 (主な城主・細野氏 織田氏 富田氏 藤堂氏)
築城 1558-1570年(永禄年間) / 廃城 1871年(明治4年)

藤堂高虎が築いた頑丈な石垣が内堀に映える。城跡は本丸・西の丸・内堀が残るが、公園化されている。丑寅櫓が復興され、藩校有造館の正門(入徳門)が移築され現存している。
多気北畠氏城館
2020年1月6日
霧山城・山城  (主な城主・北畠氏)
築城 1342年(康永元年) / 廃城 1576年(天正4年)

北畠氏館跡庭園が池泉回遊式として現存する。北畠氏館跡は発掘調査されているが、確認できる痕跡は少ない。詰城「霧山城跡」へは、かなりの距離(2?)があり途中で断念した。
田丸城
2020年1月6日
平山城 (主な城主・田丸氏 北畠氏 織田信雄)
築城 1336-1392年(南北朝時代) / 廃城 明治初期

天守台・二の丸の野面積の石垣や外堀・内堀・堀切・空堀が整備されている。
二の丸東側下にある虎口は、枡形で二つの門で構成されていた。
鎌刃城
2020年2月15日
連郭式山城 (主な城主・土肥氏 堀氏 浅井氏)
築城 応仁の乱以前 / 廃城 1574年(元亀5年)

名神高速道下のゲートから、なだらかな坂道を曲輪や堀切を見つつ登って行くと、石垣や石塁が残る主郭部が現れる。主郭には枡形虎口と薬医門の礎石が残っている。郭から三方へ伸びる尾根には曲輪や堀切が随所に築かれ、規模の大きな戦国期の山城だと実感できる。
八幡山城
2019年3月30日
放射状式連郭式山城 (主な城主・羽柴秀次 京極高次)
築城 1585年(天正13年) / 廃城 1595年(文禄4年)

各曲輪に、隅部分は算木積で組まれた野面積の石垣が随所に見られる。西の丸跡から眺めると琵琶湖の見晴らしが良い。、
福知山城
2023年3月30日
連郭式平山城 (主な城主・明智氏 朽木氏)
築城 1579年(天正7年) / 廃城 1873年(明治6年)

小天守と3層4階の望楼型大天守が江戸初期の絵図を参考に再建復元されており、一部板張りの外観が特徴的である。石垣は築城当時からのものが残り、五輪塔や墓石、宝篋印塔などの石造物が転用石として多数利用されている。二の丸にあった銅門番所が本丸に移築され当時の建物として残っている。
芥川山城
2021年11月10日
連郭式山城(主な城主・能勢氏 細川晴元 三好氏 和田惟政 高山氏)
築城 1515年(永正12年) / 廃城 1571年(元亀2年)

塚脇ルートで三好山山頂の主郭を目指す。途中に堀切を確認できるが、その他の遺構は木々に覆われ余り確認できない。頂上からは広く近畿の平野が眺められ、山城としての存在が感じ取られる。大手筋ルートで下城する途中に石垣が残っている。
飯盛城
2019年4月5日
山城 (主な城主・木沢長政 安見宗房 三好長慶 三好義継)
築城 1334-1338年(建武年間) / 廃城 1576年(天正4年)

尾根沿いに多くの曲輪が配置され、虎口や堀切が残されている。山城には珍しい戦国初期の石垣が一部に見受けられる。本曲輪跡からは大阪市内までの眺望が楽しめる。
岸和田城
2019年4月5日
輪郭式平城(主な城主・ 小出氏、岡部氏、三好氏)
築城 応永年間(1394年-1428年)/ 廃城 1871年(明治4年)

連結式望楼型3層の天守や櫓門などが再建されている。
本丸の南西側と南東側に「犬走り」と呼ばれる周堤帯があり、石垣の崩落防止のためと思われる。
出石城・有子山城
2023年3月31日
梯郭式平山城 (主な城主・小出氏 松平忠周 仙石氏)
築城 1604年(慶長9年) / 廃城 1871年(明治4年)

有子山城へは登城せず、出石城のみ廻る。三の丸跡から二の丸経由で本丸へ向かう。本丸には城主御殿の遺構があり、また隅櫓が再建されて大手門の辰鼓楼と共に出石のシンボルとなっている。石垣は随所に残るが、本丸の上の稲荷曲輪の高石垣が威容を誇っている。
黒井城
2023年3月30日
連郭式山城 (主な城主・赤松氏 赤井氏 斎藤利三 堀尾吉晴〕
築城 建武年間(1334-1338年) / 廃城 1584年(天正12年)

山頂の本城まで登らず登山口で断念し、下館跡(現興禅寺)から山城を遠く眺めるに留めた。斎藤利三が陣屋としていた下館跡には、黒井城城門の部材が一部使用と伝わる総門や高石垣・堀が往時の景観を残している。
宇陀松山城
2022年3月23日
山城 (主な城主・秋山氏 加藤氏 福島氏)
築城 南北朝時代 / 廃城 1615年(元和元年)

南西虎口部(雀門跡)の緩やかな階段を登ると、所々に石垣・石段が見受けられる。本丸には御殿が、天守郭にも御殿や小規模な天守が存在したと考えられている。
松山西口関門(黒門)が城下に当時の建造物として唯一現存している。
若桜鬼ケ城
2021年10月16日
連郭式山城 (主な城主・矢部氏 山中幸盛 八木豊信 木下重堅 山崎重盛 山崎家治)
築城 1200年(正治2年) / 廃城 1617年(元和3年)

馬場から枡形虎口を経由して二の丸・三の丸へ向かう途中に、一国一城令で破城された状態で意図的に石垣が残っている。さらに本丸・天守台に向かうと同様に石垣が破壊されている。天守台からは眼下に但馬や播磨に通じる街道が見え、交通の要衝であることが分かる。
米子城
2021年10月14日
梯郭式平山城 (主な城主・山名氏 尼子氏 吉川氏 中村氏 加藤氏 池田氏)
築城 1470年(文明2年) / 廃城 1871年(明治4年)

湊山山頂部の本丸(天守台)の高石垣は市内から遠望でき、その威容さを誇っている。本丸からは、中海・日本海・城下町・大山などが一望できる。五重の天守閣や四重の副天守閣などがそびえていた石垣に往時の姿を伝えている。
浜田城
2023年4月21日
梯郭式平山城 (主な城主・古田氏 本多氏 越智松平氏)
築城 1619年(元和5年) / 廃城 1866年(慶応2年)

護国神社から二の門跡の石垣を見つつ本丸に向かう。山頂部にある本丸には天守(三重櫓)が設けられていたが、今は建物遺構はない。そこからの日本海や藩内最大の貿易港である外ノ浦港の眺めが素晴らしい。
備中高松城
2021年10月13日
梯郭式平城 (主な城主・石川氏 清水氏 花房氏)
築城 不明 / 廃城 江戸時代初期

当時の面影を見つけ出すのは難しい。築堤址や本丸・二の丸址、清水宗治の首塚や胴塚など関連史跡に、水攻めによる攻防戦を想像するしかない。
三原城
2023年4月19日
梯郭式平城 (主な城主・小早川氏 福島氏 浅野氏)
築城 1567年永禄10年) / 廃城 不明

古地図に見られる浮島城の面影は、ほとんど残っていない。城郭の堀は大部分埋立られ、また鉄道によって城郭は分断され、北側の天守台跡の石垣と堀、南側の舟入櫓跡の石垣などが確認できるのみである。三原駅の高架下に石垣が一部残っている。天守台跡に登るには駅構内の入口からしかできない。
新高山城
2023年4月19日
山城 (主な城主・小早川隆景)
築城 1552年(天文21年) / 廃城 1596年(慶長元年)

大手道入口から番所跡・匡真寺跡・中の丸まで急な山道を登る。そこから本丸、そして詰の丸へ向かう。三原城修築時に石垣の石が運ばれたが、残存している石が所どころに見受けられる。詰の丸には巨石や石造物があり、眼下に町並みが見渡せる。
大内氏館・高嶺城
2023年4月20日
平地居館/山城 (主な城主・大内氏)
築城 14世紀末/1556年(弘治2年) / 廃城 1557年(弘治3年)

高嶺城には登城せず、大内館跡の周囲を廻った。石組み水路・西門・枯山水庭園・土塁・石組かまど・せん列建物跡・池泉庭園が整備復元されている。館跡は龍福寺の境内となっており、居館としての雰囲気は感じられない。池泉庭園が浄土庭園として当時を偲ばせる。
小倉城
2023年6月8日
輪郭式平城 (主な城主・細川氏 小笠原氏)
築城 1569年(永禄12年) / 廃城 1866年(慶応2年)

小倉城庭園側から内堀と天守閣を眺める。北九州市役所前の大手先門跡、大手門跡から本丸へ登る。天守閣は野面積の石垣に1959年に再建されており、高さや床面積(一階)が全国有数とのこと。また、堂々たる外観を見ると「唐造り」で、最上階の5階と4階の間に「ひさし」がなく、また4階の方が5階より大きくなっている。
水城
2023年6月7日
古代防塁
築城 664年(天智天皇3年)

今回は西側地区は省略し、東側を中心に巡った。水城東門跡近辺から樹木に覆われた東堤を眺める。東門跡からは博多に、西門跡からは筑紫館(鴻臚館)に通じる古代官道があったとのこと。太宰府の前面に城壁の役割で築造された大野城や基肄城と併せて、防御体制の全体像を創造してみる。
基肄城
2023年6月7日
古代山城 (朝鮮式)
築城 665年(天智天皇4年)

まず南門跡や水門跡の石垣を訪れる。水門跡の石垣は良好に整備され、往時の水門としての役割を確認できる。草スキー場から基山の頂上部へ登り、土塁線を見ることができる。頂上部は南北朝から戦国時代に主郭として再利用されている。建物礎石や城門跡など他の場所には行かなかった。
原城
2023年11月16日
梯郭式平山城 (主な城主・有馬氏)
築城 1496年(明応5年) / 廃城 1616年(元和2年)

広大な城跡の大手口跡から三の丸・二の丸を経て、本丸跡へ向かう。ホネカミ地蔵を右手に見て本丸正門跡から本丸へ登る。海に面した丘陵にある本丸には天草四郎の像や墓などがあるが、一揆当時を偲ばせるものはない。
鞠智城
2023年11月17日
古代山城
築城 665年(天智天皇4年)頃

大和朝廷が水城・大野城・基肄城ともに防衛拠点として九州最南端の台地に設けた。
鼓楼(八角形建物)・米蔵・兵舎・板倉(武器保管)が復元されている。
座喜味城
2019年3月1日
山城 (主な城主・護佐丸)
築城 1416-1422年 / 廃城 16世紀

二次大戦で日本軍や米軍の施設が築かれ城壁の一部が破壊されたが、修復されている。
星に近い形の城壁で囲まれている一の郭と二の郭にはアーチ門がある。
城壁の上に登ると、東支那海や残波岬、慶良間諸島などの島々が眺望できる。
勝連城
2019年2月28日
山城 (主な城主・勝連按司 阿麻和利)
築城 14世紀初頭 / 廃城 1458年

城跡入口から急な坂を登り階段状の三つの曲輪を目指す。一から三までの曲輪は石灰岩の石垣の城壁で仕切られている。一の曲輪からは太平洋や島々が一望できる。